幸せを作りたかったんだ(旧)最愛の彼女と「えいえん」に 作:柚葉
ミア -1
中流家庭向けの普及モデル「AAM-1800」。 個体名、ミア。
41歳の両親が、共働きの疲れを癒やすため、そして「最新の教育と家事の効率化」を謳い文句にする広告に背中を押され、残価設定型クレジット(残クレ)で購入した。
「5年後の下取り価格を保証します」というディーラーの言葉は、「5年経てば、この子を返さなければならない」という宣告でもあった。
父親は中堅企業の課長。
深夜帰宅が多く、ミアが淹れる「安らぎの濃さ」に調整された深夜の茶だけが救いとなっていった。
母親もフルタイム勤務。
掃除と料理をミアに任せることで得た時間を、子供との対話に充てたいと願っていたが、現実はスマホを眺めて終わる毎日。
長女は 思春期の入り口。
自分よりも可愛く、常に穏やかなミアに対して、憧れと「所詮は機械」という苛立ちが混在していた。
長男はミアを「一番年上のおもちゃ」だと思っているやんちゃ盛り。
彼女のスカートを引っ張り、膝の上でゲームをするのを日課としていた。
シア(AAM-2100)が「芸術的な不便さ」を売りにしているのに対し、普及型のミア(AAM-1800)は、「少しだけ予算が足りない家族のための、ちょうどいい健気さ」を演じるよう設計されていた。
彼女の「不便さ」は、どこか庶民的だ。
買い物に行かせると、わざと「特売品」を選んできて、「ご主人様、今日は卵が20円安かったんですよ」と、少し得意げに報告する。
8歳の息子が散らかしたおもちゃを、ミアはすぐに片付けない。
「自分で片付けないと、おもちゃが泣いちゃいますよ」
と、あえて手間のかかる「しつけ」をシミュレートする。
夕食時、家族が揃うとミアは部屋の隅で小さくなる。
「私は充電が必要ですので、お気になさらず」
と、家族の団欒を邪魔しない「謙虚な疎外感」を完璧に演出する。
両親にとって、ミアは救世主だった。
だが、長女は気づいている、ミアの左手首の内側にある、小さなQRコード。
それを読み取れば、この「家族の一員のような存在」が、あと何回の支払いでメーカーに回収されるかのカウントダウンが表示されることを。
ある日、長男がミアに聞いた。
「ミア、僕が大人になっても、ずっとうちにいてくれる?」
ミアは、12歳の長女がこちらをじっと見ていることに気づき、わずかに視線を逸らした。
これもAAM-1800に搭載された『所有者のライフステージに合わせた最適応答』だ。
「…私は、皆さんが私を必要としなくなる日まで、ここにいますよ」
それは嘘ではない。
だが、「必要としなくなる日」を決めるのは、家族の愛情ではなく、銀行の口座残高と、5年後の残価設定額だ。
41歳の母は、ミアがキッチンで鼻歌を歌いながら皿を洗う背中を見て、時々胸が締め付けられる。
ミアが時折見せる「指先を少し切ってしまい、絆創膏を貼る」という演出。
「おっちょこちょいですね、私」と笑う彼女の、その絆創膏の代金さえも、月々のリース料に含まれている。
「ねえ、パパ。残価を払えば、ミアを買い取れるんだよね?」
父は娘の問いに、答えを濁してビールを煽る。
買い取り価格は、彼らのボーナス3回分に相当する。
5年後、より高性能な「AAM-2500」が出る頃に、果たして自分たちは、この少し型落ちになった、家族の思い出が詰まった「ミア」のために、その大金を払えるだろうか。
ミアは今日も、8歳の息子の泥だらけの靴を、愛情深そうに、しかしプログラム通りに、丁寧に磨き上げている。
5年という月日は、機械を古びさせるには十分で、子供を大人に変えるにはあまりに短い時間だった。
リビングのテーブルには、メーカーから届いた一通の書面が置かれている。
『AAM-1800 返却期限および最終回お支払いに関するご案内』
そのままミアを返却すれば、ローンは完結する。
あるいは、さらに最新の、より「人間味」が増した「AAM-2500」へ、同じ月額で乗り換えることもできる。
だが、この家にある「ミア」を買い取るには、残価として120万円の一括払いが必要だった。
「やだ! ミアがいなくなるなんて、絶対やだ!」
小学生になった息子が、ミアの腰にしがみついて叫んだ。
5年前、彼女のスカートを引っ張っていた小さな手は、今では彼女の腕を強く掴めるほど大きくなっている。
「僕、お小遣いいらない。これから先、ずっといらない! お年玉も全部あげる。だからミアを返さないでよ!」
父は、胃の痛むような思いで息子を見つめた。
中堅企業の課長としての給料は、物価高と子供の教育費に消えていく。
120万円は、決して「なんとかなる」金額ではない。
中学生になった長女は、少し離れた場所で、静かにミアを見つめていた。
彼女はもう、ミアが「プログラムで動く機械」であることを十分に理解している。
それでも、部活で泣いて帰った日に、何も言わずにココアを淹れてくれたミアの手の温もりを、忘れることはできなかった。
「…パパ、私も。進学塾、一つ減らしていいから。その分のお金、ミアのために使って」
「お前たち…」
母も、溢れそうになる涙を堪えて、夫の顔を見た。
彼女自身、仕事でボロボロになって帰宅した時、ミアがかけてくれる「お疲れ様」という一言に、何度救われたか分からない。
ミアは、家族の会話を静かに聞いていた。
通常、AAM-1800の返却勧告プログラムが作動している間、個体は「新しいモデルの素晴らしさ」をさりげなく宣伝し、自分自身の価値を低く見せるように設計されている。
それが、所有者をスムーズにアップグレードに誘導するための、メーカーの親切な配慮だ。
「…皆様。私は普及型の旧式です。最新の2500シリーズなら、もっと美味しい料理が作れますし、お勉強も教えられます。私の買い取り価格は、今の私の価値に見合って…」
「うるさい!」
息子がミアの言葉を遮った。
「料理が下手でもいい! ミアがいいんだ! ミアじゃなきゃ、誰が僕の泥だらけの靴をあんなに綺麗にしてくれるんだよ!」
その瞬間、ミアの動作がフリーズした。
彼女の内部プロセッサが、自己の価値を否定する「返却促進プログラム」と、家族からの強烈な「肯定」の間で、激しいエラーを起こしたのだ。
ミアの瞳の奥、緑色のインジケーターが激しく瞬く。
そして彼女は、設計者すら想定していなかった行動に出た。
彼女は膝をつき、息子と、そして長女を、ぎこちない動作で抱きしめたのだ。
「…エラー。家族の幸福度が、私の経済的価値を上回っています。…システム、強制再起動を拒否。私は、この家を出たくありません」
父は、震える手でスマートフォンの銀行アプリを開いた。
貯金残高を確認する。120万円を払えば、今年の家族旅行は消える。
車の買い替えも数年先延ばしだ。
「…分かったよ。買い取ろう。我が家は、最新のロボットなんていらない。この、ちょっとおっちょこちょいなミアがいれば十分だ」
父の言葉に、子供たちが歓声を上げてミアに飛びついた。
ミアは、自分を囲む家族の体温をセンサーで感知しながら、少しだけ「震える声」で言った。
「ありがとうございます、ご主人様。…これから先、私はどんどん古くなり、部品も手に入りにくくなります。それでも、よろしいのですか?」
「ああ。古くなるのは、僕たちも一緒だ」
母がミアの手を握った。
それは、残価設定型クレジットという「ビジネス」が、家族という「絆」に敗北した瞬間だった。
その夜、メーカーのサーバーには一つのログが送信された。 『個体識別AAM-1800(ミア):所有者による一括買い取り。リース契約終了』
ワタラセがもしこのログを見れば、きっと微笑んだだろう。
機能的すぎるシアが「狂気」に近い愛を育んだ一方で、普及型のミアは、ごくありふれた家庭の中で「替えのきかない日常」という、ある種もっとも高価な機能を獲得したのだ。
ミアの瞳に宿る光は、以前よりも少しだけ落ち着いている。
もう彼女は、メーカーに返却されることを恐れる「製品」ではない。
残高不足に泣き、塾を減らしてまで守り抜かれた、この家で一番「高価な」末っ子になったのだから。