君を幸せにする魔法   作:豚の塩漬け

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キミを幸せにする魔法

 ――それは、遠い昔の記憶だ。

 

 陽の光が、やけに眩しい日だった。

 私は生まれた時から病弱で、一日の大半をベッドの上で過ごす生活をしていた。

 窓の外の世界は輝いて見えたけれど、それは私には手の届かない。ガラスの向こうの絵画のようなものだった。

 

 けれどその日だけは違った。

 奇跡的に熱が下がり、身体が軽かった。

 私はこっそりと家を抜け出し、初めて踏みしめる土の感触を、草の匂いを頬を撫でる風を感じた。

 全てが新鮮で、私は夢中で走った。

 

 でもすぐに息が切れて、足がもつれて転んでしまった。

 膝を擦りむいて、痛くて、心細くて。やっぱり私は外に出ちゃいけなかったんだと泣きそうになった時。

 

『――おい、大丈夫かよ?』

 

 頭上から、ぶっきらぼうな声が降ってきた。見上げると、泥だらけの男の子が立っていた。手には木の枝で作った剣を持ち、顔には絆創膏。

 乱暴そうな目つきだったけれど、差し出された手は大きくて、温かかった。

 

『立てるか?ったく、トロいなぁ』

 

 男の子は悪態をつきながらも、私をおんぶしてくれた。彼の背中はゴツゴツしていて、汗と土の匂いがしたけれど不思議と安心できた。

 

『どこ行きたいんだ?花畑か?それとも川か?』

『……全部。全部、見てみたい』

『欲張りだな……ま、いいぜ。この俺様が連れてってやる』

 

 彼は私を背負ったまま村中を歩き回ってくれた。高い木の上からの景色。冷たい川の水。見たこともない虫や花。

 私の知らなかった世界を、彼はその背中の上で全部教えてくれた。

 

『俺はな、勇者になるんだ』

 

 彼は木の剣を振り回して、得意げに言った。

 

『世界中を冒険して、悪いやつを倒して、みんなにすげぇって言われるんだ。歴史に名前を残すんだ』

 

 その背中が、太陽の逆光を受けて輝いて見えた。あぁ、格好いいなと思った。

 絵本に出てくる王子様なんかよりずっと強くて、優しい。

 

『じゃあ……私は、その一番近くにいたいな』

 

 私が呟くと、彼は鼻を鳴らした。

 

『馬鹿言え、勇者の旅は過酷なんだぞ。お前みたいにすぐ転ぶやつは連れてけねぇよ』

『じゃあ、強くなる!私も強くなって、君を守れるようになる!』

『ははっ!逆だろ……ま、もしお前が強くなったら考えてやらなくもねぇけどな』

 

 名前も知らない少年との、たった一日の冒険。夕暮れ時、家の近くで別れる時、彼はまたなと言って走り去っていった。

 

 私はその背中を、ずっと見送っていた。それが私の初恋であり、私が勇者を目指すことになった原点。

 

 ――ねぇ、オウマさん。貴方は忘れてしまったでしょうけれど。

 私にとっての勇者は、神様に選ばれた私なんかじゃなくて……あの日、私を背負って世界を見せてくれた貴方だけだったんですよ。

 

 

 

 

 光が、弾けた。

 

 ノアの放った【聖光・天地創造(ジェネシス・レイ)】が、俺ごと魔王の核を撃ち抜いた瞬間に俺の視界は白一色に染まり、轟音と共にすべての感覚が吹き飛んだ。

 

「がぁぁぁぁぁっ……!!」

 

 熱い、痛い。いや、そんな生易しいものじゃない。

 俺の肉体という器が、内側からの衝撃と外側からの魔力で消しゴムで擦るように削り取られていく。だが、俺はまだ生きている。

 ノアの魔法が、ギリギリのところで俺の命を繋ぎ止める防壁として機能していたからだ。

 

 光が収束する。目の前には、核を砕かれ半身を消滅させた魔王が立ち尽くしていた。その顔には驚愕と、そして諦めのような色が張り付いている。

 

 勝った。誰がどう見ても、これで終わりだ。

 

 だが。俺の『剣鬼』としての本能が最期の警鐘を鳴らした。

 

 ――まだだ!

 

 魔王の瞳から光が消えていない。消滅の間際、奴の残った右腕がどす黒い影を収束させて一本の剣を形成していた。

 道連れだ。プライドの高いこいつはただでは死なない。自分を追い詰めた存在を一匹でも地獄へ引きずり込もうとしている。

 

 狙いは――魔力を使い果たし、膝をついているノア。

 

「させ、ねぇ……ッ!!」

 

 俺の体が、思考より先に動いた。もう体力なんて残っていない。骨も砕けている。動かしているのは、魂に焼き付いた執念だけだ。

 

 俺は地面を蹴り、魔王とノアの射線上に割り込んだ。同時に魔王の影の剣が射出される。

 

 ズドォォォッ!!

 

 鈍い音が響いた。焼けるような衝撃が俺の胸の中央を貫いた。

 

「ガ、はッ……!」

 

 口から大量の血が溢れる。

 心臓、肺、脊髄……人間が生きていくために必要な機能が一瞬で破壊されたのが分かった。だが、俺の足は止まらない。

 

 俺は貫かれたまま、最後の力を振り絞って大剣を突き出した。溶けて短くなった鉄塊を魔王の喉元へ。

 

「ああァァァッ!!」

 

 ドスッ。

 

 俺の剣が、魔王の首を貫通した。影の剣が霧散する。

 魔王は目を見開き、口をパクパクとさせ、やがてフッと笑うように目を細めた。

 

「見事だ……人間」

 

 サラサラと、魔王の体が黒い粒子となって崩れていく。今度こそ本当の最期だ。魔王は完全に消滅した。

 

 支えを失った俺の体は、糸の切れた人形のようにゆっくりと後ろへ倒れ込んだ。

 

「――オウマさんッ!!」

 

 悲鳴のような声。背中に冷たい石畳の感触が伝わる前に、温かい腕が俺を受け止めた。

 

 ノアだ。顔中を涙でぐしゃぐしゃにして俺を抱きかかえている。

 

「やだ……やだやだやだ!オウマさん!目を開けて!」

 

 ノアの手が優しく光る、回復魔法。それも残った生命力を全て注ぎ込むような、命懸けの治癒だ。温かい光が傷口に吸い込まれていく。

 だが傷は塞がらず、血は止まらない。

 

「なんで……?どうして治らないの!?」

「無駄だ、ノア」

 

 俺は口元の血を泡立たせながら、掠れた声で告げた。魔王の最後の剣は、呪いの塊だ。

 再生を阻害し、魂を腐らせる概念攻撃。

 

「無駄じゃない!絶対に治す!僕が……私が死なせない!」

 

 ノアは半狂乱で魔力を注ぎ続ける。その涙が、俺の頬に落ちた。あぁ、やっぱりこいつは最後まで泣き虫な勇者様だったな。

 

 俺の視界が、急速に暗くなっていく。手足の感覚はもうない、寒気だけが這い上がってくる。

 

 死ぬのか……悪くない。

 世界を救い、魔王を倒した。そして何より、この子を守り切った。

 俺の名前は歴史に残るだろう。『魔王と相打ちになった英雄』として。

 

 ――だが。

 

「うあぁぁぁぁぁぁっ!オウマさぁぁぁん!!置いていかないでぇぇぇっ!!」

 

 ノアの絶叫が、俺の心を抉った。

 その時、俺の脳裏に、ある記憶が蘇る。

 子供の頃の記憶、病弱だった少女を背負って村を歩き回ったあの日。

 

 ――そうか。あいつは、お前だったのか

 

 点と線が繋がった。なぜ、教会で会った時に俺を見て泣きそうになっていたのか。

 なぜ、あんなにも俺を信頼し、俺の背中を追いかけてきたのか。

 

 こいつはずっと、覚えていたんだ。俺が忘れていたあの日の約束を。

 『私が強くなったら守ってあげる』という約束を。

 

 だからこそ、俺は悟ってしまった。

 このまま俺が死ねば、ノアはどうなる?

 初めてであったであろう友人を失うのだ。その罪悪感と喪失感は、一生彼女を縛り続けるだろう。

 彼女は世界を救った勇者ではなく、仲間を犠牲にした勇者として死ぬまで自分を呪い続けるだろう。

 

 そんな未来は、俺が望んだハッピーエンドじゃない。

 努力した者は報われなければならない。こんな苦しみながら戦い続けたんだ……残りの一生は幸せに生きるってもんが道理だろ。

 

 「……ノア」

 

 俺は最後の力を振り絞り、鞄からスクロールを引き抜いた。ノアは泣きじゃくっていてそれに気づかない。

 

「最後に、1つだけ魔法を見せてやる」

「え……?オウマ、さん……?」

 

 俺は震える指で、スクロールを開いた。術式が淡い光を放ち始める。

 

 さよなら、俺の栄光。さよなら、俺の大切な相棒。そして――ありがとう、俺を勇者と呼んでくれた、あの日のお姫様。

 

「【禁術発動――】」

 

 俺の声と共に、世界が白く塗り潰されていく。これが俺の人生最初の、そして最後の魔法。

 

 

 キミを幸せにする魔法だ。

 

 

 

 

 

 私が放った渾身の極大魔法が空間ごと魔王を飲み込んだ。視界が白一色に染まり、鼓膜が破れるほどの轟音が鳴り響く。

 私は全ての魔力を、生命力を、魂の残りカスまで絞り出し、その光の奔流を維持し続けた。

 

 やがて、永遠にも思えた光が収束し世界に色が戻ってきた時。

 そこにはもう、魔王の姿はなかった。かつて玉座があった場所には巨大なクレーターが穿たれ、黒い粒子が雪のように舞っているだけだった。

 

「はぁ……はぁ……ッ」

 

 私は膝から崩れ落ちた。勝った……終わったんだ。たった一人で、誰の助けも借りず、孤独に耐え、恐怖を押し殺し、私は世界の敵を討ち滅ぼしたのだ。

 

 周囲を見渡す。魔王城の最奥は見る影もなく崩壊していた。壁は熔け落ち、床はめくれ上がり、天井にはぽっかりと巨大な風穴が開いている。

 凄まじい戦いの痕跡だ。私はこんな破壊をもたらすほどの激闘を一人で演じたのか。

 記憶が少し霞んでいる気がするけれど、それは魔力枯渇による疲弊のせいだろう。

 

「ん?」

 

 ふと、視界の端に異物が入った。魔王が消滅した場所……黒い灰が降り積もるその中心に、一本の何かが突き刺さっていた。

 

「剣?」

 

 私は痛む体を引きずり、その物体に近づいた。それは、酷く無骨で、ボロボロの大剣だった。柄は汗と血で汚れ、刀身は度重なる激戦で半分以上が欠け、熱で溶解し、赤錆が浮いている。まるで、持ち主の命を削るようにして何千何万回と振るわれ続けた鉄塊。

 美術品のような聖剣ではない。ただ泥に塗れて敵を殺すためだけに存在した、名もなき剣。

 

「なんでこんなものが……」

 

 私は杖使いだ。こんな重い剣を扱った覚えはない。

 魔王の遺品だろうか? それとも、過去に挑んで敗れた誰かの墓標だろうか?

 

 分からない。誰の剣かも、なぜここにあるのかも、何も分からないはずなのに。

 

 ――トクン。

 

 心臓が早鐘を打った。その汚れた柄を見た瞬間、懐かしさとも、切なさともつかない感情が胸の奥から津波のように押し寄せてきた。

 

「変なの」

 

 私は吸い寄せられるように、その大剣の隣にゴロリと寝転がった。冷たい石畳の上だけれど、この剣の近くだと不思議と怖くなかった。

 まるで、強くて大きな誰かがすぐ隣で番をしてくれているような、絶対的な安心感。

 

 見上げれば、天井の穴から四角く切り取られた空が見えた。ずっと空を覆っていた暗雲は消え去り、目が覚めるような蒼穹が広がっている。

 太陽の光が差し込み、舞い散る塵をキラキラと照らしていた。

 

「あはは……綺麗」

 

 私は空に向かって手を伸ばし、満面の笑みを浮かべた。終わったんだ、世界は平和になった。

 私は生き残った。これから家に帰って、お父さんとお母さんに報告して、それから美味しいものをたくさん食べて。

 ずっと憧れていた平和な世界を歩くんだ。

 

 最高の気分だ。これ以上ないハッピーエンドだ。

 

 ――なのに。

 

「あれ……?」

 

 視界が、ぐにゃりと歪んだ。熱い雫が、こめかみを伝って石畳に落ちる。

 

「なんで涙が?」

 

 拭っても、拭っても、止まらなかった。悲しいことなんて何もない。痛いところも、もうない。なのに、涙だけが溢れてくる。

 胸にぽっかりと穴が開いたような気がした。

 何か、とても大切なものを。私の命よりも、世界よりも、ずっと大切だった何かを。ここに置いてきてしまったような喪失感。

 

 ――すると、誰かが私の頭を撫でた。

 

 子供をあやす様に丁寧で、懐かしさを覚えた。

 それだけで、私の涙が止まった。

 

「誰?」

 

 顔を上げる……しかし、そこには誰もいなかった。

 ここには私と、このボロボロの剣しかない。

 

 吹き抜ける風が、私の髪を揺らす。その風は、どこか泥臭く、鉄と汗の匂いがして、けれどとても優しく、温かかった。

 

 

 

 

 

 

 王都は建国以来の熱狂に包まれていた。

 

 石畳を埋め尽くす極彩色の花吹雪。耳をつんざくような鐘の音と、地鳴りのような歓声。

 数百年にわたり人類を脅かした魔王の討伐。その神話的な偉業を成し遂げた一人の英雄の凱旋に、人々は涙を流し、喉が枯れるまで感謝の言葉を叫んでいた。

 

「勇者ノア万歳!」

「世界を救った最強の魔導師!」

「たった一人で魔王を倒した、伝説の乙女!」

 

 凱旋パレードの豪奢な馬車の上で、一人の少女が手を振っていた。豪奢な純白の法衣に身を包み、手には王家から贈られた宝玉の杖。

 銀の髪は太陽の光を受けて輝き、その美しさはまさに神話から抜け出してきた女神のようだった。

 

 ノアははにかむように笑い、少し困ったように手を振り返していた。その隣には国王が並び、民衆に向かって誇らしげに彼女を紹介している。

 完璧なハッピーエンド。一点の曇りもない、輝かしい未来。誰もが彼女を称え、誰もが彼女の幸福を疑わなかった。

 

「……」

 

 ふと、ノアは手を振るのを止め、自分の右隣を見た。そこには誰もいない。ただ、広すぎる座席の空きスペースがあるだけだ。

 当然だ。彼女は最初から一人で旅立ち、一人で戦い、一人で帰ってきたのだから。誰も隣に座るはずがない。

 

「ノア様、どうされましたか?」

 

 馬車の御者が、心配そうに声をかけた。ノアはハッとして、慌てて笑顔を作った。

 

「い、いえ!なんでもありません」

 

 ノアは胸に手を当てた。おかしい、世界は平和になった。私は生き残った。

 なのに、どうしてこんなにも胸が苦しいのだろう。まるで、自分の半身をもがれたような喪失感。右隣の空間が、物理的な距離以上に果てしなく遠く寒々しく感じられる。

 

「あ、そうだ。ノア様」

 

 御者は手綱を握りながら、世間話のように続けた。

 

「ノア様が魔王城から持ち帰られたあの大剣。王立博物館の学芸員たちが頭を抱えていましたよ」

「え?」

「いやぁ、てっきり魔王の遺品か伝説の聖剣かと思って鑑定したそうですが……ただの鉄屑だったそうで。 銘もなく、魔力もなく、手入れもされていないボロボロの剣。『なぜ勇者様はこんなゴミを持ち帰ったのか』と不思議がっておりました」

 

 ――ゴミ。

 

 その言葉を聞いた瞬間、ノアの心臓がドクリと跳ねた。反射的に、御者に対して鋭い視線を向けてしまう。

 

「ゴミなんて、言わないでください」

 

 自分でも驚くほど、低い声が出た。

 

「えっ?」

「あの剣はゴミなんかじゃありません。私を……私を、ここまで守ってくれた、大切な」

 

 言葉が続かない。大切な、何だと言うのだ?

 お守り? 戦利品?  違う。もっと切実で、もっと温かい何か。あの剣の柄を握った時に感じた、無骨で大きな手の感触。それは、私の妄想なのだろうか?

 

「す、すみません!失言でした!」

 

 慌てて謝る御者に、ノアは力なく首を振った。馬車は王城の門へと進んでいく。熱狂する群衆。煌びやかな未来。

 ノアはその光景を見つめながら、そっと自分の頭に手をやった。

 

 魔王城で感じた、あの感覚。誰かが泣いている私をあやすように、ポンポンと優しく撫でてくれた温もり。

 あれは幻覚だったのかもしれない。激戦の最中、孤独に耐えきれずに脳が生み出した都合の良い幻影かもしれない。

 

 でも……その幻影が、私に囁いた気がするのだ。

 

 ――約束だ、と。

 

 

 

 王城での祝賀会は三日三晩続いた。貴族たちからの称賛、王からの褒美、次々と持ち込まれる縁談。

 それら全てをノアは曖昧な愛想笑いでやり過ごした。

 

 そして四日目の朝。ノアは国王への謁見を求め、ある願いを口にした。

 

「旅に出たい……だと?」

 

 玉座の王は、目を丸くした。

 

「そなたは世界を救った英雄だぞ?王宮魔導師の筆頭として、この国を支えてくれるのではないのか?富も、名誉も、望むものは全て与えよう。それが勇者への報酬だ」

 

「ありがとうございます。ですが」

 

 ノアは深々と頭を下げ、それから顔を上げて、窓の外の青空を見つめた。

 

「私には、まだ果たしていない『約束』がある気がするのです」

「約束? 誰とだ?」

「……分かりません」

 

 ノアは困ったように笑った。

 

「誰としたのか、いつしたのかも覚えていないんです。ただ……『平和になったら、美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て、のんびりしよう』って。そんな、他愛のない約束がずっと胸に残っていて」

 

 王は呆れ、そして嘆息した。魔王を倒した最強の勇者がそんな子供のような理由で地位を捨てるなど。だが、ノアの瞳は揺るがなかった。その瞳には、かつて一人で魔王に挑んだ時と同じ、静かな決意が宿っていた。

 

「……分かった。英雄を引き止めるのは無粋というものか」

「感謝いたします」

「ただし、護衛をつけよ。勇者の一人旅など諸外国が放っておかんぞ」

「いいえ、護衛はいりません」

 

 ノアは、背負った荷物を指差した。そこには、真新しい旅装と一緒に布でぐるぐる巻きにされた長い棒状のものが括り付けられていた。

 

「私には、最強の相棒がいますから」

 

 翌朝。ノアは誰にも見送られることなく、静かに王都を後にした。華美な法衣ではなく、動きやすいチュニックとローブ。手には使い慣れた樫の杖。

 そして背中には、彼女の身長ほどもある、巨大で重い鉄屑を背負って。

 

「重いなぁ」

 

 街道を歩きながら、ノアは苦笑した。魔法で重量を軽減しているとはいえ、この大剣は本来華奢な少女が持ち運ぶようなものではない。

 錆びて、刃こぼれして、重心も狂っている。博物館の学者が言った通り、武器としての価値は皆無だろう。

 

 でも、背中にこの重みを感じている時だけノアは呼吸がしやすかった。この重さこそが、彼女が一人ではないという唯一の証明だった。

 

「さて、と」

 

 丘の上に立ち、ノアは地図を広げた。

 

「まずは西の温泉街かな?それとも、東の港町で美味しい魚料理?」

 

 独り言を呟くが、返事はない。風が草を揺らす音と、鳥のさえずりが聞こえるだけだ。

 

 それでも、ノアは楽しそうに地図を指でなぞった。

 

「ねぇ、どこがいいと思う?」

 

 彼女は背中の剣に問いかける。返ってくるはずのない答えを待つように、少し耳を澄ませて。

 

 ――西だな、温泉で垢を落とすのも悪くねぇ。

 

 ふと、そんなぶっきらぼうな声が風に乗って聞こえた気がした。ノアは驚いて振り返るが、そこには誰もいない。ただ街道が続いているだけだ。

 

「……ふふっ。変なの」

 

 ノアはクスクスと笑った。最近、こういう空耳がよく聞こえる。私の頭がおかしくなったのかもしれない。

 でも、この空耳はとても心地よくて、私を正しい道へ導いてくれる気がするのだ。

 

「じゃあ、西に行こうっか」

 

 ノアは地図を畳み、西へ続く道へと足を踏み出した。

 

 道中、魔物が出るかもしれない。盗賊に襲われるかもしれない。野宿で雨に降られるかもしれない。

 

 でも怖くはなかった。だって、今の私は一人で魔王を倒した勇者なのだから。

 それに――。

 

 ノアは背中の大剣の柄をポンポンと軽く叩いた。冷たくて、ゴツゴツした鉄の感触。

 

「私には、貴方がいてくれるもんね」

 

  数日後。

 西の街道、見晴らしの良い草原でノアは昼食を取ることにした。青い空に白い雲、どこまでも続く緑の絨毯。

 かつては魔王軍の影に怯え、灰色に見えていた景色が今はこんなにも鮮やかに輝いている。

 

 ノアはシートを広げ、街で買ってきたサンドイッチと二つの木製カップを取り出した。水筒から水を注ぐ。一つは自分の手元に、もう一つは向かい側に置いた大剣の前に。

 

「いただきます」

 

 ノアは手を合わせ、サンドイッチを頬張った。具だくさんで少し塩気が強くて、とても美味しい。

 

「んー!これ、すごく美味しいよ!」

 

 ノアは向かい側の席に話しかけるがそこには誰もいない。風が吹いて、大剣に結ばれた布がパタパタと揺れるだけだ。

 

 傍から見れば奇妙な光景だろう。壊れた剣に向かって話しかけ、一人で食事をする少女。英雄の末路がこれだと知れば人々は嘆くかもしれない。

 

 けれど、ノアの表情は王城にいた時よりもずっと明るく、生き生きとしていた。

 

「あーあ、平和だなぁ」

 

 ノアは食事を終えると、草の上にゴロリと寝転がった。太陽は眩しく目を閉じると、瞼の裏に遠い日の記憶が蘇る。

 

 病弱だった子供の頃。窓の外を眺めて、自由に走り回ることを夢見ていた日々。あの頃の私にとって、外の世界は遠い異国だった。

 

 『立てるか?ったく、トロいなぁ』

 

 記憶の中で少年の声がする。顔は思い出せない。名前も分からない。でも、その背中の温かさだけは昨日のことのように覚えている。

 

「ねぇ」

 

 ノアは空に向かって手を伸ばした。何かを掴もうとして、指の間を風がすり抜けていく。

 

「私、強くなったよ」

 

 風が吹く。その風は、鉄と土の匂いがしてとても優しかった。

 

「一人でも歩けるようになったよ。貴方との約束、ちゃんと守れたかな?」

 

 返事はない。けれど頬を撫でる風がまるであぁ、上出来だと言って頭を撫でてくれたような気がした。

 

 ノアの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。それは悲しみの涙ではない。寂しさの涙でもない。

 ただ、胸いっぱいに広がる愛おしさと、感謝の涙だった。

 

 世界は書き換えられた。一人の男の献身によって、悲劇はなかったことになり、少女は完璧な幸福を手に入れた。

 彼の名前を知る者はいない。彼の偉業を語る者もいない。歴史の教科書には、勇者ノアの名前だけが永遠に刻まれるだろう。

 

 でも。少女の魂に刻まれた温もりだけは、どんな魔法でも消すことはできなかった。

 

「さぁ、行こう」

 

 ノアは涙を拭い、立ち上がった。背中の大剣を担ぎ直す。

 重い。けれど、この重さがある限り、私はどこまでだって歩いていける。

 

「次は温泉だね。背中、流してあげよっか?」

 

 ノアは悪戯っぽく笑い、誰もいない隣に向かってウインクをした。そして、軽やかな足取りで歩き出す。

 

 続く道はどこまでも明るく、希望に満ちている。一人と一振りの、終わらない旅が始まる。

 

 これは、歴史に残らなかったある剣士のその後のお話。

 一人の男が命を懸けて守り抜いた、世界で一番幸せな少女の物語。

 

 




オウマが選んだ選択がノアの一番の幸せに繋がったのかは不明です
ノアがオウマの死を乗り越えて幸せになれたかもしれませんしね
そも、自己犠牲なんて結局ただの自己満足だと思います

でもノアは勇者ではなく一人の少女として生きて、旅を始めました
オウマはきっとそれだけで報われたでしょう



という訳で計5万強の短編をご覧いただきありがとうございました。
初投稿でダクファンはきついか?と思い短編で思いついた展開を書きなぐってみました
これいうほどダクファンか?なんか古き良き勇者の物語になったんだが…

かなり端折りながらの物語で所々説明不足があるかもしれませんが全部説明しながらだと文字の量が1.5倍位になりそうなので泣く泣くカットしました
正直かなり満足のできなので喜んどきます、いえい
次回は短編かダクファンの長編かは分かりませんが読んでいただけると幸いです
貴重な時間を割いて読んで頂きありがとうございました

ちなみに作者はハピエン厨です
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