王都の門を潜る時、背中に浴びせられたのは歓声ではなく、値踏みするような視線とヒソヒソ話だけだった。俺は舌打ちを堪え、わざと歩調を早めた。
「はぁ、はぁ……っ、ま、待ってください、オウマさん!」
背後から聞こえる荒い息遣い。鎧も着けず、最低限の旅装しか背負っていないというのに、ガキは王都を出て半日もしないうちに青息吐息だ。
俺は立ち止まり、苛立ちを隠そうともせずに振り返る。
「おいガキ。足が遅い、俺たちはピクニックに行くんじゃないんだぞ」
「ご、ごめんなさい……。でも、オウマさんの歩く速度が、その、早すぎて」
「魔物は待ってくれない。逃げる時も『待って』と言うつもりか?」
冷たく言い放つと、ガキは唇を噛み締め、涙目になりながらも「すみません」と頭を下げた。
……反論もしないのか。 俺は鼻を鳴らし改めてガキの体付きを確認する。
貧弱、その一言に尽きる。
剣を振るったらその反動で腕が折れるんじゃないか? こんな奴をどうしろってんだ。
虚しさが胸を焼く。俺が積み上げた筋肉も、磨いた剣技も、すべてはこのひ弱な子供の「おまけ」として消費されるのか。
「……日が暮れる。今日はここまでだ」
「は、はいっ! 薪を拾ってきます!」
名誉挽回とばかりに森の奥へ駆け出そうとする。 その瞬間だった。
ズンッ。
大気を震わせる重低音が、地面を伝って響いてきた。
鳥たちが一斉に飛び立ち、森が死んだように静まり返る。長年戦場に身を置いてきた俺の肌が、ビリビリと粟立つ。
殺気だ。それも、そんじょそこらの魔獣じゃない。
「――動くな」
俺はガキの襟首を掴んで引き戻し、剣を抜いた。前方の木々が、まるで紙細工のように薙ぎ倒されていく。
現れたのは、見上げるごとき巨躯。全身を鋼のような剛毛で覆い、丸太のような4つの腕を持つ、二足歩行の魔獣。いや、知性が宿ったその凶悪な双眸は、それが単なる獣ではないことを告げている。
「グルゥゥ……。ここか、鼻につく『光』の臭いがすると思えば」
魔獣は低く笑い、俺たちの前に立ちはだかった。魔王軍四天王が一角、『剛腕』ザルバ。
都を出て初日。いきなり怪物がお出ましかよ。
「ヒッ……あ、あぁ……」
腰を抜かし、情けない悲鳴を上げて尻餅をつく。ザルバの視線が、俺を通り越してガキへと固定された。
「ほう。我ら魔族を滅ぼす勇者とは、随分と美味そうな肉ではないか」
「……テメェの相手はこっちだ、毛むくじゃら」
俺は震えるガキを背に庇い、剣先を突きつける。
勝てるか? 怪しいな。俺一人なら逃げ切れるが、この荷物を守りながらじゃ分が悪すぎる。
だが、ここで逃げれば、俺の勇者への夢は本当にただの夢で終わる。
「勇者の付き人、剣鬼オウマだ。――その汚ねぇ手で、俺の『任務』に触れてんじゃねぇぞ」
大剣を構え、思考を加速させる。
敗北条件はガキが殺されることだ。しかしこのお荷物を庇いながらザルバに勝つなんて不可能だ、ならば……。
切っ先を地面に付け――地面を抉り取り、大きく切り上げて砂埃を起こす!
「小癪――な!」
土と砂埃で相手の視界を塞いだ瞬間に大剣を全力でぶん投げた。
どうせ通じないだろうが隙さえ作れたらいい。
「ガキ、舌噛むなよ」
「え――きゃぁぁぁ!!」
全力で後方の木にぶん投げ、続け様に忍ばせておいた魔法のスクロールを使う。
「オンアロリキア」
詠唱した瞬間にガキの周りに薄青い四方の障壁が生成され、投げた衝撃を完全に吸収し……あ、頭から落ちた。
受け身くらい取れよ。
腰にぶら下げた剣を抜き、相手に向き直す。
「あの程度で怯むとは所詮獣は獣か」
「グオォォッ!!」
図星だったのか、あるいは単に獲物が跳ね回るのが気に入らないのか。ザルバが咆哮と共に大地を蹴った。
速い。丸太のような腕が四本、別々の軌道を描いて迫ってくる。一本が風を切り、一本が逃げ道を塞ぎ、残る二本が俺の胴体をミンチにしようと風圧を伴って繰り出される。
「ッ、らぁ!」
正面から受ければ即死だ。俺は泥にまみれるように地面を転がり、数本の剛毛が頬を掠めるほどのギリギリで回避する。
直後、俺が立っていた場所にあった岩が、粉々に砕け散る音が背後で響いた。冗談じゃない威力だ。あんな直撃を食らえば、魔法障壁ごとガキが潰れかねない。
「チョコマカと……! この虫ケラがぁ!」
「デカい図体して狙いが甘いんだよ」
減らず口を叩きながら、俺は思考を冷静に研ぎ澄ます。現在の手持ちは腰のショートソード一本。主力の大剣はあいつの足元に転がっている。
リーチも威力も足りない。機動力だけなら俺が上だが、この状況をひっくり返すことは出来ない。
ザルバの剛腕が大振りに振るわれた瞬間、俺はその懐へと飛び込んだ。強烈な獣臭が鼻をつく。
皮膚は鋼のように硬いが、関節の継ぎ目は柔らかいはずだ。
「シッ!」
鋭い呼気と共に、俺は右下の腕の付け根へ刃を突き立てた。
確かな手応え――噴き出すどす黒い血。だが、浅い。筋肉の厚みが異常すぎて、刃が骨まで届かない。
「痒いなァ!」
「チッ……!」
ザルバが煩わしそうに腕を振るうだけで、暴風のような衝撃が俺を襲う。俺はバックステップで距離を取るが、追撃の蹴りが脇腹を掠めた。ミシミシと肋骨が悲鳴を上げる。口の中に鉄の味が広がった。
――これが、四天王か。 今まで狩ってきた魔物とは格が違う。絶望的なまでの質量差。だが、恐怖はなかった。
むしろ、脳髄が冷えていく感覚。死線の上を歩く、このヒリつくような感覚こそが俺の日常だ。
「オウマさん!!」
障壁の中から、悲鳴が聞こえた。チラリと視線を向ける。バリアの中で、あいつは顔面蒼白で震えていた。
当然だ。あいつから見れば、猛獣の檻に放り込まれた餌の気分だろう。だが、その瞳は恐怖で見開かれながらも、一瞬たりともこの戦いを見逃すまいと必死に追いかけていた。
……眼は、悪くないようだな。
「よそ見をしている余裕があるのか!」
ザルバの拳が迫る。俺はニヤリと笑い、わざと足を止めた。
「余裕に決まってんだろ筋肉馬鹿」
拳が鼻先に迫る刹那、俺は手にしたショートソードをザルバの目玉目掛けて投擲した。
「ぬ!?」
ザルバが反射的に瞼(まぶた)を閉じ、腕で顔を庇う。視界が塞がれた、その一瞬。
俺は地面を蹴り、ザルバの股下を滑り抜けた。
目指す先は、最初に投げ捨てた俺の相棒――
「そこだッ!」
泥だらけの柄を両手で握りしめる。ずしりとした重量感が、腕を通じて魂に馴染む。
全筋肉が歓喜の声を上げた。これだ。これさえあれば、魔王だって殺してみせる。
俺は回転の勢いを乗せ、渾身の力で大地を、否、ザルバの太い胴体を薙ぎ払った。
「【鬼神流・断ち割り】ッ!!」
「ガァァァァァッ!?」
硬質な皮膚が裂け、心臓と断つ音が森に響く。
巨体がバランスを崩し、ズシンと膝をついた。
「テメェ如きの前座で負けてる暇なんざねぇからよ」
大剣を地面に突き刺し、大きく息を吐く。
危なかった……一撃でも喰らっていたら戦闘出来なくなっていたかもしれない。
同時にこんなものか、という感情も抱く。
スペック自体はこれまで戦ってきた魔物より数段上だが、力を振り回すだけじゃ幾らでも対処が出来る。
この調子なら他の四天王も――
「――まさか、これで勝った気でいるんじゃねぇだろうな?」
ザルバの低い声が響いた瞬間、俺の背筋が凍りついた。膝をついたザルバの傷口から、不快な水音が聞こえる。ブチブチと筋肉繊維が蠢き、断ち割ったはずの骨が瞬く間に結合していく。
超速再生。魔族特有の生存本能か。
「人間風情が、我が肉体に傷をつけた罪……万死に値する!」
ザルバの全身からどす黒い闘気が噴出した。筋肉がさらに膨張し、皮膚が赤黒く変色していく。理性を捨て、純粋な殺戮衝動のみで動くバーサーカー。ここからが本番か。
「チッ、これだから魔族は嫌いなんだよ。しぶとい上にインチキじみてやがる」
俺は大剣を構え直すが、腕が鉛のように重い。今の『断ち割り』で体力がかなり持って行かれた。長期戦になれば、先に潰れるのは生身の俺だ。
だが、退くわけにはいかない。後ろにはあの役立たずがいる。
「死ねェェェッ!」
暴風のような連撃が再開された。速い。重い。さっきとは桁違いだ。
俺は大剣の腹で拳を受け流すが、衝撃だけで内臓が揺さぶられる。防御ごしに骨にヒビが入る音がした。
「ガハッ……!」
「どうした、動きが鈍いぞ剣鬼!守るものがあると脆いなァ!」
ザルバの嘲笑と共に、四本の腕が乱舞する。防戦一方。反撃の隙がない。このまま削り殺されるか、一瞬のミスでミンチになるか。死のカウントダウンが脳内で鳴り響く。
――クソッ、ここで終わるのか? 勇者にもなれず、こんな場所で?
その時だった。
「や、やめろぉぉぉぉぉっ!!」
背後で、ガキの叫び声が聞こえた。恐怖のあまり錯乱したか? だが、次の瞬間、世界が白に塗り潰された。
「――
それは、初歩中の初歩である目くらましの生活魔法。本来なら豆電球程度の明かりを灯すだけの魔法だ。
しかし放ったそれは、太陽そのものが地上に顕現したかのような熱量を持っていた。
「グ、ギャアアアアアアアアッ!?」
魔法を直視したザルバの眼球が、強烈すぎる光量に焼かれる。 俺ですら目が眩み、視界が真っ白に染まった。何も見えない。
――だが、俺には『音』がある。
ザルバが顔を覆い、のけ反った。その風切り音を聞き逃す俺じゃない。
敵が無防備になった、千載一遇の好機。もし外せばカウンターを放たれて死ぬ状況。俺は血の味を噛み締め、記憶の中にあるザルバの首の位置へ、残る全ての生命力を注ぎ込んだ。
「あばよ、脳筋野郎」
視る必要はない。そこに『斬るモノ』があるなら、俺の剣は吸い込まれる。
「【鬼神流・城壁落とし】」
筋肉の断裂音。骨の破砕音。そして、重い何かが地面に落ちる音。手応えがあった。
やがて、光が収束していく。薄目を開けると、目の前には首を失ったザルバの巨躯が、噴水のように血を噴き上げながらゆっくりと崩れ落ちるところだった。
ドサリ。地響きと共に、四天王の一角が沈黙する。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
俺はその場に膝をつき、大剣を杖にして体を支えた。全身が悲鳴を上げている。肋骨は数本いってるし、腕の感覚もない。だが、生きている。
「オ、オウマさん!大丈夫ですか!?」
障壁を解き、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で駆け寄ってくる。俺は荒い息を整えながら、その情けない顔を睨みつけた。
「……バカ野郎。あんなデタラメな出力で魔法を使う奴があるか。俺まで失明するところだったぞ」
「ご、ごめんなさい!僕、必死で……」
俺はふと、転がっているザルバの首に視線をやった。俺一人じゃ、再生能力に押し負けていた。
あの一瞬の隙がなければ、今頃首が飛んでいたのは俺の方だ。
認めたくはない。絶対に認めたくはないが。
「……だが、助かった」
俺はボソリと呟き、大剣を鞘に納める。
「え?」
「一回しか言わねぇぞ。……行くぞ、
俺は痛む体を引きずり、歩き出す。
背後で、が呆気にとられたあと、「はいっ!」と弾んだ声を上げて追いかけてくる気配がした。
焚き火の爆ぜる音だけが、夜の静寂を埋めていた。俺は木の根元に背中を預け、肋骨の痛みに浅い呼吸を繰り返していた。
ザルバの一撃は、革鎧の上からでも骨を軋ませ、内臓を揺さぶっていた。普通の人間ならショック死していてもおかしくない。
その傷に気付いたのか泣きそうになりながら近づいてきた。
「……じっとしていてください。すぐ、治しますから」
ノアが俺の横に跪き、震える手を脇腹にかざす。淡い緑色の光が溢れ出した瞬間、焼けるような痛みが、まるで雪解け水に洗われるように引いていった。 【聖女の祈り】、王宮魔術師ですら詠唱に数分かかる高位治癒魔法をノアは息をするように発動させている。
「すげぇな。痛みはもうねぇよ」
「よかった。本当によかった」
俺が身体を起こすと、ノアはボロボロと大粒の涙をこぼした。
「なんで泣くんだよ。怪我をしたのは俺で、お前は無傷だろうが」
「だって、オウマさんが死んじゃったら……僕のせいで、痛い思いをして……」
「戦場じゃ当たり前だ。いちいち泣いてたら脱水症状で死ぬぞ」
俺は呆れてため息をつき、枯れ枝を火に放り込んだ。揺らめく炎を見つめながら、記憶の底にある光景を思い出す。
子供の頃から、数え切れないほどの死を見てきた。魔物に喰われた村人。
路地裏で腐っていく冒険者。名前も知らぬまま、泥水の中で息絶えた傭兵たち。彼らは皆、理不尽に全てを奪われ、何も残せずに消えていった。誰も彼らを覚えていない。生きた証など、雨が降れば流れる血と共に消え失せる。
――惨めだ。
俺は強く拳を握りしめる。俺はああはならない。あんな風に、世界の片隅で消費されて終わるだけのゴミクズには絶対にならない。魔王を倒し、世界を救い、歴史の教科書の1ページ目に俺の名を刻み込む。
『剣鬼オウマ』の名を、未来永劫語り継がれる英雄として残すんだ。そのために俺は、泥水を啜ってでも生き延びてきた。
「……ノア。お前その性格どうにかしろ」
「え?」
「優しすぎるんだよ。他人の痛みを自分のことみたいに感じてたら、心が保たねぇぞ」
俺が忠告すると、ノアは涙を袖で拭いながら、力なく笑った。
「そうかもしれません。でも……誰かが傷つくのは、自分が傷つくよりずっと辛いんです。だから、オウマさんが傷つくくらいなら、僕が代わればよかったって、そう思っちゃうんです」
純粋すぎる言葉に、胸の奥がチクリと刺さった。代わる? ふざけるな。
お前が死んだら俺の『英雄への道』が閉ざされるんだ。だが、その異常なまでの自己犠牲精神が、このガキを勇者たらしめているのかもしれない。
――厄介な相棒を持ったもんだ。
俺は膝に置いた剣を撫でる。こいつは俺が守らなきゃ死ぬ。そして俺が名を残すには、こいつを魔王の元まで連れて行かなきゃならない。
「さっさと寝ろ。明日はもっと進むぞ」
「はい。……あの、オウマさん」
「あ?」
「助けてくれて、ありがとうございました……おやすみなさい」
毛布にくるまりすぐに寝息を立て始めたノアの背中を暫く見つめ、何時でも戦えるように剣を片手に眼を閉じた。
次回は2月3日の8時に投稿します