ギャリンッ!!
火花が散った。俺の大剣と、ガルドスの大剣が正面から激突する。
重い。まるで山そのものが崩れてきたような質量。
腕の骨が悲鳴を上げ、足元の石畳が蜘蛛の巣状にひび割れる。だが――押し負けない。
「ぬッ……!?」
ガルドスが僅かに目を見開く気配がした。俺は衝撃を真正面から受け止めず、手首を柔らかく返し、刃の角度を数ミリずらすことで力を逃がしていた。
それは剣術の理屈じゃない。あの『剛獣』ザルバの、丸太のような豪腕を捌くために身体が覚えた、死に物狂いの防御技術だ。
「逃がさぬ!」
ガルドスが大剣を翻す。下段からの斬り上げ。
速い……だが、その軌道は見えている。あの『疾風』ハヤテの、認識すら許さない神速の理不尽さを体験した俺の目には、ガルドスの速さは理路整然としすぎているように映った。
どれだけ速くとも軌道が見える。殺気の起こりがある。過程のない暴力ではなく、洗練された技術だからこそ――今の俺には読める。
「シッ!」
俺は半歩、体を沈める。頭上数ミリを剛剣が通過する風圧で、髪が数本斬れ飛ぶ。死と隣り合わせの距離。そこが俺の特等席だ。
「ぁああッ!」
俺は踏み込んだ。教科書通りの踏み込みじゃない。泥沼の中で足を取られないように、這うように重心を低くした、不格好なステップ。
ゴブリンやオークの群れの中で、泥に塗れて戦い続けた俺だけの歩法。
ガガガッ!!
俺の剣が、ガルドスの脇腹を擦り上げる。漆黒の鎧から火花が散り、鋼鉄が削れる甲高い音が響いた。
「小癪な!」
ガルドスが肘打ちを繰り出す。俺はそれを肩で受け止め、その反動を利用してバックステップで距離を取った。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」
距離にして数メートル。時間にして数秒の攻防。
だが、その一瞬で俺の全身からは脂汗が噴き出していた。腕が痺れている。肺が焼き尽くされそうだ。それでも、俺の口元は歪んでいた。
通用する。俺の剣は、ガルドスに通じている。
「……奇妙な剣だ」
ガルドスが、脇腹の傷跡――浅く削れただけの溝を撫でた。
「型がない、理合いもない、獣のように荒々しく、それでいて老獪な……泥の匂いがする剣だ」
「褒め言葉として受け取っとくぜ」
「称賛しているのだ。……まさか、選ばれぬ人間が純粋な剣技のみで我が鎧に傷をつけるとはな」
ガルドスが構えを変えた。剣先を眼前に立てる、正眼の構え。空気が張り詰める。
ここまでは遊び。あるいは品定めだったと言わんばかりの威圧感。
「だが、限界も見えた。貴様の剣は『対応』の剣だ。敵の力を利用し、隙を突き、生き延びるための剣。それでは、王の剣は砕けぬ」
「王だか何だか知らねぇが、俺は生き延びるためなら何だってするんだよ!」
俺は吼え、再び突っ込んだ。
ガギィッ! キィンッ! ズバァッ!
激しい金属音が回廊に木霊する。ガルドスの剣は、正確無比で重厚だった。一撃ごとに俺の体力が削られ、大剣の刃こぼれが増えていく。
攻めているのは俺だが、支配しているのはガルドスだ。
鉄壁で崩れない。
俺が百回斬りつけても致命傷にはならず、奴の一撃が掠れば俺は終わる。
「どうした、息が上がっているぞ!」
「うる、せぇッ!」
俺はガルドスの突きを首の皮一枚で躱し、カウンターを放つ。だが、奴の鎧は硬すぎる。
『断ち割り』のような大技を溜める隙などない。手数で押しても、決定打に欠ける。
クソッ、やっぱり地力が違いすぎるか……!?
焦りが生まれかけた、その時だった。視界の端に、ノアの姿が映った。
杖を握りしめ、祈るように俺を見つめている。魔法は使おうとしていない。
俺が一人でやると言った言葉を信じ、ただひたすらに、俺の勝利を疑わずに見守っている。
――オウマさんは、最強の剣士です。
あいつの言葉が、脳裏に蘇る。
そうだ。俺は一人じゃない。孤独に剣を振っていたあの頃とは違う。
俺の背中には、あいつとの旅がある。
数え切れない魔物との死闘が、野宿した夜の焚き火が、くだらない会話が、絶望的な四天王戦が……その全てが、俺の脳髄に刻み込まれている。
才能? 加護? そんなもんは要らねぇ。
俺には経験という名の、泥だらけの財産がある。
「――加速するぞ」
俺は呼吸を変えた。肺の中の空気をすべて吐き出し、限界まで筋肉を収縮させる。
「ぬ?」
ガルドスが大剣を振り下ろす。俺は、それを受けなかった。
剣を捨て、身体を地面に投げ出し、スライディングのように奴の股下へ滑り込む。
「なッ!?」
騎士の誇り高いガルドスには予想もできない、地を這うような下劣な動き。
だが、これこそが俺だ。俺は奴の軸足を蹴りつけ、体勢を崩した瞬間、背後へと回り込む。
「背中が隙だらけだぜッ!」
落ちていた自分の大剣を拾い上げ、回転の遠心力を乗せて叩きつける。
俺は剣を捨てたのではない。剣を置き去りにして、自分が動いたのだ。
これは、武器を持たない魔物と戦う時に使った苦肉の策。
ガギンッ!!
背面の装甲が砕ける音がした。ガルドスがよろめき、片膝をつく。
「貴様……!剣士の風上にも置けぬ戦い方を!」
「剣士じゃねぇと言ったろ。俺は『剣鬼』だ。勝つためなら噛みつきだってやってやる!」
俺は止まらない。リズムが変わった。綺麗に打ち合うリズムじゃない。
不協和音。泥臭く、不規則で、粘り強い生への執着のリズム。
ガルドスが激昂し、剣速を上げる。だが、当たらない。
俺はリリスの精神攻撃を耐え抜いた集中力で、奴の殺気の揺らぎを感知していた。怒り、焦り、困惑。
完璧だった武人の心に、不純物が混じり始めている。
「そこだッ!」
俺はガルドスの大振りを誘い、その剣の側面を叩いた。力で押し返すのではない。
軌道をずらす。ザルバ戦で学んだ力の逃し方と、ハヤテ戦で学んだ死角への入り込み方。
旅で得た全ての経験が、俺の剣を押し上げる。
ガリガリガリッ!!
俺の剣が、ガルドスの剣を滑り上がり、鍔元まで火花を散らして迫る。
「おおおおおおおッ!!」
「ぬぅぅぅぅぅッ!!」
鍔迫り合い。至近距離での睨み合い。
兜の奥の瞳と、俺の目が交錯する。
「何故だ……何故、そこまで足掻く!? 貴様の肉体は既に限界を超えているはず。何が貴様を突き動かす!」
「決まってんだろ……!」
俺は、視界の端にいるノアの気配を感じながら、血の滲む歯を剥き出しにして笑った。
「格好つけたいんだよ!アイツの前でなァッ!」
全身の全筋肉をバネにする。技術じゃない。ただ、ここで負けたらあいつが泣くという、その一点の意地。
それが、最強の四天王の怪物を、わずか数センチだけ上回った。
ズンッ!
俺が押し勝った。ガルドスの体勢が崩れ、胸元の装甲がガラ空きになる。
「馬鹿、な……!我が、力負けだと……!?」
「これが、俺たちの旅の重さだァァァッ!!」
俺は全ての力を、切っ先一点に収束させる。狙うは心臓。最強の鎧の、唯一の綻び。
だが、ガルドスもまた最強。崩れた体勢から、無理やり剣を引き戻し、相打ち覚悟の突きを繰り出してくる。
「死ねェ、人間ッ!!」
「テメェがなッ!!」
交差する二つの刃。時間が止まったように感じた。
俺の剣は、奴の剣よりも速いか?
いや、ほぼ同時だ。だが、俺には分かっていた。俺の剣には、余計な
あるのは、研ぎ澄まされた殺意と、守りたいものへの想いだけ。
対して、奴の剣にはまさか人間ごときにという微かな
その差。紙一重の、しかし決定的な差。
ドシュッ!!
鈍い音が響き、次いで鮮血が舞った。
俺の左肩を、ガルドスの剣が貫通していた。
だが、俺の大剣はガルドスの心臓を背中の装甲まで深々と貫き通していた。
「――が、は……」
ガルドスの動きが止まる。兜の隙間から、大量の血が溢れ出した。
「見事……なり……」
震える声で、最強の武人が呟く。
「技で負けたのではない……力で負けたのでもない……。貴様の……その、執念に……」
ガルドスの手が、俺の剣から離れ、虚空を掴むように落ちた。ズシン、と重い音がして、巨体が膝をつく。
「勝った……のか?」
俺は剣を引き抜き、よろめきながら後ずさる。
左肩の感覚がない、出血が酷い……だが、立っている。俺は立っている。
「オウマさん!!」
ノアが泣きながら飛びついてきた。その衝撃で倒れそうになるが、俺はどうにか踏ん張って、あいつの頭に手を置いた。
「へっ、見たかよ。これが、俺の剣だ」
俺は血まみれの顔で、晴れやかに笑った。勇者にはなれなかった。
だが、俺はこの旅で得た全てを使って、最強を超えたのだ。
ガルドスの死体が、黒い塵となって消えていく。その向こうに最後の扉が待っていた。
俺の身体はもうボロボロだ。剣士としての命脈は今の戦いで完全に尽きたかもしれない。
だが、後悔はなかった。
最強の四天王、ガルドスが塵となって消えた後、『嘆きの回廊』には重苦しい静寂だけが残された。
俺は、支えを失った糸操り人形のように、その場に崩れ落ちた。
「ガ、はッ……ぅ……」
石畳に背中を預けた瞬間、麻痺していた激痛が一気に押し寄せてくる。
左肩は貫通し、感覚がない。
全身の筋肉は断裂し、肋骨は肺を圧迫している。
指一本動かすのも億劫だ。まさに満身創痍。
これまでの旅で、最も死に近づいた瞬間だったかもしれない。
「オウマさん!!」
ノアが駆け寄ってくる足音が響く。
その声は涙で潤んでいたが、以前のような頼りなさはもうなかった。
彼女は俺の横に滑り込むように跪くと、躊躇なく杖を放り出し、両手を俺の胸にかざした。
「動かないでください! すぐ、塞ぎますから……!」
「……へっ、大げさなんだよ。かすり傷だろ」
「どこがですか! 肩に穴が開いてるんですよ!?」
ノアが柳眉を逆立てて怒る。
その瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ、俺の頬に落ちた。温かい。
ああ、本当に。
こいつはいつだって、自分の痛みよりも俺の痛みに泣くんだな。
「――【
ノアの全身から、眩いほどの黄金の光が溢れ出した。
温かい波が傷ついた俺の肉体を包み込む。
焼けるような痛みが引いていき、砕けた骨が元の位置に戻っていく感覚。失われた血液が、魔力によって活性化され、急速に生成されていく。
「……無理すんなよ、ノア。お前だって、魔力はカツカツだろ」
「いいんです。オウマさんが生きててくれるなら、魔力なんて空っぽになっても」
ノアは俺の傷口を愛おしそうに撫でながら、必死に光を注ぎ続ける。
その横顔を、俺はぼんやりと見つめた。
月明かりの下で知ってしまった、彼女の真実。
こんな華奢な少女が。
戦うことなく平和に、お菓子を食べて、恋の話に花を咲かせているべき年齢の女の子が。
血と泥に塗れ、人の死を見続け、それでも誰かの役に立ちたいと微笑んでいる。
――どうにかしなきゃな。
少女が自己犠牲の中にしか幸せを見出だせないなんて、そんな悲しい話があっていいはずがない。
「……ふぅ。これで、外傷は塞がりました。でも、無茶はしないでくださいね。骨が繋がったばかりで、強度は戻ってませんから」
ノアが額の汗を拭い、ふにゃりと笑った。
その笑顔だけで、俺の中の疲れが少しだけ取れた気がした。
「サンキュ。……生き返ったぜ」
俺は上半身を起こし、壁にもたれかかった。
ノアもその隣に、ちょこんと座る。
二人の目の前には、巨大な黒鉄の扉。
魔王の玉座へと続く、最後の門だ。
「……凄かったです、オウマさん」
ノアが膝を抱えながら、ポツリと言った。
「ガルドスは、本当に強かった。僕の魔法でも、防ぎきれるか分からなかった。それを、オウマさんは……魔法も使わずに、剣だけで倒してしまった」
ノアが俺を見る。その瞳には、純粋な尊敬と、憧れが宿っていた。
「やっぱり、オウマさんは最強です。僕の、自慢の人です」
「……よせよ、泥臭い喧嘩だったろ」
「いいえ。綺麗でした。誰よりも速くて、誰よりも強くて……誰よりも、格好良かったです」
真っ直ぐな言葉が、俺の胸に刺さる。
かつての俺なら、有頂天になっていただろう。
歴史に残る偉業だと、鼻高々だったに違いない。
だが、今は違う。その言葉が嬉しいと同時に、ひどく切なかった。
俺が強かったのは、お前がいたからだ。
お前を守りたいという執念が、俺を限界の先へ連れて行っただけだ。
俺一人じゃ、ただの野垂れ死にだった。
「ノア、ここまでよくついてきたな」
俺は、無骨な手でノアの頭を撫でた。
以前はガキだと思って雑に扱っていたが、今は壊れ物を扱うように、少しだけ優しく。
「うぅ……オウマさんが引っ張ってくれたからですよぉ」
「だから目が腫れるぞ」
「だってぇ……」
ノアが俺の肩に頭を預けてくる。
甘い匂いがした。
戦場の鉄錆の匂いの中で、そこだけが陽だまりのように温かい。
「ねぇ、オウマさん」
「ん?」
「魔王を倒したら……また、二人で旅をしませんか?」
ノアが、夢を見るような声で言った。
「世界中を見て回るんです。魔物のいない平和な草原とか、美味しい料理がある街とか、綺麗な海とか!戦いじゃなくて、ただの……ピクニックみたいに」
目を閉じる。
それは、あまりにも魅力的な未来だった。
剣を置いて、重荷を下ろして。ただの人として、この子と世界を歩く未来。
想像するだけで、目頭が熱くなるほど幸せな光景。
――だが。
魔王と戦い生き残ることは出来るのだろうか?
この子は命に変えても助ける……だが、正直言って生き残れる自身は無い。
「……ああ。そうだな」
だが、わざわざそんな可能性の話をする必要は無い。
「美味いもん食って、温泉にでも浸かって……のんびりするのも悪くねぇな」
「本当ですか!?約束ですよ!」
「ああ。……約束だ」
ノアが花が咲いたように笑う。
俺はその笑顔を忘れぬよう目に焼き付けた。
俺は、震える手で大剣の柄を握りしめ、立ち上がった。
回復したとはいえボロボロの体だが、不思議と力は湧いていた。
これが最後の仕事だ。
この笑顔を守るための、最後の戦いだ。
「行くぞ、ノア。魔王を倒して……全部、終わらせよう」
「はい! オウマさん!」
ノアも立ち上がり、強く杖を握りしめる。
俺たちは並んで、巨大な扉に手をかけた。
ギギギギ……と、重苦しい音を立てて扉が開く。
その向こうには、絶対的な闇。
そして、全ての元凶が待っている。
これで苦しい戦いは終わり、俺達は英雄として凱旋してやる。そしてやりたいことをやってやろうじゃねぇか。
俺はニヤリと笑い、闇の中へと足を踏み出した。
隣には、光り輝く勇者がいる。
それだけで、俺は最強になれる。
二つの影が、玉座の間へと吸い込まれていった
次回は2月5日8時ごろに投稿です