君を幸せにする魔法   作:豚の塩漬け

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魔王-1

 巨大な黒鉄の扉が、地獄の釜の蓋のように重々しい音を立てて開いた。

 

 そこから溢れ出したのは熱気でも冷気でもない。質量を持った虚無だった。

 肌にまとわりつく、ねっとりとした闇の気配。生物としての生存本能が、全力で回れ右をしろと警鐘を鳴らしている。

 広大な空間だった。 井は見えないほど高く、床は磨き上げられた黒曜石のように輝いている。その最奥。

 数百段はあるであろう階段の上に、その玉座はあった。

 

 そこに座っていたのは、怪物ではなかった。角もない。翼もない。

 ただの人間の青年のように見えた。透き通るような銀髪に、血のように赤い瞳。豪奢な法衣をだらしなく着崩し、頬杖をついてこちらを見下ろしている。

 

 ――魔王だ。

 

 この世界に災厄を振り撒き、人類を絶望の淵に追いやった元凶。

 

「オウマさん」

 

 ノアが、俺の腕を支える手に力を込めた。震えている。

 だが、それは恐怖ではない。これから始まる戦いへの、決死の覚悟による武者震いだ。

 

「あぁ、行くぞノア」

 

 俺は奥歯を噛み締め、一歩を踏み出した。

 ガルドス戦で負ったダメージは深刻だった。左肩は貫かれ、肋骨は砕け、全身の筋肉は断裂している。ノアの治癒魔法で塞がったとはいえ、それは壊れた陶器を接着剤で繋ぎ止めたようなもの。

 立っていることすら辛い。今俺の体を動かしているのは、アドレナリンとここで死ぬわけにはいかないという執念だけだった。

 

「遅かったな」

 

 魔王が口を開いた。その声は、鈴を転がしたように美しく、そして背筋が凍るほど冷徹だった。

 

「待ちくたびれたぞ、勇者よ。我が配下、四天王を全滅させての到着か……余興にしては、随分と楽しませてくれたようだな」

 

 魔王が指先を振るう。それだけの動作で、大気が圧縮され、爆風となって俺たちを襲った。

 

「ッ、防壁(シールド)!」

 

 ノアが瞬時に杖を掲げ、光の障壁を展開する。

 ドォォォォン!!

 障壁が悲鳴を上げ、俺たちは数メートル後退させられた。ただの軽い攻撃でこの威力か。

 

「よく来た、と言ってやりたいところだが」

 

 魔王の赤い瞳がノアを通り過ぎ、俺に固定された。

 

「興が削がれた。勇者の隣にいるその薄汚れた死に損ないは何だ? 加護もなく、生命の灯火すら消えかけている……なぜ、そのような『ゴミ』を連れてきた?」

 

 ゴミ。その言葉に、俺の心臓がドクリと跳ねた。

 だが、俺が言い返すよりも早く、隣で爆発的な殺気が膨れ上がった。

 

「訂正しろ」

 

 ノアだった。普段の穏やかな彼女からは想像もできない、低く、ドスの効いた声。

 

「ゴミなんて言うな。この人は、オウマさんは……僕をここまで導いてくれた、世界で一番強い剣士だ!」

 

 ノアが床を蹴った。俺の制止を聞かず、弾丸のように魔王へと肉薄する。

 

聖光連弾(ホーリー・バレット)ッ!!」

 

 無数の光弾が、魔王へ向けて放たれる。

 一発一発が、岩をも砕く威力を持った高密度の魔力弾だ。だが、魔王はあくびを噛み殺しながら、座ったまま片手をかざした。

 

「ぬるい」

 

 パキン。空間に不可視の壁が出現し、全ての光弾を弾き返した。

 

「なッ!?」

「勇者と言うから期待していたのだがな。所詮は人間、この程度か」

 

 魔王の瞳が妖しく光る。

 次の瞬間、ノアの周囲の空間に無数の黒い槍が出現した。詠唱なし。予備動作なし。

 魔法というプロセスを無視した、理不尽な事象の書き換え。

 

「死ね」

 

 黒い槍が一斉にノアへ降り注ぐ。

 

全方位防御(フル・サークル)!」

 

 ノアが叫び、球状のバリアを展開する。

 ガガガガガガガッ!!

 激しい衝突音。槍がバリアを削り、火花を散らす。防いでいる。だが、押し込まれている。

 

「くっ、うぅぅッ……!」

 

 ノアの足が床にめり込む。圧倒的な魔力量の差。

 四天王とは次元が違う。これが、世界の頂点に立つ者の力か。

 

「ほう。防ぐか。ならばこれはどうだ?」

 

 魔王が指を鳴らす。黒い槍が融合し、一本の巨大な剣となって振り下ろされた。

 

 ズドォォォォン!!

 

「が、はッ……!」

 

 バリアごと叩き潰され、ノアが吹き飛ばされる。石畳を転がり、壁に激突して止まった。

 

「ノア!」

 

 俺は痛む足を無視し、駆け寄ろうとする。だが、魔王の視線が俺を釘付けにした。

 

「動くなゴミ。貴様の相手などしていない」

 

 重力魔法とも違う、純粋な威圧だけで体が縛り付けられる。指一本動かせない。

 魔王は玉座からゆっくりと立ち上がり、宙を歩くようにしてノアへと近づいていく。

 

「失望したぞ勇者。歴代の勇者たちはもっと骨があったぞ?愛する者を殺され、故郷を焼かれ、絶望と憎悪を糧にして我に挑んできた。だが、貴様はどうだ?  その瞳には(かげ)りがない。絶望を知らぬ甘ったれた目だ……あぁ、そうか」

 

 魔王が、俺の方を見て嘲笑った。

 

「その『ゴミ』が、貴様の代わりに泥を被ってきたからか。貴様を無垢なまま保つために、汚れ役を引き受けてきたというわけか……美しいものだな。反吐が出る」

 

 魔王の手のひらに、漆黒の球体が生成される。圧縮された魔力の塊。

 あれが放たれれば、ノアだけでなくこの城ごと消し飛ぶだろう。

 

「絶望を知れ。貴様が守られてきたその温室が、いかに脆い硝子であったかを」

 

 魔王が球体を投げ放とうとした、その刹那。

 

「――ごちゃごちゃと、うるせぇんだよ」

 

 俺の身体が動いた。思考よりも早く。本能が、威圧という鎖を引きちぎっていた。

 

 俺は地腰に掛けた短剣を引き抜き、全力で魔王の顔面めがけて投擲した。

 

 ヒュンッ!  短剣は魔王の鼻先数センチで、不可視の壁に阻まれて粉々になった。だが、魔王の動きは止まった。

 驚愕。ゴミと断じた存在から、攻撃を受けたことへの驚き。

 

「……何をした?」

「短剣を投げたんだよ。見りゃ分かんだろ引きこもり」

 

 少しでも此方に意識が向くよう挑発し、俺はガタつく膝で仁王立ちになり大剣を構えた。

 刃こぼれだらけの、鉄屑のような剣。だが、今の俺にはどんな剣よりも頼もしい相棒だ。

 

「オ、オウマさん……逃げて!」

 

 瓦礫の下からノアが叫ぶ。

 

「立て、ノア。絶望を知らねぇだと?温室育ちだと? 笑わせるな。お前は、俺なんかが一生掛かっても届かねぇ場所で戦ってるんだ。こんな三流魔王の戯言に耳を貸すな」

 

「貴様……三流と言ったか?」

 

 魔王のこめかみに青筋が浮かび、空気がビリビリと震える。

 激怒だ。

 いいぞ、こっちを見ろ。ノアが体勢を立て直す時間を稼げ。

 

「ああ、三流だ。絶望だの憎悪だの、陳腐な動機でしか強さを測れねぇ可哀想な奴だ。教えてやるよ。人間ってのはな、誰かのために泣ける奴が一番強いんだよ!」

 

 俺は地面を蹴った。ガルドス戦で掴んだ、あの感覚を無理やり呼び起こす。

 

「死ねェッ!!」

 

 魔王が黒い球体を俺に向けて放つ。回避不可能。だが、俺は避けない。

 

「【鬼神流・鏡返し】!」

 

 俺は大剣を、飛来する魔力球の表面に接触させた。受け止めるのではない。回転をかけ、軌道を逸らす。

 川の流れを変えるように、魔力の奔流を真横へと受け流す。

 

 ドォォォォォン!!

 

 俺の背後の壁が消滅した。だが、俺は生きている。右腕の皮膚が焼け焦げ、大剣が赤熱しているが、まだ振れる。

 

「な……!?人間が我の魔法を弾いただと!?」

「驚くには早ぇぞ!」

 

 俺は魔王の懐に飛び込んだ。魔法使いの弱点は、近接戦闘。セオリー通りなら、ここで首を落とせる。

 

「【鬼神流・城壁落とし】ッ!!」

 

 渾身の一撃。だが。

 

 ガィィィィン!!

 

 俺の大剣は、魔王の障壁すら破れず、その素手によって受け止められていた。

 

「確かに、人間にしてはやる。だが、届かぬ。絶対的な(ことわり)の差だ」

「が……!」

 

 そのまま魔王が俺の右腕を掴み、冷酷に笑った。ミシミシと腕が悲鳴を上げる。

 

「――オウマさんに、触るなァァァッ!!」

 

 俺の背後から、光の奔流が突き抜けた。

 

 ノアだ。俺が稼いだ数秒の間に、最大出力の魔法を構築していたのだ。しかも、ただの攻撃魔法じゃない。

 俺の体をすり抜け、魔王だけにダメージを与える、超高難度の座標指定魔法。

 

聖域顕現(ホーリー・ブラスト)ッ!!」

 

 カッッッ!!

 

 視界が白一色に染まる。魔王が初めて表情を歪めた。

 

「ぐ、おォォォッ!?」

 

 俺を掴んでいた手が離れる。直撃。

 光の柱が魔王を飲み込み、玉座ごと天井を貫いて天へと昇った。

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 俺は吹き飛ばされ、床に転がった。ノアが駆け寄ってきて、俺の手を握る。

 

「オウマさん! 無事ですか!?」

「はっ、死ぬかと思ったぜ。ナイスタイミングだ」

「オウマさんが時間を作ってくれたからです!」

 

 光が収まる。もうもうと立ち込める粉塵の向こう。

 玉座は消滅していた。城の天井には巨大な風穴が開き、そこから雷鳴が轟いている。

 

 やったか? いや、そんな甘い相手じゃない。

 

「クク、ククク」

 

 粉塵の中から、笑い声が聞こえた。低い、地獄の底から響くような笑い声。

 

「素晴らしい。まさかゴミと幼子に、ここまで傷を負わされるとはな」

 

 影が揺らぐ。現れた魔王は、無傷ではなかった。

 法衣はボロボロに裂け、銀の髪は焦げ、左腕からはどす黒い血が滴り落ちていた。だが、その瞳に宿る殺意は先ほどまでの比ではない。

 余裕も、慢心も消えていた。そこにいるのは、手負いの獣となった破壊の化身。

 

「認めよう、貴様らは敵だ。全力で排除すべき我が天敵だ」

 

 魔王の背中からどす黒い翼が生えた。空間が悲鳴を上げ、城全体が震動を始める。

 

「ここからが本当の闘いだ。泣き叫ぶ暇も与えん。灰になるまで消し飛ばしてくれる」

 

 ここからが本当の死闘だ。

 

 俺は震える足で立ち上がり、大剣を構え直した。

 隣にはノアがいる。恐怖で震えてはいない。その瞳は真っ直ぐに魔王を見据え、俺を守るように光を放っている。

 

 ――強くなったな、本当に。

 

 俺の身体はもう限界だ。次の攻撃を受ければ、死ぬかもしれない。だが、不思議と心は穏やかだった。

 

 これが最後だ。俺の人生の、集大成。この一戦に、俺の全てを賭ける。

 

 俺は鞄の奥底にある、黒い本の感触を背中に感じながら、ニヤリと笑った。

 

「上等だ。ここで終止符を打ってやるよ魔王」

 

 俺とノアの声が重なる。

 

「「行くぞッ!!」」

 

 二つの影が、絶対的な闇に向かって駆けた。最後の戦いの火蓋が切って落とされた。




次回は同日18時頃に投稿します
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