絶景の落穂拾い ―彼女らの一番になれなかった者たちの独白―   作:雷炎

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シーザリオの口調を全然再現できなくでごめんなさい。


硝子の檻と、海を渡る青 『シーザリオ編』

 僕は、彼女の「弱さ」を知る、世界でたった一人の共犯者であった。

 

 彼女の名はシーザリオ。

 透き通るような青髪に、白メッシュ。その瞳には、常に揺るがない意志の炎が灯っている。周囲の人間は彼女を評して「気高い」「真面目」「委員長のようだ」と口を揃える。

 確かにその通りだ。彼女は常に正しく、自分を律し、周囲にも規律を求めた。

 だが、幼馴染である僕だけは知っている。その鉄のような精神が宿る肉体が、あまりにも危うい硝子細工の均衡の上に成り立っていることを。彼女の口調のオンオフの激しさに。

 

 僕たちがまだ中等部に上がる前のことだ。放課後の教室で、僕は彼女に勉強を教わっていた。彼女は教鞭を執る教師のように厳格で、僕が数式を書き間違えるたびに、ピシャリと定規で机を叩いた。

 

 「ここが違う。さっきも言ったでしょう? 基礎が疎かになっているから、応用で躓くのよ」

 「厳しいなあ、シーザリオは。少しくらい大目に見てくれても……」

「駄目よ。ふふふ、だって君には胸を張れる人間になって欲しいな〜って思ってるの♪妥協は、いつかあなたの足元を掬うわ」

 

 彼女はそう言って、僕の姿勢を正させた。

夕陽が差し込む教室で、彼女の横顔は神々しいほど美しかった。僕はその「厳しさ」が好きだった。彼女の「甘えん坊」さも好きだった。彼女の存在が、僕の平凡で怠惰な輪郭を、確かなものに形作ってくれるような気がしたからだ。

 

 けれどその日、帰路につこうと立ち上がった瞬間、彼女は微かに顔をしかめ、自身の脚をさすった。

 

 「……痛むのか?」

 

僕が問うと、彼女は慌ててスカートの裾を直し、「何でもないよ!もー本当に大丈夫だから」と強がった。

 だが、その脚が慢性的な痛みを抱えていることを僕は知っていた。彼女の才能は巨大すぎるのだ。天から授かった強大なエンジンに、それを支えるシャーシが追いついていない。彼女が走るたびに、僕は祈るような気持ちになる。

 

 速くなくていい。勝たなくていい。

 ただ、壊れないでくれ、と。

 

 

 「ねえ、約束して」

 

 ある日、僕は彼女に言った。

 

 「無理だけはしないって。君の代わりはいないんだから」

 

 彼女は少し困ったように笑い、僕の頭を撫でた。

 

 「.....うん分かってるよ。ありがとう♪私の優しいお友達」

 

 その時の僕は、この「優しさ」こそが彼女を守る唯一の盾だと信じて疑わなかった。彼女をこの狭く安全な世界に留めておくこと。

 平凡な幸せの中で、日だまりのような家庭を築き、彼女が二度と脚の痛みに顔を歪めないようにすること。

 

 それが、僕の愛の形だった。誰が何と言おうともいつも彼女のそばにいた僕がそう思うんだ。それが正しいと思い信じていた。

 

 

 しかし、運命は残酷だ。あるいは、才能とは呪いなのかもしれない。彼女は、その脚が軋む音を無視して、トレセン学園への進学を決めた。

 僕は反対した。初めて彼女に対して声を荒げた。

 

 「無理だ! 君の脚じゃ耐えられない! トゥィンクルシリーズなんて過酷な世界に行けば、君はいつか取り返しのつかないことになる!」

 

 だが、彼女の瞳に宿る蒼い炎は、僕の言葉ごときでは消せなかった。

 

 「それでも、私は知りたい。私の脚がどこまで行けるのか。この脚が砕けるのが先か、栄光に辿り着くのが先なのかが先....私は、私の可能性を信じたい。ごめんなさい。こんなに心配してくれているのにね....」

 

彼女は行ってしまった。

 

  僕の差し出した「安全な檻」を拒絶し、嵐の吹き荒れる荒野へと。栄光のために多くのウマ娘が散っていくトレセンへと。

 

 

 

 トレセン学園に入ってからの彼女は、水を得た魚のようだった。いや、違う。自ら薪をくべ、燃え盛る炎そのものになったようだった。

 僕は、ただの「地元の友人」という肩書きで、彼女の活躍を遠巻きに見つめることしかできなくなった。

 

 そして、現れたのだ。

 

 

      「トレーナー」という、異物が。

 

 

 最初にその男を見た時、僕は本能的な嫌悪感を抱いた。彼女のデビュー戦のパドック。黒いスーツを着たその男は、彼女と何かを話し込んでいた。耳を澄ませて聞けば彼は、僕のように彼女を労わらない。

 「大丈夫か?」「痛くないか?」そんな甘い言葉はかけない。

 真剣な眼差しで、彼女に何かを要求し、鼓舞し、焚きつけている。

 

 あの男は何も分かっていない!シーザリオにかける言葉はそんなものじゃない!!!マグマのように吹き出してくる激情を何とか抑え込み、彼女のレースを見守る。

 

 『今日のレース、どうだった? 脚は大丈夫? 無理してない?』

 その夜、僕が送ったLINEに対する彼女の返信は、以前とは少し違っていた。

 『心配ありがとう。でもトレーナーが言ったの。「今の君ならもっと速く走れる」って。私、まだ自分にブレーキをかけていたみたい』

 

 ブレーキ。

 それは、僕が彼女にかけていた安全装置のことだ。長年かけて彼女の脚が壊れないように必死に繋ぎ止めていたもの。

 それをあの男は、それを外そうとしている。

 彼女が壊れるリスクを承知の上で、アクセルを踏ませようとしている。

 僕は恐怖した。あいつは何もわかっていない。シーザリオがどれだけ繊細か、どれだけ無理をして強がっているか。

 彼女を守れるのは僕だけだ。あんな無責任な男に、彼女を任せてはおけない。

 

 だが所詮学生、同行できるはずもなく、毎日暇ができれば神社やお寺へと彼女のことを願うことしかできなかった。

 

 

 季節は巡り、彼女は桜花賞へ、そしてオークスへと駒を進めた。その頃にはもう、僕と彼女の会話は、噛み合わなくなっていた。

 

 「今度の休み、久しぶりに帰ってこないか? 美味しい紅茶の店を見つけたんだ」

 

 電話越しに僕が誘うと、彼女は申し訳なさそうな声で断りを入れる。

 

 「うん、ごめんね。今、すごく大事な時期なんだ。トレーナーが、私の課題を分析してくれて……新しいフォームの調整をしているの」

 「でも、休養も必要だろう? 君は昔から根を詰めすぎる。たまには息抜きしないと……」

 「……ありがとう。でもね、今は休んでいる暇はない。もっと先へ、もっと高い場所へ行きたいっていう衝動が今も駆け巡るのを感じる!」

 

 受話器の向こうで、彼女の声は弾んでいた。

 かつて教室で僕を指導していた時の、理知的だがどこか義務感のような響きではない。一人のウマ娘として情熱に溢れ、スマホからその熱が伝わってくるようだ。最近は厳しさが前へ出るONバージョンの時が多い。前までは甘えん坊のOFFバージョンが多かったのに。通話が終了してもスマホを持つ手を離すことができなかった。

 

 

 そして迎えた優駿牝馬、オークス。

 僕は東京競馬場のスタンドにいた。人混みに揉まれながら、双眼鏡を握りしめていた。

 レースは壮絶だった。

 彼女は出遅れた。絶望的な位置取り。

 「ほら見ろ、やっぱり無理だったんだ」と、心のどこかで安堵しかけた自分がいたことを告白しよう。負ければ、彼女は傷つかずに済む。諦めがつけば、僕の元へ帰ってくるかもしれない。そんな醜い願いが頭をもたげた。

 

 だが、彼女は世界を変えた。

 最後の直線。絶望的な後方から、彼女は弾丸のように伸びてきた。

 その脚が地面を掻くたびに、硝子が砕けるような幻聴が聞こえた。

 

 やめろ、もういい、壊れてしまう!止まってくれシーザリオ!!!

 

 僕の悲鳴など届くはずもなく、彼女はすべてをねじ伏せて先頭でゴールした。  

 

 スタジアムが揺れるような大歓声。

 「シーザリオ! シーザリオ!」

 万雷の拍手の中、彼女は息を切らし、汗に濡れた髪をかき上げた。その表情は、苦痛と、それを遥かに凌駕する歓喜に彩られていた。

 そして、彼女は真っ先に誰を探したか。

 スタンドの僕ではない。

 コースの脇で、拳を突き上げているトレーナーだ。

 彼女は彼に向かって、見たこともないような笑顔を向けた。

 

 「勝った!勝ちましたトレーナー!!」

 

 声は聞こえないが、口元はそう動いていた。

 トレーナーもまた、彼女に向かって叫んでいた。それは「心配」や「労り」ではない。

 「見たか、これが俺たちのシーザリオだ!」という、強烈な自負と信頼。

 二人の間には、見えない、しかし強固な線が繋がっていた。

 それは「守る者と守られる者」の関係ではない。互いに命を預け、運命を共有し、地獄の淵を走ることを選んだ「戦友」の絆だ。 

 

 双眼鏡を落とした。落とした拍子に割れた音がしたがどうでも良かった。僕の「優しさ」は、彼女にとって「足枷」でしかなかった。

 彼女が本当に求めていたのは、クッションの効いた安楽椅子ではなく、共に血を流してくれる剣だったのだ。

 

「.....おめでとうシーザリオ」 

 

 雑踏の中で呟いた僕の声は、誰にも届かずに消えた。彼女は勝った。

 そして、僕の手の届かない場所へ――海を越えた向こう側へ行く切符を手にしてしまったのだ。

  

 

 彼女は行った。僕の静止を振り切り、物理的にも心理的にも、手の届かない場所へ。

 

 アメリカンオークス

 

 それは、日本のウマ娘たちが長年夢見ながら、決して届かなかった聖域だ。時差の壁を超え、深夜のテレビ中継に映し出された彼女は、日本のターフで見せていた顔とは別人のようだった。異国の乾いた風を受け、武者震いをするその姿は、一国の女王のような風格を纏っていた。

 

 レースが始まる。

 

 僕は祈った。勝ってくれ、という祈りと、どうか無事でいてくれ、という祈り。相反する感情が胸の中で渦を巻く。

 だが、彼女はその矛盾さえも加速に変えた。

 最後の直線。彼女は、現地の強豪たちを、まるで子供扱いするかのように抜き去った。

 圧倒的だった。実況が絶叫し、現地の観衆がどよめき、やがてそれは「ジャパニーズ・スーパースター」への称賛へと変わった。

 

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、彼女は伝説になった。

しかし、僕の目を釘付けにしたのは、勝利の瞬間ではない。その直後の光景だ。彼女は、駆け寄ってきたトレーナーの胸に飛び込んだ。

 あの気高く、人前で隙を見せないシーザリオが、少女のようにクシャクシャな泣き顔で、男の首に腕を回している。

 トレーナーもまた、彼女を強く抱きしめ、その背中を何度も叩いていた。

 画面越しに伝わる熱量が、僕の部屋の冷たい空気を支配する。二人は、命を削り合った共犯者だ。「壊れるかもしれない」という恐怖の吊り橋を、二人で手を繋いで渡りきった者たちだけが共有できる、聖なる領域。

 

 

 そこには、幼馴染という「過去の縁」が入り込む隙間など、ミクロン単位も存在しなかった。

 

「......すごいな」

 

僕の口から漏れたのは、乾いた称賛だけだった。

僕が彼女のために用意していた「安全な温室」よりも、あの男が彼女に見せた「嵐の吹き荒れる頂上からの景色」の方が、遥かに彼女を美しく輝かせていたのだ。誇らしく嬉しいはずなのに何故だろう。この両頬を濡らす液体が、こんなにも苦しいのは。

 

 

 

 栄光の代償は、予想していたよりも早く、そして残酷な形で訪れた。

 

 繋靭帯炎

 

 彼女の脚を蝕んでいた爆弾が、ついに破裂したのだ。

 ニュースでその報せを聞いた時、僕は愚かにも「それ見たことか」と思ってしまった。

 

僕の言うことを聞いていれば。無理をしなければ。もっと早く引退していれば。

そうすれば、彼女は傷つかずに済んだのに。

 

 人として最低だと分かりながらも、ドス黒いこの感情と想いは止まることを知らなかった。

 

 引退が決まり、彼女が帰国した日。僕は彼女に会いに行った。彼女はきっと傷ついているはずだ。志半ばで走ることを奪われ、絶望の淵にいるはずだ。

 今こそ、僕の出番だ。傷ついた羽根を癒やすための、静かで優しい場所を提供しよう。

 「もう頑張らなくていいんだよ」と言ってやろう。

 そんな、卑しいリハビリプランを胸に秘めて。

 

 

 しかし、待ち合わせ場所に現れた彼女を見て、僕は言葉を失った。彼女は杖をついていた。歩くのも辛そうだった。

 けれど、その表情は、僕が想像していた「悲劇のヒロイン」のそれではない。

 

 憑き物が落ちたような、秋の空のように澄み渡った笑顔だった。その表情を見て、愚かな僕は漸く分かった。彼女は後悔などしていない。

 

 

もう僕が居なくとも彼女は彼女で居続けれるのだと。

 

 

 それが分かった瞬間、涙が溢れた。あれほど会いたいと思っていた彼女の

前から逃げた。彼女の戸惑いと驚きが混じった声が背中を叩く。だが振り返らなかった。鼻水も涎も垂れてる中、無我夢中で走り続けた。

 これ以上は彼女の.....シーザリオの邪魔になると分かっていたのだから。

 

 

 

 

 あの後携帯には何件も電話とメッセージが届いていた。僕の家へとシーザリオとトレーナーが訪れたりもしたが、顔を出すことはなかった。これ以上醜い僕を晒したくはなかった。だから、彼女へのメッセージにこう送った。

 

 

 ーーーバイバイ、シーザリオ。幸せになって。

 

 

 

 

 

 

 あれから何年が経過しただろうか、一人夜逃げのように逃げた僕を彼女はどう思ったのかは知るすべはない。ただ、アメリカという異国の地でも彼女の幸せをただ祈り続ける。

 

 




なおメッセージを見たシーザリオが、シンボリクリスエスらの協力をへて会いにいく模様。このシチュ見てえよ!!!
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