絶景の落穂拾い ―彼女らの一番になれなかった者たちの独白―   作:雷炎

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スペちゃんの話の最後は爽やかに終わらせたかったので書きました。


約束の始発駅、片道切符の君 『スペシャルウィーク編』

 俺たちの世界は、この牧場の白い柵と、どこまでも広がる緑の絨毯、そして高い空だけで完結していた。

 

 彼女の名はスペシャルウィーク。

 

 「スペ」と呼ぶと、彼女はいつも、ひまわりのような笑顔で振り返った。俺は隣の牧場の息子で、彼女とは文字通り、生まれた時からの付き合いだ。彼女には二人の「お母ちゃん」がいたが、生みの親は早くに亡くなり、育ての親である人間の「お母ちゃん」と二人で暮らしていた。

 俺は、そんな彼女の少し寂しそうな背中を知っていたし、それを吹き飛ばすような底抜けの明るさも知っていた。

 

 「ねえ、聞いて! お母ちゃんがね、今日はご馳走作ってくれるんだって!」

 

 夕暮れ時、干し草のベッドに寝転がりながら、彼女は嬉しそうに足をバタつかせた。それを見て俺も足を動かし二人とも干し草まみれになったこともあった。

 彼女の幸せは小さかった。美味しいご飯、温かいお風呂、そして俺たちと遊ぶ時間。だが、彼女の瞳の奥には、脚には、この田舎町には収まりきらない「何か」が眠っていた。

 

 ある冬の日、真っ白な雪原で、彼女は突然立ち止まり、遠く南の方角を指差した。

 

 「私ね、約束したの。お母ちゃんと」

 「約束?」

 「うん。……日本一のウマ娘になるって」

 

 その言葉は、あまりに突拍子もなくて、俺は笑ってしまった。

 

 「日本一? スペが? 転んでばかりのくせに」

 「もう! 笑わないでよ! 本気なんだから!」

 

 彼女は頬を膨らませて怒ったが、その目は真剣だった。雪に反射する陽の光よりも眩しいその瞳を見た時、俺は悟ったのだ。

 

 ああ、こいつはいつか、いなくなる。

 

 この狭い牧場も、俺の隣という場所も、彼女にとっては通過点に過ぎないのだと。そのことを考えた瞬間、今見ている景色が遠のくのを感じた。彼女が、スペシャルウィークが居なくなったら俺はどうするのか、どうなるのかが怖かった。だがそんなことを彼女に言えるわけがない。

 だから俺は、精一杯の強がりで約束をした。

 

 

 「わかったよ。なら、俺は日本一のファンになってやる。お前がどこへ行っても、俺が一番応援してやるから」

 「ほんと? ……えへへ、約束だよ!」

 

 彼女と交わした「ゆびきり」の指の温かさを、俺は一生忘れないだろう。それが、俺たちを繋ぎ止める最初で最後の鎖になるとは知らずに。

 

 

 春が来て、彼女の上京が決まった。

 トレセン学園。東京にある、ウマ娘たちの聖地。彼女のお母さんが申し込んでくれたらしい。

 出発の日、駅のホームには町中の人が集まっていた。過疎化が進むこの町にとって、彼女は希望の星だった。

 

 「お母ちゃん! 行ってきます!」

 

 涙を堪えて気丈に振る舞う彼女の姿を見て、俺は胸が張り裂けそうだった。

 行くな、と言いたかった。

 日本一なんてならなくていい。ずっとここで、一緒に牧場の仕事をしよう。そう言えば、優しい彼女は迷ったかもしれない。泣きつけば、みっともなく縋り付けば彼女はこの地に残ってくれるかも知れなかった。

 だが、俺は「日本一のファン」になると誓ったのだ。ファンの役割は、アイドルの足を引っ張ることではない。背中を押すことだ。

 

 「スペ! 頑張れよ! 東京の奴らに負けんなよ!」

 

俺の声に、彼女は列車の中から大きく手を振り返した。

 

 「うん! けっぱるべー!! 待っててね、日本一になって帰ってくるから!」

 

 列車が動き出す。ディーゼルエンジンの重い音が、俺たちの別れのファンファーレだった。

 

 遠ざかる列車が見えなくなるまで、俺は手を振り続けた。

 彼女は「帰ってくる」と言った。だが、俺は知っていた。

 日本一になって帰ってくるその時、彼女はもう「俺のスペ」ではない。

 日本の、みんなの「スペシャルウィーク」になっているのだと。

 

 

 

 東京へ行ってからの彼女は、瞬く間に変わっていった。電話の声は弾み、話題は厳しいトレーニングや、新しいライバルたちのことばかりになった。

 そして、必ず出てくる単語があった。

 

 『トレーナーさん』だ。

 

 「トレーナーさんがね、私の走りを見て泣いてくれたの」

 「トレーナーさんが、ご飯ご馳走してくれたんだ!」

 「私、トレーナーさんの夢も一緒に叶えたいの」

 

 俺は、受話器を握りしめながら、ただ「へえ」「すごいな」と相槌を打つことしかできなかった。

 そのトレーナーという男は、俺の知らない彼女の表情をすべて知っている。

 

 彼女が悔し涙を流す時、ハンカチを差し出すのは俺ではない。

 彼女が勝利の歓喜に震える時、抱きしめるのは俺ではない。

 

 俺はここで彼女を応援することしかできない。変わっていく彼女をただ見続けることが今できる唯一だと信じて。

 

 

 そして迎えた、日本ダービー。

 俺は牧場の事務所で、お母ちゃんたちと一緒にテレビにかじりついていた。

 ゲートが開き彼女が走る。

 俺たちが遊んだ牧草地とは違う、綺麗に整備された東京の芝の上を。

 

「いけっ! いけえええ、スペ!!」

 

 俺は喉が枯れるほど叫んだ。

 最後の直線、彼女は猛烈な末脚で追い込んでくる。

 それは、俺が知っている「転んでばかりのドジなスペ」ではなかった。

 

 鬼気迫る表情。勝利への執念。

 

 彼女をそこまで変えたのは誰だ?

 俺じゃない。

 あの、スタンドで祈るように拳を握りしめている、トレーナーという男だ。

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、実況が叫んだ。

 

 『スペシャルウィークだ!! 夢を叶えた!!』

 

 事務所がお祭り騒ぎになる中、俺は画面の中の光景に釘付けになった。ウィニングランを終えた彼女は、トレーナーの元へ駆け寄り、その手を取った。

 そして、満面の笑みで、二人で高々と手を掲げたのだ。

 その姿は、あまりにも完璧だった。

 英雄と、それを導いた賢者。

 そこには、幼馴染という「過去」が入り込む余地など、1ミリもなかった。

 

 「……おめでとう、スペ」 

 

 俺の呟きは、歓声にかき消された。

 日本一のウマ娘が何なのかわからない。だがダービーを勝った彼女はこの世代の一番なのだろう。ゆくゆくは本当に誰にも文句をつけれない日本一になるのだろう。

 だが、それは同時に、俺との約束――「いつまでも一緒」という子供じみた願いが、完全に終わったことを意味していた。

 彼女はもう、北の果ての小さな牧場の娘ではない。

 日本の総大将へと。

 そして、あのトレーナーの「最高の愛バ」になったのだ。

 

 

 季節は巡り、夏。

 日本ダービーを制した彼女が、久しぶりにこの町へ帰ってきた。

 商店街には「祝・スペシャルウィーク」の垂れ幕が下がり、町は彼女の凱旋に沸き立っていた。

 

 「ただいまー! うわあ、懐かしい匂い!」

 

 駅に降り立った彼女は、昔と変わらない笑顔で空気を胸いっぱいに吸い込んだ。少し背が伸びただろうか。東京の垢抜けた私服に身を包んだ彼女は、俺たちの知る「スペ」でありながら、どこか近寄りがたいオーラを纏っていた。

 実家で開かれた祝勝会。テーブルには、彼女の大好物が山のように並べられた。 

 

 「んん~っ! おいしい~! やっぱりお母ちゃんのご飯が日本一だよ!」

 

 頬をリスのように膨らませて食べる姿は、昔のままだ。俺は少し安堵した。なんだ、やっぱりスペはスペじゃないか。

 だが、その安堵はすぐに打ち砕かれた。

 近所のおじさんが「次のレースはどうなんだ?」と尋ねた瞬間、彼女の表情が「プロ」の顔に切り替わったからだ。

 

 「はい。次は菊花賞を目標に走ります。もっと厳しいレースになると思うけど……トレーナーさんと作戦を練ってるから、大丈夫です」 

 

 彼女の口から出る言葉は、専門的なものばかりだった。

 ペース配分、スタミナ管理、芝の状態。

 俺たちが「頑張れ」「速かったな」と無邪気に言っていた次元とは違う、コンマ一秒を削り出すための論理と執念の世界。

 俺はグラスに注がれたお茶を見つめながら、会話の輪に入れない自分に気づいていた。

 彼女が語る「未来」の中に、俺の姿はあるのだろうか。

 確かにあるのは、いつもの「トレーナーさん」という単語だけだ。

 

 

 彼女が帰ってきたというのに、俺の心はいつまでも燻り続けていた。

 

 

 

 その夜、俺は彼女と二人で、昔よく遊んだ牧場の柵に腰掛けていた。満点の星空。虫の声が辺りに鳴り響く。

 

 「東京の空はね、こんなに星が見えないんだよ」

 

 彼女は少し寂しそうに笑った。

 

 「でもね、夜景がすごいの。宝石箱みたいにキラキラしてて……今度、写真見せてあげるね」

 

 俺は「ああ、楽しみにしてる」と答えたが、胸の奥がチクリと痛んだ。

彼女はもう、ネオンの輝きを知ってしまった。この静寂な闇夜を「懐かしい」とは言っても、「戻りたい」とは言わないだろう。最近は都心に出て戻ってこない若者が多いと聞く。日本一のウマ娘となった時、彼女の居場所はここではなくなるのだろう。

 その時、彼女のスマートフォンが震えた。

 彼女は画面を見た瞬間、パッと花が咲いたような顔になった。

 

「あ、ごめん! トレーナーさんからだ!」

 

 彼女は俺に断りを入れると、少し離れた場所へ移動した。聞くつもりはなかった。だが、夜の牧場は静かすぎて、彼女の声が風に乗って届いてしまう。

 

 「はい! ……ええ、ご飯食べすぎないように気をつけてます! ……ふふっ、もう、トレーナーさんったら心配性なんだから」

 

 その声色は、さっきまで俺と話していた時のものとは違っていた。甘えるような、それでいて全幅の信頼を寄せている響き。俺には見せたことのない、一人の「異性」としての顔がそこにあった。

 

 「……帰りたくないなあ」

 

 ふと、彼女が電話口でそう零したのが聞こえた。

 俺は心臓が跳ねた。帰りたくない? やっぱりここが彼女の居場所だったのか。

 だが、続く言葉が俺を絶望の淵へと突き落とした。

 

 「……ううん、嘘です。早くトレーナーさんのところへ帰って、走りたい。私、やっぱり走ることが好きなんです。トレーナーさんと一緒に、もっともっと広い世界を見たいんです。走って、皆んなに日本一のウマ娘だって胸を張りたいんです!」

 

 

 帰りたくない、と言ったのは「過去(ここ)」への未練ではない。

 「現在(そこ)」にいない寂しさだったのだ。

 

 

 彼女にとっての「帰る場所(ホーム)」は、もうこの牧場ではない。トレセンこそが、レース場こそが、あのトレーナーの隣こそが彼女の魂の帰る場所なのだ。

 俺は柵を強く握りしめた。古い木のささくれが手のひらに食い込んだが、その痛みすらありがたかった。流れ出る血と涙が地面を濡らしていく。話し込んでいる彼女に一言だけ声をかけて走る。

 

 

 泣くな!お前は日本一のファンになるんだろ!!!そう何度も自分に言い聞かせながら。

 

 

 

 別れの朝。

 駅のホームには、また大勢の人が見送りに来ていた。彼女は笑顔で手を振り、列車に乗り込んだ。

 

 「気をつけてな、スペ」

 

 俺が声をかけると、彼女は窓から顔を出した。

 その瞳は、もう「北の果て」を見てはいなかった。遥か南、東京の空を見据えていた。

 

「うん!........ねえ」

 

彼女は少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐに俺を見た。

 

「ありがとう。私、ここまでこれたのは、ここがあったからだよ。

 ずっと応援してくれて、ありがとう」

 

 それは、感謝の言葉であり、決別の言葉だった。

 幼馴染としての役割は、ここで終わったのだと告げられていた。

 

 「.....おう。これからも、一番に応援してるからな」

 「うん! 約束だよ!」 

 

 ベルが鳴り、ドアが閉まる。列車が動き出す。

 俺は走った。ホームの端まで、列車を追いかけて走った。

 何かを叫びたかった。「行くな」か、「好きだ」か。

 だが、喉から出たのは、情けないほど平凡なエールだけだった。

 

 「負けんなよ! スペシャルウィーク!!」

 

 彼女は笑顔で手を振り返し、やがて視界から消えた。レールに残る振動だけが、彼女が確かにここにいたことを伝えていた。

 肩で息をしながら、ふっと笑う。

 

 今度は涙は出なかった。

 

 

 俺は今でも、この牧場で牛の世話をしている。テレビをつければ、彼女の活躍を見ることができた。

 

 天皇賞、ジャパンカップ。彼女が勝つたびに、画面の向こうで彼女はトレーナーと抱き合い、喜びを分かち合っている。

 彼女は名実共に日本一のウマ娘となった。

 

 「すげえなぁ、あいつ」

 

俺は呟き、作業着のポケットから古びたお守りを取り出す。

彼女がくれたおまもりだっだ。

 

 彼女は「日本一になって帰ってくる」と言った。だが、それは間違いだった。

 彼女は日本一になるために、二度と帰ってこない旅に出たのだ。

 

 俺の手にあるのは、見送りの入場券だけ。

 彼女が持っていたのは、栄光へと続く片道切符。

 

「....頑張れよ、日本一のウマ娘」 

 

 俺は手を空にかざす。

 北海道の空は高い。けれど、彼女が翔けている空は、俺の手の届かない、もっともっと高い場所にある。

 

 俺はただのファンだ。

 

 世界で一番、彼女の幸せを願い、日本一のファンである。

 

 そして彼女の隣に立てなかった男。




スペちゃんもザリアもブエナも結婚式のスピーチとかお願いしてきてくれそう。スピーチはやり切るけど、その後爽やかに泣く人とトイレから出てこなくなる人と記憶が無くなるまで飲む人で分かれそうではあるけど。
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