絶景の落穂拾い ―彼女らの一番になれなかった者たちの独白―   作:雷炎

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いつもとは違う感じに書きました。


帝王の影踏み、陽炎の如く 『トウカイテイオー編』

 私の役回りは、常に「二番手」ですらない、舞台袖の黒子であった。

 

 トレセン学園、生徒会室。

 

 そこで雑務をこなす私は、この部屋の主である「皇帝」シンボリルドルフの威光を、誰よりも近くで感じていた。

 そして、その光に惹かれてやってくる、小さな一等星のことも。

 

「ねえねえ! 会長はまだ? ボク、新しいステップ考えたんだ! 見てほしいのにー!」

 

 バン! と勢いよく扉を開けて入ってくるのは、トウカイテイオーだ。

 跳ねるようなポニーテール。自信に満ちた瞳。そして甘い蜂蜜の香り。彼女は、この厳格な生徒会室における唯一の「例外」だった。

 

 「会長は今は会議中だよ、テイオーちゃん」

 

 私が苦笑しながら答えると、彼女は頬を膨らませて、僕のデスクの前のソファにドカッと座り込む。

 

 「ちぇっ、つまんないの。……ねえ、キミでいいや。ボクのダンス、見てよ」

 

「キミでいいや」 

 

 その雑な扱いが、私は嫌いではなかった。彼女にとって私は、憧れの「カイチョー」に会うまでの待ち時間であり、暇つぶしの相手だ。

 それでも、彼女が屈託なく笑いかけてくれるなら、喜んでその役割を演じた。彼女の、トウカイテイオーのその笑顔が好きだから。

 

 彼女の夢は、シンボリルドルフのような、無敗の三冠ウマ娘になること。

 それはあまりに大きく、険しい夢だ。

 けれど、彼女の軽やかなステップ(通称・テイオーステップ)を見ていると、本当に叶えてしまうのではないかと思わせる魔力があった。

 

 「すごいね、テイオーちゃんは。きっと会長みたいになれるよ」

 

 いつものように褒めると、彼女は得意げに鼻を鳴らす。

 

 「でしょ? ボクは帝王になるんだから! .......あ、そうだ。これあげる」

 

 彼女はポケットから、温くなった「はちみードリンク」を一本、投げてよこした。

 

 「いつも話聞いてくれるお礼! 感謝してよね!」

 

 無邪気な笑顔。

 私はその甘ったるいドリンクを握りしめ、この心地よい日常がずっと続けばいいと願っていた。

 彼女が「皇帝の影」を追いかけている限り、そのすぐ近くにいる私もまた、彼女の視界の端にいられるのだから。

 

 

 だが彼女の運命は、私のデスクの周りだけで完結するほど小さくはなかった。

 彼女の才能を見出し、その手を引く「トレーナー」が現れたのだ。

 最初は、私も彼を軽く見ていた。熱血漢で、少し暑苦しい男。スマートなルドルフ会長とは対極にいるような人物だ。

 テイオーちゃんには合わないんじゃないか。そう思っていた。

 だが、彼女の口から出る言葉は、次第に変化していった。

 

 「トレーナーがね、ボクのステップは武器になるって!」

 「今日はトレーニングで泥だらけになっちゃった。でも、なんか楽しいんだ!」

 

 生徒会室に来ても、彼女の話す内容は「会長」のこと半分、「トレーナー」のこと半分になった。彼女の中で、比重が変わり始めていた。

提出書類を整理する手を止め、曖昧に相槌を打つ。 

 

 「へえ、熱心な人なんだね」

 「うん! なんかねー、ボクよりもボクのことを信じてるの! 『お前ならやれる』って。……変な人だよね、あはは!」

 

 彼女は笑っていたが、その瞳は真剣だった。

 私が彼女に向けていたのは「憧れを肯定する優しさ」だ。「なれるよ」「すごいね」と、彼女の夢を優しく見守るだけの姿勢。だが、あのトレーナーが向けているのは「確信」だ。

 彼女を「皇帝のコピー」ではなく、「トウカイテイオー」という唯一無二の存在にするための、厳しくも太い道筋。

 私は、飲み干したはちみードリンクの空き容器をゴミ箱に捨てた。

 甘い味は、もう舌に残っていなかった。

 

 

 

そして迎えたクラシック級の春。

 

 皐月賞

 

 彼女は、圧倒的な強さで一冠目を手にした。

 「無敗の帝王」への第一歩。

 テレビ中継を見ていた私は、彼女がゴールした瞬間、自分のことのように喜んだ。

 翌日、生徒会室に来た彼女は、いつにも増して輝いていた。

 

 「見た!? 見てくれた!? ボクの一着!」

 「ああ、見たよ。本当にかっこよかった。これならダービーも間違いなしだね」

 「えへへ、でしょー! ……カイチョーも褒めてくれたんだ!」

 

 彼女は満面の笑みでVサインを作る。

 すべてが順調だった。彼女は伝説になる。私はずっと、その伝説の舞台裏で、彼女の愚痴を聞いたり、飴をあげたりする「優しいスタッフ」でいられるはずだった。それだけで十分だった。

 

 

 だが、運命は残酷な雷となって、彼女を撃ち抜いた。

日本ダービーが終わった後のある日。生徒会室のドアが、いつものように勢いよく開くことはなかった。

 静かに、重く、開かれた扉。

 松葉杖をついた彼女が、そこにいた。

 

 

 「.....骨折、しちゃった」

 

 

その一言を聞いた瞬間、私の世界が凍りついた。

骨折。

 ウマ娘にとって、それは付きものと言って良い。だが彼女無敗の三冠ウマ娘への挑戦中なのだ。

 私は慌てて駆け寄り、彼女を支えようとした。

 

「大丈夫かい!? なんてことだ.....無理をしたんだね。だから言ったのに....」

 

口をついて出たのは、同情と、わずかな批判だった。

あのトレーナーが無理をさせたんじゃないか。もっと大事に育てていれば。ウマ娘の育成を誰よりも分かっているのはトレーナーなのに。

 そんな思いが言葉の端々に滲んだ。

 彼女をソファに座らせ、できるだけ優しい声で言った。

 

 「辛いね。.....でも、無理して走ることはないよ。君はもう十分すごいんだから」

 

それは、私にできる最大の慰めだった。夢破れたとしても、逃げ道を用意してあげること。

 「三冠なんて獲らなくても、君は私たちのアイドルだよ」と伝えてあげること。 

 

 彼女は俯いていた。こちらの言葉が届いているのか、いないのか。彼女の震える肩を抱きしめようと、私が手を伸ばしたその時だった。

 

 「......やだ」

 

小さな、けれど鋭い拒絶の声が聞こえた。

 

「ボクは.....諦めたくない」

 

彼女が顔を上げた。

 その瞳は、涙で濡れていたが、絶望の色ではなかった。

 燃えるような悔しさと、渇望。

 

 「トレーナーが言ったんだ。『まだ終わりじゃない』って。

 菊花賞に出られなくても、三冠の夢が絶たれたとしても......ボクの道は続くって」

 

 私の手は、空中で止まった。「諦めてもいい」という毛布をかけようとした瞬間に、トレーナーは「立て」と手を差し伸べていたのだ。

 彼女の心は、骨折した足を引きずってでも、まだ「先」を見ている。

 その視線の先にいるのは、優しい言葉をかける私ではない。

 一緒に泣き、一緒に歯を食いしばり、未来を信じてくれるあの男だ。 

 

 「......そっか。強いね、テイオーちゃんは」

 

力なく笑い、伸ばしかけた手を引っ込めた。その手が、あまりにも無力で、場違いなものに見えたからだ。

 

 

 彼女は結局菊花賞に出ることが叶わなかった。だが、「無敗の三冠ウマ娘」という夢が潰えた後も、彼女は走り続けた。諦めずライバルと走り続けた。

 だが、それは茨の道だった。

 天性のバネは、諸刃の剣として彼女自身の脚を蝕んだ。骨折、休養、復帰、そしてまた骨折。

 神様がいるとしたら、これほど残酷な脚本家はいないだろう。

 あれほどきていた生徒会室に来る彼女の回数も減った。

 たまに来ても、かつてのような太陽の匂いはせず、湿布の匂いと、無理に張り付けたような笑顔が痛々しかった。会長もその姿を見て心を痛めた。私も直視するのに耐えれずに、地面に視線を落とすことがあった。

 

 「ねえ、聞いてよ! 今度のリハビリメニュー、すっごくキツイんだ!」

 「トレーナーったら、鬼なんだよー。ボクのことなんだと思ってるのかな?」

 

 彼女は明るく振る舞う。けれど、私は見ていられなかった。

 

 もういいじゃないか。

 

 心の中で唸るように叫ぶ。 

 君はもう、二冠を取った。天皇賞にも出た。誰もが君を認めている。これ以上、何を証明する必要があるんだ?

 またあの激痛に耐えるのか? また期待されて、裏切る恐怖と戦うのか?

 

 「.....辛かったら、いつでもここへ逃げてきていいんだよ」

 

  私が紅茶を差し出しながら言うと、彼女はカップを受け取り、ふっと視線を落とした。

 

 「……うん。ここは落ち着くから、好きだよ」

 

 その言葉に、私はまた浅ましい期待を抱く。

 彼女がレースを辞めれば、彼女は「皇帝の影」でも「足掻き続ける」でもなく、ただの一ウマ娘に戻れる。

 そうすれば、僕はこの生徒会室で、ずっと彼女を守ってやれるのに。

 

 

 そして、どん底が訪れた。

 

 三度目の骨折。 

 

 医師からも、周囲からも「引退」の二文字が囁かれた。もう走れない。走れば、今度こそ取り返しがつかないことになる。世間は「トウカイテイオーは終わった」と噂した。

 

 私も、終わったと思った。

 いや、終わってほしかったのだ。これ以上、彼女が傷つく姿を見たくなかったから。

 だから久しぶりに顔を見せた彼女に、用意していた言葉をかけた。

 

「よく頑張ったね、テイオーちゃん。

 もう、誰も君を責めたりしないよ。これからは、普通として.....」

「.....まだだよ」

 

彼女は、僕の言葉を遮った。

その声は震えていたが、瞳の奥には小さな、しかし決して消えない熾火が燃えていた。

 

「トレーナーがね、泣いてたの」

 

彼女は膝の上で拳を握りしめた。

 

「ボクよりもボクの脚を心配して、ボクよりも悔しがって……。

 でも、最後に言ったんだ。『奇跡は起きるもんじゃない。起こすもんだ』って」

 

それを聞いて動きを止める。

 私は彼女の「痛み」を取り除こうとした。だが、トレーナーは彼女と「痛み」を共有し、その先にある「栄光」を掴もうとしていた。

 優しさの種類が違った。

 そして、彼女が求めていたのは、傷を舐め合う優しさではなく、血を流してでも進むための厳しさだった。

 ただのウマ娘がもう彼女にできることなんて無いんだ。そう思い、唇を噛み締めることしかできなかった。

 

 

 そして彼女は再び茨の道を進むことになった。無茶だとしても周囲から何と言われようと、彼女は歩き始めた。

 

 

 

 冬の中山レース場。有馬記念、今年は例年にもましてレベルの高いウマ娘が集まった。常識で考えれば、勝てるはずがない。ブランクは長く、相手には現役最強のビワハヤヒデだっている。

 私は寮のテレビで、そのレースを見ていた。

 会場に行く勇気がなかった。彼女が惨敗する姿を、直視できる自信がなかったからだ。

 

 「頼む、無事で.....」

 

勝利など願わなかった。ただ、無事に回ってきてくれればいい。それが、彼女を信じきれない私の限界だった。

 

 ゲートが開く。

 彼女は走る。一年間の空白を埋めるように。

 何度も折れ、何度も泣いたその脚で、中山の直線を駆け上がってくる。

 

 「いけえええええ!! トウカイテイオー!!」

 

 実況が、私の喉が、周囲が絶叫する。

 彼女は、先頭にいた。あのビワハヤヒデをねじ伏せ、誰もが不可能だと思った奇跡を、現実のものとして手繰り寄せていた。

 ゴール板を駆け抜けた瞬間、テレビのスピーカーが割れんばかりの大歓声に包まれた。

 

 「「「テイオー! テイオー!」」」

 

 地鳴りのようなテイオーコール。画面の中、彼女は右手を突き上げ、涙を流していた。

 その涙は、骨折の痛みの涙ではない。絶望の淵から這い上がった者だけが流せる、魂の浄化の涙だ。

 そして、彼女が見上げるスタンドには、クシャクシャな泣き顔で叫ぶトレーナーがいた。

 二人は見つめ合っていた。

 数万人の観衆がいようと、二人だけの世界だった。

 言葉などいらない。あの苦しいリハビリの日々、世間からの心ない声、その全てを共有してきた二人だけの絆が、そこにはあった。

 

 持っていたティーカップをソーサーに置いた。中身が全て溢れて無様なことになっているのも気にならなかった。

 カチャリ、と小さな音がした。

 その音は、私の何かを終わりを告げる音だった。それが何かは分からない。分からないが、今まで自分の中にあったものが終わり消えた。

 私は彼女を信じれなかった。「もう無理だ」と決めつけた。

 けれど、彼だけは信じた。

 だから、奇跡は彼の元に舞い降りたのだ。

 

 「......おめでとう。テイオーちゃん」

 

 

 

  彼女は今「皇帝」を超え「帝王」となったのだ

 

 

 

 

 数日後、彼女が生徒会室にやってきた。

 奇跡の復活を遂げた彼女は、憑き物が落ちたように晴れやかな顔をしていた。

 

 「見た!? 見てくれた!? ボクの復活!」

「ああ、見たよ......本当に、すごかった。君は正真正銘の、帝王だ」

 

心からの称賛だった。そして、敗北宣言でもあった。

 

 「えへへ、ありがと! そうだ!これ、お土産!」

 

 彼女はポケットから、あの日と同じように「はちみードリンク」を取り出し、僕に手渡した。まだ温かい。

 

 「ボクね、これからも走るよ。

 カイチョーの影じゃなくて、ボクだけの道を。トレーナーと一緒に!これからも無敵の帝王伝説を見せてあげるね!」

 

 彼女は、眩しいほどの笑顔で宣言した。

そこにはもう、私に「逃げ道」を求めていた甘えん坊の少女はいなかった。自分の足で立ち、自分の人生を切り拓く、気高い一人のウマ娘がいた。

 

 「うん。応援してるよ」

 

 精一杯の笑顔で、彼女を送り出した。

 

 ドアが閉まり、広い生徒会室に、また静寂が戻る。私は、彼女がくれたはちみードリンクの蓋を開けて飲む。

 

 甘い。ひどく甘ったるい味だ。かつては、この甘さが心地よかった。

 けれど今は、喉の奥に引っかかって、少しだけ苦い。

 

「.....さようなら、テイオーちゃん」

 

 空になった容器をゴミ箱に捨てた。彼女はもう、ここへ訪れることはあっても逃げてくることはないだろう。

 

 彼女は飛び立ったのだ。

 

 

 

 私という小さな止まり木を蹴って、遥か高い、一番星の輝く空へと。

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