ダンジョンに生まれた私は、英雄の魂を育てて喰らう 作:ヨーヨーヨー
夕暮れの通りは、まだ昼の熱を少しだけ抱えていた。石畳の隙間に残った熱が、靴底からじわりと伝わる。通りを行き交う人々のざわめき、露店の煙、揚げ物の香ばしい匂い――すべてが、街の息づかいを告げていた。
その中で、ひときわ小さな屋台が控えめに煙を上げている。看板には「じゃが丸くん」と、素朴な文字が描かれていた。
「いらっしゃいませー! じゃが丸くんだよー!」
元気いっぱいの声。小さく背伸びをしながら、声を張り上げるのは、間違いなく――神だ。
シエラは影に潜み、屋台を観察する。視界の端でその存在を認識しても、胸に生まれるのは威圧や恐怖ではない。なぜか――温かさだ。
(……あったかい)
その感覚は、魔石や獲物の熱でも、血の温もりでもない。純粋に、生命のぬくもりだった。シエラは無意識に足を前に運び、屋台の前に立つ。
「一つ、ください」
「あっ、はーい!」
小さな女神は慣れた手つきで油の中から丸い芋を引き上げ、紙に包み、差し出す。指先が一瞬触れた。熱い。しかし、それは油の温度や神の力ではなく、普通の人間の体温だ。
「ありがとう」
シエラは受け取り、少し離れた壁際に身を寄せる。ひとくち齧れば、ほくほくと崩れる感触。
(……おいしい)
味覚に合理性はない。栄養効率を考えれば魔石や肉の方が理にかなっている。しかし、噛むたびに不思議な満足感が胸に広がる。
視線の端で女神が客に頭を下げる。何度も、何度も。忙しそうに、でも楽しそうに。
(……神、ね)
シエラは呟く。自分の知っている神とは違う。ただ、油に向かいじゃがいもを落としている。それだけの存在。
「……?」
不意に、神と目が合う。一瞬の間。次の瞬間、女神はぱっと笑顔を広げる。
「おいしい?」
「……うん」
短く答えると、彼女は満足そうに笑った。
「よかったー!」
意味はわからない。けれど、胸の奥に微かな温度が伝わる。
「ずっとここで売ってるの?」
「うん! 今はね、ファミリア立て直し中だから!」
苦しい意味合いのはずなのに、表情は屈託がない。見る者に重さを感じさせない。
「ベル君がね、すっごく頑張ってるんだよ!」
――ベル。シエラの指がわずかに止まる。
「……ベル?」
「うん! うちの子だよ!」
“うちの子”。その言葉は支配ではない。誇らしさと心配が混ざった独特の感情表現。神が単に命令する存在ではないことを、言葉だけで伝えている。
「怪我もいっぱいするし、無茶もするし……でも、ちゃんと帰ってきてくれるんだ」
声は静かで、温かさだけが残る。シエラは、何を返せばいいのか分からず、ただ短く絞り出した。
「……すごいね」
女神はきょとんとした後、照れたように笑う。
「えへへ……そうかな?」
(……不思議だ)
この存在はどうして、ここまで人の心を揺らすのか。理屈を超えている。
「そういえば、君、名前は?」
不意に問いかけられる。軽やかで、自然な声。シエラはほんの一瞬、脳裏に無数の名前を浮かべる。
「……シエラ」
「シエラ君!」
女神は即座に呼び名を決める。
「僕の名前はヘスティア! よろしくね!」
音の響きだけで、確かに神の名だと分かる。しかし、その声に重みや威圧はない。柔らかく、軽やかに、そして温かい。
「よろしく」
口に出したその言葉は、どんな契約よりも、どんな約束よりも軽い。しかし、胸の奥に奇妙な重みを残す。
「また来てね!」
ヘスティアは手を振る。
シエラも、軽く頷く。その背を見送りながら、影の中で思う。
(……便利だな)
人を演じる練習に。感情の練習に。人畜無害な存在の理解に。すべて学びの場として都合がいい。
歩き出す瞬間、胸の奥が微かに疼く。理由は不明。
(……また、来てもいいかも)
じゃが丸くんが、美味しいから。それだけだ。
微かに笑いを漏らし、影は再び街路に溶け込む。