ダンジョンに生まれた私は、英雄の魂を育てて喰らう 作:ヨーヨーヨー
この日、ベルとリリルカ・アーデは霧に覆われたダンジョンの10階層に立っていた。深層ではないが、白く濃密な霧が視界を妨げ、ベルにとっては初めての見えない恐怖を与えていた。
「リリ、離れないでね」
「……はい」
もう何度も告げてきた言葉だ。ベルは踏みしめる雑草の感触を確かめつつ、広がるルームを見渡す。中央付近まではうっすら視界が利くが、葉も枝も失った枯木が点在し、不気味な影を落としていた。
目の前の枯れ木により歩みを止める。
「どうしよう。これ、先に切っておこうか?」
「いえ、その暇はないようです」
リリルカの視線が前方の霧の向こうに固定される。ベルの体に緊張が走る。
そこには大柄な影が揺らめいた。足音が地面を震わせ、低く呻く声が身体を貫く。大型級のオークが姿を現したのだ。
ベルは一瞬だけ恐怖を憶えた。だがリリルカの鼓舞により、唾を飲み込み、決意を固める。
(…ここで怖気付いていたら、一生この先に進む事は出来ない!)
ーーこんな所で躓いているわけにはいかない、彼の情景はまだ始まったばかりなのだから。
◇
最後のオークが倒れ、塵となっていく。
最近、偶然にも憶えた魔法ーーファイアボルトのおかげか、それ程苦戦することなく、ベルは第10階層での初陣に勝利を収めた。
「勝てた。・・・やったよリリっ・・・!?」
喜びで振り返ったベルの視界に映ったのは、白い霧だけ。リリルカの姿が消えていた。
(深い霧のせいではぐれてしまった?…いや、さっきまでは後ろに……まさかオークに!?)
最悪の想像が頭によぎる。その時、僅かに残る血の匂いが鼻をつく。辺りを見渡すとそこには生々しい血肉の塊が転がっていた。
「これは……モンスターをおびき寄せるための…ッ!?」
地響きが鼓膜を震わせる…オークだ、それも足音は一つだけではない。
(……まずい)
気が付けば周囲を大量のオークに囲まれていた。仲間の安否、突然の罠、そしてオーク、目まぐるしく変化する状況に思考が追いつかない。
その時、突然右脚に異変が起きる。
「えっ?」
金属矢が革を貫通し、装備していたレッグホルスターが弾け、ナイフの嚢が宙を舞う。それは引き寄せられる様に何者かの手に収まる。視線の先には、先ほど見失ったリリルカが立っていた。
「リリっ! 何してるの!!」
「ごめんなさい、ベル様。もうここまでです」
その小さな唇は笑みを浮かべながらも、どこか寂しそうだった。
「隙を見て逃げ出してくださいね、・・・さようなら、ベル様」
突然の出来事に理解が追いつかない。そんなベルの心情を他所に、リリは霧の奥へと消えていった。
◇
遠く、影がそれを見守っていた。ーーシエラだ。
これはベルの魂に磨きをかける絶好の機会…危機的状況であるのに、その顔には少しの曇りがあった。
(……どうしよう)
それは異形にとって悩ましい事態であった。このままベルの戦いを観察するだけでもよい。しかし、それでは、この程度の舞台では、劇的な成長は生まれない。英雄は、守るべきものの存在によって力を引き出す。
俗物的ではあるが、シエラはそのことを、英雄譚から学んでいた。そしてリリルカはその役割を果たしていた。しかし、シエラ自身にはまだそれに至る物語を描く知識が、経験がなかった。どう動かすべきか、どう演出すべきか。思考が巡るほどに、未熟さを思い知らされる。
そのとき、周囲に張り巡らせた触手が微細な振動を感知した。
そこには二つの存在があった。
一方は明らかに敵意に満ちたもの――ソーマ・ファミリアの団員たちだ。もう一方は――言葉にできない、しかし直感的に悪意ではないとわかる存在。触手がその感触を捉えた瞬間、シエラの口角が自然と上がった。
それは、面白い、と思う感覚と似ていた。英雄が輝く瞬間を、さらに刺激的に演出する可能性がある存在。
影として、観察者として、そしてほんの少しだけ、未来の結末を想像する者として。シエラはその存在に注がれる光と影のバランスを確かめながら、次の瞬間の展開を待った。
◇
リリルカはキラーアントの群れに囲まれ、地面に倒れ伏していた。
ダンジョンの出口へと向かう途中、ソーマ・ファミリアの団員に待ち伏せされ、金銭や魔剣、ファミリアの脱退資金まですべて奪われた上、さらに裏切られ今まさに捨て駒としてその命を終える状況にあった。
「……は、はははっ、これだから冒険者は……」
数え切れぬキラーアントが周囲を囲む。その牙は赤く鋭く光り、これから起こるであろう惨状を容易に予見することができる。
「……悔しい、なぁ」
リリは呟く。それは弱者の最後の言葉、今まで心の奥底に沈めていた最後の想い。
「神様、どうして……」
「どうして、リリを、こんなリリにしたんですか……?」
リリルカの胸に、これまでの孤独と不安、そして寂しさが渦巻く。
寂しかった。誰も頼れず誰からも頼られなかったことが、寂しかった。
独りでいることには慣れてしまったけど、寂しかった。
けどやっと終わることができる。ちっぽけで弱くて何の価値のない自分からやっと解放される。
(あぁ、リリはやっと……)
ベルの笑顔が流れる。居場所になるかもしれなかった人の顔が。
(やっと…………死んでしまうんですか?)
その刹那、ベルの声が戦場を切り裂いた。
「ファイアボルトオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
ーー英雄が駆け付けたのだ。
◇
影は興奮を抑えきれず、その場に蹲る。
少年の魂が、今までにない輝きを放つ瞬間を目の当たりにした。
守るべきものがある者に発揮される力の大きさを、シエラは改めて認識する。身をよじるような興奮。狂気に近い快楽に。
(ほしい…ほしい…ほしい…ほしい…ほしい…)
異形の身が英雄の魂を欲していたが、抑え込む。
(・・・・・・まだ、まだ足りない)
そうまだなのだ。少年の輝きは、まだ完成していない。落ち着きを取り戻したシエラは意識を戦場へと戻す。ちょうど最後の一体を処理し、リリルカと会話を交わす場面だった。
(……少し興奮しすぎた)
だが理想的な結果だ、これは良い糧となった。
(……それに、"面白い人"も観察できた)
そうして満足感とあらたなる観察対象への興味を影へと落とし込み、人知れず姿を消した。
ーーソーマファミリアの団員達が逃げた先へと。
◇
早朝、リリルカは噴水の前に腰を下ろしていた。
周囲を冒険者たちが行き交い、ダンジョンへ向かう。視線は一人の人物を追う。誰もが違う。ほんのわずかな希望を胸に、また誰かが来るかもしれないと待つ。
そして視線の先に、あの人物――ベルが現れた。焦げ茶色の瞳を丸く見開くリリルカに、ベルは微笑む。
「混乱しているんですか? でも、今の状況は簡単ですよ? サポーターさんの手を借りたい半人前の冒険者が、自分を売り込みに来ているんです」
リリルカの頬に、温かさと潤みが満ちる。右手をそっと差し出すベル。
「僕と一緒に、ダンジョンへもぐってくれないかな?」
壊れものに触れるように、リリルカは手を重ねた。
「――はいっ、ベル様!」
孤独だった少女が、オラリオでようやく居場所を得た瞬間。
世界は二人を祝福しているかのように静けさが包み込んでいた。
ソーマ・ファミリアの団員が消息を絶ったことなど、知る由もなく。