沈みゆく終末の箱庭で、魔法使いと出会う   作:猿だモN

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プロローグ(前編)

 見上げるほど高かったはずのオフィスビルは、中ほどから無残にへし折れている。鉄筋は引き千切られた神経のように虚空へ突き出す。

 アスファルトの路上には、熱でどろりと溶けたまま固まった乗用車の成れの果てが転がっている。そのまま超高温の息吹を吹きかけられたかのような、異様な歪み方だ。

 

「ここも随分と変わっちゃったねー。あの焦げた感じ、トーストの失敗作みたいでちょっと可愛いかも。ねえ、そう思わない?」

「……トーストどころか、まともな食料にありつけるか怪しい世界でよくそんなことが言えるな」

 

 ひしゃげたトラックの陰で、少年は深いため息を飲み込みながら応えた。呆れを隠そうともしない。

 軽口を叩く少女を横目で一瞥し、彼はすぐに視線を前方へと戻す。

 視線の先で緑の小鬼たちが徘徊している。

 少年は湿り気を帯びた手の内を、刀の柄へと滑らせ、力強く握りしめた。

 

「俺が斬り込む……フォローを頼んだ」

「おいさ」

 

 少女の返事と同時に、虚空が歪み、重々しい金属光沢を放つ銃器がその手に零れ落ちた。

 それが、合図となった。

 少年はトラックの影から弾け飛ぶように飛び出す。瓦礫の山を、低く、獣のような足取りで疾走した。

 

「あぎゃ?」

 

 瓦礫の上でうずくまっていた緑の小鬼が、呑気に首を傾ける。

 それが、最後の疑問となった。一閃した銀光が、小鬼の細い首を音もなく撫でる。

 言葉すら成さぬ断末魔。鮮血がアスファルトに散るより早く、少年は次の一体へと肉薄にする。

 

「ぎぃあ!?」

 

 仲間の死に気づいた小鬼たちが、耳を裂くような警戒音を上げた。

 四方から醜悪な叫びが重なる。

 包囲網が狭まろうとしたその瞬間。

 乾いた破裂音が、響き渡った。

 

「ほれほれ、晩御飯の駄賃を落としてけ」

 

 親しい友人に小銭をせがむような気安さで、彼女はまた一度、引き金を引く。

 放たれた弾丸は、逃げ惑う小鬼の背中に吸い込まれる。着弾と同時に小鬼の背が爆ぜ、赤黒い肉片が撒き散らす。

 

「ぎい、ぎ、ぎゃっぎゃあぁっ! ぎぎぎっ!!」

 

 緑の群れは顔を歪め絶叫した。

 足をもつれさせ、仲間を突き飛ばし、四方へと雪崩れ崩れる。逃げ遅れた者を踏み越え、群れは統制を失って無秩序に駆け出す。

 

「——ガラ空きだ」

 

 地を這うような凍えた声。

 冷徹な死神の鋭い一振りが襲う。

 ひび割れたアスファルトに黒く染み渡る。

 数分間。

 絶望的な悲鳴と肉を断つ音が反響し続けた。

 

 

 瓦礫の間に転がる、鈍く光る緑色の石。

 一つ一つ拾い上げては麻袋へと放り込む。

 同じ動作の繰り返しに、ため息が喉元までせり上がる。

 こんなものを一息で吸い取ってくれる掃除機でもあればいいのに、とくだらない想像をしながらも、手だけは休まらなかった。

 少年、黒町 勝也は額に浮いた汗を拭う。

 黒い制服は通気性が悪く、肌に張り付く感触がひどく不快だった。

 すぐ近くで跳ね回っている少女に問いかける。

 

「シツハ。そちらの収穫はどうだ」

「大漁だよ、カッちゃん! これだけの魔石があれば中抜きしちゃってもバレないよ。今日の晩御飯、豪華にしちゃおうぜ!」

 

 少女、丸井咲(まるいさく) シツハが獲物を自慢する猟犬のような笑顔で振り返る。

 あからさまに欲に取り憑かれた言動に、勝也は深いため息をついた。

 

「バカなことを言うな。きっちり全量報告だ」

「ちぇっ、真面目ぶらなくてもいいじゃん。カッちゃんも育ち盛りなんだから誰も文句は言えないよ」

「いや、それじゃ他が納得しないだろ」

「コツコツと手作業で集めた魔石を奪われるのは嫌じゃい」

 

 頬を膨らませたシツハは抗議の意を示す。

 勝也は先ほど自分が抱いた「掃除機が欲しい」という不満を棚に上げ、乱暴に頭を掻いた。

 

「文句を言うな。都合よく魔石だけを集めてくれる魔法がないんだから仕方ないだろうが」

「カッちゃんにお菓子を要求する。こんなに頑張ってるから頬張っていいでしょう」

「……ゴブリンどもが寝ぐらにしてたデパートがあるだろ。宝探しでもしてこい。菓子の一つくらい落ちてるかもしれない」

「えー。デパートって言ってもさ」

 

 シツハが隣の建物に視線を移す。

 かつては街の華やかさの象徴だったであろうデパートは、二階より上のフロアが完全に崩落し、ひしゃげた鉄骨が剥き出しになっていた。

 開いた口のように待ち構えているのは、光を拒絶するような不気味で暗い地下への階段のみ。

 

「宝探しというより肝試しだよ、あそこ」

「ここ一帯に魔物はいないんだろ。お前の勘に従うなら」

「いや、そーだけど。出そうな雰囲気があるじゃん」

 

 地下へと続く暗い穴から湿り気を帯びた風が吹き上がってくる。

 シツハは、さっきまでの欲深い笑顔をどこかに落としてきたかのように、目に見えて縮こまった。ぶるりと肩を震わせ、自分の腕を抱きしめる。

 その反応に、勝也はわずかに眉をひそめて見た。一つ咳払いをすると、これ以上ないほど淡々とした口調で言う。

 

「……実は俺、お化けが怖いんだ。一人じゃ心細いから、一緒に入ってくれないか?」

「嘘つけ。明らかにビビってないし。さては、動揺するワタシを見て笑うつもりだなー」

 

 シツハは腰を落とし、探るような半眼で勝也を睨みつける。

 精一杯のフォローのつもりだった勝也は小さく肩をすくめた。やはり無理があったらしい。

 彼は視線を転じ、地下に続く闇の穴をじっと見つめた。腐ったコンクリートの匂いと、冷ややかな湿気が混じり合って漂ってくる。確かに彼女が腰を引くのも無理はない。

 勝也は肩に担いだ麻袋を背負い直すと、迷いのない足取りでその暗がりへと歩を進めた。

 

「……えっ、ちょっと、まさか本当に行くの?」

「涼みに行く。さっきの戦闘で汗をかいて、制服が肌に張り付いて不快なんだ。地下なら少しはマシだろう」

「何を言ってるの? あんなの、幽霊とか怪異とかの格好の住処じゃん」

「ちょうどいい。肝も冷えそうで絶好の避暑地だろ」

 

 勝也は階段の縁に足をかけ、振り返りもせずに言葉を投げた。

 

「涼みついでに菓子がないか探してくる。見つかったら晩メシのオヤツにでもしてくれ」

 

 シツハは口を開けて、闇に吸い込まれていく背中を眺めた。

 恐怖心をどこかに落としてきてしまったのではないか。そんな疑念すら抱かせるほど、躊躇なく死地のような階段を彼は下りていく。

 一人、瓦礫の山に取り残されたシツハの背筋に嫌な悪寒が走った。

 

「ちょ、ちょっと、待って! カッちゃん、ワ、ワタシを置いていかないでー」

 

 

 ひたひたと不気味な水音が地下に反響していた。

 懐中電灯の心細い光がカビの生えた壁をなめるように照らし出す。

 背後で、やけに威勢のいい声を上げる。

 

「ふーんだ……大したことないね、ここ……もっとおどろおどろしいのを期待してたんだけどなー」

「シツハ。右手に握りしめている物騒な獲物は何だ」

「なんのことかなー? 万が一、魔物がいたら大変だし……これはあくまで安全管理……そう、リスクヘッジってやつなんだよ」

 

 まくしたてるように語るシツハ。手にした銃器を震わせ、ぎこちない足取りが勝也の影を踏むほどの間近に張り付いていた。

 魔物の気配は皆無だ。それなのに、引き金に指をかけ、暗がりの隅々にまで銃口を向けて過剰な警戒を解こうとしない。

 どうやら、暗闇に落としてしまった度胸を、火薬の重みで必死に補おうとしているみたいだ。

 

「……ここ水気がすごくない? 足元なんて水たまりだらけだしさ。地下って意外と冷えるんだね。ワタシ、寒さでガタガタ震えてきちゃったよ」

「お前の震えは寒さのせいではないと思うが——確かに水量が多いな。水道管でも割れたか?」

 

 勝也は冷ややかに返しつつも、懐中電灯の光を足元へ落とした。

 瓦礫だらけの床を浸しているのは、泥の混じった汚水ではない。光を跳ね返すほどに透き通った、不自然なまでに清浄な水だ。

 勝也は訝しげに目を細め、その場に屈み込む。

 躊躇なく素手でその水を掬い上げた。

 

「ちょっと、カッちゃん。野良の水をそんな無防備に触っちゃダメだよ。もし変な菌でもいてお腹壊したら、今日の収穫が薬代に消えちゃう」

「変な匂いはしないな。ただの水だ」

「素人が判断しちゃうのは危ないって。野外の水は綺麗に見えても飲むなって散々言われたのに。なんでわざわざ触るかなぁ」

「お前の職業勘で飲み水かは分かるか?」

「いや、分かんないって。ワタシの勘は獲物を嗅ぎ分けるもので、水質の鑑定なんてそんな便利な機能ついてないし」

 

 シツハは呆れたように肩をすくめ、勝也の横顔を半眼で覗き込んだ。

 勝也は小言を聞き流し、暗闇に耳を澄ませる。

 一定のリズムで水面に落ちる音が響いていた。

 

「左の通路だ。あっちから水が流れてきている」

「たかが水たまりじゃない、どうしたのさ? わざわざ寄り道してまで調べるようなものではないと思うけど」

「気になることがあってな……もしかしたら、一攫千金が狙えるかもしれない」

「えっ、マジで? 金目のものがあるの?」

 

 シツハの表情が劇的に変わった。恐怖で強張っていた眉が跳ね上がり、瞳に輝きが宿る。

 

「ハズレの可能性も十分にある……けど、もし当たりなら、今日の収穫が全部かすむくらいの『何か』があるはずだ」

 

 勝也はそれだけ言い残すと、躊躇なく左側の通路へと足を踏み出した。

 残されたシツハは暗い背後に視線を走らせて身震いしたが、すぐに「一攫千金」という甘い響きに背中を押されるように駆け出した。

 

 

 不気味な静寂が支配していた地下通路の突き当たりに、それはあった。

 懐中電灯の光など必要ないほどに、その空間は淡く、透き通った青い光に満たされている。

 無造作に突き出した岩肌の表面から、光を含んだ雫が絶え間なく零れ落ち、静かな水音を奏でていた。

 

「見てよ、カッちゃん! これ、間違いなく——なんか分からないけどスゴい何かだよ!」

「何かじゃなくて龍脈石だ。お前とよく喋る友人の会話で嫌と言うほど耳に入ってくるだろうが」

 

 勝也は喉元まで出かかった不満を、龍脈石の輝きと共に飲み込む。

 先ほどまでの興奮が嘘のように、シツハは動きを止める。

 青い燐光を反射する瞳が、わずかに細められた。

 

「この龍脈石って水属性だよね?」

「専門家じゃないから断言はできないが、この周囲を満たしている水の清浄さを見る限り、その確率は高いだろうな」

「……水属性の魔物なんて、道中にいたっけ? 最新の話だと、龍脈石は属性に沿った魔物を呼び寄せる苗床になるって聞いたんだけど——」

 

 ピチャリ、と。

 奥の暗闇より水たまりを撥ねる音が響いた。

 勝也の表情から温度が消える。

 抜刀の動作すら見せず、刀の柄を力強く、確かな意思で握りしめていた。

 

「……お前の勘は、なんて言ってる」

「誰もいない。勘の判定は完全なシロだよ」

 

 シツハもまた、その手に握られた銃の銃口を一切の迷いなく闇の深淵へと向けた。乾いた金属音だけが鮮明に反響する。

 その横顔には、先ほどまでの無邪気さは微塵も残っていない。

 

「……本格的にお前の勘が正しいのか、疑わしくなってきたな」

「ひどいなー。ワタシの自慢の生命線だよ? もしかすると、ただ天井から雫が落ちただけの空耳かもよ」

「なら、アレは何だ」

 

 勝也の視線の先、通路の曲がり角。

 そこだけが異質に氷面へと変貌していた。

 立ち上る冷気が青い光に照らされている。

 

「曲がり角に潜んだ誰かさんが、ワタシたちに不意打ちをかまそうと準備してる……そんなところかな」

「状況分析、ありがとう」

 

 勝也は抜き放たれる瞬間を待つ刃に指をかける。

 最悪の想定が脳裏をかすめた。前を見据えたまま、背後の相棒へ低く声を突き放す。

 

「手に負えないと判断したら俺を置いて即座に逃げろ」

「隠形の敵が初めてだからって、弱気になっちゃダメだよ」

 

 震えを見せない指先で引き金に触れた。

 冗談めかした口調とは裏腹に、視線は一瞬たりとも角の氷から離れない。

 一秒後。

 彼女の勘が脳内に警報を叩きつけた。

 シツハは驚愕に目を見開き、弾かれたように真後ろを振り返る。

 

「……ッ、後ろ!? 背後から急にデカい反応がきた!!」

「グォォォオオオオオオッ!!」

 

 獣のごとき濁った呻き声が鼓膜を震わす。

 同時に、前方の曲がり角から重苦しい音が響く。

 氷の表面に赤色の滴がこぼれ落ちた。

 

「げほっ、げほっ……げほっ」

 

 青色のフードを深く被った「誰か」が、崩れ落ちるように岩壁を掴む。

 肩を激しく上下させ、暗い足元に吐血を撒き散らしている。

 静寂の地下が一瞬にして混沌の渦へと変わった。

 

「いやいや、待って、なにごと!? こんな展開、ワタシの予想には入ってないよ!」

「落ち着け、シツハ……前方のフードは放置して後方の敵に意識しろ」

 

 眼前の曲がり角に一瞥もくれず、背後の闇へと意識を研ぎ澄ませる。

 シツハもまた、弾かれたように銃身を翻す。

 暗闇より地が響く。

 ——現れたのは、鈍い鉛色の光沢を放つ巨躯。金属同士が軋み合うような不快な轟音を鳴らす。

 肩には不自然な氷の塊が深く食い込んでいた。

 傷跡のように削られた腹部では紋様が蠢めく。

 

「さしずめ『メタルオーガ』といったところか……鉄分過多で、随分と寝つきが悪そうじゃないか」

 

 勝也は軽口を叩く。

 それが、開戦の合図だった。

 シツハの指が淀みなく引き金を引く。

 メタルオーガの胸板に吸い込まれる放たれた数発の弾丸。鈍い火花を散らす。

 

「うっわ、硬い! 見た目通りにゴブリンとは桁違いだよ!」

「——そうみたいだな」

 

 返答を待たず、勝也の姿はすでに残像と化していた。

 メタルオーガが勝也を明確な敵と断定する。

 丸太のような右腕を振り下ろす。

 空気を切り裂く風圧。

 勝也は紙一重の回避でその一撃をいなした。

 標的を失った拳が地面を叩き、蜘蛛の巣状の亀裂を走らす。

 並の人間ならその余波だけで立ちすくむ光景。

 だが、勝也の瞳に揺らぎはない。

 流れるような動作で、その鋼の脇腹を一閃する。

 火花と共に耳を刺す金属音。

 

「過去最高に硬いな。だが、」

 

 さらなる重厚な追撃を繰り出す鉄の拳。

 勝也は深追いせず、地を蹴って軽やかに後方へ。

 物理法則を無視したような身軽さでシツハの隣まで後退する。

 刀を正眼に構え直した。

 

「防御特化で鈍重だ。奥の手を使えば処理に手間はかからない」

「ワタシが派手にブチ抜いてもいいけど?」

「却下だ。お前のは地下向きじゃない。ここが崩落したら心中だぞ」

「ちぇー、残念。出番なしかなぁ」

 

 シツハが唇を尖らせた、その時。

 か細い少女の声が暗がりに漏れた。

 

「げほっ、げほっ……やめて……あれに……対策なしで、挑んでは……だめ……っ」

 

 目を向ければ、青いフードがいた。

 腹部からは、メタルオーガの傷跡とは質の違う、鮮烈な血が滲み出している。

 二人は一瞬だけ視線を交わし、眼前の光景を天秤にかける。

 

「……どこの誰だかは分からないけど。親切な忠告、一応受け取っておく?」

 

 引き金に指をかけたまま、シツハは訝しげに問いかける。

 勝也は無言で刀の柄を握り直した。

 

「俺に万が一が起きたら、状況次第で俺ごとオーガを焼け」

「いやいや、流石にそんなことできないって。後味が悪すぎて晩ご飯が不味くなるでしょ」

「冗談だ。真に受けるな」

「カッちゃんの冗談はマジに聞こえるから、心臓に悪いよ」

「そもそも、アレが俺たち三人を素直に逃がしてくれると思うか?」

 

 ひび割れた床からメタルオーガは引き抜く。

 そのまま流れるような動作で、振りかぶった。

 次の瞬間。

 巨大な瓦礫の礫が解き放たれる。

 真空の尾を引きながら空気を切り裂く。

 弾丸のごとき速度で、回避の猶予を一切許さぬ、無慈悲な破壊の宣告だった。

 

「おっと、危ない——って、ええ!?」

 

 シツハは反射的に横へと跳ぶ。

 だが、勝也の選択は異なっていた。

 迫り来る死の軌道を冷静に見極め、紙一重の踏み込みでフードの少女をその腕の中へと掻き込む。

 

「えっ……」

 

 フードの少女から漏れた驚愕の吐息。

 腕に伝わる少女特有の華奢な感触。

 今は不純物として意識の外へ放り出す。

 空気を切り裂く衝撃波を背中に浴びながら、最短の歩法で曲がり角の死角へと滑り込む。

 

「大人しく角に隠れていろ。勝手に死なれたらメシが不味くなる」

 

 背後で粉砕される爆音を置き去りにした。

 勝也の静かな声だけが少女の耳に届く。

 闇の中へ遠ざかる背中に向けて、少女は震える手を伸ばす。

 

「だ、め……ほんとうに……アレ、は……」

 

 警告は誰に届くこともなかった。

 腹部からせり上がる鈍い苦痛に、少女の意識は再び混濁する。

 そんな彼女をよそに、二人は言葉を交わしていた。

 

「カッちゃん。ワタシの言葉をパクんな」

「微妙な被りぐらい許せよ」

 

 軽妙なやり取りは、一瞬で切り替わる。

 勝也は地を蹴り、鋼の怪物を見据えて疾走した。

 メタルオーガが巨躯を揺らす。

 迎撃の体勢に入ろうとした刹那。

 銃口を構えたシツハが楽しげに歌う。

 

「鬼さん、こっち向いてよ。ハイ、チーズ」

 

 放たれたのは、網膜を灼くような正確無比な一点射。

 眼球を狙った弾丸の軌道に、メタルオーガは苦渋の形相でその剛腕を盾にした。

 シツハが強引にこじ開けた、コンマ数秒の隙。

 その一瞬を逃さず、勝也は懐へと肉薄する。

 メタルオーガは鼻先まで迫った獲物を見据え、憎悪を込めた瞳で睨みつけた。

 だが、もう遅い。

 勝也の唇から、零れ落ちる。

 

「『斬鉄』」

 

 全身から、光が溢れ出した。

 奔流となって刀身を包み込み、鈍い銀光を鋭い白光へと変貌させる。

 メタルオーガの巨腕を真っ向から迎え撃つように、一閃を振り下ろした。

 抵抗はない。

 刀身は鋼の皮膚を、骨を、筋肉を容易く通り抜けた。

 重苦しい質量が地に落ちる音。

 噴き上がる赤黒い血潮が、地下空間を無残に染め上げる。

 ——彼は右腕を失った。

 その鮮やかな仕事に、シツハは会心の笑みを浮かべて声を弾ませる。

 

「流石、ナイスだよ、カッち——」

 

 賞賛の言葉が乾いた金属音によって遮られる。

 力なく床を跳ねたのは、刀だった。

 

「……っ。目算を誤ったか」

 

 だらりと力なく垂れ下がった勝也の右腕。その肌を赤黒い紋様が急速に塗り潰す。

 同時に、切り落とされた鉄の右腕にも同じ紋様が描かれていく。

 ——それらは、戦闘前からメタルオーガの腹部で蠢めく紋様と酷似していた。

 勝也は右腕に広がる激痛を噛み殺す。

 苦々しい表情で吐き捨てる。

 

「脳筋なオーガのくせに、呪いの反撃まで仕込んでいたとは……なかなか小賢しいじゃないか」

「グォォォォオオオオオオッ!!!!」

 

 メタルオーガは残された左腕で怒りのまま叩きつけた。

 勝也の額から流れる一筋の汗。

 先ほどまでの俊敏な動きは明らかに精彩が欠けていた。

 鋼の拳が額に掠め、鮮血を散らす。

 混乱をねじ伏せながら、シツハが叫びと共に駆け寄る。

 

「カッちゃん、大丈夫!?」

「かすり傷だ。安心しろ」

「……見るに堪えない右腕をぶら下げて、よくそんな台詞が吐けるね?」

 

 シツハの声から、いつもの軽薄な響きが消え失せる。

 勝也の側へと滑り込んだ彼女は、その視線をメタルオーガから一瞬たりとも外さない。

 

「ワタシの奥の手で吹き飛ばす」

「やめろ。お前まで二の舞を演じるつもりか」

「じゃあ、どうするの? この状況、ワタシ一人でカッちゃんを守り切れるほど甘くないよ」

 

 勝也は額の流血を無造作に拭う。

 残された左手で、転がった刀を引き寄せた。

 

「俺が囮になる。お前はその隙に、あのフードの女を連れてここを脱出しろ」

「その意見、全面的に却下で」

「あの女の忠告を汲み取れなかったのは、俺の落ち度だ……責任は俺が取る」

「この期に及んで、敵か味方かも分からない奴を助けろって言うの? カッちゃん、優先順位を履き違えてるよ」

 

 シツハの鋭い視線が勝也を貫く。

 そして、勝也は言葉を返した。

 

「——俺に、見捨てろと? 我が身を犠牲にしてでも、明らかな善意で忠告をくれたヤツを」

 

 感情の起伏を排した、地を這うような平坦な声。

 慈悲や正義感といった温かさではない。

 鉄の規律のような異様な姿に、シツハは思わず、後ろにたじろいだ。

 ——凛と張り詰めた音色が静寂を震わす。

 

「"水よ。結びの理を纏いて集え"」

「……っ、えっ!?」

 

 シツハが素っ頓狂な声を上げる。

 ひび割れた壁の隙間から、足元から青い燐光が溢れ出していた。

 無数の光の粒は龍脈石へと集約していく。

 否——龍脈石を中継して、フードの少女へと流れ込んでいた。

 パリッと、凍土のように大気が爆ぜる。

 

「"(いしずえ)に刻むは封印の証。何人たりとも逃れられぬ開かずの間"」

 

 メタルオーガの瞳に、明らかな焦燥の色が走った。

 眼前の二人を無視し、死に体のはずだった少女を抹殺せんと、その巨躯を翻して猛進する。

 

「なんだ……これは?」

 

 溢れ出した水が瞬時に冷気へと変換される。

 地下世界が白銀に塗り潰されていく。

 少女は、血の気の失せた唇を微かに動かした。

 

「二度目の封印(ねむり)につきなさい、〈氷結封印魔法(フロスハビュラ)〉」

「グォォォォオオオオオオッ!?」

 

 メタルオーガが絶叫する。

 足元はすでに氷に囚われ、逃れる術はない。

 最期の足掻きとして瓦礫を投げつけようとする。

 ——ガチンッ。

 冷徹な氷結音が響き渡り、鋼の魔物は憤怒を浮かべたまま、永遠の静止へと封じ込められた。

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