沈みゆく終末の箱庭で、魔法使いと出会う   作:猿だモN

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拠点

 日が照らす蒼穹の下、二つの足音が渇く。

 降り積もった瓦礫が突き出し、灰色の山脈となって、行く手を阻んでいた。人々を運んだ平坦な舗装路は、今や見る影もない。

 頂に立った勝也が、左手を差し出す。

 

「掴まってくれ」

「……ありがとうございます」

 

 差し出された無骨な掌を、アリナが掴む。

 そのまま引き上げられ、勝也と同じ高さまで瓦礫をよじ登る。

 深く被ったフードの奥から、アリナの視線が勝也の右腕へ向けられる。申し訳なさと呆れが入り混じった複雑なものだ。

 

「一人でも登れますから……片手しかない貴方が、気を遣う必要なんてありません」

「気にするな。じっとしてる方が、むしろ落ち着かないんだ」

 

 勝也はぎこちない笑みを浮かべる。

 

「あと女の子の手を握れるんだ。役得だろ」

「その割には、あまり嬉しそうに見えませんが」

「……そうか」

 

 少年の気遣いは、呆気なく粉砕された。

 アリナが一段下の瓦礫へ飛び降りる。

 歩みを止めて振り返った。

 

「そこで立ち止まって、どうしました?」

「ああ。今すぐ行く」

 

 勝也は慌てて、彼女を追った。

 それきり、会話の糸が途切れる。

 フードの下でアリナが何を思っているのか、勝也にはまるで見当もつかない。

 重苦しい沈黙があった。

 シツハがいれば、適当な茶化しで空気を溶かしていただろう。

 勝也は己の口下手さを呪う。今はいない相棒の明るさを思い出す。

 アリナの足が、止まった。

 

「……すみません」

「どうした?」

 

 彼女の肩の強張りがあった。歩き続けて疲れたのかもしれない。

 勝也は無意識に身構えた。

 

「もしかして……先ほどの『女の子』云々という言葉は、場を和ませるための冗談だったのですか?」

「……気にしなくていいんだ」

「申し訳ありませんでした。あのような場面では、私も、その……愛想よく笑うべきでした」

 

 勝也は少し、惨めになった。

 アリナの表情も陰る。

 

「……もうすぐ着くはずだ」

「……はい。そうですね」

 

 沈黙した二人は瓦礫の山を降りる。

 不意に、微かな足音。

 勝也がアリナの腕を掴み、突き出したコンクリートの影に引き込んだ。

 視線の先、十数体のゴブリンが、棍棒を振り回しながら徘徊している。

 

「ここで待ってろ。俺が片付けてくる」

「いいえ、ここは私が……貴方は大人しくしていてください。右腕の自由も利かず、万全とは程遠い身でしょう」

「いや、待て。あの程度なら片手でも余裕だ……なんなら、鈍まった身体のウォーミングアップにちょうどいい」

「駄目です。先ほどの失態を含め、私に挽回の機会を」

「それを言うなら、俺だって同じだ」

 

 譲らぬ二人の議論は次第に熱を帯びていく。

 戦場の警戒心すら、かき消されていた。

 一匹のゴブリンが迫ってくる。

 二人は、気づいてない。

 ——鼓膜を叩き割る連射音が反響した。

 

「今のは!? 何が起きて……っ!?」

 

 アリナが肩を跳ね、周囲を見渡す。

 ゴブリンの群れは一瞬にして静まり返っていた。傷口から紫煙を上げた肉体は、見る間に崩れ、魔石へと姿を変えていく。

 

「シツハがやったか」

 

 勝也の視線を追って、アリナも頭上を見上げた。

 最上階が崩れ、中層階が剥き出しになったマンション。その歪な屋上の縁で、シツハを手を振っている。

 

「一匹残らず、倒されてしまいましたね」

「ああ……そうだな」

 

 自分を挽回するはずだった絶好の標的。

 それを横から奪い去られた二人の間には、安堵よりも、言いようのない虚脱感が漂っていた。

 

「ところで……シツハさんのいる建物が、貴方たちの拠点なのですか?」

「正確には支部だが、実質的な寝床だと思ってくれていい」

「……あれは、一体何のご利益がある儀式なのですか?」

 

 アリナが怪訝そうに指し示した先。

 勝也が仰ぎ見ると、表情が凍りついた。

 マンションの屋上から、不自然なほど鮮やかなピンクの垂れ幕が、風に煽られて躍っている。

 

『ここは愛と勇気の物件。ラブリーでチャーミングな子どもたちを護る巣。スポンサーは黒町組よーん♡』

 

 毒々しいまでの文言を黙読したアリナが、一切の感情を排した真顔で踵を返した。

 

「……帰ってもよろしいでしょうか」

「落ち着くんだ! 事情があるんだ、実害はないから!」

 

 今までにない必死さで、勝也はアリナの前に回り込み、大きく手を広げて制した。

 

「頼む。中は至って普通の、殺風景な部屋なんだ。変な勧誘もなければ、ピンク色の内装でもない。信じてくれ」

「ですが、あそこに掲げられた名は貴方のものでは?」

「あれは、大家さんの職業スキルなんだ。本当に真面目な防衛機能なんだ。ただ、発動条件にあのふざけた文言を掲げる必要があるだけで……いや、絶対に大家さんの気まぐれなんだが」

 

 アリナは眉を潜めて、垂れ幕を凝視した。

 

「職業に、スキル……意味は計りかねますが……確かに、あの布地から魔力を立ち昇っていますね」

「魔力を? よくわかるな。俺達にはただの布切れにしか見えなかったが」

「……本当は信じきれていないのでは?」

「それ以上は言わないでくれ」

 

 居心地の悪い空気が流れかけた。

 それはすぐに別の喧騒によって塗り潰される。

 

「かーつーやーくぅーーん!!」

 

 ひっくり返ったような大声が耳を打った。

 肩を上下させ、こちらへ走ってくる。

 線が細く、見るからに気弱そうな面持ちの少年だ。

 

「春斗じゃないか。どうした、そんなに息を切らして——」

「はあ、はあ……勝也くん……僕は、来たよ!!」

 

 少年の瞳が、使命感に燃え盛っている。

 

「丸井咲さんが言ってたんだ! 勝也くんが魔物に襲われてるって……それを聞いて、いても立ってもいられなくて!」

「そ、そうか。お疲れさま」

「彼女が、噂のアリナさん?」

「えっ、ええ、まあ……」

 

 春斗は虚空を掴むと、そこからモーニングスターを引きずり出す。

 勝也たちの前に立ちはだかり、膝を震わせながらも、武器を構えた。

 

「かかってこい、魔物ども! 二人の髪の毛一本、指先一つ、絶対に触れさせないぞ……ッ!」

「は、春斗。待て、周囲をよく見るんだ」

「勝也くん、見てて。僕は震えてないよ——ううん、大嘘だ。本当は、心臓が口から出そうなくらい怖い。戦闘職の勝也くんや丸井咲さんと違って、僕には戦うための才能なんてこれっぽっちもない、ただの弱虫だから。ゴブリンを前にするだけで足が竦むんだ。だけど、僕は決めたんだ。この震えを、勇気に変えてみせるって」

「あの、すみませんが、私の話を——」

「大丈夫、アリナさん! 君は二人の大切な友人だ。僕が命懸けで守る! 勝也くん、君の右腕が不自由な今、僕自身が君の右腕になるんだ!!」

「は、春斗……」

 

 泥臭くも純粋な献身に、勝也の胸の奥が熱く、そして気まずく疼いた。

 だが、アリナは熱病に浮かされた雰囲気に呑まれることなく、冷静に事実を突きつける。

 

「件の魔物たちは、先ほどシツハさんによって一掃されました」

「……え? え、えっ!? どういうこと? もしかして、もう終わっちゃったの?」

「ご覧の通り。足元に転がっているのは、その残骸です」

 

 ゴブリンの成れの果て、無機質な魔石が点々と転がっている。

 恐る恐る、春斗は魔石を拾い上げた。

 

「もしかして……僕、出遅れた?」

「……残念ながら、そうなってしまうな」

「そんなーー!? 僕が振り絞ったなけなしの勇気が! 行き場を失って迷子になっちゃったじゃないかーー!!」

 

 春斗の肩が、目に見えて落ちる。

 

「……悪いが、中までの案内を頼めるか。三日も寝込んでいたせいか、少し歩いただけで疲れてるんだ」

「えっ……! うん、それくらいなら僕に任せてよ」

 

 少年の顔に、明るさが戻った。

 アリナは隣で、黙って勝也の横顔を盗み見る。藍眼を一度だけ細め、くすりと笑う。

 

「でも、本当によかったよ。思ったよりも勝也くんがシャンとしてて。咲さんから話を聞いたときは、もう、気が気じゃなかったんだから」

「……シツハから何を聞いたんだ?」

「『大変なの! カッちゃんが虫の息で、もう三途の川の渡し賃を払うところだよ。今すぐ最高級の、果汁が滴るようなフルーツをたっぷり持ってきて。あ、お見舞いだからすっごく高いやつね!』……みたいなことを、涙ながらに言ってたから」

 

 勝也の頬が引きつった。ここ数日、枕元に果物どころか、その皮一つ届いた形跡はない。

 

「お前。それをあいつに渡したのか?」

「ううん。大家さんが笑顔で『自分の方で用意しておくから大丈夫よ』って言ってくれたから、僕は何もできなかったよ」

「見舞いの話はどうなったのですか?」

「大家さんと丸井咲さんで完結させたみたい。なんだか僕だけ仲間外れにされた気分だったけど……そういえば丸井咲さん、大家さんと話し込んだ後、魂が抜けたみたいに疲れ切ってたなあ」

 

 アリナの瞳に怜悧な光が宿る。

 

「どうやら、未遂に終わったようですね」

「あの野郎……」

「うん? 二人とも、さっきから何の話をしてるの?」

 

 春斗は不思議そうに首を傾げた。

 どかされた瓦礫の山の間にできた道を歩いていると、マンションの入り口が見えてきた。

 

「ちょっと待ってて。今、開けるから」

 

 言い終えるより早く春斗は駆け出し、扉の傍らにある操作盤の前に立つ。

 ポケットから取り出した鍵をねじ込んで回す。

 鉄格子の門が音を立てて開いていく。

 

「開いたよ。さあ、中へ入って」

 

 誘われるままに、アリナがエントランスへ足を踏み入れた。

 ホールの隅々まで、首を巡らせる。

 

「……思ったよりも、普通の内装ですね」

「言っただろ。あの垂れ幕だけが変わってるだけで、一皮剥けば平凡な集合住宅さ」

「今のところは、そう認めておきましょう」

 

 タイルの継ぎ目や天井の隅を、アリナは興味深そうに眺めてる。

 そんな彼女を先導するように、春斗が階段室の重い扉へと手をかけた。

 

「こっちだよ。エレベーターは動かないから、不便だけど足を使って登るんだ」

 

 アリナが小首を傾げた。

 その反応に気づいた勝也の足を止まる。

 

「どうした。どこか具合でも悪いか?」

「いえ、その……エレベーターとは何ですか?」

「えっ? エレベーターといえばエレベーターだよ。って、勝也くん!?」

「簡単に言えば、人を乗せて上下の階に動く箱。あそこにある扉が、その入り口だ」

 

 アリナがエレベーターへ歩み寄り、冷たい金属に指先を触れた。

 

「……この装置、本当に動かないのですか?」

「ああ。大家さん曰く、スキルの対象外だそうだ。今はただの鉄の塊だよ」

 

 先ほどまでとは異なる——観察者の目つきで、アリナは玄関ホール全体を見渡す。

 一通りの検分を終えると、その視線をまっすぐに勝也へと向けた。

 

「一つ、確認を……大家という人物は信用に値する方なのですか?」

「ちょっと、アリナさん、急に何を……あの優しくて……いや、かなり個性的だけど、いい人の大家さんを疑うなんて」

 

 春斗がうろたえる横で、勝也は揺るぎない声で応じた。

 

「俺は信じてる。裏から俺たちを刺すような真似はしない。それは断言できる」

「……黒町さんがそう仰るのなら、信じましょう」

 

 エレベーターの扉から、アリナの指が離れた。

 勝也の耳元で、春斗が密かに囁く。

 

「ねえ、勝也くん。アリナさんって、もしかしてエレベーターとか文明の利器が一切ない、すごく遠い秘境の出身だったりするのかな?」

「……詮索するつもりはない」

「なら、僕も聞かないでおくよ」

「二人とも、そこで何を話しているのですか?」

「あ、ごめん。今行くよ」

 

 階段室の入口で待つアリナを、二人が追う。

 一行は階段を登り始めた。

 アリナが頭上の蛍光灯を見上げる。

 

「この照明は便利ですね。隅々まで均一に光が行き届いて、暗闇でぶつからずにすみます」

「そういえば、地下駐車場に居を構えていたな」

「ええ。龍脈石の灯りがありましたが、いかんせん配置に偏りがあり、光のムラが激しいのが難点でしたから」

「へっ? 龍脈石? 高価に取引されてる、あの貴重な資源のこと?」

「シツハから聞いてないのか」

「僕、本当に何も聞いていないよ」

 

 春斗の肩が目に見えて落ちた。

 状況説明を丸投げしたのではないかと、勝也はシツハに疑い始める。

 二階の踊り場に辿り着く。

 ドアノブを回すと、私室の扉が並ぶ廊下が見えた。

 

「ここが僕たちの生活スペースだよ。アリナさんの部屋は用意できてないから、不便をかけるかもしれないけど」

「いえ、構いません。不慮の事態が起きた際、同じ屋根の下に貴方たちがいると助かりますから」

「アリナ……お前が言うと、その不慮の事態が笑えないほど現実味を帯びて聞こえるんだが」

 

 勝也の脳裏に、血濡れた彼女の姿がフラッシュバックした。

 眉間に深い皺が刻まれる。

 春斗が顔を覗き込んできた。

 

「勝也くん、急に怖い顔をしてどうしたんだい?」

「……いや。生々しい血の手形がついたペットボトルが転がってきたのを思い出してな」

「そんなこともありましたね」

「なにそれ、怖いよ!? 夜にトイレに行けなくなるじゃないか!」

「過ぎた話なので、怖がらないでください」

 

 アリナが笑う。

 日差しが届かぬ廊下の隅、彼女の顔は薄暗い。

 落ち着かない春斗が勝也の袖を引く。

 

「いやいや、話の流れからすると血の手形はアリナさんだよね!? ここ数日の話なのに、なんで本人は落ち着いてるのさ!」

「後遺症はもう残ってないんだったな」

「はい。この通りに跡形もなく——」

「わあああ! 待って! ストップ! 女の子がそんな簡単に肌を見せちゃダメだよ!!」

 

 自らの服をめくろうとするアリナを、裏返った悲鳴を上げた春斗が静止する。

 その拒絶に、アリナの動きが固まった。

 三人の間に無音が満ちる。

 じりっ。

 足音を鳴らして、アリナが後退りした。

 白い頬に赤い熱が帯びる。

 視線が、勝也から逸れた。

 

「……えっと、その……申し訳ありません。失念していました。確かに、はしたない行為でした」

「……悪い。俺も止めるべきだった」

「ちょっと! 二人とも、今の空気は何!? 僕が知らぬ間に何があったっていうのさ!」

「初々しくて可愛いなあ、二人とも。いっそこのまま抱き合っちゃいなよ。全力で応援しちゃうぞー」

 

 場の困惑を楽しむように、廊下の奥から陽気な声が響く。

 

「この声は——」

 

 勝也が視線を投げた先。

 首元で黒髪を跳ねさせた少女が歩いてくる。

 茶目っ気たっぷりの笑みを昼の光が照らしていた。

 

「シツハさん……誤解を招くような言動はやめてください」

「えー? だって二人とも、同じベッドで寝たじゃん」

「あ、あわわわっ!」

 

 アリナと勝也を交互に見つめ、春斗は何かを想像したのか、瞬時に両手で顔を覆う。

 勝也はあきれ果てたように天を仰いだ。

 

「わざと誤解させる言葉を選んでいるだろ」

「あはは、バレちゃった? ちょっとからかいすぎちゃったかな」

「び、びっくりした。丸井咲さん、心臓に悪いよ」

「いやー。本気になっちゃうから面白いし」

 

 シツハの口から漏れた笑い声だけが、やけに長く廊下に残っていた。

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