☽000☾
いつもどおりの職場の昼下がり、事務から来たメールには、どうやらウチの研究所が国立宇宙開発機構の月面探査共同研究者リストにノミネートされたらしいことがつらつらと記されていた。
私が情報工学専攻とはいえ、ロボティクスもかじってるので、それ目当てなのかもしれない。
民用での製品化はできておらずとも動くアバターボディの作製は成功してるしね。
宇宙は過酷で、2040年代に入った今でも有人探査は夢のまた夢。
100キロの生命維持装置を着せた人間を飛ばすより、100キロのロボットを飛ばす方が人間分軽くなるから、有限の
なおかつ、それが人と遜色ない動きができるならば。
まぁ、精密機器は宇宙線を浴びると焼けちゃうから、そのままアバターボディを月にもっていっても、ものの数分でチタンの置物ができるだけなんだけど。
ましてや、今までに作った試作機は化学式、-170度に置けばものの数秒で輸液が凍って使い物にならなくなるだろう。
「月かー」
一人ぼっちの所長室の珈琲の香りに独り言が溶けていった。
月。
地球の子供、その小さくて大きなお隣さんは潮の満ち引きなど地球に絶大な影響を与え、詩に絵に物語、そして歴史にいつも登場した。
私にとってはかぐやの故郷だ。
私の歌を聞いて奮起し、今も仕事を果たし地球に戻るため必死に働いているあの夏のかぐやがまだそこに居る。
仮に共同研究に参画するなら、割り当てられるペイロードは約1トン。
中型の人工衛星なら1機分。
実際は月からの離脱分のロケットやその他でロボットなんか入れるスペースなんて100キロもないだろう。
一面の灰色の荒野。
ヒトとは違う視野を持つかぐやならどう見えるんだろう。
☽001☾
毎夜の語らい。
お風呂も食事も終わらせて、デカフェのハーブティーでも飲みながら、かぐやと二人でとりとめもない話をするいつもの日常。
ソファーに座る私と、ローテーブル越しにクッションを抱えながら、はにかむかぐや。
普段は、ただこの時間がずっと続けばいいと願うこの場面ですら、頭の中には昼に脳裏によぎった月の荒野が、どこか歯車細工の中に入った小石のように引っかかる。
「でさぁ―――」
「ねえ、かぐや」
「ん? なに?」
ああ、つい止めてしまった。
「月ってどんなところだったの?」
私は知ってる。
私が知っていることも、かぐやは知ってる。
8000年の中の小さな独白。
止まった水槽の中で巨大な時計の小さな小さな歯車の一つのように動く人生。
かぐやがうんざりして逃げてきた、停滞と停止、そして諦観の世界。
「えー? あんなつまんないところ、もう忘れちゃったー☆」
私の様子のおかしさに、かぐやが冗談めかしてごまかした。
「あのね」
「うん?」
「もしも月に行けるって、私が言ったらどうする?」
今回のロケットでは有人探査なんて不可能だ。
割り当てペイロードだけではない、そもそも全部使えたって無理。
でも、私たちにはツクヨミがある。
たとえ2秒前の月*1だって、スキャナーを使ってリアルタイム再構成したツクヨミ内でならそこに居るのと一緒だ。
「月かぁ……」
私の唐突な話に目をしばたたせたかぐやはそのまま数秒考え込んだ。
「彩葉は行きたいの?」
「わかんない」
「わかんないか~」
かぐやは中空を眺めるように視線をずらしてしゃべりだした。
「……
どこかシニカルに笑って話を続けた。
いつもはそんな顔しないじゃん……。
「人が火を手に入れて文明を熾したように、
口を潤したかぐやは、そのままティーカップを両手で握りしめた。
月には無い熱を逃さぬように。
「初めから何にも触れない
誰も歳を取らず、誰も本気で争わず、ゆえに誰も死なない、そんな月の停滞は「終わり」というものを月人から奪った。
『終わり』が無ければただ進むしかない、自己の無い歯車たちが解かれた完璧な方程式どおりにただ回る世界。
ヤチヨの8000年を知った私もかぐやの独白の中でしか知らない、あの夏の前の話。
「触れられない
ね、つまんないでしょ? なんて言って笑うかぐや。
黙り込む私を見かねてか、向かいに居たかぐやが、急にローテーブルを回り込んでドスンと私の左横に腰を下ろした。
「彩葉がどうしても行きたいーー! っていうならかぐやちゃん一肌脱いじゃうけど、でも迷ってるなら」
そこで言葉を切ったかぐやは、私にもたれかかりながら自身の右手を私の左手を重ねて指を絡ませる。
「ほら、暖かい
かぐやの顔を見れなかった私はそのままつながれた左手を見つめる。
手のひらから感じる体温と湿り気。
かぐやのこわばりを感じる。
「ねえ、かぐや」
「なぁに?」
どこか鼻を抜けたように甘えた声で言ったかぐやはそのまま私の肩に頭を預ける。
どんな決断だろうと私に任せると言いたげに。
結んだ手を放した。
愛おしいぬくもりが離れていくのを、名残惜しく指で追おうとするのを根性で止める。
―――立ち上がったやつが全部やるんや。やりたないなら相手が立つまで座っとき。
だよね? お母さん。
「私やっぱり月に行くよ」
かぐやの重みから抜け出して、立ち上がってそう宣言した。
例えかぐやの言うとおり何もなかったとしても、それを自分の目で見て判断するまで。
ここであきらめて、暖かなゆりかごの中でいるのは、なんというか違うと思った。
「でもさ、一人で行くのは怖いから、ついてきてくれる?」
「しかたないな~彩葉は~、かぐやが居ないと何もできないんだからな~」
星空のようにキラキラと輝く瞳を見つめて聞くと、それを細めてクスクスと笑う。
「うん、いいよ」
私のお姫様はそう言った。
☽002☾
エラー、エラー、エラー。
あれから数日を経て、私は自室のPCでエミュレートを何回も走らせていた。
ツクヨミを用いての疑似月面リンクのためには、通信遅延をなるべく削らなくては。
飛ばした電波をキャッチするには着陸位置が最重要だ、つまりなるべく月の表側でかつ中心に近い、地球に近い場所で平原でなければならない。
通信に反射を要する月の裏側など問題外だ。
雲の海、神酒の海や静かの海……雨の海でもいい、どこかの海に安定して降りるためには……。
月の平原には海の名が付く。
まだ産まれていない電子の海にだけ存在する私の小舟は、月の大海にたどり着く前に嵐に揉まれそのまま裏側の影へと難破していった。
煌々と光るパソコンのディスプレイのほかに、ARで表示していたエミュレートログともにらめっこしていたせいで疲れた私は、ほのかに熱を帯びたスマコンをケースにしまい、目頭を揉んだ。
着陸が変数で簡単に変わる……全く安定しない……。
まるで大嵐の中でまっすぐ紙飛行機を飛ばそうとする気分だ。
「彩葉! 遊ぼ!」
そんな私の徒労感をよそに、扉がノックも無しに開かれて、何やら蛍光色のビロビロを両手に持ったかぐやが突撃してきた。
なんだアレ……サワーペーパーの包み紙? 捨てなよ……。
「これなに? 真っ赤っか!」
背後に回ったかぐやは当たり前のようにパソコンの画面を覗き込んでくる。
おい、さっきまで手に持ってたゴミはどうした。
お風呂上りなのか、ほのかにシャンプーが香った。
ローズとオレンジと……後なんだっけ。
「ちかいって」
「あぁん」
もたれかかってきてうっとしかったかぐやを肘で押しのけて、それから説明した。
「これは月面着陸用のロボット入りのパッケージの着陸エミュ、何度微調整しても全くうまくいかなくてさ、こいつはそのまま裏側まで落っこちて通信断絶したログ」
「はえ~」
わかってんのかこいつ。
「ふーん、ふんふん、ん? うーん……?」
私の手からマウスを奪ったかぐやがログを流し見してると、最初は感心した風だったのに、途中からなんだか変な顔になった。
まるであんこだと思って齧ったおやきが野沢菜だった時みたいな。
しばらく唸った後に、唐突にこちらを見て口を開いた。
「彩葉、もと光る竹ってまだ家にある?」
「なに急に、もうないよ?」
富士山で掘り出したもう一機のもと光る竹。
しれっと家に持ち帰って中に残っていたちょうど一人分のナノマシンを使ってかぐやを復活させた後、研究所から成果物として提出したのだ。
富士山は史跡扱いであるため、ただ掘るだけでもお役所の許可だの学術的調査だのが必要だ。
私はかぐやのエコーの結果から非破壊検査による報告書をでっちあげて、富士山に世紀末に正倉院から盗まれたタケノコと同型の地下埋蔵物をなぜか発見したという証拠ってことにして、何とか山頂の信仰遺跡群の掘削許可をもぎ取ったのだ。
ゆえに私にとっての役割を終えたもと光る竹は、その学術的発掘調査の成果物としてどこかへ連れていかれたって訳だった。
「あー……、よし! じゃあスマコン持ってリビングまで来て!」
そう言い終わったかどうかのタイミングでかぐやが駆けだす。
えっ、スマコン?
ちょうど今外したばっかで、洗浄中の赤いランプがついてるスマコンのケースを見る。
「ちょっとかぐや! 私のスマコン今、洗浄中でしばらく使えないんだけど!」
廊下に顔を出して階段に向かって叫ぶ。
「じゃあかぐやの貸すから早く来て!」
階段から声が帰って来た。
えー……、ヒトのスマコン使いたくないんだけど……、まぁかぐやのならいいか……。
階段を下りて居間に顔を出すと、かぐやが何やらスマホ越しに話しかけていた。
「―――る竹のモデルARで出せ―――」
「いやだから―――そうじゃなくて―――はっ? いやっ ……うん、わかった、彩葉連れてけばいいんでしょ? は? 彩葉だけ? わかった、わかったって! じゃあよろしくね!」
かぐやにしては珍しい焦ったような声。
首をかしげながら近づいた。
「どうしたのかぐや?」
「おっ、来たね~、んー……ま、いいじゃん☆」
ほい! 彩葉! なんて言いながらスマコンを手渡される。
なにやらごまかされたような気がするが、まあいいか。
スマコンを付けてARモードを起動する。
どアップのヤチヨが出てきて、あまりの顔面偏差値に心臓が止まるかと思った。
『――――』
何やらニコニコ笑いながら話しかけてくれるが、全然聞き取れない、あっ! イヤホン忘れてる。
私の様子に疑問を持ったヤチヨが小首をかしげるが、私は耳を指さしてアピールした。
私のジェスチャーが功を奏したのか、ぽんと拳を手のひらに押し付けて、理解のポーズ。
「ちょっとイヤホン取ってくるから待ってて!」
声をかけると、袖を抑えてひらひらと手を振り行ってらっしゃいのポーズ。
相変わらず
とんとんと螺旋階段を上がるときに横目で見えたヤチヨとかぐやはどこか牽制しあってるようにも見えたが……まさかね?
☽003☾
『いえーい! 彩葉! ヤオヨロー!』
「や、やおよろー」
自室から持ってきたイヤホンにかぐやのスマコンをペアリングすると、澄んだ声が聞こえた。
『んで、もと光る竹を見たいんだっけー? いやーん、彩葉のえっち~☆』
「えぇ……」
『ほいっと』
ツッコミを入れる前に、ぱちんと鳴った指と同時に居間の中空にデカいタケノコが現れた。
3Dによる疑似的なものとはいえ設計者が作ったモデルだ、流石の完成度。
40cmぐらいのタケノコの不思議と濡れたような質感まで再現している。
『ねーかぐやー、ここからどうするのー?』
「んお? じゃあちょっと
『りょー!』
かぐやの意図をヤチヨも知らなかったらしい、そういえば最近同期してないって言ってたっけ。
スマホのカメラで見てるかぐやの指示どおりにもと光る竹はその皮(のように見える外殻)を展開して、花のように開いた。
夜空色にきらめく本体と虹に光る花弁。
へー、こうなってたんだ。
「もと光る竹の惑星間航行で一番ネックだったのは減速機能、重力の井戸に落ちるときに巡航速度のまんま突入したら逆に弾かれちゃう」
すいんぐばい! なんて言いながら腕を振り回すかぐや、スマホ投げないか心配になる。
「だから、かぐやが外殻を作るときに殻自体に帆を付けたの、名付けて火鼠の皮衣!」
火鼠の皮衣は竹取物語でかぐや姫が求婚者に要求した5つの宝のうち一つ、インドに住む火鼠の毛皮から作った衣は決して燃えずむしろ輝くとかなんとか。
断熱圧縮による高温に耐えるという意味なら分かるけど、今話してる減速について何の関わりがあるかイマイチ見えない。
「えーっと、アレ地球の言葉でなんて言うんだっけ?」
『ダークマターだよー』
「そうダークマター!」
「ダークマターは半分、
さらっと新事実の登場だ、宇宙工学の教授ひっくり返るんじゃないだろうか。
「地球の重力で毛束みたいになったダークマターを、同じく毛束みたいな力場でからめとって疑似的に摩擦力を生み出す機構、耐熱性と毛皮みたいな力場の二つをもって、火鼠の皮衣!」
かぐやちゃんセンスいいでしょ? だなんてこちらにウィンクをしてくる。
……なんだか頭痛がしてきた。
「えーっとつまり、月人はダークマターに干渉する技術を持ってて」
「そのものに干渉するというより干渉できる重力を弄ってるだけだけどねー」
「茶々入れない」
「うぇーい」
怒涛の情報で混乱してたが、今更もと光る竹の構造について教えたとして、かぐやの意図はなんだろう?
「それで、それを用いて宇宙船を作ってたと、で、それを今教えてどうするの?」
「あれ? 彩葉にしては察しが悪いなー?」
なんだと?
『かぐやはさー、これで彩葉の宇宙船をアップグレードできるんじゃない? って言ってるんだよー』
ヤチヨが補足を入れてくれるがイマイチよくわからない、聞く限りにおいて火鼠の皮衣は重力操作技術を必須とする。
「でも重力操作なんかできないよ?」
「ちっちっちっ、そうではないのですよ彩葉くーん」
出来の悪い生徒を見るように指を振るかぐや。
「火鼠の皮衣で一番大事なのは、重力子操作じゃなくてダークマターを確実に捕まえられるパターンの構造、鉄を溶かして櫛を作れなくても、竹を削って作っちゃえば使う分には一緒でしょ?」
「あっ」
物質単位での重力はその構成質量による、つまり比較的軽いアルミやチタンと、短い半減期で勝手に質量が変わる放射性元素を除いた中で重い金や鉛で格子を組めば重力の濃淡が生まれる。
もしもかぐやの言う通り力の大小、つまり毛の長さではなく、毛があることそのものが重要なのだとしたら。
「現行技術で再現できる?」
「大正解ー! 花丸あげちゃう!」
月突入時の速度を自在に操作できるならいくらでも位置補正なんか効く。
思わずかぐやを抱きしめる。
「ありがと、かぐや」
「にひひ~、一緒に月に行くって言ったもんね?」
そこに横から声がかかる。
『あれ? 彩葉たち月にいくのかい?』
そういえばツクヨミをあてにしてたのにヤチヨに言うの忘れてた。
「うん、ちょっと機会があって、かぐやと一緒に里帰り」
『ふーん、彩葉は行きたいの?』
「うん」
『そっか』
少し考え込んだヤチヨはバチコンと星を幻視するようなウィンクをした。
『よっしゃ! じゃあヤッチョも協力しちゃう! 何してほしいんだい?』
「そしたら、向こうでスキャンした観測データの点群を―――」
夜は更けていった。
☽004☾
「しょちょー、さっき喫煙所で航空宇宙工学の教授に捕まったと思ったら、虹の帆を散々探られたあげく『ガリレオの否定だ……』って頭抱えてましたよー」
タバコ休憩に出てった
あのあと試作板を作って真空実験室で同質量同面積の金属板と落下実験をしてみるとかぐやの理論は大正解だった。
私の帆のかけらは地球すら透過する宇宙の流れをしっかりと掴み、有意な落下速度の低下を見せた。
原子単位のパターンを刻まれた板は、構造色で
研究室での呼び名はそのまま『虹の帆』だ。
「次会ったら論文はもうちょっと待ってって言っておいてー」
「えー、もう会いたくないんですけどー」
打ち上げに間に合わせるために突貫で作った虹の帆は、方々の関心を集めたが、私の部屋に走り書きのメモが詰みあがってるだけで論文なんか一文字も書いてない。
航空宇宙学以外にも物理学etc……あらゆる物理力学に関わる研究者から論文をせっつかれてる状態だ。
半分盗作みたいなものだから、私の名前で発表するのは気が引けるってのも一因。
今日は打ち上げの当日だ。
打ち上げと月の投下と帰還自体は、宇宙開発機構のベテランたちがやる。
私たちの仕事はパッケージの引き渡しとそれにつけた
会議室に集まってプロジェクターで打ち上げの生中継を見たらトラブルのオペレートのためのシフトを組んだ即応所員を残して、後は普段どおりの仕事。
月着陸までは今日を含めないであと4日。
当日は、アクセス権につけた枝を使って自宅でかぐやたちと月面旅行をする予定だ(機器トラブルで呼び出されなければ)。
期待と不安の中、スクリーン越しのロケットは飛び立つ時を待っている。
『3、2、1、イグニッション』
噴煙を上げるロケットは見る見るうちに望遠カメラに切り替わって見えなくなった。
打ち上げ成功。
歓声を上げる白衣たちを少し脇で見ながら、ほっと胸を撫でおろす。
第一ステップはクリア、月まであと少しだ。
次話は明日更新予定(書きあがってます)。
前後編です。
捏造設定のオンパレードふたたび。
超技術が無かったら安定して月に下りられないなんてことあるわけないだろ!
宇宙開発機構は犠牲になったのだ……展開の犠牲にな……。
ダークマターが地球の周辺で毛束なのは、このお話を書く上で調べてるとマジらしくびっくりしました。
もと光る竹の展開が果たして何のためなのかはよく知りません。
ガイドブックにも展開後のもと光る竹のページが無かった……。
感想ください!