☽005☾
順風満帆な月面探査はいよいよ4日目を迎え月面着陸の直前までたどり着いた。
着陸軌道への変更のための
「セイル展開、粒子摩擦による応力、接続部の許容応力の範囲、セイルの脱落は見られません」
「2番と4番が若干数字は出てませんが全セイルちゃんと風を受けています、所長、成功です!」
虹の帆の影響をわかりやすいようにリアルタイムの速度で出しているエミュレートの予測線も、見る見るうちにスイングバイ軌道から月の表面に矢印を変え、静かの海でぴたりと止まった。
肺の底から息を吐く。
さっきまでは気付かなかった体のこわばりが抜けて、全身に血が行き渡りだした感触がした。
緊張してたらしい。
ハイタッチを交わし合う所員を見てると、画面を見てた一人が宇宙開発機構から来た警告を読み上げた。
「おや、小さいけど太陽フレアの爆発が観測されたそうです、2日後なら帰ってる真っ最中だからしばらく月に置きっぱなしですかねー」
フレア……?
まずい!
「至急向こうにセイルを閉じるように連絡して! 太陽風は2,3日かかるにしても、ダークマターは光子と同時に動く! あと8分で来ちゃう!」
私の悲鳴のような叫びに、喜色一色だった白衣たちが一気にピリ付き、電話を掛けたり、フレアの光線を抜けた間セイルを閉じた場合の軌道の再計算などあわただしくなる。
警告に時差が無くてもMAX8分だ、向こうが重要度を低く見ていた場合はリアルタイムじゃないかもしれない。
お願い……間に合って……。
「機構への警告終了しました! 即座に格納作業にかかるそうです!」
「各セイル応力増大! このペースだと4分後に許容点を超えます!」
朗報と悲報が同時に来た。
さすがに本体ではないだろうが、先ぶれがすでに届き始めていた。
私の手から離れた小舟は今や宇宙の大嵐に揉まれて難破寸前。
手を握り合わせて祈るしかできなかった。
☽006☾
太陽からの暴風(本当の大嵐は2,3日後に来るのだが)が過ぎ去り、状況が落ち着いた。
「状況報告!」
「格納が間に合った1番から4番までのセイルは多少焼けましたがまだ使えます、モロに食らった5番と6番は完全に信号ロスト、もぎ取られました」
「機構からは投下軌道を一時中断し周回軌道に復帰の連絡、こちらのタイミングで再投下してくれるみたいです、起動復帰にちょっと推進剤を使ったらしいですが、月面離脱には許容範囲です」
「6枚羽で想定してたので4枚羽になると静かの海ドンピシャはちょっと厳しいです、セイルの再展開が月の裏からなら行けるんですが……信号自体に遅延コードを差し込めないか試してみます」
座礁はしなかったけどマストには大穴が空いたといった感じ。
「再判断までの許容時間は?」
「遅延コードでの自動展開で行くなら2周でまあ4時間、仮に6枚羽で行く時なら3周で6時間がいいとこっすねー、それ以上は太陽風を抜けるまで待機するなら電池切れします」
残り4時間か……。
「遅延コードのテストは任せた、私はちょっと部屋を戻って他に方法がないか考えてみる」
「了解っすー」
各々デスクに戻る所員に任せて部屋を後にする。
どうしたら……。
☽007☾
自分の部屋に戻ってきて鍵を閉める。
そうしてデスクの椅子に座り、クッション代わりに置いてたメンダコのぬいぐるみを抱きしめて額を当てる。
遅延コードでできたとしても安定した着陸を成していたギリギリまでの軌道修正はできない。
結局は元どおりのイチかバチか。
……無理だったのかな。
かぐやの言うとおりの何もないを確認しないでそのまま認めて、何もしないのが正解だったのか?
―――何の努力もいらん平地を素通りで通ったほうがマシや。
最近はあんまり聞かなかったお母さんの声まで聞こえる。
心の隙間から吹いてきた弱気の風に負けそうになる。
『ピコン』
通知音。
顔を上げるとデスクに置いてたタブレットがスリープから目覚めてポップアップを表示してる。
でもメッセージは空欄、なんだろ?
スワイプで開けると、いつもの背景とヤチヨ。
『ねえ、彩葉』
「………?」
『ちょっと転んじゃって、この世の終わりだー! ってなっちゃったときでも、誰かに話したらなんでもないって思えたりするんだよ?』
「………」
『だからさ、ヤッチョに話してみて? 力には、成れないかもだけどねー』
たはは、と笑うヤチヨ。
「ねえヤチヨ」
『うん』
「かぐやと約束したんだ、月に行くって」
『うん』
あのぬくもりを、つないだ手を思い出す、かぐやが本当に言ってほしかったことはわかってる。
「かぐやは引き留めてた、言ってはいなかったけど……、でも私は自分の瞳で見るまで決めたくなかった、月の……かぐやの故郷のことを」
『彩葉らしいね』
あの日以降かぐやは何も言わなかった、なんだったら自分が作った火鼠の皮衣の秘密まで教えてくれた。
「でも……ダメだった、かぐやが自分を押し殺してまで、月の技術までズルして手にしてまで、届かなかった……もう降りられるかどうかもわかんない……」
『うーん……、彩葉はさ、失敗が怖いの? それとも背負ったものに報いられないのが怖いの?』
「………」
ヤチヨの問いに答えられなかった。
ピアノの発表会で取った銀メダルをお母さんにゴミのように扱われて泣いたあの夜を繰り返したくなくて立ちすくんでるのか、かぐやを踏みにじってまで通そうとしたことを、その献身に報いられないことを悔いているのか。
「私は……きっと……」
脳裏に、薄く涙できらめいた星空の目が浮かんだ。
『よし! 懺悔はおしまい! どうしたらいいか考えよ? 彩葉は何に困ってるのかな?』
結論を口に出す前にヤチヨの明るい声が口をふさいだ。
言葉にせずともちゃんと割り切れたなら良いって、ヤチヨのやさしさ。
今日だけは甘えさせてもらおう。
すっと、頭を切り替える、酒寄彩葉から研究所の所長に。
「6枚あるセイルで減速するつもりだったんだけど、今2枚が脱落して出力が足りない、推進剤だってギリギリしか乗せてないから逆噴射も無理、このままだと急降下して月面に衝突して木っ端みじんになるか、裏側まで落っこちてロストするかのどっちか」
『4枚の帆で6枚分のダークマターを受けれればいいんだ?』
「許容応力ギリギリまで受けきれれば計算上はいけるけど、そんな都合良くは……」
4枚すべてのセイルを常に見えないダークマターの流れと垂直にミリ秒で調整し続けなきゃいけない、無理だ。
『じゃあヤッチョがエスコートしてしんぜよう』
「えっ?」
1秒以上の遅延がかかる月周回軌道上のパッケージに地球のもと光る竹経由でリアルタイムで操作するなんて不可能だ、じゃあどうやって……?
「でも仮にダークマターを観測できたとしても、リアルタイムでセイルの制御なんて……」
『ちょーっとツテを使って、ふーって風を吹かせてあげるだけ☆』
ツテ? まさか。
「そんなことしてヤチヨは大丈夫なの?」
『へーきへーき! なにせ円満退職でしたから』
でもそれって今の時間軸の話じゃないんじゃ……。
『ふふ、嘘! でもツテがあるのは本当だよ?』
「?」
『きっと
よくわからないが、ヤチヨが大丈夫といったんだから信じよう。
「信じていい?」
『おまかせあれ!』
「任せた!」
☽008☾
あれから会議室に戻り、神風が吹くからと、再投下は前回と全く同じ軌道にしてというと、さすがにみんなも疑問を浮かべた顔をしていたが、何とか説得できた。
そしてフレアから2時間後、月を一周してきたパッケージに再度信号を送る。
「1番、2番、3番、4番、全セイル展開しました」
「やっぱり摩擦が足りません、どんどん目標点からズレてきます」
ぴたりと静かの海を刺していた矢印がどんどん外側に膨らんでいく。
ヤチヨ……お願い……。
「ん? あれ? 各セイル荷重増大! 反応の悪い2番と4番も含めてすべて許容値ギリギリを維持!」
「えっ!? マジで神風吹いたの!? しょちょーすげー!」
みるみる予測線は元に戻り、ぴたりと静かの海を指し直した。
地表まであと少し……!
「無事着地! セイル以外はすべて損害軽微です!」
「よっしゃー!」
部屋が歓声で埋まる。
ちょうど時刻は定時、無事降りられた。
……ありがとうヤチヨ。
「よし! 探査のチェックリストは全部向こうでやってくれるからシフトの2人以外は全員解散! みんなでの祝杯はロボットが帰って来たあとだけど、今日行く人は止めません! じゃあよしなにー」
「あっしょちょー、一緒に行かないっすか? コイツ予約した店まだ一人ねじ込めそうなんですけど」
同僚の肩に肘を乗せた所員の声、喜色満面といった感じ。
「んー、残った二人にも悪いし私は帰るよ、じゃ、お先に失礼しまーす」
ま、年下の上司ってのも向こうも居心地悪いだろうし、ちょうどいいだろう。
さて、私にとってはここからが本番だ。
☽009☾
「ただいまー」
「おかー」
夕餉の匂いが漂う我が家に帰って来た。
トマトとニンニクの香り、肉料理だろうか。
「ねえかぐや、月に無事に降りれたよ」
「おーやったじゃん彩葉、じゃあ夜部屋行くねー」
「なんもなくてもいっつもくるじゃん……」
「にへへー」
私の帰宅を見て台所に行こうとするかぐやに声をかける。
特別なことはない、いつもどおりの日常。
「じゃあ、着替えてくるから」
「おっけー、ごはん支度しちゃうねー」
「ありがと」
螺旋階段をのぼりながらかぐやの鼻歌に耳を澄ませる。
まるで何でもないかのような態度のかぐやに気持ちが落ち着く。
自室に入り、仕事着を脱いで部屋着に着替えようとクローゼットを開ける。
クローゼットの中の鏡に映る私は、なんだか見たことのある表情をしていた。
不安、疲労、ほんのちょっぴりの期待。
10年前によく見た顔。
かぐやが帰って来てから一回も見たことなかったのにね。
☽010☾
「じゃーん!」
「あれ? これって……」
ポタージュ、温玉乗せのゴボウとアスパラのサラダ、焼き野菜とトマト煮込みハンバーグ。
そう、初めてかぐやが私に作ってくれた食事。
「ま、新ゴボウはさすがに手に入んなかったから、嘘っこだけどねー」
シェフには大きな違いらしい、正直私には違いはよくわからないけれど。
「「いただきます」」
「どう? 彩葉?」
「まだ食べてないって」
「そりゃそうだ!」
額に手のひらを当てて自分に突っ込みを入れるかぐやにおかしくなってくすくす笑いながら、ポタージュに匙を伸ばす。
記憶のせいか、それともかぐやの腕が向上したか、前に食べた時よりもずっとおいしく感じた。
まぁ、あの時は壊滅したウォレットの残高で生きた心地しなかったし。
「おいしい?」
「うん」
「よっしゃ!」
小さくガッツポーズするかぐや。
「そういえば何でこの献立?」
「今日は月に行く日だから、逆に月から来た初めてのご飯ってなんだっけって思ってたら、気が付いたら作ってたの!」
オムライスとタコライスでもよかったかなー、などと腕を組みながら言う。
そっか、私の独りよがりじゃなかったんだ。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまー」
「じゃあ私お風呂入ったら、先、部屋で待ってるから」
その言葉にガタンと急に席を立ったかぐやはこちらに抱き着いてくる。
ちょ! 力つよいな!
「かぐやもいっしょ行く!」
「こーらー」
「えー!」
良いわけないでしょ! まったく。
☽011☾
机の上で寄り添うように隣り合う2つのスマコンのケースを眺めながら、かぐやを待つ。
さっき髪は乾かしてやったし、もうすぐ来るだろう。
「彩葉!」
相変わらずノックも無しに部屋に突撃してきた宇宙人は、両手に青く光るカクテルグラスを抱えてきた。
え、今、足で開けたって事?
「ノックぐらい……まあいいか、何持ってんの?」
「ブルームーン!」
「なにそれ? カクテル?」
「うん! 月のカクテルなんだって! 面白そうだから作ってみた!」
「いやいまからVR……」
ま、なんでもいいか、言ってたとおり面白そうだからやってみた以上はないだろうし。
月面旅行が終わってから乾杯すればいい。
机にカクテルを置いたかぐやが代わりにスマコンを手にするのを見ながら私も装着する。
右隣に振って来た振動と体温を感じながら、合図を出す。
「じゃあ行くよ」
「ほいきた!」
「せーの!」
目を閉じた。
☽012☾
あらかじめヤチヨに頼んでいたとおり、ツクヨミから切り離されたスタンドアローン環境に流し込まれた月のリアルタイム情報がマップを作っていく。
ロボ本体のセンサー圏外はさすがに映像ベースの背景映像だけど、30km先なんて別に絵と本物の区別なんかつきやしない。
暗闇に青白いポリゴンの頂点だけが光っていた風景が徐々に足元からテクスチャが張り直されていく。
数瞬の後、プラベ鯖へのログインを感知してかヤチヨも現れた。
『ツクヨミ月面ツアーにようこそ! 案内人の月見ヤチヨでーす!』
「さっきぶり、ヤチヨ、ありがとね」
「おっす! ヤチヨ!」
挨拶とともに感謝が出た。
『むふー』
「んあ?」
鼻息荒く胸を張るヤチヨと、事情がよくわからなくて首を捻るかぐや。
その後、咳払いをしていつもの仕事顔に戻ったヤチヨがガイドをはじめた。
『こほん、今いる静かの海は直径約900キロ! 月面旅行といいつつ、実際は静かの海散策ツアーだねー』
「十分十分、よっと!」
軽く跳ねて見れば、予想以上に浮き上がる体。
重力まで再現できたみたいだ。
「あはは、彩葉うさぎみたい」
「うさぎはかぐやでしょー!」
「そのとーり! よいしょ!」
私の頭上を追い越していくうさぎを越しに太陽を感じる。
月での日差しは表面温度100度以上、ツクヨミの再現空間では多少制限がかかっててもそれでも熱い。
『静かの海はちょうど兎の頭の部分、彩葉たちは今、月の兎の頭上でぴょんぴょんしてるってことなのです!』
両手で兎の耳を模したヤチヨからのプチ解説を聞いていると。
「彩葉ー! こっちー!」
お姫様からのお呼びがかかった。
「はいはい、よっ」
低重力に浮き上がる体も、KASSENでウルト使ってる時に脚力ありすぎて体が浮くようなものだ、慣れればすぐ適応できる。
「どうしたの?」
「みて! 地球!」
かぐやが指さす先にはちょうど頭上に青い星が見えた。
宇宙飛行士は船外活動をするとまず地球の姿に感動すると聞く、確かに納得の美しさだ。
「やっぱキレイだな~」
「そうだね」
今はちょうど夜だからまさしく私たちの頭の上からの光景、なんだか不思議な気分だ。
「よっと、ほら彩葉も」
かぐやがクレーターの縁に腰掛けて、わたしを促す。
隣に腰を下ろすと指を絡められる、じんわり伝わる体温はリアルなのか仮想なのかわからない。
「前にさ、かぐやが地球に来る前に、月のたった一つの窓から地球を見てて、いいな~って思ってたって話したじゃん」
「してたね」
花火に照らされた顔の情景が浮かぶ。
「でも、窓越しと外じゃやっぱ違うわー、複雑で一度きりで自由な、そんなミクロの動きは見れなくても、こんなにおっきくて青くて綺麗なんて知らなかった」
「うん、さんざん勉強したのに、私もこんなに綺麗だって知らなかった」
ねー、なんて同意して微笑むかぐや。
そのまま、さらさらと月の砂を掴み、手のひらからこぼして円錐を作る。
「外の月は相変わらず砂と石以外何もないし、つまんないまんまだけど、でもこの星を見れただけでかぐやちゃん大満足、彩葉は?」
私か、うーんそうだなぁ……。
「私は、私を照らしてくれる月があったことを実感できて満足」
「月ぃ? なにそれ」
抽象的な言葉に笑うかぐや。
この光景はかぐやの協力も、ヤチヨの助力も無ければ見れなかった。
迷ってもしゃがみこんでも、そっと道を照らしてくれる、私の双子月。
結果なんか、この青い星が見れたことで十分、ここまで来れた過程こそが、私にとって旅の意味をくれた。
そんなことを考えていたらドンと背中に衝撃を感じた。
『うぉーい、二人ともヤッチョをお忘れじゃないかーい?』
「あ、ゴメンゴメン、忘れてた」
『ヨヨヨ~』
置いて行ったヤチヨが私たちを囲うように抱き着いてきていたらしい。
『月面は満足できた?』
「うん! ま、地球ぐらいしか見るもんないけどねー」
「来てよかった、とそう思うよ」
私たちの言葉にふんふんと頷いたヤチヨは指を立てて、とびっきりのウィンクをした。
『よろしい! じゃあそんな彩葉たちに特別サービス!』
サービス?
『月の都にご招待! ま、今のワールドデータに再現したモデルかぶせた、見た目だけなんだけどねー』
えっ?
『よっし! 準備かんりょー☆ じゃあ彩葉! 心の準備はできたかい?』
いやちょっとまって、まだ準備が。
そんな私の内心をよそにぱちんとヤチヨが指を鳴らすとあたりが―――。
☽013☾
特筆すべき大事件なんか起きなくても、私たちの日常は続いていく。
月に行って帰ってきても何も変わらなかったように。
私の思いに名前を付けたとして、それが恋なのか愛なのか、はたまた母性なのか、いまだにわからないけれど。
でも、気持ちに名前なんか付けなくても、夢にまでみた日常はずっと続く。
ちょっとした喧嘩をしたって、すぐ仲直り。
お姫様のわがままは、スっとスル―して。
たまには旅行とかパーティなんかしちゃったりして。
だからこのお話はいったんおしまい。
あっそうそう、かぐやがあの日部屋に持ってきたカクテルの言葉は「完全なる愛」なんだって。
どういう意味だったんだろうね?
なんか終わったような雰囲気出してますけど蛇足編はまだまだ続きます。
(アイディアが思いつけば!)
本編はいったんおしまい!
1話を書いてた時はぶっちゃけ1話だけ投稿して逃げるつもりでしたが、
気が付いたらこんな話数に……。
ここまで拙作を読んでいただいた皆様には感謝を!
感想とここすきください!
ダークマターって書いてると超大作ラノベの白いカブトムシが浮かんで面白くなっちゃうんで、リアルでもうちょっと良い呼び名付きませんかねアレ。