キョウ・エスニナにトドメを刺す寸前、唐突に姿を現したのは蓮夜をして冷や汗が流れるほどの存在だった。
その黒く禍々しいオーラの持ち主は、ギリシャの冥府神ハーデスの配下、最上級死神のタナトスだった。
タナトスは、キョウの魂を連れて行くために来たという。
「──つまり、こちらと戦うつもりはないと?」
《そう言っている。私はハーデスさまの命にてこの愚かな人間の魂を冥府に連れていくだけだ。今宵は半魔にも、半神にも興味はない》
半魔は蓮夜、転生したシルファのことだろうが半神は、この場に該当するのはひとりしかいない。
「……っ」
半神──ロセが息を呑んだ。
だが、生来の生真面目さからロセは、正体を明かすことになっても構わないとタナトスに抗議する。
「し、失礼ですがその者は、私たちの神話の重要な情報を知っています。ギリシャ神話側へ引き渡すのは──」
《むろん、無条件とは言わぬ。我が主、ハーデスさまとそちらの主神ないし冥府の女神との協議の末に決まるだろう。情報を消したうえで魂はこちらの管轄になるだろうがな》
タナトスはロセへそう返した。
あくまで人の身で魂を弄ぶキョウの魂を連れて行くのが目的であり、記憶や情報には興味がないようだ。
「だが、そのまま連れて行かれて情報を抜き出してない、と保証がないだろう? やっていない証明も難しい」
《貴様、ハーデスさまが盗っ人のごとき真似事をするというのか?》
蓮夜の言葉にタナトスが凄まじいプレッシャーを放つ。
死神──神クラスの圧力は、四大魔王と同等以上のものだった。
魔王クラスすら上回る力を持つ者が配下でしかないというのが、ギリシャ神話の層の厚さを感じさせる。
だが、それに怯まずに蓮夜はタナトスと対峙する。
「しないという証明が他所からはわからないというんだ。ここは第三者に入ってもらうべきだろう」
「──あら。それなら私がその役割を務めてあげましょうか?」
一触即発の空気のなか、そんな艶やかな声音が響き渡った。
次瞬、空間から闇のオーラが滲み出し、そのヴェールの向こうからひとりの女性が現れた。
夜を閉じ込めたかのような深く美しい黒のロングヘアを待ち、あどけなさと嫋やかさが絶妙なバランスで共存した魅惑の美少女が、蓮夜とタナトスの間にそっと佇む。
《あなたは……母上》
「久しぶりね、タナトス。冥府でしっかりやっているようね。でも、そんな高圧的では話が拗れるだけよ?」
タナトスに母上と呼ばれた絶世の美少女は、そう言って艶やかな笑みを浮かべた。
《なぜ、あなたがここに?》
「ふふふ。久しぶりに我が子の様子を見に来たら、偶然あなたが他所の神話勢力と揉めそうだったからよ」
黒髪ロングの美少女は底知れない笑みを浮かべてタナトスに応じた。
「さて──こんばんは。初めまして。私はニュクス。夜の女神のニュクスよ。そこのタナトスの母でもあるわ」
黒髪ロングの美少女──ニュクスは、そう名乗って蓮夜たちへと微笑んだ。
「これは丁寧に。俺は黒崎蓮夜。またの名をレオンハルト・フェレスだ」
蓮夜は礼を返したあと、言う。
「しかし、そちらもギリシャの女神のはずだが」
「ええ、そのとおりよ。でも、冥府に連れて行かれるよりは信用できないかしら? それに……私にこんな交渉は必要ないことくらいあなたならわかるでしょう?」
ニュクスの微笑の向こうには、タナトスをも超える神クラスの凄まじいプレッシャーが潜んでいた。
現状圧倒的なまでの格上たるニュクスに、蓮夜たちを騙す理由がない。
ハーデスの派閥ならばここでまとめて片付けて終わらせることができるのだ。
「……それでもいいか?」
「ぇ、あ……は、はい。私はそういうことならぜんぜんかまいません」
蓮夜の確認にロセは目まぐるしい状況の変化に戸惑いながらも、正体を隠していた自分に変わらず接してくれる蓮夜に頷き返した。
「そうか、わかった。──だそうだ。その魂はニュクス神に預ける。協議のほうは、北欧神話とやってほしい」
「ええ、わかったわ。──タナトスもいいかしら?」
《──ああ。ここは母上の顔を立てよう》
蓮夜の言葉にニュクスが微笑を浮かべて頷き、話を振られたタナトスも厳かに頷いた。
我が子の様子に「いい子ね」と呟き、ニュクスは言う。
「では、この話はこれでおしまいね。この施設はそちらに任せるわ。──それじゃあ、縁があればまた。帰るわよ、タナトス」
そう言ってニュクスは闇の向こうに消え、タナトスは蓮夜たちを一瞥したあと、裂け目の向こうに消えていった。
「あれが神、ですか。いままでに感じたことのない圧力でしたね」
シルファがひと息つくように言ったことで、二柱の神クラスのプレッシャーが消え、空気が弛緩する。
「ああ、そうだな。まだまだ上に行けそうだ」
蓮夜は向上心を滾らせていた。
「…………」
そんななか、ロセは黙ったまま俯いている。
「? どうかしたのか?」
「その……申し訳ありません。私、正体を隠していて……」
「ああ、そのことか……いや、気にしてないぞ。そもそも気づいていたしな」
「──えっ!? い、いつから?!」
「最初から、だな。オーラの質が神のそれだったし、何より使っている魔法が、神特有の術式だったからな」
蓮夜の言葉にロセは驚きの連続だった。
「そ、そうだったんですね……すみません。北欧神話側の不祥事でしたので、下手に明かせず……しかも他所の勢力圏に逃げ込まれてしまったので」
ロセはそう弁明した。
不祥事を隠し、他所の神話勢力とことを荒立てないように秘密裏に動きたかったようだ。
「そのためにヴァルキリーとしてまだまだ見習いの私が派遣されたのですが……結局無駄になってしまいましたね」
「いや、争いにならなかったのは、そういった配慮もあったからだと思うぞ。そもそも向こうはキョウ・エスニナの魂を追っていたんだ。どこかしらで接触はあっただろうさ」
落ち込むロセに蓮夜はそう言って励ました。
(見習いのロセを派遣したのは、いつでも切り捨てて知らぬ存ぜぬを通すためなのかもな。さすがは北欧の主神オーディン。老獪なことだ)
とは、口に出さずに思うだけに留める蓮夜だった。
それから研究資料を処分し研究施設も破壊して蓮夜たちは、この場をあとにした。
その日はホテルで一泊し──もちろん全員別々の部屋──翌日、北欧神話とギリシャ神話は、キョウ・エスニナの魂の扱いに関しての協議を後日することが決まった。
これから日程を決めるらしい。
事態がひとまずの解決を見たことで、ロセとの別れの時間がきた。
転移魔法は使わずに飛行機で律儀に帰るらしいロセを、蓮夜とシルファは空港に見送りにきた。
「あらためまして、おふたりとも、今回はありがとうございました。このご恩は忘れません。何かあったらおっしゃってください。私にできることでしたら、お力になりますので」
きっちりスーツを着たロセがそう言って差し出した手を、蓮夜、シルファは順に握り返した。
「気にしないでいい。俺たちも仕事だったからな」
「私もレオンさまのためでしたから」
「ああ、でも……そういえばひとついいか?」
「は、はい。私にできることでしたらなんでも」
「ロセは、本当の名前はなんていうんだ?」
蓮夜の問いにロセはハッとなった。
そして、背筋を正すとあらためて名乗る。
「ああ……これは失礼しました。ロセは私の愛称になります。本名はロスヴァイセ。見習いヴァルキリーのロスヴァイセです。あらためまして、よろしくお願いします」
そう言ってロセ──ロスヴァイセは、微笑んだ。
「そうか……こちらこそありがとう、ロスヴァイセ。世話になった」
「は、はい。あの、私のことはロセでいいです。先ほども言ったように親しい人たちが呼ぶ愛称ですので」
「ああ、わかった。ありがとう、ロセ。何かあったらそのときは、よろしくな。俺もできることなら力になる」
「は、はい!」
ロスヴァイセは、蓮夜の言葉と微笑に顔を真っ赤にしていた。
もちろん、蓮夜が半分とはいえ悪魔と知っているのだが、蓮夜がそうだったようにロスヴァイセも相手の正体を知っても態度が変わることはなかった。
「私のこともお願いしますね、ロセ」
「ひゃっ!? は、はい! それはもちろんです、シルファさん!」
横合いから顔を出したシルファにロスヴァイセは、驚くも本心からそう応えた。
そして、いよいよ出発の時間となり──。
「──それでは、おふたりとも。またいずれ、どこかで」
現在の状況下では、なかなか違う勢力の者同士が交流を待つのは難しいが、そうと信じてロスヴァイセは言った。
「ああ、またな」
「はい、また」
蓮夜とシルファもそう返し、ロスヴァイセはキャリーケースを引き摺ってこの場を去っていった。
しばらくして飛び立ったロスヴァイセが乗った飛行機を見送り──。
「──俺たちも行くか」
「──はい、レオンさま」
蓮夜とシルファもその場をあとにするのだった。
ロスヴァイセとまた会えることを信じて──。
To be continued
タナトス、ニュクスに加え、ロセことロスヴァイセの登場でした。ロスヴァイセはこのとき見習いですが、年齢はリアスや朱乃と変わらないくらいだったと思うので蓮夜よりひとつ上くらいです。
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