長い生……。
そうだね……私も願わずにはいられないよ、馬鹿アイン。
どうして受け入れちゃったの……。
そんな風に何でもかんでも受け入れられちゃうと私……
―――もっと生きたいって考えちゃうよ。
死は私にとって救いになるはずだったのに……。
死ぬのが段々怖くなる。
残された時間は少ないのに。
……恩を返すどころか仇で返しちゃった。
馬鹿みたいに私を信用しちゃうアイン。
私の大好きな優しい魔物さん。
私なんかに呪われたっていうのに……。
なのに、どうして貴方はそんなに幸せそうな顔をしていられるの?
「……私も、そう思えたのなら……こんなこと……言わなかったのにね……」
『どうした?体調が悪いのか……?』
アインが心配したように私を覗き込んでくる。
いけない……。
今はアインの相談に乗っている最中なのに、不甲斐ない姿は見せられない。
もっと恩を返せるよう、頼って貰えるようにしないと。
「違うよ……。アインにはたっぷり講義が必要かなって、考えてただけ。今のは動物の話しだったでしょ……。もっと根本の話もしなきゃね」
『ふむ……。それもそうだな』
アインに気取られる訳にはいかない。
私は気を取り直してアインと向き合い口を開く。
「アイン、さっき言った通り善悪はそんなに単純で明確に判断出来るものじゃないと思うの。どっちかが消えれば正解なんてものもないし、片方だけの世界を作るのも不可能だと思う」
『悪は消えるべきではないか?』
真っ先にそう言う辺り、やっぱりアインって善人寄りだよね。
「難しいよね。だけど悪は決して消えない。善があるからこそ悪があり、悪があるからこそ善がある。光と闇、どちらも無くてはならないものなんだよ」
『それも経典に載っているのか?』
「違うよ。これは私が理屈を捏ねて考えたこと。狭い街と周りの人間、本の知識から得た自分なりの推察みたいなもの。だから子供の戯言だと思って、気軽に否定してくれていいよ」
『お前より頭の悪い己に否定出来ることは何もない。素直に聞かせて貰うさ。重要なのは、それがお前の言葉だということだ』
言うと思った。
悪に傾けば、弱者が虐げられ続ける血の止まらない暴虐の世。
善に傾けば一番いいんだろうけど。
光が強くなれば強くなる程、大きな影が出来上がる。
それは避けようのない自然の摂理。
絶対正義。
勧善懲悪。
そんなものは儚い幻想でしかない。
「善悪で最も身近なものだと……。身分や立場に関するものかな。例えば虐げられる者と虐げる者。これは絶対になくならないと思う。アイン、虐げられる立場にいる人は、案外自分からその立場に甘んじているって知ってた?」
『そうなのか?』
「支配されるのは楽なの。難しいことは考えなくていいし、責任も無い。より強い支配者が現れればそちらに乗り換えるだけでいい……。こんな戦争が続く時代だと、尚更責任なんて負いたくないでしょ。虐げる側が、一方的に悪として扱われることが多いけど……。それも一側面から見た結果でしかない」
『全員がそうだとは、己はそうは思わん。少なくともお前は望んでそうなった訳ではないはずだ』
勿論そこから抜け出そうと足掻く人もいる。
抜け出してくて、逃げ出したくて……。
でも出来ないし叶わない。
不機嫌そうに眉を寄せる彼を見て心が安らぐ。
私を見て考え込む姿は、何を考えてるか丸わかり。
きっと私のことを、沢山考えてくれているんだろう。
「アイン、ありがとう。でも、もっと大きい視点で物事を見た時、その考えも変わるかもね。アイン?例えば旅人を襲う盗賊がいたとしたら、それは悪?」
『悪だろう』
バッサリ言ったね。
アインは腕を組み、当然だろうと言わんばかりに私を見据えてくる。
ごめんね、アイン。
ちょっと今から意地悪しちゃうよ。
「表面的に見ればね。だけど、もしその盗賊が戦争で行き場を失くして、家族や仲間を養う為に仕方なく悪事を働いていたとしたら? ずっと葛藤しながら、誰かの為に手を汚してる人……それを悪だって言い切れる?」
『それは……詭弁だろう』
アインは私の一言に腕を解き考え込む、少しすると困ったように頭を掻いて呟いた。
自分の判断に迷いが出来て戸惑っているのか、どこか歯切れも悪い。
「そうかもね、でもそうじゃないかもしれない。だから一生懸命考えて。悪を悪と断言するのは簡単じゃないよ。じゃぁ……とても大きな孤児院の院長はどうかな?彼は行き場のない孤児をこれまで何百人と救ってきた人。周りの多くの人々に称賛される素晴らしい聖職者。この人は善人かな?」
『実に、良い奴だ』
ふふ、アイン。
素直過ぎるよ。
深読みして悪人って言ったら逆のこと言うつもりだったけど、そんなニッコリしながら言わないでよ。
思わず笑いそうになってしまう。
「そ、そっか。でも実は……裏では貴族や好事家に子供を売り渡して、多額の援助を受けていたの。寄付金を隠れ蓑にして、彼は誰にも裁かれず、名誉も金も地位も手に入れました。そして子供たちは身綺麗にされて、次々と売り払われていきました……」
『なんて、醜い奴だ』
アインはニッコリ垂れ下がった目元を釣り上げ怒りを顕にする。
わ、笑ったら駄目なのに……。
可愛くて笑みが漏れちゃう。
「だね。それじゃ、念押しの最後。戦争を題材にしてみようか。商人にとって戦は絶好の稼ぎ時だよね。長引くほど武器や食料が売れる。ある商人は両方の国に武器を売って、戦を過激化させた。そのおかげで巨万の富を築いた……さて、アインは彼をどう見る?」
『商いとはいえ、余りにも多くの血を流させた罪深い男だ……。悪、と言いたいが……どうせ、違うのだろう?』
あ、流石に気づいた。
でも、これでアインも善悪の難しさに気づいたんじゃないかな。
「ふふ、アインの答えと反対のことばかり言ってるから、流石にわかるよね。この商人はね、巨万の富を築いた後に地元に戻ったの。稼いだお金を全部使って街を発展させて、奪った命よりずっと多くの命を救いました。地元の人々の幸福と、子供たちの未来を守って……偉大な人として大往生を迎えた。悪だって言う人より、善だって言う人の方が多かった。そんな展開だったら……どう思う?」
『屁理屈』
確かにここまでくれば屁理屈でしかない。
真面目に考えてくれてたアインも呆れちゃってる。
「ごもっとも。でもね、知って欲しいのは、善悪を判断するのってそれくらい難しいってこと。人には色々な側面があって、表からは見えない問題を抱えてることもある。誰かにとっての悪人が、別の誰かにとっては善人かもしれない。理不尽だけど、多数決で決まっちゃうこともあるの」
『そこまで難しくは考えていなかった……。頭が痛くなってくるな』
眼の前の彼は眉間を指で押さえて瞑目した。
ほんとうに貴方は生真面目だね、アイン。
こんなこと知った所で、実際に行動に反映させられる人なんていないのに……。
彼は真面目に考えてくれている。
「私の両親もそう。私にとっては良い人達じゃなかったけど、あの人達もその下に多くの人を抱えていて……仕事を与えて生活を支えている。だから、アインが想像するような極悪人って訳でもないんだよ……」
私はあの場所で暮らす人達を恨んではいない。
それでも、一度も何も感じなかったのかと言われれば嘘になる。
それでも、恨みはしない。
「うん、だからね……正義って凄く責任が重いものだと思うの。語るのは自由。でもその名の下に力を振るうなら、責任が伴う。責められるかもしれないし、怨まれるかもしれない。全部背負う覚悟を持って……そうして初めて力を振るえるんだと思う」
『重いな……。善人が苦労するのは世の常か。己では、到底そのような責任に耐えられる気がせん』
ならなくていいよ、そんなもの。
こんな血生臭い世界で、清廉潔白な正義の味方だなんて誰にも耐えれれない。
きっと魔族と戦い続ける勇者様よりも、ずっと大変なことだと思う。
「善悪の境って曖昧で……どっちか決めるのは難しいの。善と悪が入り混じってることも珍しくないしね。白黒をはっきり分けるのは、すごく重い責任が伴う。だから、その責任から逃げないで、自分の正義を貫ける人……。私はそういう人こそが、正義の名に相応しいと思うよ」
私は、何言ってるんだろい……。
そんな人、いるはずがないのにね。
理想論を語っても、現実は非情で誰も助けになんて来てくれない。
色々な側面……。
そんなこと言ったってどうしようもない。
人の内面を完全に理解出来る人なんて、存在しないんだから。
『そうか勉強になった……』
「どういたしまして。でも結局曖昧なことばかり……。明確な答えは出さないままでごめんね」
『いいや、まだだ。この際だ……。お前の言うその前提を踏まえ、答えを聞かせて貰おう』
彼は静かに頷くとそんなことを言う。
――アイン。嘘でしょ。
……流石に。正気じゃないよ。
これ以上私なんかに縛られようとしないで……。
私は、餌をぶら下げられて我慢できる程、お人好しじゃないんだよ……?
「えぇ~……――やめてよ。色々喋っちゃったけど、私は哲学者なんかじゃない。ただ考えたことを言葉にしただけ。子供の私に、アインが求めるような立派な答えなんて……出せないんだから」
『本当か?なら今度はこちらの番だ。……マキナ、お前は、元いた場所。あの屋敷の中で誰かに助けを求めたことはあるか?』
――ッ。
そう、そういうこと聞くんだ……。
「あるよ、当たり前でしょ。そんな都合のいい人なんて現れないってわかってても……。誰かが颯爽と駆けつけて、私を救ってくれる。そんな妄想、数え切れないくらいしたよ」
『なら聞かせてみろ。それを答えとして受け取ろう。マキナ、お前は地獄の中で一体どんな救いの手を望んでいた?どんな味方を望んでいたんだ?』
言ったら……………なってくれるの?
生真面目過ぎる貴方ならきっと……。
さっきみたいに、一度聞き入れたら戻れなくなるよ?
それでも聞く気なの?
私が問い詰めるように視線を向けると、アインは安心させるような笑みを浮かべ頷いた。
なんで……。
どうして懲りてくれないんだろ。
私は……。
貴方が私の理想に染まっていくことに狂おしい程の快感を感じているんだよ。
悪いことだって、そう理解していながら止めることが出来ない。
貴方が私に踏み込めば踏み込むほど……。
心を許してくれる程に。
貴方という存在に私を刻みつけたくなる。
いつ死ぬかもわからない私を、忘れて欲しくないと願ってしまう。
「……アイン。あんまり私に付け入る隙を与えないで。じゃないと……また。……呪っちゃうよ」
これは最後の警告だよ、アイン。
拒んでくれないのなら……。
私は、我慢しないから。
声を震わせ、発した言葉は確かに彼へと届いた。
だけど、そんな警告も彼には意味は無かった。
優しい笑みを浮かべた彼は……。
なんの不満もなさそうに、私の全てを受け止めてくれる気でいた。
『いいさ。己はそれを望んでいる。お前の言葉で自身が何者かを形づくっていくことに抵抗はない、最後にはお前が己が何者なのかを言ってくれるのだろう?ならその過程で呪われようが関係ないさ』
「……私は……知らないよ?責任なんて取らないから。アインが困っても……自業自得だからね」
『勿論だ』
何度聞いても彼の答えは変わらない。
これまでと同じように……。
彼は絶対に私を拒もうとはしなかった。
「………正直に言うね。私は……私が言ったような、善悪のこととか一々考えなくて。そんなことより、早く助けに来てくれる人が欲しかった。都合の悪い責任も問題も全部背負って、悪い人を滅茶苦茶にして……ただ私が伸ばした手を取ってくれる。そんな……
――救いの手が欲しかった」
悪いか正しいかなんて考えず、助けさえ求めれば助けてくれる人。
私を責めるお父様も。
お母様。
弟も。
使用人達も。
纏めて黙らせて、弱者の味方をしてくれる人。
私を助けたせいで起きる責任も問題も全部背負って……。
それでも私の為に尽くしてくれる人。
『……』
「不正も不公平も無くて……。権力にも力にも屈しないただただ正しい……。助けて欲しい時に助けてくれる。そんな……正義の味方が欲しかったよ」
まるで童話の騎士みたいに……。
あの地獄から私を攫って幸せにしてくれて、どんな些細な悩みも親身になって解決してくれる素敵な人。
泣いてる子供にもう大丈夫だよ、って優しく抱きしめてくれる……。
昔の私はそんな……。
正義の味方を求めていた。
「どう……?現実を知らない夢見がちな子供の妄想そのもの。本当に……こんな答えが聞きたかったの?」
『あぁ。己は知能こそあれど結局馬鹿だ。色々考えてみたが……その答えが気に入った。己も……そんな風に、お前を助ける何者かになれるだろうか……』
彼は満足気に頷き、私の理想になろうとしてくれている。
いくらアインでもなれっこない……。
そんな風に言ってくれるだけで私は十分幸せだ。
アインは十分過ぎる程に私を救ってくれた。
……これ以上なんて望まないよ。
「………バカ、ならなくていいよ」