アインザーム・オリジン【完結】   作:ごすろじ

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▼第十七話▶劇薬のフルーフ

 

 

 

ジュゥ、と肉の焼ける音が夜の森に響く。

 

 

薄い鉄板の上で、熊の脂が断末魔のように弾けていた。

立ち昇る煙が闇に溶け、焚火の明かりだけが三人の姿を照らし出す。

 

串に刺した肉を無造作に転がすのは、目つきの悪い女――フルーフ。

対面の椅子には、半ば強制的に座らされた少女マキナ。

 

そしてマキナの足元には、意識を失ったまま地面に伏すアインザームの巨体があった。

 

 

倒れ伏す魔物。

転がる首無しの熊の死骸。

 

顔と全身を布で覆った少女と、怪しい女。

傍目には邪教の儀式と見紛う光景である。

 

 

フルーフは串を回しながら焼き加減を確認し、手荷物の大袋から塩を取り出した。

人差し指と中指、親指で塩をつまみ、高い位置から振りかけていく。

 

その仕草は一々大げさで、どこか鬱陶しい。

 

 

既に日は沈み、辺りは深い闇に包まれている。

パチパチと揺れる炎の明かりだけが、三つの影を浮かび上がらせていた。

 

 

「さぁ……完成だ。味は悪くないと思うよ。熱いから気をつけて」

 

「あ、ありがとうございます、フルーフさん……それで、本当に大丈夫なのでしょうか。さっきから全く動く気配がありませんが……」

 

 

フルーフは焼き上がった串肉をマキナへと差し出した。

少女は恐る恐るそれを受け取りながら、足元のアインザームへ視線を落とす。

 

ピクリとも動かない姿を見れば、心配になるのも無理はない。

 

 

フルーフは再度「大丈夫」と告げ、立ち上がった。

 

 

「証明してあげる」

 

 

無造作に、薪割り用の斧を掴む。

 

 

ザンッ。

 

鈍い音が夜の静寂を裂いた。

 

フルーフの左腕が、肘から先で断たれていた。

鮮血が地面を濡らし、切断面から白い骨が覗く。

 

 

「痛ぁ〜」

 

 

棒読みのような呻き声を上げながら、フルーフは落ちた腕を拾い上げた。

まるで落とした手袋でも拾うかのような仕草で、血の滴る腕を片手にマキナへと近づいてくる。

 

 

少女の喉から、引き攣った息が漏れた。

片手で口元を押さえ、椅子から腰を浮かせる。

 

 

恐る恐るフルーフの方を見れば――切れたはずの腕は、何事もなく生えていた。

しかし、切り落とされた腕は確かにフルーフの手に握られている。

 

 

布の下で、少女の顔から血の気が引いていくのがわかった。

 

 

「あれ? コイツから聞いてないかな。私、死ねないんだ」

 

「あ……いえ、聞いています。ですがその……少しイメージと違いましたもので……驚きました。そんなに一瞬で再生するものなんですね」

 

「まぁ、意識すれば多少操作できるけど、基本一瞬だね」

 

 

もっとゆっくり、苦しみながら再生するものだと想像していた。

目にも留まらぬ速さで腕が一本生えてくるなど、理解の及ぶ現象ではない。

 

あまりにも理外の出来事に意識が持っていかれる。

しかしフルーフはそんなことお構いなしに、アインザームの傍らへと歩み寄った。

 

 

「これで信じてもらえたかな。ついでにもう一つ見せてあげる」

 

 

そう言って、切り落としたばかりの腕ごと――アインザームの下半身を覆う黒いモヤへと、自身の腕を突っ込んだ。

 

 

「え……あ、あの。そんな所に手を入れて大丈夫なのですか?」

 

「大丈夫じゃないね。ここがコイツの捕食器官だから。あ、喰われた」

 

 

グリ、グリ、と腕を突っ込むフルーフの姿に、マキナは何とも言えない気持ちになった。

なんだか見てはいけないものを見ている気がする。

 

アインザームに対して妙な憐憫を覚えてしまう光景だった。

 

数秒後、フルーフは「あ」と声を上げて腕を引き抜いた。

 

肘から先が、完全に消えていた。

 

しかしそれも瞬きひとつの間に再生する。

五本の指が何事もなかったかのように動いていた。

 

 

フルーフは串肉を掴むと、何食わぬ顔で椅子に腰を下ろした。

 

 

「食欲旺盛で結構なことだ。見ての通り、コイツは意識が飛んでいるだけで生きてるよ。あ、もしかして怖かったかな?魔物の捕食シーンなんて見るの初めてだったろうに……気が利かなくてすまないね」

 

「い、いえ……そんなに怖くは……」

 

 

アインザームが人間を喰らう場面を見るのは、これが初めてだった。

しかし思ったより大したことではない。

 

血生臭い捕食を想像していたのに、実際は小綺麗で控えめなものでしかなかった。

 

 

むしろ、眼の前で腕を切り落とし、無理やり捕食させるフルーフの方が、恐ろしいものであるはずだ。

 

 

だが、少女の身体から怯えの気配は薄い。

アインザームから散々「狂人」と聞かされてきたせいか、心構えだけは出来ていた。

 

狂人であることに間違いはないのだろうが、言動やマキナに対する態度は、どこかアインザームに近しいものがある。

恐怖を感じるほどのものではなかった。

 

 

「まぁ、そういうことだ。心配せず食事にしよう。成長期なんだし、モリモリ食べるべきだ」

 

 

フルーフは豪快に串肉へ横から噛みつき、肉を引きちぎった。

食べかけの串でマキナを指し、食事を促す。

 

あまりにも品がなさすぎる。

 

陽気に肉を貪り食うフルーフを前にして、促された少女は申し訳なさそうに俯いた。

 

 

「あ、はい……あの、すみません……食事中なのに、私……臭いますよね」

 

 

自分の臭いというものは、慣れてしまえばあまり気にならなくなる。

だが、いくら慣れようと腐敗臭にまで慣れることはない。

 

少女は自覚していた。

自分の身体から漂う臭いが、他人を不快にさせることを。

 

自分がフルーフの立場なら、食事を続けられたものではない。

 

だが、気まずさに身を引くマキナに対し、フルーフは意味がわからないとばかりに首を傾げるだけだった。

 

 

大袋から酒瓶を取り出し、ポンッとコルクを弾く。

そのままラッパ飲みで喉を潤しながら-――ようやく思い至ったとばかりにマキナを指差した。

 

 

「ぷはぁ〜〜ッ! あぁ……アルコールが全身に染み渡るぅ……。臭い、臭いね……ふむ、お嬢さん。臭いなんてものは誰しもするものさ」

 

「なぜ平気なのですか?……アインは鼻が無いからわかりますが、フルーフさんは普通の人間ですよね?」

 

「そう言われてもねぇ……魔物の糞尿と比べると全然気にならないよ。あまり覚えてないんだけどさ、私……百年くらい魔物の胃袋の中にいたことがあってね。大抵の汚臭には耐性があるんだ。お嬢さんの臭いなんて気にもならないね」

 

 

眼の前の人間は、「普通」というには、あまりにも異常だった。

 

腐った肉の臭い程度でどうこう言う感性など、とうに持ち合わせていない。

勿論、多少でも気になれば対処しようとするだろう。

 

 

だが相手は子供だ。

年頃の女の子に向かって臭いなどと平気で言うのは、間違っている。

 

男だろうと女だろうと、子供を無闇に傷つけるのは大人のすることではない。

 

礼儀知らずの糞餓鬼は嫌いだと言い切るフルーフだが、眼の前で申し訳なさそうにしているマキナに対する心象は悪くなかった。

敬意を持って接してくれているし、何より――控えめに言って、好みだった。

 

 

「……そうですか」

 

「申し訳なく思うのなら、どうか食べてほしい。君は苦しそうにしているより笑顔が似合うと思うよ。布で見えないけど」

 

 

ニコニコと笑みを浮かべながら、フルーフは平然とそんなことを言ってのける。

 

少女は、アインザームからも似たような言葉をかけられたことを思い出した。

布の奥で、小さく口元が緩む。

 

 

「ふふ……アインみたい……あむ――あ、その、美味しいです」

 

 

幾分か気が解れたマキナは、焼きたての串肉に小さな口で齧りついた。

ゆっくりと咀嚼し、飲み込む。

 

味は、相変わらず感じない。

 

だが、こういう雰囲気で食べる食事は美味しいものなのだと思えた。

だから、手料理を振舞ってくれたフルーフに若干の申し訳なさを感じながらも――素直に美味しいと伝えた。

 

 

「…………」

 

 

しかし、フルーフからの返事はない。

 

酒瓶を置き、真剣な目でマキナを見つめたまま、微動だにしなかった。

 

探るような――どこか別の場所を見つめているような視線。

少女は落ち着かなくなり、椅子の上で身じろぎした。

 

 

「あ、あの……どうかされましたか?」

 

「君――味覚が無いだろう」

 

 

時間が止まった。

 

焚火の爆ぜる音が、やけに遠くに聞こえる。

 

 

「…………突然、どうしました」

 

 

声が震えなかったのは奇跡だった。

 

バレてはいけない。

その一念だけが、崩れ落ちそうな身体を辛うじて支えていた。

 

身体が跳ねたわけでも、全身が震えているわけでもない。

少し動揺しただけだ。まだ隠し通せる。

 

 

だが少女は知らなかった。

相手は魂を知覚できる存在だということを。

 

 

アインザーム相手になら突き通せた嘘や誤魔化しなど――通用するはずがなかった。

 

フルーフは手帳のようなものを取り出し、何かを書き込み始める。

 

 

「そう……味覚が完全に機能していないんだね。これから幾つか質問していくから、答えてくれるかな? さっき話した今後のことにも繋がるから、気軽に答えてほしい」

 

「そ……そんな、私は……しっかりと味を感じることはできます……」

 

「……あ〜〜、申し訳ないけど、嘘や誤魔化しは私には通じないよ。試しにいくつか証明してあげよう。さっきから片手の指が動いていないね。動かせないの? 動かしづらいの?」

 

「少し怪我をして、動かすと痛むだけです……っ」

 

「動かないのか。それは指だけかい? 腕全体? それとも掌だけ?」

 

「け、怪我をして動かしづらいだけと言いました……っ」

 

「掌か……生活が大変そうだね」

 

 

フルーフは溜息を吐き、視線を地面に伏すアインザームへと向けた。

 

 

「はぁ〜……コイツ、鈍感すぎだろ……どこに目ついてんだ? あぁ……目なんてなかったな。この節穴がッ」

 

 

椅子から立ち上がり、おもむろにアインザームの顔面へビンタを一発叩き込む。

鈍い音が響いたが、魔物は目を覚まさなかった。

 

 

フルーフは再び手帳に何かを書き込みながら、マキナを見つめる。

 

問答のたびに、少女の身体から血の気が引いていく。

なぜバレたのか、理解が追いつかない。

 

椅子の肘掛けを握る手が、微かに震えていた。

 

 

アインザームに知られるかもしれない。

 

その恐怖で、呼吸すら忘れて全身が硬直してしまう。

 

 

「あ……ぁ……は、ぁ……は、ぁ……」

 

「おっと……落ち着いて」

 

 

フルーフの声色が変わった。

 

 

「悪かった。私は君を脅すつもりは無いし、怯えさせるつもりもないんだ。コイツみたいに記憶を覗いている訳でもないから安心してほしい。ただ本能的に嘘がわかるだけなんだ。私はただ話を聞きたい――それだけさ」

 

 

急激に体調を崩していくマキナに気づいたフルーフは、素早く駆け寄った。

背中を擦り、水を差し出す。

 

優しい声色で語りかけながら、背を撫で続けた。

 

 

少し落ち着きを取り戻した少女は、水を受け取ると一気に喉へ流し込む。

荒い呼吸が、徐々に整っていった。

 

 

「はぁ……はぁ……あ、ありがとうございます」

 

「落ち着いたかな? ごめんねお嬢さん。思ったより状態が酷くて、少し事を急いてしまった。どうか許してほしい」

 

「い、いえ、こちらこそ嘘までついて……勝手に取り乱して申し訳ありません」

 

 

未だに身体を震わせるマキナから、フルーフはそっと距離を取った。

対面の椅子に腰掛け、焼けた肉を皿に移し、新しい肉を鉄板に乗せる。

 

 

ゆっくりと、気遣うような声で、再びマキナへと問いかけた。

 

 

「……君が自分の状態を言いたくないのは理解できたよ。だけど……とても重要なことだ。話してくれないかな?」

 

「……アインには……黙っていてくれますか?」

 

「約束はできないね」

 

 

フルーフの声に、僅かな硬さが混じった。

 

 

「何せコイツは私に対して、君の保護者と名乗ったんだ。なら聞く資格があるし、聞くべき責任がある」

 

「………」

 

「だけど私にも、コイツを生み出した結果、君と関わらせてしまった責任がある。君は……まぁ、言い方は悪いが、コイツと関わったせいで今そんなにも苦悩しているわけだろう。なら君の要望にもある程度応えるさ」

 

 

フルーフは視線を焚火に落としながら、言葉を続けた。

 

 

「そうだね。本来なら今すぐコイツを叩き起こしたいところだけど、それは君の望むところじゃない。だったらーー余命が数日に迫った時、もしくは私が『もう完全に手遅れだ』と判断した時に打ち明ける。……これで妥協してくれないかい?」

 

 

アインザームにマキナの状態を黙っているという選択肢は、存在しない。

 

どのような経緯があろうと、一度保護して面倒を見ると決めたのなら、果たすべき責任と義務がある。同時にフルーフ自身も、今のアインザームを作り出した責任が自分にあると考えていた。

 

酷い吐き気と頭痛がする。

何かを思い出しそうになるが、フルーフは平静を装い続けた。

 

アインザームがマキナと関わりさえしなければ、ここまで苦悩することなく死ねたはずなのだ。

 

眼の前で苦しむ少女の苦しみは、全てフルーフとアインザームが生み出したもの――少なくとも、フルーフはそう考えていた。

 

 

胸の奥で、何かが軋んだ。

 

 

――どうして子供一人に執着した、アインザーム。お前は私の失敗を知っていただろうに。……危ない。

 

 

霧に包まれた記憶が、輪郭を取り戻そうとする。

思い出してはいけない記憶だ。

 

本能がそう警告していた。

フルーフは酒瓶を掴み、中身を胃袋へと流し込んだ。

 

アルコールの熱が、記憶の輪郭を再び曖昧にしていく。

 

 

――せめて独り立ちできる年齢まで育てきれれば、拾った責任も満了できたのに……。

 

 

深く考え込み沈黙するマキナを他所に、フルーフは酒瓶を飲み干しては放り投げ、新しい瓶を開けていく。

 

 

「……わかりました。言います……なんでも聞いてください」

 

「……そうかい。無理させて申し訳ないね、お嬢さん。さっき言った約束は必ず守ろう。それじゃあ……まずは年齢から聞かせてくれるかい」

 

「はい……十三歳です。今年で14になります」

 

「…………苦労してきたようだね」

 

 

内心で、フルーフは深い溜息を吐いた。

まさか予想より遥かに上の年齢だとは。

 

十三、十四といえば、既に働き始めている者も珍しくない。

立派な大人とされる年齢だ。

 

だがマキナの全身は酷くボロボロで痩せ細り、とても年相応の体格とは言えなかった。

 

アインザームから多少話は聞いていたが、その話よりも遥かに過酷な環境を生き抜いてきたのだと察しがついた。

 

 

「……君、痛覚も無さそうだね。神経系の麻痺かな……味覚も同じ時に失ったのかい?」

 

「はい。弟から花瓶を頭に落とされ……それ以降、何も感じなくなりました」

 

「……そう、辛かったね。だとしたら……末梢神経障害あたりかな……」

 

 

フルーフは苦虫を噛み潰したような顔で、手帳にマキナから得た情報を書き込んでいく。

想定より遥かに闇が深い。

 

聞いていて不快感が顔に出そうになるが、歯を噛み締めてなんとか堪えた。

 

 

「その皮膚病は、僧侶に見てもらったことはあるのかい?」

 

「はい、一度だけ、お母様とお父様が聖都の僧侶様をお呼びしてくださり、診ていただきました。ですが……治療は不可能だと断られてしまいました」

 

「聖都の僧侶で無理なら、近隣の町で診てもらっても無駄か……。ありがとう。その動かない手の中はどんな様子かな……あぁ、包帯は外さなくていいよ」

 

「白い骨が見えていて……腕の肉が腐って、半分液状になってしまっています」

 

「なるほど……。ありがとう、聞きたいことは概ね聞かせてもらったよ……このことは君が……うん、危篤になるまで黙っていると約束しよう」

 

 

約束はした。

だが、告白の日は数日もしないうちに訪れるだろう。

 

フルーフは医者ではない。

無駄に長生きしている分、知識は豊富だが、専門的な見識は持ち合わせていなかった。

 

当然、マキナがどんな病なのか、その病状がどこまで進行しているかなど、正確には判断できない。

 

 

だが――マキナがどれだけ危険な状態にあるかは、一目で理解できた。

 

 

痛覚が無いだけで、今にも激痛にのたうち回ってもおかしくない状況だ。

今は台風の目に入っているようなもの。

 

すぐに全身が異常をきたし、動けなくなる可能性がある。

 

フルーフは手帳をパタンと閉じ、酒瓶を飲み干した。

煙管に干草を詰め、火を点ける。

 

深く吸い込み、紫煙を吐き出した。

 

 

「げほっ……げほ」

 

「あ、ごめん。つい癖で……今消すから」

 

「あ、お気になさらず。私はそろそろ戻ろうと思いますので……」

 

「そうかい? ならお風呂を沸かしておいたから入ってきなよ。……今更だけど、一応動かない腕は湯船につけないようにね。私はさっき着替えついでに汗を流したから……湯の汚れは気にしなくていいよ」

 

 

ニコチン欲しさに煙を吹かしたフルーフは、若干気まずそうに自分の頬を掻きながら、マキナへと火の灯されたランタンを手渡した。

 

少女はランタンを受け取ると、綺麗に一礼して家の中へと入っていく。

足取りはふらふらと覚束なく、動作の一つ一つが気だるげだった。

 

相当、心理的に無理をさせてしまったことが伺える。

 

だが、たとえマキナに嫌われようとも、聞いておかなければならなかった。

 

 

気を失って寝そべっている魔物は、きっと聞くことができない。

 

だから悪役を買ってでも現実を知り、アインザームに理解させてやる必要がある。

それが、フルーフが現状取れる責任の取り方だった。

 

 

煙管と酒瓶を交互に口に運びながら、対処法と選択肢を考えていく。

 

 

夜空を見上げると、満天の星が煌めいていた。

フルーフはそれに向かって煙を吹きかける。

 

 

ガサゴソと、雪を払い除けて何かが立ち上がる音がした。

どうやらアインザームが意識を取り戻したらしい。

 

 

「遅いお目覚めだな、アインザーム」

 

 

殴られた頬を数回擦りながら、アインザームはフルーフを一瞥した。

酒を飲み、煙を吐き、肉を味わいながら、だらしなく椅子に腰掛けて脚を組む女の姿。

 

それを見て、魔物は肩を落とし、溜息を吐くような仕草をした。

 

 

『突然殴り飛ばしておいて、なんだその言い草は……。――待て、日が暮れているだと……?……今すぐマキナの夕食を作らなければ……』

 

 

周囲を見渡し、日が完全に暮れていることを理解すると、アインザームはそそくさと家の方へ移動し始めた。

 

フルーフは空の酒瓶を投げつける。

 

パシッ、という音と共に、アインザームは酒瓶を受け止めた。

振り返り、気だるそうに眉間を顰める。

 

 

「まぁ待て。お前がスヤスヤ爆睡している間に、私が全部やっておいた。今は風呂だ……しばらく出てこないんじゃないかな?」

 

『マキナに変なことを吹き込んでいないだろうな?』

 

「はは!変なこと?……ただ、お互いに少しばかりの内緒話ができただけだよ。あの娘はとても良い子だ……気に入った。おっ――なんだぁ……覗きか? 無駄無駄……」

 

 

アインザームはフルーフを数秒見つめ、諦めたように顔を逸らした。

それを見て、フルーフは「残念でした」とばかりに両手を上げる。

 

 

『不便だ』

 

「何が不便だ、だよ。一方的に覗いてくるんじゃねぇ……この覗き魔。私から頼むならまだしも、それ以外だと対策してるに決まってるだろ」

 

『………』

 

「私の内面なんかよりも、自分の内面でも見とけよ……魔物が鬱病とか、なんの冗談だ。しっかりしろよな」

 

 

フルーフは親指を突き立て、自身の心臓部をトントンと叩いた。

 

鬱病――現在のアインザームの精神状態は、人間で言うところの鬱そのものだった。

 

 

『………黙れ』

 

 

無愛想な返事に、フルーフは露骨な舌打ちで苛立ちを顕にした。

マキナの時とは打って変わって遠慮が一切ない。

 

柄の悪さが全開である。

 

 

「へいへい……図星ね。自分がおかしいって自覚もあると。チッ、こっちは心配してやってるのに……礼儀のなってない糞餓鬼はこれだから嫌いだ」

 

『用件が無いなら、行かせてもらう』

 

「おい待て」

 

『……何だ?』

 

 

酒瓶をポイポイ飲み干し、臭い煙を吐き散らしながら呼び止めてくるフルーフに、アインザームは嫌そうな顔をしながら立ち止まった。

 

フルーフは親指で背後を指差す。

散らばった死骸や、肉を焼いた鉄板、空の酒瓶が転がる惨状があった。

 

ニコリと笑う。

 

 

「片付け、手伝え」

 

『………散らかしすぎだ。何故いつもこうなんだ』

 

 

ごっちゃ、という擬音が聞こえてきそうな惨状に、アインザームは眉間を寄せた。

流石にこのまま放置することはできないと判断したのか、渋々地面に落ちた瓶や串を拾い始める。

 

 

「そんなこと聞かれてもな、後のことなんて何も考えてないから……かな?」

 

 

フルーフはよしよし、と頷くと、酒瓶片手に椅子から勢いよく立ち上がった。

髪をボリボリと掻き乱しながら、まだ可食部が残った熊の死骸へと近づいていく。

 

 

そしてフルーフの全身から、膨大な魔力が噴き荒れた。

 

 

数百キロはあろう熊の巨体を――平然と持ち上げ、森の中へと力任せに放り投げる。

 

投げられた熊は物理法則を無視したかのように、一直線に空の彼方へと消えていった。

 

酔いが一気に冷めるのを感じながら、フルーフは未開封の酒瓶の上部を瓶ごと圧し折り、中身を口へと流し込んでいく。

 

 

「げぷ……煙、煙……」

 

 

続いてズボンのポケットに雑に突っ込まれた煙管を引き抜き、葉の塊と火種を入れて限界まで吸引した。

 

 

「すぅ……ふぅ〜〜……脳がピリついて堪らん」

 

 

吹き荒れる煙に対し、アインザームは手を横に振って露骨に嫌がる素振りを見せた。

 

 

『おいヤニカス……マキナの前で吸うんじゃないぞ』

 

「はいはい……流石の私でも二度もやらんよ。安心しろよな」

 

『なんだと……一度目があったのか。どうなんだ酒カス?』

 

「うわぁ……めんどくせぇ、お母さんかよ……。あの娘にはもう許してもらってんの……――ほら、パス」

 

 

スパァ〜と煙の輪っかを空に向かって吐きながら、フルーフは肉の脂に塗れた鉄板を蹴り上げた。

そのまま鉄板をアインザームの方へと蹴り飛ばす。

 

アインザームはそれを受け止め、ボロ切れの雑巾を広げて鉄板に当てた。

フルーフが集めた民間魔法を一通りマスターしているアインザームは、ギトギトの油汚れを魔法と共に拭い去っていく。

 

 

「うぉ……相変わらず家事関連の魔法は冴え渡ってんねぇ。……今のどんなイメージでやった?」

 

『キッチン・マ◯ックリン 強力◯解タイプ』

 

「なんでそこで洗剤の名前が出てくんだよ……頭おかしいだろ」

 

 

イメージを聞いたのに洗剤の名前が返ってきたことに、フルーフはドン引きした。

 

未だに燃え上がる火に雪をかけ、完全に消火した後、手荷物の大袋を肩に担いで歩き出す。

 

 

「片付けも終わったし、家に入るか……あの娘ももう風呂から出たかな」

 

 

以前は無かった女神像が、家の前に堂々と鎮座していた。

フルーフは横目でそれを見ながら、「アレ……何だ」と言いたげにアインザームの方を見る。

 

アインザームはおもむろに、首に下げていたものを服から取り出した。

 

フルーフは口に含んだ酒を盛大に吹き出した。

 

 

「ぶっふぅッ! ゴホッ……げほ……お前ぇ、なんてもん持ってんだ。心臓止まるかと思ったわ……」

 

 

アインザームはフルーフの反応に満足したように、首に下げたものを服の内側に戻した。

 

 

『マキナは女神の信者だ。あまり無神経なことは言うなよ』

 

「誰が言うか、失礼な奴め……。私は神を信じてないだけで、その主義主張を誰かに強要なんてしないし、余計なお節介も口にしない。ましてや相手は子供……私が好き好んでそんなことする奴だとでも思ってんのか? お前の顔面ぶち壊すぞ」

 

 

フルーフはアインザームの胸ぐらを掴んで引き寄せ、眉間をグリグリと人差し指で押し付けた。

 

そしてゴツン、と結構強めのヘッドバットをアインザームの額に叩きつける。

衝撃のまま、両者は後ずさった。

 

アインザームは額を押さえながら、釈明するように手でフルーフを制した。

 

 

『待て……思っていない。だがお前は無神経だからな。釘を刺させてもらった』

 

「ノンデリはお前も一緒だろうが……はぁ、もういい、わかった。私は酒を飲んで寝る」

 

 

溜息をひとつ漏らしながら、大袋を担ぎ直してフルーフは家の扉に手をかけた。

振り返ることはない。

 

アインザームはその背を見つめながら、言い淀むようにひとつ問いかけた。

 

 

『……フルーフ、己に言うことは無いか?』

 

 

それまでのお巫山戯が混じらない、どこか切実さの籠もった問いかけだった。

 

フルーフは再び溜息を吐き、首を振って拒絶した。

 

 

「……はぁ。無い、少なくとも……今はな。まぁ、安心しろよチキン野郎。お前の生みの親として……最後にケツを蹴り飛ばすくらいはしてやる」

 

 

マキナに残された時間は少ない。

 

きっと、マキナに対し一歩踏み出すことのできない、鬱々とした何かを晴らす切っ掛けを欲したのだろう。

だがフルーフはそれを理解しながらも、何も言ってやる気はなかった。

 

 

ここでアインザームに何かを言うのは簡単だ。

しかし、これはアインザームとマキナの問題。

 

突然現れた部外者でしかない人間が、好き勝手言う気分にはどうしてもなれなかった。

 

 

それに、歳の割に青臭い情緒をしたアインザームが苦悩することは、精神的に成長する糧として丁度いいとも思えた。

 

 

どの道、うじうじとくすぶる魔物に何か言ったところで、動く確証は無い。

なら、最後の最後までその鬱憤を溜めさせて爆発させた方が――確実に一歩踏み出せるというものだろう。

 

 

『………』

 

「大事にしているのなら、精々考えるんだな。お前はあの娘に何をしてやれるのか……どうすれば幸せにしてやれるのか。それがお前の望みなんだろう?」

 

『……あぁ』

 

 

拳を握り、振り絞るように肯定したアインザームは、ただ地面を見つめて立ち尽くしていた。

 

フルーフはそのまま家の中へと入っていき――扉が閉じられた。

 

 

『こんな己に……苦しむあの娘に、一体何をしてやれるというんだ……』

 

 

精々考えろ――フルーフの言葉が、脳内で何度も木霊する。

 

アインザームは家の中には戻らず、霧を纏いながら、一人暗い夜の森へと消えていった。

 

 

 

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