アインザーム・オリジン【完結】   作:ごすろじ

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▼第二話▶アイン

 

 

 

――北側諸国【???】

 

 

 

 

 

“アイ……ム”

 

 

 

“ア…ンザ…ム……ッ!”

 

 

 

 

“おい、意識があるなら反応しろ。”

 

 

 

 

薄暗い森の中、沈み込んだ意識が浮上し覚醒する。

眼の前にあるのは白と赤。

 

己と似た髪を掻き毟り、酷く目つきの悪い人類の名はフルーフ。

忌まわしくも哀れな。世界から呪われた人間。

 

 

 

“どうなってる。もうあの娘のことを思い出したぞ?こんなんじゃ……まともに研究も出来ない。あの娘を捨ててまで得られた成果が何も無いだなんて許されてたまるかッ!?駄目だ……駄目だ駄目だ駄目だ、私は……私はなぁッ!?――くそッ!”

 

 

この人間を己はよく知っている、それこそ本人が摩耗し擦り切れたと思い込んでいる記憶の隅々まで。

苦悩、停滞、絶望、焦り、危機感、罪悪感。

この人間はそれらを忘れる為に己の下にやってくる。

 

 

哀れだ……そう思うようになったのは何時からだろう。

己はこうでなくてよかった……こんな風に思うようになったのは幾年を跨いだ時だろう。

 

 

己が種に知性は無く、しかし眼の前の人間から記憶を読み取り、その感情に触れている内に疑念が生じた。

 

 

フルーフとの出会い、その契機は単純だった。

己が捕食を目的とし襲い、相手がそれを返り討ちにした……たったそれだけだ。

 

 

実にありふれた話。ただ一つ違うとすればその人間が、己を利用しようと調教し始めたことだろうか。

 

己の種は人類の記憶と感情を読み利用することに特化した魔物。

どの記憶を選び、どの音を発すれば人間を動揺させ誘い込めるのか……それを本能的に悟ることが出来た。

 

 

だが言語は『わかる』だけであって『理解』している訳ではない。

 

感情も同様で、それに何かを想う感受性は存在していない。

これは進化の過程で省かれた機能なのだと己は考察する。

 

仮に言語を真に解し感情に寄り添えたのなら、己が種は他者の手を介さずともあっさりと死滅してしまうことだろう。

 

故に己は人喰いの魔物。

故に意思疎通は不可能。

 

 

しかし、それを目の前の人類は否定し続けた。

己が空腹に飛びかかれば殴り倒し、蹴り飛ばし、投げつけた。

幼児に教え込むが如く、言語の意味を理解させ。学びを増やすごとに褒美とばかりに捕食される。

 

 

そんな日々を幾千と繰り返す中で転換期を迎えた。

本能だけに突き動かされる身体には知が巡り、徐々に脳内には思考という名の概念が根づき始める。

 

透明な壁に阻まれた他者の感情。

観測するだけで他人事でしかなかったそれを、実感し共感出来てしまった。

 

 

学習、命令を実行、捕食。この単純な三工程の繰り返しで、己は得てはならないものを得てしまったのだ。

本能的にそれが理解出来てしまった。

 

 

私は欠陥品に成り下がった。

魔物という生態系の中で生存を許されない異端。

 

 

だが、以前の己に戻りたいとは思わない。

知性が巡る脳が本能だけの低能になりさがることを拒否する。

 

フルーフの記憶がそれは退化だと囁きかけてきた。

 

 

フルーフは私に魔法を教え、精神魔法の術式構造とその基礎理論を教えた。

幻影魔法を応用して魔法を進化させろ、魂にまで作用させる精神魔法にしろと命令する。

容易く人類の内面を見透かすお前なら出来ると囁き縋ってきた。

 

 

アウラ、アウラ、アウラ、アウラ、アウラ、思考と記憶が流れ込んでくる。

 

精神が軋み押しつぶされそうな不快感。

己はそれらを逸らし、置き換え、誤魔化し、学んだ知識を応用し覆い隠した。

 

精神を介し、特定の知識に行きつけぬよう、霧で覆い隠す。

 

 

だが、あの人間は直ぐにそれを見つけ出す。

本心から忘れたいと願えば、決して辿り着けぬはずなのに——必ず己の元を訪れる。

 

長くとも一年、短くて数ヶ月。その間に必ず彼の人間は戻って来る。

 

 

今日もまた、記憶を覆う。

呪われた人間は大魔族を探して彷徨い歩いていく。

希望を求め彷徨い歩く亡者に己は憐憫を覚える。

 

 

移り変わる日々の中、知性は高まり、感情の波は深みを増す。

静寂が支配する森の中で、ただその場に佇み続ける。

 

ふと疑念に思う。

己は一体何者なのか。

幻影鬼という存在から外れた己は一体……。

 

 

静かな山の外では戦争が起っている、それは魔族と人類が血で大地を潤す骨肉の争い。

 

愚かなことだ。

馬鹿らしくて反吐が出る。脳味噌が詰まっていないのかと嫌悪が沸き立つ。

 

 

そしてまた疑念が浮かぶ。

 

 

こんなことを考える己はなんだ?

己の始まりは本能で動くだけの魔物。

人間を喰らう生物でしかなかった己が、何故こんなことを考えている?

 

 

この思考はどこから来る?

フルーフから読み取った記憶によるものか?

であれば、果たしてこれは己の思考といえるのだろうか?

 

 

知性は得た。

だが己というものが何もわからなくなった。

感情は心から齎される。己の中にある情報はそう示している。

 

 

ならば、心を知れば己を定義できるのか?

その答えを見出せたなら、真に個として生まれ変われるのかもしれない。

 

 

生態系から外れた落伍者ではなく。

己で自身を定義した、新しい一つの生命として。

 

 

心は経験により成長すると、学習元であるフルーフの知識に刻まれていた。

ならば、経験を蓄積し、この停滞から抜け出す必要がある。

 

 

気づけば己の身体は動き出していた。

ただ佇むことを止め。静けさだけが残る森を彷徨い出だした。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

暗雲立ち込める真昼の空。

太陽が刺す時間帯にも関わらず、天蓋は灰色で染まっていた。

 

 

空気はジメジメとした湿度を帯び、肌には重い湿り気が纏わりついてくる。

 

 

山の中を彷徨い幾星霜。

生態系の営みを鑑賞し、美しい湖に身を浸し心を潤した。

だが未だ心を定義することは出来ず、やはり己は何者でもない。

 

 

何も無い森の中。

魔物どころか、人類さえ寄り付かない森全体を霧で覆い、己は自然と一つとなる。

 

森そのものが身体の一部になったかのように、様々な気配が感じられた。

 

 

――…感じたことのない気配が近づいてくる。

 

 

魔物、いやこれは。馬と荷代。

馬を操り木造の滑車を引かせている。

 

初めて見るが、それが馬車なるものだと理解した。

 

 

進行上の霧を裂き、触れさせないようにする。

仮に魔法使いが乗っていた場合、己一人で対処出来る確証はどこにも無い。

 

争い事は苦手だ。

争いなどという思考は非合理的でしかなく、時間の無駄でしかないからだ。

 

 

霧に触れていない状態では人間の記憶は読み取ることは不可能。

故に人間共の目的はわからない。

 

己はただ、彼の乗り物が通り過ぎるか引き返すのを待った。

 

 

森の深部で馬車が止まる。

三人の黒いローブを羽織った人間が周囲を窺っていた。

 

その内の一人が肩にナニかを担ぎ茂みの奥へと投げ捨てる。

 

品の無い笑い声と共に、人間共は馬車に乗り込み来た道を引き返して行った。

 

 

――やつらは何だ?この森を魔獣の巣窟などと言って笑っていたが、この森には魔物一匹いない。仕事と聞こえたが……関わらなくて正解だったようだな。

 

 

森から馬車が出たのを確認し、人間共が何をしていたのかを確認する。

霧の中を進み、茂みの奥を掻き分けていく。

 

そこには蠢くノミ袋があった。

 

 

モゾモゾと蠢き、丁度人間の子供一人分くらいのサイズだ。

己は慎重に近づき、固く縛られた袋の紐を緩める。

 

 

すると袋は勢いよく開き、口を目掛け顔を出す。

 

 

「――うぐ……ぷはぁ!?……ッ!?あ……」

 

『………』

 

「あぁ……貴方様は、一体どなたでしょう?」

 

 

人間の子供だった。歳はわからない。

だが背丈と声の幼さから十を超えていない可能性がある。

 

 

手入れの行き届いていない白銀の髪。

ボロボロの綿を重ねただけのブカブカの衣服。

骨が浮き彫りになった手。

顔を隠すように張り付く鉄仮面。

 

 

己は迷う。

これを凶兆と捉えるか、吉日と捉えるか。

この日常の変化を受け入れるか、受け入れないか。

 

 

己は迷いの末。これを吉日と考える。

フルーフ以外の他者との交流は初だ。

 

不安は付き纏う。

だがこの判断はこの先、山の中にいても得られない経験を齎してくれるはずだ。

 

 

己は落ちている石を掴み、地面に己が種族の名を刻む。

 

 

“アインザーム”

 

 

「アイ、ンザ……ーム…様でよろしいのかしら?」

 

 

“そうだ”

 

 

「こ、此処はどこでしょう」

 

 

見た目に反して、少女の声には奇妙な気品があった。

これは種族名であって名前ではないが、訂正した所で名など無いのだから止めておくことにする。

 

少女の疑問に答える解を、己は有していない。

 

 

ただ“静かな雪山の中”とだけ地面に書いて示す。

 

 

「え?あぁ…ふふ…アインザーム様はユーモアが堪能な魔物なのですね」

 

 

少女が笑っている、何が笑いの種となったのか理解出来ない。

しかし泣かれるよりは余程いい。

 

 

続いて己は、地面に引き返していった馬車のことを尋ねる。

 

 

“此処に来た馬車は森を出ていった。帰る脚が無いのであれば、近場まで送ってやろう”

 

 

「いえ、帰ってもお兄様に殺されるだけです。ここがどの辺りかは存じませんが、山を降りて戻ろうとは思いません」

 

 

何だ?言っている意味が理解出来ない。

 

兄に殺されると言ったか?

それは己の知っている知識とまるで違う。

 

 

“兄が異常者なのか?なら親を頼るべきだ、父親や母親がいるんだろう?”

 

 

「魔物さん……私、驚きました。人間の言葉が凄く御上手なのね。あ、ご、ごめんなさい……お父様もお母様も私のことを疎ましく思っているの。殺そうとはしないけど、死にそうなら態々助けようなんて思わないはずよ」

 

 

なに?それは親ではない。

己の知識にある人間の家族像と大きく異なる。真逆と言っても良い。

 

親は子供を守り、無償の愛を注ぐ存在のはずだ。

何故殺す?何故疎む?理解出来ない。

 

 

己はその不可解な疑問を地面に書きなぐる。

 

 

「……凄く純粋で綺麗な心を持っているのね、魔物さん。私が言っても説得力は無いかも知れないけれど、貴方の言っていることがきっと正しいのだと思います」

 

 

綺麗な心?己にそんな判断基準は無い。

何を持って己ですら定義出来ない心を綺麗と言ているのだろう。

 

 

何故、そんな柔らかく諦めきった声色で己を肯定する。

 

本来得られるはずの幸福を得られず、こんな山奥に投げ捨てられて何故嘆かない。

 

それは間違いなく不幸なことだ。

惨劇だ。永遠に落ち続ける奈落に等しい状況だ。

 

 

己の手が少女に向かって伸びる。

見たい、知りたい、感じたい。

 

この少女の中を覗けば、自己の確立に一歩前進できるかもしれない。

少女に触れる瞬間、己の手が止まった。

 

 

――許可を得てからのほうがいいか。

 

 

“己は種族の特性上、触れただけで人類の記憶と感情が見える。己は自己の確立を願っている、お前の中を覗いてもいいだろうか?”

 

 

「――ッッ!?だ、駄目……ぇ……ぁ…………

 

 

――いや、その……ぁ、あははは……ま、魔物さんって本当に素直で可愛い御方ね。それにお人好しだわ、でも駄目。レディーに触れるにはちゃんと許しを得てからでないといけません」

 

 

そうか、そういうものか。

そういった知識は、学習元であるフルーフの中にはなかった。

 

どうやら己の知性により、独自に導き出された疑念は正解だったようだ。

残念に思うが、拒否された以上少女の中を覗くことは永劫叶わない。

 

 

「お待ちになって……アインザーム様。まだ会って間もない殿方に私の全てを見られるのは恥ずかしいのでご遠慮して欲しいのは事実ですが……お話相手になら喜んでなります。それで、もし。お互いに仲良くなれた後でしたら……」

 

 

好機再来。

これはまたとない提案だと理解する。

 

己の容姿は控えめに見ても、人類の美醜から大きく逸れる形をしているはずだ。

意思疎通が可能とはいえ、子供が平然と話せる温かみのある造形はしていない。

 

何故怖がらないのか。

少女の全てに感じたことのない興味関心が沸き立つ。

 

 

“了承した。山を降りられぬ以上、ここで暫く暮らすということだな。生活基盤は己が保証しよう。”

 

 

「な、何故。どうしてなのですか……――そういう意味で言った訳では……。い、いえ、申し訳有りませんアインザーム様。私一人では明日を生き延びるのも難しい身。ここはお言葉に甘えさせていただきます」

 

 

畏まられても困る。

己は大人でこの人間は子供だ。

なら大人である己が面倒を見るのが常識だろう……もしや違うのか?

 

 

 

……少し聞いておくか。

 

 

“何を言い淀んでいる?言いたいことは好きに言え、欲しいものがあれば言え。己は成体、つまり大人だ。お前は幼体、つまり子供だ。大人は子供に甘える権利がある、大人が子供を守るのは当然のことだ。己は何か間違ったことを言っているのか?”

 

 

「―――――そう、そうなのですね……いいえ、間違って、ないです。あり、がとうございます……アインザーム様」

 

 

間違っていなかった。

嗚咽が混じっているのが気がかりだが、己の選択は正しかったようだ。

 

 

「それでその……いきなりで申し訳ないのですが、水場となる場所はありますか?少し顔を洗いたくて……」

 

 

少女は顔を背けてこちらを見ない。

その態度に疑問はあれど言葉は理解出来た。

 

要求に答える丁度いい場所を知っている。

 

 

しかし少女を歩かせるには時間も労力も掛かりすぎる。

水辺は岩肌の入り組んだ先にある、此処から迂回するには遠すぎる。

 

己が運ぶのが一番効率的だ。

 

 

“わかった。人間でも飲水に出来る綺麗な湖がある、そこへ行こう。お前は脚が小さい、己に乗っていこう。お前に触れる許可が欲しい”

 

 

「へ?あ、あの……で、ですが。私に触れるのはその……やめておいたほうがよろしいかと……」

 

 

警戒させてしまった。

どうやら己の種族特性がコミュニュケーションの足を引っ張っていると見える。

 

 

“安心してくれ。何も覗かない……この身は知性ある生命だ。約束は守る”

 

「そうではなく……これを見て下さい。ふふ、わかるでしょう?私が歩きますので、どうか離れていてください」

 

 

そう言うと少女は長袖のボロ布を捲り腕を見せてくる。

少女の腕には至る場所が紫色に変色し爛れていた。

 

一部からは黄色い膿のようなものが吹き出ている。

広がり方を見るに全身にまで広がっていると見るのが妥当だろう。

 

 

“成る程、痛むのか?大丈夫だ、己には衝撃が伝わる脚はない。摩擦で刺激することはないだろう。医者は、すまないが用意出来ない。半年ほど待てば心得のある人間が来る。それまでは我慢してくれ”

 

 

「――え?……いえ、そうではなく。き、気持ち悪いでしょう……伝染るかもしれませんのよ。ですので私は歩きます……迷惑は掛けたくありません」

 

 

まただ。何故こうも知識との乖離が起こる?

病人は看病されるべきだ。

ましてや人間の子供。

 

脆弱な幼体を強引に歩かせるなど論外だと、己でも理解出来る。

 

 

“医者の診察に掛かった経験はあるか?伝染るものだと言われたか?”

 

 

「い、いえ、まだほんの小さい頃に一度だけ……お母様がお医者様を呼んでくれました。その時は伝染るものではないとおっしゃっていました。ですが、いくら消毒し、殺菌作用の強いハーブを塗っても効果は無く、酷くなるばかりで……」

 

 

なら問題ではない。

己の肉体は魔物の中では脆弱なれぞ、並の人類に比べれば遥かに丈夫。

 

 

専門的なことは分からんが、悪化の原因はその対処療法か?

フルーフに聞く必要があるな。

 

しかし、うむ、己には血まみれの肌を爪で掻きむしっているようにしか聞こえん。

 

 

“なら気にするな。お前は病人で子供だ。己には大人として面倒を見る責任と義務がある。さぁ早く乗れ、余り時間を掛ければ雨が降る”

 

 

遠くで雷雲の唸りが空気を伝わってくる。

後一時間もしない内に雨が降るだろう。

 

今は説得よりも早急に目的を達し、住処に戻る必要がある。

己は両手を広げ少女に乗れと促す。

 

 

「どうなっても、知りませんよ」

 

“気にしない。何が起ってもそれは私の責任であって子供の責任ではない。気にせず乗れ”

 

 

何をそれほど気にしているのか。

恐る恐ると少女は広げた腕を掴む、己はそれを了承と受取勢いよく抱き上げた。

ぐちょりと生々しい感触が胸元に広がる、膿が衣類から染み出しているようだ。

 

 

「――あ、あの……ごめんなさい……ッ、わ、私……」

 

 

力加減を誤ったようだ。

この衣類を一刻も早く着替えさせねばならない。

不衛生過ぎて雑菌が染み込んでしまう。

 

 

手頃な木を石で切りつけ文字を刻む。

 

 

“すまない、痛くはなかったか?以後繊細な注意を払うことを約束する”

 

「………大丈夫、です……よ……」

 

 

そうか、なら急ぐか。

生い茂る茂み、脚を絡め取る沼、凹凸で構築された登り坂を滑り、最短距離で目的の場所を目指す。

 

 

到着だ。

己の前には、曇天にもかかわらず透き通った湖が広がっている。

腕から降ろしてやると、少女は水面を覗き込んでいた。

 

 

「……綺麗……私、こんな綺麗な水をみたのは初めてよ」

 

 

己もそう思う。

此処の水はとても綺麗だ。

 

同じ感想を共有出来ることに、胸の中に浮き立つものを感じる。

 

 

「アインザーム様……貴方はきっととても良い魔物さんだと思うわ。私の家族なんかよりも……遥かに善良で疑うことを知らない。純粋で、無垢な御方」

 

 

物を知らない世間知らずと言われたのか?

それとは違うような気がするが……何が言いたいのか理解出来ない。

 

 

「少し、ほんの少しだけ怖くなってしまいました。魔物さんに顔を見せるなんて平気だと思っていましたのに……。ですが、貴方にこの顔を見せて……その結果拒絶されるたら。……私はきっと耐えられない」

 

 

少女は顔を覆う鉄仮面を水面に映したまま己を見ない。

子供に似つかわしくない……フルーフのような悲痛な気配が漂ってくる。

 

 

「ですが同時に、期待もしてしまっています……。善良な魔物のアインザーム様。貴方なら醜く汚れた私を、受け入れてくださるのでは……そんな甘えが。欲が出てしまうのです」

 

『……』

 

「アインザーム様。私の顔は……お母様もお父様も、呪われた化け物と呼ぶほどに醜いのです。ですからどうか、見る覚悟がないのなら去ってください。私には貴方を拒む勇気が……ありません」

 

 

どうやら、この少女の悲痛の元凶は己にあるようだ。

ならば責任は取るべきだ。

 

この場を離れる気はない……それにもうじき雨が降る。

体力を消耗しているであろう少女を、安静に休める場所で保護しなくてはならない。

 

 

私は人を喰う。

人類にとっては善良でもなんでもない。

 

故に素直に言うことを聞く必要はない。

この場を後にする合理的な理由も……また無い。

 

 

「期待、しても良いのですか……きっと魔物さんでも眼を背けたくなると思いますよ?後悔しても私は責任をとれませんよ?」

 

 

己は返す口を持たない、故に黙して頷くのみ。

 

 

 

「この顔を、家の者達以外に見せるのはニ度目ですわ……。とても心優しくも清い御方。どうか逃げずにいてくれることを……心から願わずにはいられません」

 

 

カチカチと金具を外す音と共に、鉄仮面が水面に落ち飛沫を上げる。

少女は俯きながら己へと振り向き見据える。

 

 

「――………私が家族から疎まれる理由が分かったでしょ」

 

 

膨れ上がり垂れ下がる肉塊が見えた。

 

 

腐った肉と渇ききらない黄濁の少女の頬を滴り落ちる。

 

 

酷く痛そうだ。

 

 

 

 

――肌の状態が酷い……これが、腫瘍というものか?

 

 

少女の顔の半分。

そこには大小様々な腫瘍が広がり人間の顔としての原型を残していなかった。

 

半分は傷一つ無くまるで白磁器のようだが、一方でもう片方は腫瘍で眼球が潰れ、鼻があらぬ方向に曲がっている。

 

皮膚病も身体と同じで重症だ。

 

 

感性が違う魔物からしても感じ入るものがある。

 

まるで美しい光景に突如異物が紛れ込んだかのような感覚。

無事である顔が、余計にその異物感を引き立てているのだろう。

 

 

 

だが、まぁ己の感じ入る感想としてはそんなものか。

 

 

何より眼を引くのは少女の瞳――夕焼け色に輝く温かい光。

あの光に比べれば全ては塵芥に等しい。

 

 

泥に塗れ、奈落に落ちようとも、尚他者を怨まず生きようとする力強い生命の輝き。

醜悪な人間を見続けてきたせいか……素直に美しいと思えた。

 

 

「アインザーム様。顔を晒し続けるのは私も辛いので…落胆したのであれば…余り期待させず立ち去って下さい。……………――

 

 

 

 

 

――………あ、あの、いつまで見ているつもりですか?」

 

 

 

いかん。見惚れて返事を忘れていた。

なんだったか……そうか顔の感想だったな。

 

 

字を書こうと腕を動かすが……それは出来なかった。

己の動きに反応して少女の身体が震えた。この行動は少女を怯えさせる。

 

 

 

そして、文字を書いて伝えるには距離がある。

 

 

 

 

 

直接伝えるか。

 

 

 

 

 

 

――『綺麗だ』

 

 

 

「――ひゃう!?なんです、突然頭の中に声が……!?あ、アインザーム様!?」

 

 

 

どうやら驚かせてしまったようだ。

己の声であることを示さねば。

 

人差し指で、自身の方を指し少女へと己の声だと伝える。

 

 

 

『その眼が――とても綺麗だと思った』

 

 

「へぇ?あ、あの……アインザーム様。……わ、わかりましたから……もう結構です、わ、私……なんだかとても恥ずかしくなってきました」

 

 

顔の感想を聞かれたのに眼の話ばかりしてしまった。

最後に顔の感想を言わねば。

 

 

『顔……顔については……すまいないが、特に感想はない。痛そうだとは思う。こう言っては失礼だと承知だが、片目の美しさがより際立つからして……己にとっては疎む対象とはなり得ない』

 

「ど、どれだけ私の眼が好きなんでかぁ!?わ、私から聞いておいてなんですが恥ずかしくて堪りません……。も、もう結構ですので。あ、アインザーム様のお気持ちはよくわかりました」

 

 

少女は大声で己にそう語りかけると、勢いよく顔を洗い始めた。

耳が赤い……どうやら己はこれ以上発言しないほうが良いようだ。

 

 

「お、お待たせしました……そ、その本当に何も気にしていないんですの?」

 

 

顔を洗い終えた少女がパタパタと戻ってくる。

その顔には先程剥いだはずの鉄仮面が既に装着されていた。

 

あの美しい眼が見えない……残念だ。

 

 

『服を脱ぐんだ』

 

 

「……これから一緒に過ごすとは言え、淑女にその物言いは如何かと存じます」

 

 

何故だ……。

 

少女の視線が責めるように突き刺さる。

言葉が足りなかったのかもしれん。そう思い至り、補足する。

 

 

『その服は不衛生だ。一先ずお前が入れられていた袋を持ってきた。これに入るんだ。着替えは己の住処に大きいものだがある』

 

 

「アイン様……。貴方はとても言葉足らずな御方ですね」

 

 

アイン?己のことか?

 

 

「不思議そうな顔をしていますわね。素直で愛らしいアイン様。共同生活をおくるのです……愛称位は構いませんでしょう?」

 

『己だと理解出来ればそれで良い』

 

「ではアイン様。これからよろしくお願い致します。それと名乗りが遅れてしまいましたが、私の名はマキナと申します。どうか末永い関係を築いて参りましょう」

 

『了承した。マキナ、呼びやすくていい名だ』

 

 

そう名乗ると少女は、服に手を掛け脱ぎ始めた。

己は少女の肩に手を置きその行動を阻止する。

 

見たくもないフルーフの脱衣を目撃して殴られたことを思い出す。

 

 

「どうかしましたか?」

 

 

ぬ、何故駄目なのか説明できない。

咄嗟に止めてしまったが、むむ……行動と釣り合う整合性が浮かばん。

フルーフの知識から言葉を借りるか。

 

 

『貴婦人が淫らに肌を晒すものではない。己は向こうを向いている。袋に入ったら教えて欲しい』

 

「……?……あ、アイン様……。まさか私を女性扱いしているのですか?

 

 

何?何故そこで疑問符が付く。

当たり前だろう。

 

己は性差も見分けられない審美眼の無い畜生だと思われていたのか?

なんたることだ。

 

 

 

己は力強く頷き肯定する。

少女はどこからどうみても雌に分類されるだ人類だ。

 

 

 

「はは……、変だな……そっか」

 

『男だったか?』

 

「ふ、ふふ。いいえ……そうでは、そうでは、ない……のです。忘れていました……そうですね。私は……女の娘でしたね……う、うぅ゛、ぐすぅ……そうです、私は女の娘なんですぅ……」

 

 

少女の喉が震え、嗚咽が聞こえてくる。

 

まずい、泣かせてしまった。

女性を女性扱いすることは間違いだったのか?

成体と幼体で言葉を分けねばならなかったのかもしれない。

 

泣き続ける少女に己は何も出来ない……己の知性の無さを呪う。

フルーフの記憶の中にあるフランメの動きを再現し、少女の頭を撫で続ける。

 

 

己は泣き止んでくれるのを待ち続けた。

 

 

数分か数十分か、ようやく少女は顔を上げ泣き止んだ。

 

 

「うぅ、ひっぐ……ごめんなさい、アイン様。みっともないところをお見せしました」

 

 

これは皮肉か?

何も出来ず狼狽える無力な魔物を嘲笑った言葉なのだろうか。

 

違うな。

フルーフの記憶に影響され思考が捻くれただけだ。

純然たる感謝に違いない。

 

 

鉄仮面の端から涙が滴り落ちていく。

中は酷い有り様に違いない。

 

己は金具を外し仮面を外す……やはり美しい。

暗闇の中にある灯火のように、胸の奥が安息で満ちていく。

 

 

「淑女の泣き顔を覗こうだなんて。紳士としてあるまじき行いですよ、アイン様。泣き顔を見られたのなんて……貴方が初めてです」

 

 

綿袋の余分な部分を手で裂き、重ねて少女の目尻にあてがう。

言葉の割に少女は笑顔を浮かべている。

 

涙に沈む少女の瞳は尚も美しい。

 

 

『それは光栄なことだ』

 

 

この美しい瞳を見たのがこの世で己が初めて、甘美な響きだ。

胸が震え醜悪な優越感が溢れ出す。

 

低次元の審美眼しか持たない人類にこれほど感謝したことは無い。

 

 

「光栄だと……言ってくれるんですね……。本気で、言ってるんですか?」

 

『無論。意味もない虚言は好かん』

 

「ふ、はは……。生まれて初めて、私を女性扱いしてくれた魔物さん。ありがとうございます。永遠に手に入らない尊厳を手に入れたような気分です。ですがあそこは貴婦人ではなくレディーか淑女と言って欲しかったですね」

 

『以後気をつけよう』

 

 

愉快そうに笑う少女の顔に陰りは無い。

この人間には笑顔が良く似合う。

 

綺麗だ……綺麗で美しいものはずっと見ていたい。

 

 

心が潤う気がした。

少女を見ていると、何者でもなかった己にも確かな輪郭が与えられる——そんな期待を抱く。

 

この一喜一憂が心なのか。

まだ分からない。

 

だがあの瞳を見続けていれば、いずれ己の中にも心を見出せる。

そう確信した。

 

 

——降ってきたか。

 

 

ポツポツと雨が肌を濡らす。

袋に入り込んだ少女を抱き上げ、住処へと戻る。

 

幸い、フルーフの為に用意した人間用の住居がある。

医薬品ではないが、消毒用の酒と布もある。

 

食料は保護魔法の掛けられた木箱に数年分。

栄養もなく味気ない保存食だが……時間さえかければ、自給自足の準備を整えられるだろう。

 

 

袋の中から寝息が聞こえてきた……――眠ったか。

少女の全身には皮膚病だけでなく殴打の跡がある、様々な憶測は出来るがそれは後だ。

今は心身共に衰弱し消耗している少女をなんとかしなければならなかった。

 

 

 

雨風を凌げる簡素で大きな家の扉を開き、寝床に少女を寝かせる。

薪を割り暖炉に焚べ火を灯す。

 

全てフルーフの私物だが、管理している己が使用しても問題はないだろう。

 

 

己は衣食住を必要としない。

だが人間にとってはそうではない。

 

毎日の食事、着替えに衛生面の維持、住処の快適化、色々と課題は尽きない。

 

 

一先ず飲水を汲んできて、釜で湯を沸かそう。

知識の中には薬湯なるものがあるが、病状によっては禁忌となりかねん。

 

己が安易に行うべきではないな。

 

 

 

当面の目標は保存食が無くなる前に狩りか釣りで備蓄を蓄え……。

後は、畑も耕すか。

 

幸いこの手の知識にはことかかない。

 

 

 

 

 

 

――なんだ……?

 

 

何故己はこれ程浮き足立っている。

落ち着こう。

 

己は知性ある生命。

よくわからん情動に振り回されるような、衝動的生き物ではない。

 

 

うぬ………。

 

 

 

うむ……だがしかし……。

 

 

やはり落ち着かん。

 

 

喉が乾いているかもしれん………汗もかくだろう。

 

 

 

 

 

 

――行こう。

 

 

 

 

己は理解しがたい感情に従い、雨が降りしきる森に戻った。

これはフルーフから学習し集積した情報から起こるものなのか……それとも己の……。

 

 

わからない。

それを断言出来る根拠を、己は示せない。

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