日が傾く時刻。
家の外では燃え盛る炎の音と、フルーフのテンション高めな遠吠えが響いていた。
時折アインの怒鳴り声が霧を通して住居まで届き、家の中で静かに聖典を読んでいたマキナは顔を綻ばせ、くすりと笑う。
それは暫くの間続き、完全に日が沈むのを合図にピタリと止んだ。
やがて扉の方からドタドタと騒がしい足音が近づいてくる。
蹴り開かれた扉と共に、香ばしい肉の匂いが室内に流れ込んできた。
「マイ・レディー!お待たせ!見てよ、このパリパリのコンガリと焼けたローストチキン……思わず涎が垂れそうなスパイシーな香りが堪らないだろう」
鼻を赤くさせ鼻水を垂らしているフルーフは、自慢げにチキンの乗った皿を手に持ちクルクルと回る。
外の寒さで冷えた頬が上気し、息が白く弾んでいた。
だがアインはそれをヒョイと取り上げ、テーブルの上に置いてしまう。
視線を少女へ向けると、その腕の中には先ほど手渡した花束がまだ大切そうに抱えられていた。
何とも言えない気恥ずかしさが込み上げ、アインは思わず頬を掻く。
『マキナ、待たせたな。――……フルーフ、あの花束を花瓶へ挿してやってくれ』
「おっと、気が付かなくてすまないね。さぁ、お嬢さん……枯れないように花瓶に移そうか」
「はい。お願いします」
フルーフは戸棚から空の花瓶を一つ手に取り、水を注ぐ。
少女が差し出す花束を受け取り、一本一本丁寧に挿していく。
その手が、不意に止まった。
花の種類と本数を確認するように視線を巡らせ、それからニヤニヤとしながら花とアインを交互に見る。
「ふふ……いやぁ、流石はメルヘンモンスター。その辺に生えてる野花じゃなくて、ちゃんと選んで渡してるみたいだね。お嬢さん……花言葉は知ってるかい?」
「いえ、あまり詳しくはありません。見たこともない綺麗な花だな、とは思っていましたが……。どんな意味が込められているんですか?」
その一言に、アインは目元を大きく見開いた。
慌ててフルーフの口を塞ごうと腕を伸ばす。
だがマキナの興味津々といった様子――身を乗り出し、声を弾ませるその気配に、伸ばした腕は途中で力なく止まってしまった。
キラキラとした期待を滲ませる声に、アインはそのまま項垂れる。
「白い花束は新しい門出を意味するんだ。手前からオキザリス、オステオスペルマム、カランコエ、サギソウ」
「それが何かを意味するのですか?」
まるで黒歴史でも暴露されるかのように、アインは顔を両手で覆い、フルーフを憎々しげに睨む。
フルーフはどこ吹く風で顔をニヤつかせたまま、マキナに花束の意味を説明していった。
「オキザリスは"輝く心"、"決してあなたを捨てません"。 オステオスペルマムは"変わらぬ愛"。 カランコエは"幸福を告げる"、"あなたを守る"。 サギソウは"夢でもあなたを想う"」
「―――」
マキナの手が、膝の上でぎゅっと握りしめられた。
「そして花の本数は四十本……つまりこれを全部繋げると、『貴方の美しい心に恋をしました、この愛を決して手放すことはありません。変わらぬ愛情のもと貴方を幸せにし守ります、たとえ命尽きようとも貴女を想い、ここに永遠の愛を誓います』……こんな感じ?」
だよな、アインザーム。
そう言いたげな視線と共に、フルーフはアインへウインクを送る。
マキナは俯いたまま動かない。
顔布の下、耳の先まで朱に染まっているのが見て取れた。
膝の上で握りしめた指先が、小刻みに震えている。
『き……貴様フルーフ。やっていいことと悪いことがあるだろうが……ッ!?』
「あ、図星だった? ごめんごめん……お母さんだから息子のこと嫌でも理解しちゃったみたい! ごめんねメルヘンモンスター!!」
『最低だぞ……この出歯亀スイーツ脳』
アインは目元を怒りと呆れにひくつかせながら、チキンをナイフで捌いていく。
バレてどうこうなるものでもない。
だが――こんなことを一生懸命考えて花束を作っていたと知られるのは、普通に恥ずかしかった。
とはいえ、強く言い返すことも出来ない。
最早フルーフからの定番弄り文句となった「メルヘンモンスター」だが、案外否定出来ないほどには自覚があったのだ。
自分がメルヘン嗜好だという、その事実に。
そんな様子を見てか、マキナはそっとアインの腕に手を添えた。
触れた指先がまだ熱を持っている。
「――あ、アインッ! わ、私も……ずっとアインだけを……その、想い続けるからね」
『……言わせたようで申し訳ないが……それでも、お前からそんな言葉を貰えて嬉しい』
で、どうするんだこの空気……と、言外にそんな言葉を孕んだ視線がフルーフへ突き刺さる。
マキナは嬉しそうだから別にいいじゃんね、と視線で返すフルーフだったが、アインの苛立ち混じりの眼光に負けて引き下がった。
「怖い怖い……ごめんて。さて、それじゃ……まずは食事、それからお嬢さんへの誕生日プレゼントでも披露しましょうかねぇ」
フルーフは椅子から立ち上がり、コトコトと葡萄の果汁をマキナの前に置かれたコップに注ぐ。
自分の分を用意し、ついでにアインの前にも果汁を注いだコップを置いた。
既に切り分けられたチキンを皿に仕分け、食事の準備は整った。
『フルーフ、何故私の前に用意した? 知っての通り飲めんぞ』
「バッカお前……マキナのお祝いだぞ、皆で乾杯して祝ってあげるのは大事だろうが」
『飲み食い出来ん私でもか……?』
フルーフは深く頷き、肯定した。
だってそんなの寂しいだろう。
皆で楽しい雰囲気を共有しようって時に、仲間外れなんて。
その寂しさを、フルーフは知っている。
どんなに努力して認めてもらおうと足掻いても、決して認められることのない――言葉に尽くしがたい感情を。
本当に入りたかった輪から爪弾きにされ続けるのは辛いものだ。
普段は誘わない。
ウザがられるのを理解しているから。
だが今は特別な瞬間だ。
多少ウザがられても誘うべきだと、フルーフは思った。
「あぁ、大事だよ。そんなの仕方ないことじゃないか……飲めない食えない、だからなんだよ。出来ないからって仲間外れだと?」
一瞬、フルーフの声のトーンが変わった。
軽薄な響きの奥に、何か硬いものが滲む。
「私はお前がちっとでも疎外感を感じるような真似は……したくないね。どっかの糞ババァと同じような真似は私には御免なのさ……。だから、さぁ……アインザーム。一緒にマキナを祝う乾杯をしようじゃないか」
『……あぁ、そうだな。母さん』
その言葉に、フルーフの目が僅かに見開かれた。
親の意を汲んでくれた――その事実が、胸の奥にじんわりと沁みる。
アイン本人がどう思ったかはわからない。
だがこれで気持ちよく乾杯の音頭が取れる。
それで十分だった。
「ハッ……良い子だ。では僭越ながらッ、この私が音頭を取らせていただきましょうかねぇ! お嬢さんが産まれたこの日、実にオメデタイ生誕日を祝して――乾ぁ~杯ッ!!」
「乾杯」 『乾杯』
フルーフが勢いよくグラスを掲げると、アインとマキナもそれに倣う。
三つのグラスが触れ合い、小気味よいガラスの音が室内に響いた。
祝いの言葉と共に、食事が始まる。
◇◇◇
誰かが食事に手を伸ばすよりも早く、アインはフルーフの前にあるチキンをビシッと指差した。
『よし、まずはフルーフ。お前から食べるんだ。マキナは少し待ってくれ』
マキナもフルーフも慣れたもので、その指示に驚く様子もなく素直に頷く。
「任せなさいな」
フルーフは一切れを口に放り込んだ。
パリッと皮が弾け、じわりと肉汁が舌の上に広がる。
噛みしめるたびに香辛料の刺激が鼻に抜け、思わず目を細めた。
「ぉお~~美味い。やっぱ野性味があって美味いね。ここに葡萄の果汁を口に流し込めば――ぷはぁ……うん! 美味いッ」
ガツガツ、パクパク、ゴクゴク。
豪快な咀嚼音と共に、皿に乗せられたチキンはあっという間に平らげられてしまう。
グラスの果汁も飲み干し、二杯、三杯とどんどん注いでは飲み干していく。
その様子をじっと見つめていたアインは、満足げに視線を逸らした。
『――マキナ、もういいぞ』
「ありがとう、アイン」
マキナが一口齧ると、その手が止まった。
パリパリとした皮の食感、じんわりと沁みる肉の旨味、舌に残る香辛料の余韻。
味覚を失ったはずの口の中に、確かな味わいが広がっていく。
「――あ、ホントだ! 凄く美味しい……特にこのパリパリの皮なんかも好きかも。――んぐ、うん! この葡萄も美味しいねっ!!」
弾んだ声に、フルーフが興味深げに眉を上げた。
「……毎度思うけど、お前のそれ凄いな。どうやってんの?」
『お前の味覚に伝う味を記憶として読み込み、そのままマキナの精神へと送り込んでいるだけだ。術式などはない……感覚でやっているだけだからな』
「こわッ……知能のあるアインザームってマジで怖いわ……」
フルーフは果汁を飲む手を止め、呆れたように天を仰いだ。
「お前、気安く人の精神に触れすぎだろ。何代にも渡って精神魔法の研究をしてる名門が馬鹿みたいじゃん」
知識だけは豊富なフルーフでも、アインの魔法がどの分野に分類できるのか全く判断がつかない。
余りに常識から外れており、異質すぎた。
魂を知覚し、触れたり干渉できるフルーフやアウラとは、また別のベクトルで脅威的だ。
『知らんな、そんなこと……。魔族と人間と同じだ。長所を伸ばし、本能的に出来ることを発展させてきた結果に過ぎん』
アインは淡々と答え、それから少しだけ声を弾ませた。
『興味があるなら、また味わわせてやろうか?』
「やめろ、私は取り返しのつかない中毒性のあるものは避けてるんだ」
フルーフは身を引きながら、大袈裟に手を振った。
「お前のそれは最悪だ……不意打ちで二◯郎ラーメンなんて喰わせやがって。前世舌に戻ったらどうしてくれるんだよ」
『お前が欲深いだけだろう』
据わった目元で睨み返すアインに、フルーフは巫山戯た笑みで応じる。
他愛もない、和気あいあいとした会話。
暖炉の薪が爆ぜる音、グラスが触れ合う音、時折混じるマキナの小さな笑い声。
騒がしくも温かな食事の時間が、ゆっくりと過ぎていった。
◇◇◇
暗い闇一色の空間で、十四個の小さな灯りが揺らめいていた。
アインは再びデジタルスピーカーと化し、軽快な音楽を垂れ流す。
フルーフはその無駄に透き通った美声で、マキナを祝福する歌を歌い上げた。
『――――♫』
「――Happy birthday to you~~~♪ Happy birthday to you~~~♪ Happy birthday dear MA~~~CHINA~~~~♪ Happy birthday~~~~to~~~~you~~~♪!!
さぁ、お嬢さん! 蝋燭の火を消すんだ!!」
「はい! ……ふ、ふぅ~~~!!」
マキナの息が、灯りを一つ残らず吹き消す。
その瞬間、部屋を覆っていた黒い霧が晴れた。
盛大な拍手と共に、ホイップたっぷりのホールケーキが姿を現す。
「『十四歳の誕生日おめでとう、マキナ!』」
二つの声が重なった。
「ふ、二人共……ありがとう」
マキナの声が、微かに震えていた。
膝の上で握りしめた手が、小さく開いては閉じる。
「私……産まれてきてよかった。こんなに幸せなのは二人のおかげだよ……だから本当にありがとう……ッ」
アインとフルーフは顔を見合わせ、示し合わせたようにニッコリと笑う。
そして二人同時に手を伸ばし、少女の頭をボサボサになる勢いで撫で回した。
「良い娘だぁ! そんな娘にはプレゼントもあげないとね」
『……少し不安だが、受け取ってくれ、マキナ』
用意されたプレゼントの箱は二つ。
どちらも子供一人分ほどに大きく、マキナの全身を覆い隠してしまいそうだった。
大きさに反して重くはないらしく、軽い音と共に地面に置かれる。
「凄く大きいね……お義母さん、開けてもいいですか?」
「あぁ、勿論だとも」
期待を抑えられないのか、マキナの指が震えている。
だがその震えは怯えではなく、喜びによるものだった。
箱にかけた指には確かな力が籠もっている。
赤いリボンを引くと、スルスルと絹が解け、床へ垂れ落ちた。
蓋を開け、中を覗き込む。
次の瞬間、マキナはフルーフの腰に飛びついていた。
「こんなに沢山の可愛い服を……ありがとうございます……ッ。お義母さん……ッ」
「流石に私の古着をいつまでも着させる訳にはいかないしね」
フルーフは少女の背中を優しく叩きながら、軽い調子で言った。
「これから大きくなるだろうし……大きめのサイズを注文しておいたよ。まぁ、毎年贈るから関係ないかもだけどね」
喜ぶマキナの気配が、一瞬だけ変わった。
商人の娘として培われた感覚が、無意識にこの贈り物の価値を弾いたのだろう。
感謝の言葉に、それだけの重みが滲む。
だがマキナは、フルーフの散財を見誤っていた。
既製品を全てマキナの体形に合わせて仕立て直させたこと――その事実を、フルーフは口にしない。
ただ黙って抱擁を返し、額にそっと口づけを落とした。
「さ……お次は、こっちのメルヘン野郎の贈り物も見てみようか」
「はい――あ、これ」
促されるまま、青い紐で封のされた箱を開け放つ。
その中から現れたのは、巨大な熊――ではなく。モコモコとしたファンシーな熊のぬいぐるみだった。
「わぁ――これ、アインみたいにすっごく可愛い!」
「『どこが?』」
マキナはぬいぐるみに抱きつき、頬を擦りつける。
その弾んだ声に、二人は示し合わせたように疑問の声を上げてしまった。
「おい――私はともかく、お前は肯定してあげろよ」
『いや、無理だ。前から疑問だったが、私にあんな可愛げはないぞ』
フルーフは咄嗟にアインの肩に腕を回し、背中を向かせてコソコソと話す。
だが何も得るものはなく、すぐにマキナの方へ向き直った。
「はは、まぁ……どうでもいいか。だよな、アインザーム」
『あぁ、その通りだ。マキナが幸せならなんだっていい』
マキナは二つの贈り物を胸に抱き、屈託なく笑って二人を見上げた。
顔布の向こう側で、その瞳がどんな光を湛えているのか――直接見ることは叶わない。
それでも伝わってくるものがあった。
声の響き、肩の力の抜け方、ぬいぐるみを抱く腕の柔らかさ。
そこには曇りが一つもなく、ただ幸福だけが満ちていた。
世間一般で言えば、もうぬいぐるみから卒業し始める歳なのかもしれない。
だが二人は、目の前の少女を歳不相応だとは思わない。
今この瞬間、彼女はただの少女だった。
誕生日を祝ってもらえることが嬉しくてたまらない、どこにでもいるはずの少女。
礼儀作法を教える時の聡明さも、病を隠し通そうとする痛々しい強さも、どこにも見当たらない。
フルーフとアインは、再び顔を見合わせた。
言葉は要らなかった。
ニカッと笑みを浮かべ、二人は再び少女の頭を優しく撫でる。
アインの大きな手が、フルーフの細い指が、柔らかな髪を梳いていく。
この一時が、この刹那が、少しでも長く続くように。
残りの時間を、幸せに過ごせるように。
それが――二人がマキナへ向ける、切なる願いだった。