アインザーム・オリジン【完結】   作:ごすろじ

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▼第三十二話▶「人の儚さを知る」

 

 

 

 

アインザームの追跡を始めたフルーフとマキナは、無事に一つの小さな村へと辿り着いた。

 

 

どこにでもある寂れた集落だった。

痩せた土を這うように伸びる畝、傾いた柵、煤けた煙突から細く立ち昇る煙。

 

遠くで痩せた家畜が鳴く声が風に乗って届いてくる。

不毛の大地をなんとか耕し、細々と生計を立てている――そんな村だった。

 

 

二人は茂みに身を隠しながら村の中を遠目に覗き、キョロキョロと周囲を見渡しながらアインザームの姿を探す。

 

 

マキナは目を凝らし、茂みから身を乗り出していた。

フルーフはその横顔――というより、モアイじみた鉄仮面の側面をじっと見つめる。

 

顎の輪郭までスッポリと覆う禍々しい造形が、なんとも言えないシュールさを醸し出していた。

 

 

「お嬢さん……その禍々しい鉄仮面外しなよ。見えづらいでしょ、いつもの黒布はどうしたの?」

 

「前はしっかりと見えていますし、こちらの方が素顔を晒すリスクが低いので外すことは出来ません。顔を見られる可能性は出来るだけ排除したいのです」

 

 

その声には、僅かな強張りが混じっている。

フルーフは額を掌で押さえた。

 

 

「慣れ親しみすぎて君のトラウマについて失念していた。今からでも戻るかい?」

 

 

痛恨のミスだった。

徹頭徹尾顔を隠そうとするマキナの様子を見て、フルーフは申し訳なさそうに帰宅を提案する。

 

だがマキナは首を横に振り、拒否の意思を示した。

 

 

「心配しすぎです……これでも大分改善しているんですよ。それに、まだ起きてもいないことを心配して、怯えるようなことはもうしたくありません。こんな機会二度と無いでしょうから……私は、絶対帰りません」

 

 

声に籠もる決意は本物だった。

フルーフは小さく息を吐く。

 

 

「そうかい。だけど駄目だと判断したら直ぐ連れ帰るからね。じゃないと私がアインザームに本気で殺されるよ」

 

 

 

「まぁ、数回ぐらい殺されてやってもいいけど」

 

聞こえるか聞こえないかの声で呟きながら、フルーフはマキナの肩に手をかけて抱き寄せた。

冗談なのか本気なのか判断のつかない過激な発言に、鉄仮面の奥から乾いた笑いが漏れる。

 

 

「あ――お義母さん……ッ、あれ、アインがいました」

 

「お、本当だね。……おぉ、す、凄い。マジであのコミュ障が普通に会話してる――ってか、アイツ普通に霧を使って会話してるんですけど……あの村長っぽい人はなんで怪しがらないんだ?」

 

 

マキナの指差す方向に視線を向けると、一軒の家から村長らしき老人と、変身したアインが会話をしながら出てきていた。

 

アインの口は全く動いていない。

にもかかわらず、はっきりと会話が成立している。

 

 

「生まれ付き声が出せず、魔法で喋っていると皆さんには説明しているようです」

 

「はぇ~。あんな怪しさ全開でよく納得してもらえたね? 私なら全身から霧出してる奴なんて怪しすぎて近づこうとも思わないけど」

 

 

フルーフは腕を組んで首を傾げた。

ただでさえ旅の葬儀屋なんて胡散臭さ全開なのに、そこに「喋れません、魔法で喋ります」なんて要素が加われば、完全に怪しい奴でしかない。

 

それでよく仕事を頼まれるまでに信頼関係を築けたものだ――と、素直に感心してしまう。

 

 

そんな疑問が口から漏れると、マキナはなぜか胸を張った。

声色から察するに、鉄仮面の下は間違いなく自慢げな表情を浮かべているのだろう。

 

 

「ふっふっ~お義母さん! こういう時にこそ礼儀作法や身嗜み、威厳というのは役に立つんです。彼は放浪する不審人物ではありません。アインは私が育てた一流の紳士です……その所作の一つ一つで、ただそこにいるだけで説得力があるんです。大げさな身分証明は必要ありません、無意識に滲み出る気品と圧こそがその人の身分を保証してくれます」

 

「あぁ、成る程。ちゃんとした教養があるってことは、今の時代だと少なくとも中流階級以上の生まれだ。相手が勝手に邪推してくれるってことか……まぁ、魔力で作っているとはいえ着てる服も品があるもんね」

 

 

フルーフは普段、相手の所作などそれほど気にしない。

だがマキナの言っている意味は理解できた。

 

 

アインに視線を戻すと、杖で歩く村長を支えながら歩いている。

 

表情こそ薄く無愛想だが、相手と接する態度や無意識の仕草からは、お人好しの気質が嫌というほど滲み出ていた。

 

 

村の中を見渡しても、アインに対する悪意や排他的な感情は見えない。

 

それどころか、かなり歓迎されているようだ。

整った容姿、気品に反した謙虚な態度、良心的な価格、死者を悼む真摯な姿勢――一部の捻くれ者は別として、嫌いになる人間の方が少ないだろう。

 

 

「あれが報酬かな……う、わぁ……銅貨数枚とか。村長らしい人は滅茶苦茶頭下げて土下座しそうな勢いだけど……せめて銀貨は貰えよな」

 

「あ、いえたぶん、もっと少なくなると思います」

 

 

フルーフはアインの受け取る報酬の少なさに思わず顔を顰めた。

 

明らかに働きと報酬が見合っていなさすぎる。

だがそんなフルーフを他所に、マキナはフルーフの肩を軽く叩き、再びアインを指差した。

 

 

二人の目の前で――。

 

アインは手渡された銅貨と村長との間で視線を彷徨わせ、そうして迷うことなく半分を掴んで突き返す。

 

無愛想な顔を緩め、ここ一番の笑顔を見せながら村長の肩を叩いた。

二、三言葉を交わした後……村長は泣いていた。

 

 

「アイツの仕事にとやかく小言なんて言いたくないけどさ……騙されてるんじゃないか?」

 

「ふふ、アインを騙せる人なんていません……。それはお義母さんが一番理解しているはずですよね?」

 

「そうだね。その通りだよ……。そう思いたくなる位理解不能ってことだ」

 

 

マキナがクスクスと笑う声が聞こえる。

愚かしくも優しい行動を、愛おしそうに眺めているのだろう。

 

フルーフは自分でも馬鹿なことを言ったと自覚し、その心地よい笑い声を甘んじて受け入れた。

 

 

記憶と精神を通して人間の内面を一目で看破する存在が、騙されるなどあり得ない。

 

アインがあそこまで親身になるということは、相手に下心などなく、単純に善人だからだろう。

 

 

「私にはあんな甘ったれた真似は出来そうにないね。私なら全額毟り取る」

 

 

しかし、いくら考えても納得がいかないのも事実だった。

 

自分のことでもないのに、実入りの少ない仕事に対して不満顔を晒すフルーフは、不機嫌そうに愚痴を漏らす。

 

 

だが、鉄仮面の奥からニッコリとした圧を放つマキナの一言によって、フルーフはあっさりと自信を喪失させられた。

 

 

「お義母さんって現実主義者を気取ってますけど……咄嗟の行動はアインと似てますよね? 本当にそんなこと出来るんですか?」

 

「ちょっとぉ……お嬢さん? 言葉の圧が凄いよ。私はやるよ……それはもう容赦なくね?……恐らく……いや……た、たぶん?」

 

 

余りにも言葉が強い。

 

普段なら出来る出来ない以前に、深く考えずきっぱり言い切るところなのだが……マキナの放つ圧のせいで、適当なことは言えなかった。

 

 

「私が知ってるお義母さんならやりませんね。でも悪意をもって接する人には容赦しないと思います、アインもそうなので」

 

「それは当然さ。害意をぶつけてくる奴に容赦なんてする必要はない、害意や悪意には同じく害意と悪意で対応する。それが道理って奴さ」

 

「なら善意と誠意で接するなら同じもので答えるのが道理ですね、ということでお義母さんはやりません」

 

「うん? え……あ、うんそう……だね。え? なにこの娘……レスバ強いんだけど。上手く反論出来ないんですけど……」

 

 

片手間で論破されたフルーフは、「そうかな……? そうかも……」といった感じに思考を誘導される。

 

優れた頭脳から繰り出される断言に、単純馬鹿の脳筋フルーフは反論すら許されず、頭上にハテナマークを浮かべるしか出来なかった。

 

 

会話をしている間にも、アインの仕事は進んでいく。

 

 

アインは村長と共に数人の村人と言葉を交わし、事前に決めていた段取りで葬儀の準備を進めていた。

 

一軒ずつ民家を巡り、連れ添う人の数を増やしながら元の場所へと戻っていく。

遺体は腐らないよう冷却から保冷まで行われており、至れり尽くせりの対応だった。

 

 

やがて若い男衆が亡骸の収められた棺を担ぎ上げ、村の墓地へと運んでいく。

土が棺を打つ鈍い音が響き、冷気が肌を刺す中、村人たちは死者へ最期の別れを告げた。

 

 

アインが魔法で周囲に咲かせた花々を、一人一人が摘み取り、棺へと詰めていく。

白と淡い紫の花弁が、まるで雪のように亡骸を覆い尽くしていった。

 

蓋が閉められ、土が被せられる。

 

 

最後にアインが祈りの言葉を口にし、女神へと祈りを捧げた。

 

 

村人たちは涙を浮かべながらアインと少し言葉を交わし、一人また一人とその場を立ち去っていく。

 

 

何を話していたのか気になったフルーフは、聞き耳を立てていた。

バレないよう魔力は最小限に抑え、五感を研ぎ澄ませる。

 

 

『ほんとうになんとお礼を申し上げてよいか……。近年強まった領主からの徴収でまともに埋葬も行えない中、これほど盛大に彼らを見送ることが出来、感謝しかございません。代価を命でお支払い出来るのならば……先の短い私共の命など簡単に捧げられるというのに……』

 

『汝の誠意と死者を悼む気持ちは言葉にせずとも伝わっている。故、私の提示した代価以上を支払う責務は負う必要はない。死には安堵を……今は俗世から解き放たれた魂を見送ることに専念するのだ。女神に祈りなさい、彼らの行く末に安息があらんことを。そして死を嘆く汝らの慰めにならんことを』

 

 

 

 

「ん?――何あれ? お嬢さん……アインザームがなんか小難しいことばっか言ってるんだけど」

 

「えぇ……と……。その、威厳があっていいのではないでしょうか?」

 

 

いつもより数段低い声に、小難しく遠回しな言い回し。

マキナには聞こえていないはずなのに、フルーフの言葉を聞いた瞬間「あ……」と反応し、顔を逸らした。

 

どうやら変身姿と同様、マキナの記憶に一部影響された結果のようだ。

確かに威厳はある……だが、どちらかと言えば重圧感や威圧感に近い。

 

 

「胡散臭い宗教家みたいだね。威厳というか真っ先に畏怖が来る佇まいだと思うよ」

 

「あはは……」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

私に出来る役目を果たした後、数分祈りを捧げてから踵を返す。

 

 

墓地には既に村人の姿はなく、腰の曲がった老年の村長だけが佇んでいた。

枯れたの木々が風に揺れ、乾いた葉擦れの音だけが静寂を埋めている。

 

 

数ヶ月の付き合いになる。

この村の中では一番言葉を交わした人間だ。

 

いつも通り、彼は曲がった腰を杖で支え、深々と頭を下げてくる。

 

 

「お疲れ様でした。貴方のおかげで今回も無事、穏やかな気持ちで古き友を見送ることができました」

 

『……最近、死人が多いな。飢えによるものであれば知恵を貸そう。見えぬだろうが、私は農業や菜園の知識は豊富な方でな』

 

 

ここ数ヶ月での死人の数が明らかに多すぎる。

この場所で死者を埋葬するのもすっかり慣れたものだ。

 

なにか力になれることがあればよいのだが。

 

 

「御心配には及びません。若い者は貧しいながらもスクスクと成長してくれております。歳老いた儂らの世代に終わりが訪れはじめただけです」

 

『そう……か。汝らは善き人間だ……節制を是とし良心を尊ぶ、薄汚れた下劣な欲とは無縁だ。最期にせめてもの助けになれたのなら嬉しく思う』

 

 

そうだった。

人間の寿命は短い。

 

 

マキナと過ごす時間は充実しており、私の虚無に生きた数百年を優に上回る価値をくれた。

既に出会ってから百年は経ったのではないかと錯覚するほどに。

 

 

だが眼の前の老いた人間を見ていると、否応なく実感させられる。

人間の命は儚く、世代の間隔も短いものなのだと。

 

 

人の世に触れ、学ぶ度に、自身の抱える認識のズレに気づかされる。

それはとてもありがたいことだ。

 

永遠などないのだと、日々思い知らされる。

 

 

人の一生は短い。

だからこそ愛する人との一瞬を大事にしようと思える。

 

その意識は、いずれ来る終わりにも耐えられるよう、魂に"今"を強く刻みつける切っ掛けをくれる。

 

 

彼女との別れを……。

情けない姿で終わらせないよう、心を強くしなくてはならない。

 

マキナが安心して天国に旅立てるように。

 

 

「……少し、聞いてもよろしいですかな。どうして我々のような村へと施し同然の弔いをなさってくれるのですか? もっと実入りの良い仕事などいくらでもあるでしょうに」

 

 

ふと、村長からそんな言葉が飛んでくる。

 

 

彼の瞳を見れば――そこに神聖なものでも見るような色が宿っていることに気づいてしまう。

 

 

このまま勘違いしてくれていた方が都合がいいのかもしれない。

 

だが私は、皆が望むような聖人の心を持って慈善を行える化け物ではない。

 

彼らが私に期待してくれていることは理解している。

ただ私も所詮は俗物でしかなく……欲深い利己的な望みのために働いているに過ぎない。

 

 

彼らは身元も分からない私を受け入れ、死者を見送る重要な責務を任せてくれた。

 

ならば誠実さに欠く真似はしたくない。

威厳を損なうことになるだろうが、私は言葉の圧を緩め、普段通りに話をする。

 

 

それで理解してもらえるだろう。

私など……この枯れ木のような経験を重ねた老人の前では、餓鬼同然なのだから。

 

 

『その眼をやめてくれ……。私は貴方達が思うような者とは程遠い、俗物でしかない。ただ理想に近づきたいだけの我欲に溺れているだけの愚者だ。金銭も要求しているであろう。理由を聞いた所で、貴方のような経験を重ねた人間からすれば……きっと青臭くつまらん話だ』

 

 

仕事人として接する時には決して使わない、崩した口調と圧。

そんな言葉に村長は眼を少し見開いたが――どういう訳か、それ以外に特に変わった様子を見せない。

 

 

これが年の功というやつか。

もっと期待外れや失望の感情が表に出てくるものかと思ったのだが。

 

 

おっと……いかん。

こういうことばかり考えているとマキナやフルーフから、また自己肯定感の低い奴だと誹りを受けてしまう。

 

 

「老い先短い老人が聞いてもいい話ですかな?」

 

 

村長からむず痒くなるような視線が注がれる。

瞳に宿す色は変わらず、なぜか生温かい感情が含まれている気がした。

 

 

普段であれば私的な話はしない。

だがこの老人を前にすると、なぜだか口が緩んでしまう。

 

もしかすれば私は誰かに……自分の話を聞いて欲しいのかもしれないな。

 

 

『私のような若造の話でよければな……――ただ……好きな人がいるんだ。男は誰しも愛した人の前で格好つけたいものだろう。私は彼女に誓ったのだ、君の理想とする正義の味方になるとな。だから、助けを求める誰かの手を迷わず取れる……そんな人になりたいんだ……笑えるだろう? 母親からは偽善者などと言われたよ』

 

「いえいえ。妻にはもう先立たれてしまいましたが、儂も昔はそんな情熱に溢れておりました。両親にも散々迷惑をかけましたし、馬鹿な真似を沢山したと反省もしております。ですが後悔はありません、寧ろやっておいてよかった……今はそう思えるのです。おっしゃる通り……男たるもの愛する人の前では格好をつけたいものです、それは私も同じです。誰がなんと言おうと、笑いはしません……」

 

 

まさか同意が得られるとは思っていなかった。

 

 

それに……なんだろうな。

話を聞いてもらい肯定されると、自分の考えが整理されていく気がする。

 

身内ではない、此方の事情を知らない第三者の言葉だからこそ響くものがあった。

 

 

『私は死者を冒涜するような精神は持ち合わせていない。だからこそ、葬儀を行うに至って亡き者への追悼の念を欠かしたことは無いと、この魂に誓おう。だが……理由がこれだ。不純だと怒ってもいいのだぞ?』

 

 

神に誓いを立てた神父であれば……もっと純粋な動機で死者の魂を労ることが出来ただろうに。

結局私は己の欲望を動機としている。

 

そこに少しの申し訳無さを感じずにはいられない。

 

 

「そのようなこと、言えるはずがございません。貴方の天寿を真っ当した者達への尊敬の念は本物だ、それはこれまでの貴方の行いから容易に感じ取れますぞ。村の中で貴方に不信感を抱く者などおりません、皆ただただ感謝しておりますとも」

 

 

これもまた良い経験だ。

狭い世界では気づけなかったことだ。

 

 

独り善がりの苦悩……これを己は美徳だと考えていた。

愚かしいことだな。

 

 

マキナに対しての悩みを抱え続けた結果、最悪の事態に発展しかけた経験は今でも胸に深く刻まれている。

バカ正直に言葉を吐くことは出来ずとも、自身の悩みや苦悩を少し言葉にして吐き出すだけでいい。

 

そうすればこうして相手から答えをくれる。

 

 

私はほんの少しの苦悩と葛藤を抱いているが、そんなものは彼らにとっては何の意味も無い。

そんなことも私は理解出来ていなかった。

 

人と接する上で独り善がりな態度で上手くいくはずがないというのに。

 

彼らは気にしていない。

ならば私もウジウジと悩むのは止めにしよう。

 

そんなことに心を砕くくらいなら、彼らの墓に墓標を刻んでやる方がよほど建設的というものだ。

 

 

『……ならば、何も間違いなどではないか。感謝する、私はどうにも内気でな……悩みを抱え込んでしまう悪癖があるんだ。今……それが消えたよ』

 

「ほほ……それは良いことですな。それにしても、本当によろしかったのですか? 村としては大変助かりますが……余りにも見合っておりませぬ」

 

『それを言われるのは今日で二度目だ。実のところ……私はそれ程金銭を必要としていない、生きるだけならなんとでもなるしな』

 

 

母親同然の存在が戦場泥棒で稼いだ金が腐る程あるとは……流石に言えん。

 

 

「ですが必要な理由がおありなのでしょう?」

 

『そうだな……情けない話、金銭の問題は母親に頼めばなんとでもなるんだ。だが……結婚のプロポーズに捧げる指輪は、自分で稼いだ金で贈りたいだろう?』

 

 

恋人に願い出た瞬間から、既に夫婦になる覚悟も済ませてある。

 

彼女を歪め、生き永らえさせた責任は取らなければならない……というのは建前で、正直な話、結婚したい。

 

式を挙げるなど無理な話だが、それでも女神の前で誓い合うことは出来る。

 

 

だがその為には証が必要だ。

彼女と夫婦の契を結ぶ指輪はあって然るべきだろう。

 

 

フルーフに頼めば嬉々として金を出してくるだろうが……それでは意味がない。

私自身で稼いだ金でなければ、恥ずかしくて婚姻など申し込めるか。

 

 

所詮は意地でしかない。

流石に笑われるかと思い村長を見ていたが、予想に反し彼は深く頷いてくれた。

 

 

「ホホ……成る程、そういうことですか。いえ、儂にはわかりますとも……男には男の意地というものがありますからな。では、尚更これを返して貰う訳にはいきますまいて」

 

 

同じ男として同意してくれたのは嬉しいが、返した銅貨を取り出すのはやめて欲しい。

 

 

『止めてくれ。貴方に私を応援してくれる気持ちがあるのであれば……この青臭い小僧の戯言と意地を尊重して欲しい。困っている人達から毟り取ってまで得た金では胸を張れないんだ、時間は掛かるだろうが……それでも私は彼女に見合う存在になって告白したいのだ』

 

「利用しているようで、気が進みませぬが……。貴方にとってそれは金銭以上に重要な価値があるのでしょう。ならば儂も、これ以上は申しますまい」

 

『気を遣わせてすまないな。私も私の理想のために利用していると言ってもいい……だからお互い様だ』

 

 

言わなくてもいいことを態々口に出すとは……やはり彼らは善良な人々だ。

だがそれを言うなら、お互い様でしかない。

 

遠慮に遠慮を重ねるような不毛な時間だが……これが存外楽しかった。

 

 

お互いに相手を想い遣る感情が見え、私と村長は顔を見合わせながら笑みを浮かべる。

 

 

「ほほ……相変わらず風変わりな御方ですな。よくお人好しだと言われませんかな?」

 

『さてな、ではまた数日後に周辺の村を回ってここに来る、何かあれば言うといい。下らない雑談に付き合わせて悪かった』

 

 

まだ見回る村は残っている。

名残惜しいが、己は彼に別れを告げた。

 

 

「昔を思い出す一時でした。この老いぼれでよければいくらでもお付き合いしましょう」

 

『ふむ、ならば私達は友人か? 気心の知れた話をするのは友人というものだろう? 違ったらすまない、何分と最近まで人付き合いというものとは無縁だったものでな』

 

「………」

 

 

今度は意表を突けたようだ。

村長は驚きに顔を染めた後、呆れた笑みを浮かべている。

 

悪戯心もからかう気持ちもありはしないが……一貫してこちらを慮るような態度を崩せたのは、なんだか嬉しい。

 

 

もう遠慮する必要もない。

彼との会話は心地良いし、出来れば友人になってくれるとありがたいのだが。

 

 

「――えぇ。貴方さえよければ勿論ですとも。こんな若い友人がこの歳で出来るとは……人生とは先が見えぬものですな。このまま老いて朽ちるだけかと思いましたが、思わぬ楽しみが出来ました。是非、貴方の話をまたお聞かせ下さい」

 

『そうしよう、また人生の先達からありがたい助言が貰えるかもしれんからな。ではなゲルマン。私は次の村に向かうとしよう――これからの汝の生に幸あらんことを』

 

「いつでもお待ちしております、新しき友アイン殿」

 

 

人を知るのは面白い。

 

 

先日立ち寄った街では、飢えた子供に最後のパンを分け与える老婆がいた。

 

その翌日に訪れた村では、同じように飢えた子供を足蹴にする商人を見た。

 

マキナのような心優しい人間もいれば、反吐が出る悪逆を平気で成す外道もいる。

 

 

悪人は多い。

だが、逼迫した生活を送りながら、貧しくとも良心を決して忘れない人々も確かにいる。

 

 

今日、この村で見たものがまさにそうだった。

誰もが腹を空かせているはずなのに、死者を悼む涙だけは枯れていなかった。

 

ただの知識ではない――肌で感じる現実として、それは胸の奥に沁みていく。

 

 

こんな化け物でも……。

マキナのような温かな人々と心を通わせられるのだと理解出来るのは、救いだ。

 

 

多くの人々と会話を重ね、対話を通じて己は人間というものを深く学んでいる。

愛する彼女と同じように、この世には誠実な人間が多くいて、私はそんな人達の助けになりたいと思う。

 

 

善良な人達が幸せそうに笑顔を浮かべるのを見るのは心が安らぐ。

何が幸せか、どんな力になれるだろうか……そればかり考えてしまう。

 

 

まっすぐな人々には、穏やかな未来が相応しい。

人の世を知れば知るほど、その想いは強くなっていく。

 

 

私は……これからも人間を知りたいと思う、マキナ。

 

 

君のように誠実な人達が悲しまなく済むように。

……君の願った理想をこれからも追い求め続ける。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

村を出たアインは、それからも近隣の小さな村々を訪れ、近況を聞きながら周辺を巡り回った。

 

 

時には煙たがられ、時には無関心を貫かれたが――アインはそんな世知辛さも、理不尽も、全てを受け入れ、人の世というものを心に焼き付けていく。

 

 

フルーフが話したように、恨みを買っていた事実も確かめられた。

同業者から黒い噂を流され、それを信じた村人から石を投げられ、村を追い出されもした。

 

 

だがアインに悲観はない。

 

 

これがマキナの言っていた善悪の見え方の違いかと、一人納得して村を出ていく。

 

 

悲しみはない。

もとより善行を施してやっているなどという自惚れなどありはしないのだ。

 

対等な立場で交渉して決裂しただけのこと。

もっと質の高いものを提供し、信頼を勝ち得ていればこんなことにはならなかったと――ただ反省するのみ。

 

 

人の醜さも、人の善良さも、人の無関心さも。

村を巡る旅の葬儀屋にとっては、全てが得難い経験だ。

 

知れば知るほどに、理想とするものの険しさが見え、愛する人が求める理想がより明確になっていく。

 

だが決して歩みを止めることはしない。

いつの日か完全なる理想へと至るため、アインは己に出来ること全てを通して歩み続ける。

 

 

一仕事終えて山奥に帰る頃には、辺りは暗く染まり、日もすっかり落ちていた。

 

 

西の空には茜色の残滓がわずかに残り、アインの長い影が山道に伸びている。

自分の足音だけが響く静けさの中、冷えてきた空気が頬を撫でた。

 

 

ふと足を止め、来た道を振り返る。

遠くに見える村の灯りは、星のように小さく瞬いていた。

 

 

――ゲルマン、元気でいてくれよ。

 

 

言葉にはせず、ただ心の中で呟いて、アインは再び歩き出した。

 

 

住処の扉を開け、「ただいま」と声をかける。

 

 

すると――マキナとフルーフの二人は、疲れたように机に顔を突っ伏していた。

 

 

何があったのかと聞いても、二人は何も答えない。

フルーフは「クソ野郎には拳で抗え」と、なぜか握りしめた拳を見せつけてくる。

マキナは鉄仮面で覆われた顔のまま、親指を突き立ててサムズアップ。

 

 

何がなんだかわからない。

 

 

アインは黒いコートを脱ぎ、エプロンを身に着けると、夕飯の支度を始めた。

 

 

マキナとフルーフの寝息が聞こえる中、アインは一人黙々と料理を作る。

鍋の中で煮える野菜の匂いが部屋に広がり、暖炉の火が穏やかに揺れていた。

 

 

こうして忙しなく騒がしいアインの一日は、静かに締めを迎えた。

 

 

彼は今日も――そして明日も――愛する彼女との思い出を胸に刻み、精一杯生き続ける。

 

全ては終わりゆく少女の手を取った瞬間から。

愛する人の理想へと至るために。

 

アインは日常の全てを糧とし、これからも成長し続けていく。

 

 

 

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