アインザーム・オリジン【完結】   作:ごすろじ

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▼第三十六話▶最悪の引き金。

 

 

 

 

マキナの暗殺計画から十二年後。

 

 

アークライア家が管理する領地の一角に、その娼館はあった。

 

表向きは商人や旅人を相手にした高級娼館だが、最奥には一般客の立ち入りを許さない区画が存在する。

 

 

二重扉の向こう、窓のない隠し部屋。

 

 

壁には深紅の布が張られ、重厚な燭台が橙色の灯りを落としている。

 

香の煙が天井付近で淀み、甘ったるい残り香が鼻腔にまとわりついていた。

調度品は最低限しか置かれておらず、長椅子が二脚と小さな卓があるだけだ。

 

密談のために作られた部屋だった。

 

バスローブに身を包んだ男が、長椅子に深く身を沈めている。

 

 

ギーア・アークライア。

この領地の実質的な支配者であり、表向きは父の商会を継いだ若き商会長。

 

 

魔族と手を組んでからのギーアの人生は、まさしく順風満帆と呼べるものだった。

その傲慢さには、更に磨きがかかっていた。

 

 

父親を操り、商会の現商会長へと就任した。

幹部を含む従業員の全てを魔族の実験体として差し出し、脳に虫を植え付けて支配下に置いた。

 

気に食わない者は魔物の襲撃に見せかけて始末した。

 

実験による死者は数え切れない。

だがギーアはその全てを隠蔽し続けた。

 

飢餓、魔物、疫病――様々な理由をでっち上げ、父親を操って魔族の存在をひた隠しにした。

 

 

その結果、たった数年で街の住人は全て魔族の支配下に置かれてしまった。

 

 

一見すると何事もなく暮らしているように見える人々。

 

だがその脳には、魔族が作り出した虫がこびりついている。

魔族とギーアの意思一つで、如何様にもできる状態だった。

 

 

全てを手に入れた。

それでもギーアの渇きは癒えない。

 

己が手にすべきものを全て手にするまで、この男の欲が満たされることはなかった。

 

 

長椅子の向かい側には、黒いローブを纏った女が立っている。

 

フードは既に外されていた。

 

額から伸びる二本の角が、蝋燭の灯りに照らされている。

人の形をしているのに、人間らしさが微塵も感じられない。

 

ギーアは女魔族の顔を一瞥し、口を開いた。

 

 

「どうかしましたか?それとも姉の痕跡を見つけましたか?」

 

「……何故、偽装しようとは考えないのですか」

 

 

魔族は抑揚のない声で問い返した。

 

 

「鉄の仮面などいくらでも作ればいいでしょう」

 

 

至極真っ当な提案だった。

頑なに本物の鉄仮面を探せと言い続ける男に、偽物を用意すればいいではないかと告げている。

 

 

「ええ、勿論考えました」

 

 

ギーアは長椅子の背もたれに頭を預けた。

天井の染みを眺めながら、言葉を続ける。

 

 

「ですがあの父がそんな安易な抜け道を用意しているはずがない。見え見えなんですよ、罠が」

 

視線を魔族へ戻す。

 

「例えばアレが何かしらの魔道具であったなら、偽装して提出した時点で僕も貴女も終わりです。術式っていうんですか?父ならそういうのまで含めて罠を張ってきます」

 

 

父親から抜き出せる情報は全て抜いた。

それでも安心できない。

 

 

ギーアにとって父親とは、憎悪と畏怖が絡み合った存在だった。

 

操り人形にしてなお、その知略を出し抜けないという事実が腹立たしい。

脳を弄り、全てを吐かせたはずだ。

 

それでも――それが全てとは限らない。

精神魔法で記憶を忘却させている可能性すらある。

 

 

あの男は息子を見限りながらも、最後の最後まで息子に負けることを許さなかった。

 

その執念深さだけは、認めざるを得なかった。

 

偽物を用意するなど、あまりにリスキーだ。

不審な動きを少しでも見せ、この領地に注目が集まれば――連鎖的に全てが崩壊する。

 

 

「最早この街に実験できる人間は残っていません」

 

 

魔族の声が響いた。

感情のない、事務的な報告。

 

 

「人間の制御実験には成功しました。次の実験段階ではより強制力を強めます。負荷も尋常ではなく、その為廃棄となる人間が増えると予想されます」

 

一拍置いて、彼女は続けた。

 

「必ず私の存在が悟られないようにしなさい」

 

ギーアは肩を竦めた。

 

「勿論。貴女のお陰でこの街で僕に逆らえる者はもう誰もいません。実験を更に進めたいのであればご自由に」

 

そこで言葉を切り、目を細める。

 

「ただ、仮面の捜索は抜かりなくお願いします」

 

 

魔族はギーアの言葉を聞きながら、内心で算段を立てていた。

 

そろそろ潮時か、と彼女は考える。

 

数年間、仮面に関する情報を何一つ与えなかった。

 

その結果、ギーアの内に彼女への敵愾心が芽生え始めていることは察知している。

まだこの実験場は利用できる。

 

ギーアが歯向かってくれば殺すが、それはあまりにも惜しい。

 

 

だから、隠していた情報を開示することに決めた。

 

 

どの道、次の実験へと移行すれば一年経たずしてこの街の人間は死に絶える。

ギーアの欲が満たされ、反旗を翻そうとしても、もう遅い。

 

その頃には全てが手遅れだ。

 

使えるものは最後まで使う。

 

それが彼女の研究者としての拘りだった。

 

 

「……情報によれば、持ち主は既に死んでいるという話でしたね」

 

魔族が口を開いた。

 

「それは間違いではありませんか?」

 

ギーアの眉が僅かに動いた。

 

「今更ですね。……大金を出して暗殺者に殺させました。現に姉は予定通り拉致され、連れ去られています」

 

「確定ではないと」

 

魔族は表情を変えずに続けた。

 

「なら……恐らく生きています。数年程前に遠方の村の一つで、鉄仮面を身に着けた女一名、長身の女一名が暴れていたと情報が入っています」

 

 

沈黙が満ちる。

蝋燭の炎が揺れ、壁に落ちる影が歪む。

 

ギーアの目が、ギラギラとした光を帯びた。

長椅子から身を乗り出し、魔族を睨みつける。

 

 

「何故言わなかったのです……」

 

「情報と要求の齟齬はそちらの責任です」

 

魔族は淡々と答えた。

 

「私は要求通り仮面の捜索を約束通り行いました。生きている人間に関する情報の提供義務は私にありません」

 

 

明らかに故意に隠していた。

それは明白だった。

 

だがあまりにも物怖じしない態度に、ギーアは押し黙るしかない。

 

 

ギーアと魔族は一見対等に見える。

だが実際には、主導権は魔族にしか存在しない。

 

ここで逆らっても殺されるだけだと、ギーアも理解していた。

 

 

「へぇ……生きてたのか、姉上」

 

 

ギーアの声が変わった。

 

溜め込んでいた魔族への鬱憤が、別の方向へと流れていく。

幼少期のマキナの姿が脳裏を過ぎり、口元が歪んだ。

 

 

「この際、面倒な追及はしません。ですので教えてください、お姉様の居場所を……知っているのでしょう?」

 

 

その表情は、到底常人のそれではなかった。

目の奥に宿る光は、気の狂った者特有のものだった。

 

 

「はい」

 

魔族は頷いた。

 

 

「ここから遠く離れた、雪で覆われた山奥です。霧が立ち込めている為、手駒の魔物を使用させ遠目から確認しました。特徴と大きく違いましたが、鉄仮面をつけて村に来た人間で間違いはありません。私の虫達がそう言っています」

 

「一人ですか?」

 

「複数」

 

魔族は続けた。

 

「どうやら魔物を操る術を身に着けているようです。身の回りのことを全てその魔物に行わせていたことから、魔物特化の精神魔法などの可能性があります。よって殺そうと考えているのなら、魔物からの妨害が予想されます」

 

 

当然のように、マキナを殺すであろうことを予測した言葉だった。

 

ギーアは指を鳴らした。乾いた音が部屋に響く。

 

 

「魔族なのに僕のことをよく分かっているじゃないか。お姉様が生きているのなら……僕が直接行かなきゃならないね。誰かの手に委ねて失敗するのはもう懲り懲りだ」

 

「薬物乱用で思考能力が低下した貴方が行くのですか?」

 

 

魔族の声に、僅かな棘が混じった。

 

 

「まさか私に手を貸せと?」

 

 

ギーアはバスローブの内ポケットに手を入れた。

 

取り出したのは、革袋。

中には白い錠剤がぎっしりと詰まっている。

 

ひとつ、ふたつ、みっつ。

 

数えもせずに掌へ転がし、そのまま口へ放り込んだ。

歯で砕く乾いた音が響く。

 

喉を通り過ぎる苦味。やがてギーアの瞳孔がゆっくりと開き、口の端から涎が糸を引いた。

 

 

「くれたのは貴女だろう?」

 

声が上擦っている。

 

「別にいいじゃないか。魔族も人間も関係なく、貴女は支配下に置いて実験を繰り返していたでしょう。なら手駒は腐る程いるはずだ、少しくらい手助けしても良いのでは?」

 

 

半分白目を剥きながら、薄気味悪く破顔する。

 

この薬物は、元々人類が戦場へと兵を送る際に恐怖を紛らわせる為に支給されているものだった。

 

実験の過程で偶然入手したものを、魔族がギーアに与えたことが始まりだった。

極めて依存性の強い、士気を強制的に向上させる薬物。

 

あわよくば思考能力を奪えればと、与えたものだった。

 

その目論見は、拍子抜けする程あっさりと成功した。

 

 

数年に及ぶ薬物乱用の結果、ギーアは激しい被害妄想に囚われるようになっていた。

 

周囲を攻撃し、意味不明な言動も目立つ。

その蒙昧ぶりは酷いもので、魔族を警戒しながらも、実験が全て完遂した後のことを全く考えられていなかった。

 

 

逃げる算段も、対抗する手段も用意していない。

 

自分は根拠なく生き残れると、思い込んでいる。

 

 

「条件として」

 

魔族が口を開いた。

 

「追加の実験体の供給、そして私が要求する実験材料を用意すると言うのであれば、手を貸しましょう」

 

「交渉成立です」

 

ギーアは涎を拭いもせずに答えた。

 

「アークライア家の保有する資産全てが手に入れば、いくらでも御用意します。鉱山所有権、金採掘権、ダイヤモンド採掘権、それらが纏めて手に入るんですから。霊薬であろうとドラゴンの角であろうと、お望みのままに」

 

 

能無し全開の返事だった。

魔族は頷いた。内心では、ほくそ笑んでいる。

 

 

これで更に実験を進展させられる。

人類から資源を奪う行為は、戦争が激化する現代では非常に難しい問題だった。

 

少しでも姿を見せれば、人類の殺意が容赦なく襲いかかってくる。

戦闘を苦手とし、実験素材を必要とする彼女にとっては、死活問題でもあった。

 

 

だがこれで、危険なリスクを冒さず貴重な魔法資源が手に入る。

 

 

予定していたペースよりも更に早く、研究の成果を出すことができる。

 

 

魔族は既にギーアへと見切りをつける段階だった。

だが最終実験で街全てを使い潰すまでは、協力してもらわなくては困る。

 

だからこそ不本意ながらも、全力で手を貸すことに決めた。

 

まだ利用価値のある鴨に、勝手に死なれては困るのだ。

 

 

「その言葉を忘れずに」

 

魔族は踵を返した。

 

「では準備ができたのなら知らせて下さい。物量による包囲網で、逃げ場なく迅速に終わらせますので」

 

「ええ」

 

ギーアは長椅子に身を沈めたまま、天井を見上げた。

 

「では数日後、姉上の誕生日にでもご挨拶に伺いましょうかね」

 

 

扉が開き、魔族の姿が廊下へと消えていく。

静寂が部屋を満たした。蝋燭の炎が揺れ、甘い香の煙だけが漂い続けている。

 

 

ギーアはしばらくそのまま動かなかった。

やがてふらりと立ち上がり、覚束ない足取りで部屋を出る。

 

 

娼館の別の一室へと入り込み――。

 

 

一晩経っても、二晩経っても、出てくる気配はなかった。

 

 

 

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