アインザーム・オリジン【完結】   作:ごすろじ

37 / 43
▼第三十七話▶終わりの刹那。君と過ごす、数分の新婚生活。

 

 

 

マキナが二十五歳の誕生日を迎える日。

 

アインとフルーフの二人は十数時間をかけ、少し離れた交易都市へと足を運んでいた。

目的は誕生日プレゼントの購入。

 

この日のために、アインは何年もの歳月を費やして準備を重ねてきたのだ。

 

冬の終わりを告げる陽光が石畳を照らし、行き交う馬車の車輪が軽快な音を立てている。

商人たちの威勢のいい呼び声が重なり合い、交易都市特有の活気が二人を包み込んでいた。

 

人混みをすり抜けながら、フルーフが肩をすくめて笑った。

 

 

「いやぁ~、お前も今夜ようやく結婚のプロポーズか。お嬢さんをこんなに待たせやがって……で、ご予算はおいくらで?」

 

 

人差し指と親指で輪を作り、下卑た商人のような仕草を見せるフルーフに、アインは淡々と答えた。

 

 

『シュトラール金貨二枚と銀貨五枚だ』

 

 

フルーフの眉が跳ね上がる。

ボランティア同然の薄給でよくぞここまで貯め込んだものだと、素直な驚きと共に拍手を送った。

 

 

「凄いじゃん。よくあの薄給でそこまで貯め込んだな……衣食住に金がかからないとはいえ大したもんだ。宝石は何を買うんだ? 足りない分は出してやるからケチんなよ」

 

 

後ろ歩きで器用に人混みを避けながら、フルーフは独り言のように呟いた。

出来れば息子夫婦の指輪代は全額自分が出したかった――そんな親心が滲み出ていたが、当のアインは上の空で歩き続けている。

 

 

前々から予定していたこととはいえ、いざ結婚のプロポーズが目前に迫り、全身が強張っているようだった。

 

少しの間を置いて、アインは遅れてフルーフの質問に答えた。

 

 

『それでは意味がない。……宝石はオレンジダイヤモンドの指輪だ。ダイヤの中では高価な部類だがカラットを絞れば私でも購入できる値だった。既に予約済みで後は料金を払い受け取るだけだ』

 

 

ニマニマと笑みを浮かべる母親の視線に気づき、アインは露骨に顔を歪めて視線を逸らした。

 

 

「オレンジの宝石って……露骨だな。どんだけマキナの眼が好きなんだよ……お前のことだからどうせ何か意味がある宝石なんだろうけど」

 

 

絶対に理由を聞いてくると思っていた。

アインは内心で舌打ちしながらも、疲れた表情を隠そうともしなかった。

 

素直に答えたところで余計に疲弊するだけだと分かりきっている。

今日は一世一代の大事な日だ。

 

こんなところで無駄に心労を溜め込んでいい日ではない。

 

 

『からかう奴には教えてやらん。自分で調べていろ』

 

「釣れないねぇ……いいよ別に。はぁ……そんじゃ、食材の用意は数日前にもう済んでるし、指輪を受け取ったら車椅子を選ぶか? 客層は貴族だけど金さえ積めば注文くらいは受けてくれるだろ」

 

『そうだな。今のマキナは……もう自力で動くことも叶わない。出来るだけ良いものを頼む。金なら後払いで私が払う』

 

 

二人の声音が僅かに沈んだ。

車椅子という言葉を口にする時、どちらも視線を合わせようとはしなかった。

 

 

マキナの腕が動かなくなってから数年が経っていた。

今では両足すら完全に機能を失い、自力で歩くことも叶わなくなっている。

 

 

だがそれでも、二人の生活が暗く沈んだわけではなかった。

 

暗く陰鬱な日々など他ならぬマキナ自身が望んでいなかったからだ。

自力で動くことすらままならない中でも、彼女は笑顔を絶やさず日々を懸命に生きていた。

 

 

フルーフは当初から車椅子をマキナに贈る予定でいた。

しかし一人で選ぶつもりはなく、その車椅子を押すべき存在に選んでもらった方がいいと考えていたのだ。

事前に相談を重ね、今日という日にアインと共にこの交易都市へとやってきた。

 

 

金の心配をするアインに対し、フルーフは鼻で笑い飛ばした。

 

 

「バカ。お前はそんなこと考えなくていいんだよ……私は私の罪悪感を消したくて金出すの! だから自由にやらせろよ」

 

『素直じゃない奴だ』

 

 

相変わらずこういうことに関しては素直になれない。

自分が酷い人間で、許されないことをしたのだと思い込もうとしている。

 

その姿にアインもまた鼻で笑い返した。

 

 

「煩いわ」

 

フルーフはむっとした様子で生意気な息子を軽く睨みつけ、肩に軽くパンチをかました。

 

二人は互いに悪態を吐きながら人混みを進んでいく。

目指すは予約を入れてある宝石店。

 

なんだかんだと言い合いながらも、フルーフもアインも今日という日を心から楽しんでいた。

 

 

「私が脚を休ませず全力で動かせば数時間で帰れる。だからゆっくり見て回ろうぜ、滅多に外に出ないお前に色々買ってやるよ」

 

『いらん世話だと言っているだろうに……はぁ……』

 

 

今晩は宴になる。

記念すべき日になる。二人はそう信じて疑わなかった。

 

 

 

 

 

 

だがそんな日は、永劫訪れることがなかった。

 

この日、積み重ねた穏やかな日々は唐突に終わりを迎えることになる。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

宝石店で無事に目当ての指輪を手に入れたアインとフルーフは、上機嫌で店を後にした。

 

 

アインは婚姻指輪の入った小箱を大事そうに胸元に仕舞い込み、何度も手で押さえては確認している。

フルーフはその様子を横目で見ながら肩を組み、からかうような笑みを浮かべていた。

 

 

通りには相変わらず商人や旅人が行き交い、雑多な会話が飛び交っている。

その喧騒の中で、フルーフの耳がある言葉を拾った。

 

 

「――それでよ、アークライア家が急に兵を動かしたらしくてな」

 

「ああ、聞いた聞いた。なんでも魔物が巣食う山を制圧するとか……」

 

 

足が止まった。

 

 

フルーフの全身から、一瞬にして陽気さが消え失せた。

商人の襟首を掴み上げ、壁に押し付ける。

 

 

「は?――お、おい……! お前ッ! 今、なんつってた!?」

 

「な、なんだこの女!?」

 

「ぶん殴られたくなけりゃ……さっさと今話してた内容を喋れってつッてんだよ!!!」

 

 

商人の身体をグワングワンと揺さぶりながら、フルーフは強引に情報を聞き出した。

 

 

話の内容を要約すればこうだった。

今日、急遽辺境貴族のアークライア家が兵を編成し、魔物の巣食うと噂される山への制圧作戦を決行するという。

 

 

そしてその山こそが――マキナたちの住む雪山だった。

 

アインの思考が凍りついた。

 

 

次の瞬間、街中であることも忘れて変身を解いていた。

灰色の巨躯が人々の悲鳴を置き去りにして、フルーフの腕を掴む。

 

 

フルーフは一切の躊躇なく駆け出した。

周囲の建物が吹き飛ぶほどの速度で石畳を蹴り、交易都市の城壁を一息で跳び越える。

 

言葉は要らなかった。

 

十数時間かけて辿り着いた道のりを、二人は全力で引き返した。

 

海も山も川も、道を阻むあらゆるものを無視して突き進む。

検問所の外壁を蹴り砕き、領境の結界を殴り飛ばし、立ちはだかる城壁を跳躍で越えていく。

 

 

フルーフの脚が軋みを上げていた。筋肉が断裂し、骨が悲鳴を上げている。

だが足を緩める気配はない。

 

修復と破壊を繰り返しながら、狂気じみた速度で大地を駆け抜けていく。

 

 

やがて見慣れた山の稜線が視界に入った。

 

 

しかしその山は、既に異様な光景に包まれていた。

 

 

山麓から中腹にかけて、無数の人影が蠢いている。

 

兵士だけではない。

農夫のような格好の者、商人風の者、女子供の姿すらあった。

 

そして彼らに混じって、明らかに人間ではない魔族の姿も見える。

 

 

全員が同じ方向を向いていた。

全員の瞳から光が消えていた。

 

 

正常な軍勢ではない。

人間と魔族が入り乱れ、まるで一つの意思に操られているかのように山を包囲している。

 

 

だが二人にとって、そんなことはどうでもよかった。

 

 

掲げられている旗に刻まれた紋章。

アークライア家の家紋。

 

これがただの偶然などであるはずがない。

 

 

マキナが危ない。

 

 

その一念だけが二人の頭を支配していた。

 

 

フルーフは勢いを殺さぬまま、見張りの集団に突っ込んだ。

同時にアインの腕を掴み、山中に向けて投げ飛ばす。

 

 

「ざ、っっけ゛んぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッッッッ――ッ゛!! 行けアインザーム!!」

 

 

衝突の瞬間、フルーフの四肢が暴れ回った。

最前列にいた兵士たちの腕が、脚が、まるで熟れた果実のように弾け飛ぶ。

 

血飛沫が舞い、肉片が散乱する。

 

だが異常だった。

 

腕を失った兵士が、痛みに悶えることなく剣を振るってきた。

 

脚を砕かれた者が、地を這いながらフルーフの足首を掴もうとする。

 

瞳に光はない。

表情もない。

まるで糸で操られた人形のように、ただ機械的に攻撃を繰り返してくる。

 

 

『――フルーフ!?』

 

 

投げ飛ばされながらも、アインは振り返っていた。

母の姿を確認せずにはいられなかった。

 

 

「さっさと行け!? マキナが危ない……ッ!!――ぅ゛!?」

 

 

その言葉が途切れた。

 

 

複数の刃がフルーフの身体を貫いていた。

背中から突き出す槍。脇腹に深々と突き刺さる剣。肩を抉る矛。

 

それでもフルーフは倒れなかった。

 

 

「チッ、面倒だな。こいつら……痛みを感じないのか?」

 

 

自分の腹部を貫いている槍の持ち主の腹に、フルーフは逆に腕を突き入れた。

爪先で内臓を掻き回し、引きずり出す。

それでも相手の動きは鈍らない。

 

 

「洗脳か精神魔法か知らんが、脳味噌を飛ばさない限り死なないみたいだな……ッ」

 

 

全身を串刺しにされたまま、フルーフは攻撃の手を緩めなかった。

目の前の兵士の首を鷲掴みにし、己の額を相手の兜に叩きつける。

 

金属が凹み、骨が砕ける音が重なり合い、兵士の頭蓋が内側から破裂した。

 

動かなくなった死体を蹴り飛ばし、全身に刺さった武器の柄を膝と肘で叩き折りながら、次の敵へと向かっていく。

 

 

騒ぎを聞きつけたのか、周囲からさらに多くの人影が集まってきた。

兵士だけではない。

 

鍬を持った農夫、包丁を握った女、石を抱えた子供まで。

全員が同じ虚ろな目でフルーフを見つめ、一斉に襲いかかってくる。

 

 

フルーフの姿が、徐々に肉の壁に飲み込まれていく。

 

 

『フルーフ……すまない、ここは頼んだ……ッ』

 

 

アインは全身に力を込め、背を向けた。

 

直後、背後で凄まじい爆発が起きた。

キノコ雲が立ち上り、衝撃波がアインの背中を押す。

 

その勢いを利用して、アインは山中へと飛び込んでいった。

 

山の中は地獄だった。

 

 

至る所に人間と魔族が潜んでいた。

 

茂みから飛び出してくる農夫。

木の上から魔法を撃ち下ろしてくる魔族。

道を塞ぐように立ちはだかる兵士の群れ。

 

 

全員が虚ろな目をしていた。

全員が無言でアインに襲いかかってきた。

 

だが奇妙なことに、彼らは同士討ちをする気配がない。

敵味方の識別だけは、完璧に機能しているようだった。

 

 

幻影で惑わせようにも、正常な精神状態から離れた相手を自滅に誘導できる確信はなかった。

 

アインは戦うことを選ばなかった。

 

一人一人を相手にしている時間などない。

邪魔な障害物には拳を振るい、距離を詰めてくる魔族には最小限の動きで意識を刈り取る。

 

それ以外は全て無視して突き進んだ。

 

背中に衝撃が走った。

 

魔法の直撃。

炎と雷が絡み合った攻撃が、アインの背中を焼き焦がした。

 

地面に叩きつけられ、顔面が土を抉る。

 

だが立ち上がった。

 

立ち上がって、また走った。

 

今度は岩の礫が全身を打ち据えた。

腕が抉れ、胸に穴が開く。

 

それでも足は止まらない。

 

纏わりついてくる人間の腕を振り払い、殴り飛ばし、前へ進む。

全身がボロボロになっていく。

 

黒い霧状の身体から魔力が流出し、輪郭が崩れかけている。

 

それでも止まらなかった。

 

止まるわけにはいかなかった。

 

やがて、見慣れた家の屋根が木々の間から見えた。

 

アインは最後の力を振り絞り、地面を這うようにして住処へと辿り着いた。

壁に背をもたれかけ、ずるずると身体を引きずりながら玄関へと向かう。

 

 

扉に手をかけようとした、その瞬間だった。

 

 

内側から扉が蹴り開けられた。

 

 

飛び出してきたのは若い男だった。

高価そうな衣服を纏い、整った顔立ちをしている。

 

だがその顔は恐怖に歪み、鼻と顎が不自然な角度に曲がっていた。

 

 

男はアインの姿を見た瞬間、更に顔色を青ざめさせた。

 

 

「ま、魔物ッ!? あ、あの女なにしてるんだ!? は、早く医者! 医者を呼べぇぇッ!!?」

 

 

アインは呆気に取られた様子で男を取り押さえようとするも、出来なかった。

それどころではなかったのだ……。

 

 

命の線が見えた。

 

 

赤い……。

どこまでも赤い線が伸びてきて……白い雪を赤黒く染め上げていく。

 

 

それは温かな鮮血

 

 

家の中から伸びる新鮮な血液の筋は絶えず流れ分岐し、止まることを辞めない。

 

 

全身がバラバラになりそうな動悸と共に……

 

 

――アインはその線を視線で辿ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

ピチョン……ピチョン……――

 

 

 

なんだ……これは?

赤い、血……だと……?

 

馬鹿な、何故こんなものが。

 

……こんなものが……ッ。

マキナのいる場所から流れてくるんだッ!?

 

 

あ、あり得ない……ち、違うだずだ。

こんなことはあってはならない……。

 

私の馬鹿げた妄想に決まっている。

 

 

痛い。

身体が……痛い……ッ!

 

全身を構成する何かが、傷口を開き『見るな』と叫んでいる。

 

 

だが見なければ……。

この馬鹿げた妄想を否定するために。

 

 

勘違いに決まっている。

だって、そうだろう?

 

あり得ないじゃないか……。

そうにきまっている。

 

 

無数に分岐する赤い線を辿っていく。

夥しい量だ。

 

きっと人間であれば生きていられない。

だ、だが大丈夫だ……!

 

こ、この先に人などいない。

……そうでなければならない……。

 

 

辿る……。辿る……。

見慣れた床に走る赤をひたすらにに辿る。

 

そして見えてしまった。

 

 

いつも優しく。

……私の掌を握ってくれた肌色を。

 

 

『ま……キ、ナ……』

 

 

血溜まりの中に彼女はいた。

救うと決めた、最愛の人が……顔を潰されて横たわっていた。

 

 

 

『ぁ、ぁぁ゛ッッ!!―――ま……マキナ……ッ゛』

 

 

駆け寄り彼女を抱き上げるが、全身からは力が抜け、手脚がぐったりと零れ落ちていく。

 

彼女を落とさないよう強く抱きしめ、何度も呼びかけた。

 

彼女の胸の中には、私が初めて上げたぬいぐるみと、何でもないメモが大事そうに握られていた。

 

 

『じょ、冗談だろう……。マキナ……マキナ……ッ、お願いだ、眼を開けてくれ……。そ、そうだ……今日は誕生日だ……き、君に、渡すものがあるんだ……ッ!』

 

 

実は全て冗談で、手の込んだ悪戯なのだと。

……そんな風に強く思い込み、マキナへと呼びかける。

 

だが彼女は眼を開けない。

なにより両手に伝う熱い血が、嫌でもこれが現実なのだと叩きつけてきた。

 

 

『なぁ……お願いだ……眼を開けてくれ。こんな終わり……ないだろう……?』

 

 

私には……もう何も考えられない。

彼女を強く抱きしめ、残った体温に縋り付くことしか出来なかった。

 

 

強く強く抱きしめて、ただ彼女への生へと執着する。

ドタドタと激しい足音が聞こえた気がした。

 

 

「ア……ム……ッ!マキ……無……――ッ!?……」

 

 

全ての音が遠く聞こえる。

何もかもが虚無と絶望に阻まれ何も感じることが出来ない。

 

恐らくフルーフが来て何かを言っているのだろう……。

だが、どうでもいい……。

 

 

「……は……数……済ま……な……」

 

 

今は……すべてがどうでもいいのだ。

もう終わりだ、なにもかも……。

 

 

守ると誓った愛すべき人。

 

救いの手となると誓った。

彼女にした約束全てを……私は果たせなかった。

 

傷口から魔力流出が止まらない。

もう……どちらにせよ私は死ぬだろう。

 

ならばこのまま……。

彼女を胸に抱いたまま死なせてくれ。

 

 

死を望み、全てが絶望に染まる瞬間―――「アイン」

 

 

彼女の清らかな声が……。

確かに己の内に響いた。

 

 

視界を開き彼女を見つめる。

そこには無惨に潰された顔ではなく、爛々と輝く温かい夕焼けがあった。

 

しっかりと眼を見開き、彼女は私を愛おしそうに見つめてくれていたのだ。

 

 

『――マキナッ!?』

 

「アイン……ごめんね。こんなことになっちゃって……」

 

『そんなことどうだっていいッ!?無理をするなッ……か、顔はだ、大丈夫なのか……?』

 

 

さっきまで明らかに死んでいた。

 

なのにどうして息を吹き返したのかはわからない。

あり得ない奇跡に縋り、彼女の安否を確かめる。

 

もしかしたらもう大丈夫かもしれない……。

そんな一抹の希望にかけて尋ねずにはいられない。

 

 

だが無情にも、彼女は首を横に振り全てを否定する。

 

 

「お義母さんが……一時的に治してくれただけ。残された時間は数分だけだよ……」

 

 

たったの数分。

……それがマキナに残された時間。

 

胸の中から醜いものが溢れ出しそうになる。

 

だが、今さっき微かに感じたフルーフの必死な声……。

 

この場に一番いたいであろうフルーフがいない。

その意味を理解出来ないほど愚ではない。

 

この数分を……。

あのフルーフがどんな気持ちで作ったのか、奴をよく識る私には想像出来てしまう。

 

一秒足りとも無駄にしていい時間では無かった。

 

 

『……マキナ。私のことを……恨んでいるか?』

 

「もぉ……最期に言うことがそれ?後悔も恨んでもいないよ……。ただもう少し生きられればよかったんだけどね。未練があるのなら……貴方にそんな顔をさせて死んじゃうくらいかな」

 

 

君にそんなことを言わせてしまうだなんて。

私は今……一体どれだけ情けない顔を晒しているんだ?

 

気をしっかり持っているはずなのにな。

君が安心して逝けるよう……表情になんか絶対に出さないと決めていたのに。

 

 

ごめんな……マキナ。

私には無理だ。

 

君がこんな形で死ぬことを……。

平気な顔して見ていられる訳がない。

 

 

私は……自分が心底恨めしいよ、マキナ。

 

 

『私は――ッ!?君を救えなかったんだぞ……ッ、約束したのに……約束一つ果たせないこんな奴を愛してしまって……本当に後悔していないのか……ッ!?』

 

「――うん!ずっと守ってくれてたでしょ……出会った時も、私が自分から死のうとした時も……。ずっと……ずっと。私だけを想ってくれていたでしょ……。破ってなんかいないよ。最期の最期にこうして貴方は私を助けにきてくれた。だから……破ってなんかいないよ」

 

 

恨んで欲しい。

責めて欲しい。

 

そんな私の身勝手な願望を彼女は許してくれない。

どこまでも優しく、自信に溢れる返事で否定してくる。

 

 

私は、まだ彼女を愛する資格があるのだろうか?

そんな不安を吹き飛ばし、沈みこむ意識を引き上げてくれた。

 

 

彼女は私を見ながら……――『貴方は最期に私の心を救ってくれた』

 

 

そんなことを言ってくれる。

ありがとうマキナ……、救われたのは私の方だ。

 

 

――ウジウジするなアインザーム、私は……男だろう?

 

 

なら覚悟を決めろ。

 

 

私は彼女の恋人で、村一番の美女を射止めた男の友人だ。

後悔ない生き方をしろ。

 

今本当にしたいことに……心に従え。

 

 

『まだ……私を好きでいてくれるか?』

 

 

「馬鹿にしないでよ。私……言ってなかったけど相当頑固なんだよ。実は自分のこと優秀だって自負してるし、男を見る目も拘りもあるんだから。だから私はずっと貴方一筋だよ――子供の頃に出会った日からずっとね。一目惚れだったわ」

 

『あぁ……私も君一筋だ。最初で最後の一目惚れだと思う。

君に……。渡したいものがあるんだ……――受け取ってくれますか?』

 

 

私達は同じ気持ちだ。

なら……残された時間がたった数分でも関係ない。

 

私は最愛の彼女にプロポーズを行ため、ボロボロになった外装から小さな箱を取り出し彼女に見せる。

 

 

「ッ!?――は……は、い……っ」

 

 

箱を見て……。

彼女は涙声になりながらはっきりとそう答えてくれた。

 

 

――待たせてすまなかった。

 

 

箱を開け、彼女の瞳とよく似た綺麗なダイヤの指輪を見せる。

彼女の為に選んだ結婚指輪を披露しながら……最後の言葉を口にする。

 

 

 

『貴女を心から愛しています……どうか私と……

 

 

 

――結婚してください……マキナさん

 

 

「勿論、だよ……ッ。ずっと待ってたんだから……

 

 

 

――グス……はい……ッ!喜んで――アインさん

 

 

指輪を取り出し彼女の薬指へと嵌め、私の分の指輪はチェーンを通し自身の首にかけた。

これで……婚姻成立だ。

 

 

彼女も私も酷い有り様だが……それでも何も変わることはない。

この世の何よりも美しい彼女は……どんな時でも儚げで尊い。

 

たとえ血に染まっていようとも。

涙で顔が歪んでいようとも。

 

……私の愛する最愛の妻は、世界一美しいのだから。

 

 

オレンジ色に輝くダイヤに彩られた彼女は本当に女神のようで、私には勿体ない最高の女性だ。

 

 

『オレンジダイヤモンドは病魔や不調から遠ざけ、心の安定を保つことが出来る宝石と呼ばれているんだ。新しい希望という意味もある。だから……天国にいっても大丈夫だ。きっともう……病気に煩わされることはないさ』

 

「ありが……とう、アイン……。こんな私を貰ってくれて……ッ。ずっと……夢だったの。大好きな人と結婚して指輪を貰うのが……。子供の頃の夢を……ずっと叶わないと忘れていた夢を叶えてくれて……ありがとう、アイン……ッ」

 

『私こそありがとう……マキナ……ッ。私のような魔物に君は……一人では得られないものを沢山くれた……。君を愛することが出来て私は……っ』

 

 

最後まで言い切る前に彼女の身体から力が抜けていく。

もっと話していたいのに……現実は無情で、私達に残された時間はどこまでも少なく……有限だった。

 

 

「アイン……もう時間がないわ。最後に私の全部を貴方にあげたいの……だから“視て”。きっとアインの力になってくれるはずだから。アインのために……沢山勉強したんだよ、だから受け取って。これは私が貴方に贈れる、最後のプレゼントになると思うから」

 

 

最後の贈り物だなんて受け取りたくはない。

だが彼女が最後に託してくれるものを……拒否することなど私には出来ない。

 

 

『ッッッ゛―――あぁ!……なんだって、どんなことだって……君がそう望むなら――そうするよ』

 

 

君がくれるというのなら……どんなものだって受け取るよ。

たとえそれがこの身を蝕む呪いだとしても。

 

 

「嫌なものも見えるかもしれないけど……憎しみや憎悪に呑まれないで。優しい貴方にそういうのは似合わないから」

 

 

『なら……君が連れ戻してくれ』

 

 

君がそういうならそうなんだろう……。

 

彼女の全てを覗くのならばそれ相応の覚悟がいる。

 

こんな風になるまで嬲った奴を見る羽目になるんだろうな……。

悪いが耐えられる自信はない。

 

だから君が連れ戻してくれ。

 

 

「もう……。しかたないんだから」

 

 

そういって拒みはしない。

君が近くにいてくれるなら安心だ。

 

 

私は彼女を見つめその精神を覗く、ドロドロと渦巻く記憶が私の精神を汚染する。

 

彼女が虐げられ、嬲られた幼少期に吐き気と殺意が溢れ出てくる。

だが、それ以上に。

 

彼女が私と出会いどう想ってくれていたのか、それを知り心の内で涙が流れる。

 

 

彼女の全て。

日々をどう過ごしてきたのか……。

 

その全てが私に流れ込んでくる。

私になにを残してくれようとしているのかが、鮮明に伝わってきたのだ。

 

 

そして僅か数秒の内に記憶を辿り……この惨劇の数分前へと辿り着く。

 

彼女の感じた絶望と恐怖を感じながら、私は眼を背けることも許されず直視する。

マキナの身に一体なにがあったのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“はは、姉上。本当にまだ生きていたとは驚きました。まさかこんな雪山の中で生き続けていたなんてね。卑しい貴女のことだ、大方遺産を僕から掠め取ろうと生きて来たのでしょう……残念でしたね。”

 

“ギーア――なの……ですか、一体何を……それにどうして此処へ”

 

“弁解なんていりませんよ、見え見えなんですよ……その糞みたいな身体から見える浅ましい魂胆がねぇ!

 

“だから、何を言って……あれからどれだけの歳月経ったと思っているのですか……。私はとうに死んだ扱いのはずです。それとも……お母様とお父様が私の死亡届を出さなかったとでも言うつもりですか?”

 

“そうですよ、あの人達は貴族であることに命を掛けていた。不名誉な噂や汚名が付き纏うことを何よりも嫌っていたんだ。だから僕がどれだけ言っても何もしてはくれなかった。母上も父上も馬鹿ばっかりだ、娘をまともに育てることが出来ず死なせた、子どもの管理もまともに出来ない……そんな糞みたいな小さなことでビクビクしちゃってさ”

 

“……あの人達が?”

 

“昔は偉そうに講釈垂れてたが……クククッ、いやぁ無様なものでしたよ。姉上がいなくなってから数年後には姉上のことを知ってるメイドや執事に脅されてたんですよ?給金を上げないと悪い噂を流してやる~だなんて。あぁ、僕?僕に言ってきた奴は全員殺しました。金も無い下民が偉そうに同じ目線でものを語るなって話しですよ”

 

“ギーア……――どうやら……貴方はとんだクズに成り下がったようですね”

 

“ゲロ臭い口を開くな毒持ち女。動けないなら黙ってろよ、こっちはお前を見てるだけでも苦痛なんですよ。まだ性病の娼婦を見てたほうが百倍僕の精神衛生が保たれるくらいなんだから……低能なりに理解してよ、ねぇ……姉上?”

 

“それは此方のセリフです……甘ったれの畜生。その辺は相も変わらずのようですね低能糞野郎”

 

”はッはッは……随分調子に乗ってるじゃないか。――黙ってろ!僕はなぁ、小さいころから我慢出来なかったんだ。僕は選ばれた高貴な人間だ……なのにお前と同じ血が流れていると知った時、どんな気持ちだったか理解出来るかぁ!?全身に虫でも這ってるみたいに痒くてさ、薄汚くて何度も吐いちまったよ。全部醜いお前のせいだ!折角高い金を使って暗殺者まで雇ったのになんで死んでやがあらねぇんだ……?”

 

“貴方には関係ありません。遺産など欲しくはありません、もう帰って下さい”

 

“それは出来ない相談ですね……。プライド一つで事業を成功させている両親の手腕は尊敬していますが、母上や父上にはもういい加減死んで欲しいんです。僕は正直爵位なんてどうでもいいんで、事業と金だけ貰って返還してしまいたいんですよ。それに……その準備はもう整えてあるんですよ、姉上”

 

“お父様は仕事に関しては実力主義以外に認める方ではありません。今の貴方に渡るものは何もありませんよ”

 

“ははは、脳味噌まで腐ってるんですか?えぇ……ご想像通り、父上は僕より若い下民を次期後継者に据えようとしやがった。だけどねぇ、そんなものいなくなってしまえば問題にすらならない……もう僕以外に残っていないんですよ”

 

“貴方まさか……”

 

“ははは!そうだよ……あっさりあの世行きさ、いやぁ~残念残念。ぁあ、大多数は生きていますよ、生きているだけとも言えますがね。くくッ……大出世出来ただろうに……まさか不幸にも魔族……いや魔物に襲われて殺されるだなんて……この世は不条理で満ちていますね、そうでしょう姉上”

 

“馬鹿な……。まさか……魔族と手を結んだのですか?この人で無しが……畜生に劣るとは貴方を指す言葉です”

 

“あ~はいはい。それでね姉上……アンタで最後なんですよ。もう殺したって何の意味もないんですが……僕はアンタ殺したくてたまらなくてね。それに……後顧の憂いって奴は絶っておきたいんですよ。なので――可愛い弟の為に死んでください。あの頃みたいに仲良く遊びましょうよ……ッと!”

 

“ぁ、ぐぅッ!?ギ、ギーア……止めなさい”

 

 

 

記憶をなぞり叩き込まれる光景に私は絶句する。

彼女は気丈に振る舞っているが……。

 

内心は恐怖で発狂しそうになっていた。

 

 

なん、だ……これは――。

これはなんだ……、これが……血を別けた家族にする仕打ちか?

 

 

 

“椅子の角で殴られるの好きでしょう!そらもう一発!はッはぁ~汚ねぇ。顔が潰れてなんか飛び出してきたんですけど……気色悪ぃな。ご病気の姉上……さぞこれまで苦労してきたことでしょう……この不肖の弟めが治療して差し上げますッ!おらぁ!!――うんうん……顔面を潰した方がまだ見栄えがいいですね”

 

“ひぃ……嫌、嫌ぁッッ!?痛い痛い痛い痛い痛いッッッッ!!!!止め、止めて!!?”

 

“お前は痛みなんて感じないんだろう……?こっちはとっくに知ってるんですよ!あぁ……煩いバケモンですね……人間様には何を言ってるか理解できませんねぇ!さっさと死にやがれ!こっちは態々こんな山奥に足を運んで殺しにきてやったんだぞ!一度失敗した以上……直接殺さないと安心出来なかったんですよ。だから優しい弟に看取られながら地獄に落ちろ!”

 

“ひぎぃッ!が、がぁ……止めて、ゴメンナサイゴメンナサイ……ッ!許してッ!あぁ……ぁああぁぁぁぁぁあああぁ!!!!?助けて!あぁ誰かぁ――あぐぅ!?”

 

 

 

 

やめ……――やめろッッッッッ!!!。

馬鹿な馬鹿な馬鹿な……ッ!?こんな……こんな仕打ちは赦してはならない。

 

 

殺したい、殺したくて堪らない……――あぁ゛駄目だ……殺意だけがこの身を満たしていく。

彼女の心が助けてと叫んでいる!!私を呼んでいる!!何故……何故だ!何故――私はこの場にいないんだッ!?

 

 

 

う゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!

 

 

 

精神の中で叫び散らす、ただ視ているだけでは耐えられない、狂ってしまそうになる。

彼女を椅子で殴る男の首を捩じ切ろうとしても、すり抜けるだけで何も成し得ない。

 

 

だがやらずにいられない、眼の前のコイツを殺そうせずにはいられない……ッ。

 

 

 

“姉上、もう過去のことを忘れたんですか?お前みたいな汚らわしい病原菌を誰かが助けるとでも?いませんよねぇ、いませんでしたよねぇ!お前を助けてくれる奴なんて誰もいないんですよぉ!だから……その口を閉じて黙って殴られてろ……僕に汚ねぇもんが伝染るじゃねぇーか!?”

 

“あぁ、お願い!助けて……助けてッ!”

 

“あぁ、もしかして魔物でも呼んでいるんですか?流石……魔物を使役する魔女は言うことが違いますねぇ!どうやって操ってるんですか?無能な姉上に魔法なんて使えるはずもありませんし……。あぁ、身体を使ったとか?僕みたいな上品な人間から見れば吐きそうになるほど腐った汚物ですが。低知能で糞尿を貪るような魔物には好かれるのかもしれませんねぇ!僕は恥ずかしいです、まさか血の繋がった姉が魔物相手に媚びを売る淫売に成り下がっているとは……ッ!”

 

“――ッ!?

 

…………て、訂正し、な……さいッ゛。あ、アイン……決して、貴方のようなクズが語っていい相手ではありませんッ!”

 

“おいおい、まさか本気か?これはたまげましたよお姉上、魔物相手にそんな顔を為さるとは……気色悪いんだよ!!!何……お前みたいなゴミ女が僕に逆らってやがる!はぁ……はぁ……そんなに好きなら、もっとその魔物から好かれるように……徹底的に磨り潰して上げますよ”

 

 

“ヒィッ……ぁ、あ……あ……あぁ……ご、ごめんさい、アイン……私はもう……”

 

 

“ではでは、魔物に組みする醜悪な魔女。僕が女神様に代わり貴様を成敗して差し上げますよ”

 

 

 

 

 

――グシャッ!!!

 

 

 

 

 

 

あ……あぁ゛……ぁ――――糞がァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!!!………貴様……キ゛サ゛マ゛ぁぁあ゛ぁあぁぁぁぁぁぁぁ゛ッ!!!!!!!!

 

 

き、貴様……貴様だけは……決して、決ッして……許されると思うな。

 

 

 

ドクン……ドクン……ドクン

 

 

 

 

 

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

 

 

 

 

ドクン……ドクン……ドクン

 

 

 

 

 

憎悪が……人間への殺意が止まらない。

殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ……私の本能がそう囁きかけてくる。

 

 

 

人間に死を……――

 

 

 

死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死を……くれてやらねば……

 

 

 

――彼女の味わった全てを余す残らず……。

 

 

 

 

キィーーーーーーーーーーーン。

 

 

 

 

耳鳴りがうるさい、私はなんだ……そうだ魔物だ。

血を貪り人間共を喰い殺す醜い獣。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

なら殺してやらねば……醜い人間共……私は人類を殺す魔物なのだか――「駄目だよ、アイン」

 

 

 

 

 

 

 

――ピタ。

 

 

 

 

 

耳鳴りが止んだ。

澄み渡る優しい声が私を現実へと引き戻してくれる。

 

眼の前には陰惨な光景は広がっておらず……ただ心配そうに此方を見つめる彼女の顔だけがあった。

 

 

「憎悪に呑まれない勇気を持って。私も……勇気を出したからさ」

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

そう言いながら彼女は私の頬を掌で撫でてくれる。

さっきまで彼女が感じていた怯えや恐怖とは違う。

 

覚悟と決意の宿った記憶が私の中へと流れ込んでくる。

 

 

 

見えたのは、無惨に潰された顔から血を流し倒れ伏す彼女。

その横ではマキナの弟であろう男が周囲のものを漁っていた。

 

 

 

”ようやく……死んだのか、チッ。手間をかけさせてくれましたね……手間賃として金目のものは幾つか貰っていきますが構いませんよね。はぁ~碌なものがありませんね、薄汚れたぬいぐるみに、ご丁寧に箱詰めされた紙くずの束……ゴミばっかりじゃないですか。あの仮面はどこですか?元々我家のものです……今直ぐ返して下さい”

 

 

奴はマキナが大事にしていたぬいぐるみと紙の束が纏められた箱を引っくり返し、血の池へと放り出していく。

 

 

”だ、め……それに……触る、な……ッ゛、ア、インがくれ、た……宝物なん……だから……”

 

 

”おや、ゴキブリなみの生命力ですねお姉上、このゴミが大事ならその想いを汲んであげますよ。なにせ私は優しいのでね、息絶えたお姉上ごと此処を燃やして副葬品として贈って差し上げます、優しいでしょ……うッ!!”

 

 

彼女が大事だと言ったものを踏みにじり、倒れ伏す彼女のお腹に爪先が食い込むほど強く蹴った。

 

見れたものではない……。

彼女から伝わる深い悲しみに目を逸らしたくなる。

 

だが、その悲しみ以上に彼女から、抑えきれない怒りと激情が伝わってきてた。

 

 

”ぐ、ふぅ゛……おぇ゛。そんなこと、絶対させない……。此処は……アインが……お義母さんが……皆が帰ってくる家なんだから……ッ”

 

 

彼女は視界すら機能しない中で何かを探し……赤く尖った石を強く握り込んだ。

それはフルーフが非常時に渡しておいた保険だった。

 

彼女は迷うこと無くその石を自身の首筋へと突き刺す。

 

”手脚もろくに動かない芋虫が凄むなよ――糞が、吐瀉物を吐くなら死ねよ、臭いだろうが……――ッなんだ?離せよ”

 

 

彼女は音を頼りに男の脚を掴み、乱暴に振り払われようと決して離さなかった。

そして、動かなかったはずの身体で立ち上がり男の胸ぐらを掴む。

 

 

“臭い゛のはっ゛……――アンタ゛の……ドブ臭い、口よ゛ッ!今直ぐ……

 

 

――……その……汚い足を退けなさいな゛……ッ”」

 

 

 

拳を握り、啖呵を切る姿はフルーフそのものだった。

男は血みどろに潰れた彼女の顔に表情を青ざめさせ、逃げようと藻掻くが……。

 

 

“は?顔面が潰れてんのになんで急に立ち上がれ―――ぐ、ふぅッ”

 

 

――ボ゛ギィッ!!!!

 

 

顔面のど真ん中に拳骨がメリ込み、何かが折れる音が響き渡った。

 

 

“はぁ……はぁ……、私だって……お義母さんの娘だもの。嫌いな奴の顔を砕けて当然なんだから……ッ、――ぅ゛ゴホ……ゲほっ!?”

 

 

男が吹き飛び壁に叩きつけられると、彼女は池面へと這いつくばる。

血に濡れたぬいぐるみやただのメモ用紙を必死に掻き集める。

 

目が見えていないにも関わらず、全てを集めきった彼女は、それらを大事そうに抱えて身を丸めてしまった。

 

 

フルーフの保険は一時的作用しかなく副作用も甚大だ。

彼女はすぐに血反吐を吐きながら、息を荒げて苦しそうに咳き込み続ける。

 

 

“て……テメェ!?この死に損ないが……腐った肉の分際で誰に手を出してのかわかってんのか!?死ね……死ね……早く死んじまえッ!”

 

 

鼻と顎が曲がった男は丸まった彼女の背を蹴りつける。

容赦という言葉を知らない暴力に、私の視界が再び赤く染まる。

 

 

それでも、我を見失うことはない。

彼女は苦しそうにしながらも、不敵な笑みを浮かべて笑っていた。

 

 

“おぐぅ゛――ごふぅ……はは゛、ざまぁ、みなさい。そ゛れより……良いの、かしら……?私の病気、確かに空気感染しないみたいだけど血液感染はするみたいなの……、貴方の顔についてるものは何かしら?早く……僧侶様にでも診て貰ったほうがいいんじゃない”

 

 

そんな事実は無かった。

彼女は最初からこれまで、一貫して伝染らないと言い続けてきたのだ。

 

本当に彼女の話を聞いて……見ていたなら通じるはずのない嘘だった。

 

 

“――は?お、おい……ッ゛!?嘘だろ、お……お前ッ!?なんてことしてくれたんだ――僕にお前みたいな醜い顔で生きろっていうのか……ッ!?この腐れアバズレがッ!産まれただけでも迷惑なのに、僕にまで迷惑かけてんじゃねーぞッ!?”

 

 

だが、男はその言葉にこれまで見せたことのない恐怖を顔に浮かる。

必死に顔に付着した血液を拭き取る。

 

部屋の隅に置かれた水壺へと走り、顔を沈めて数分近く擦り続けていた。

 

 

“はは……嘘よ。昔から……言ってあげたでしょ……“伝染らない”って……やっぱり……誰も聞いてなかったのね……”

 

 

マキナは寂しそうにそう呟く。

静かに横たわり、血に濡れたぬいぐるみと紙束を強く抱きしめる。

 

そして……。

ただ視ているだけの存在でしかない私の方を向き……彼女は笑った。

 

 

“清々したわ。……ねぇ、アイン……もし視てたなら、褒めて。私はもうトラウマにも勝てるの、貴方がくれた優しい思い出が……その勇気をくれた。だから貴方も……勇気を出して前へと進んで。貴方は血肉に飢えた魔物じゃないわ……貴方は――”

 

 

 

 

 

――「ねぇ……アイン?貴方は誰?」

 

 

 

潰れた顔が、彼女の顔となり私を見つめている。

長くも一瞬の記憶は幕を閉じたようだ。

 

 

『…………私はアインだ』

 

 

「うん。貴方が何者なのか……それを決める時が来たね。貴方は魔物でも人間でも魔族でもない……最初の一。そしてそれは誰にも定義できない存在、後は……貴方が定義づけて」

 

 

『君に決めてほしい』

 

 

「それじゃ……一緒に決めよっか。きっと心は同じだから。でも、言いたくないなぁ……間違ってたら自惚れてるみたいで恥ずかしいよ」

 

 

『その答えで確信したよ……大丈夫、私もきっと同じだ』

 

 

「良いよ……それじゃ言うね。アインは妻でであるマキナが大大大ぁ~好きな愛妻家で……」

 

 

『助けてと伸ばされた手を……迷いなく掴む救い手で……』

 

 

「『不平は無く、不条理を許さず、道徳を重んじる』」 

 

 

 

「『そんな……―――』」

 

 

最後の言葉は同じだった。

そうか……。

 

私の存在意義、正体がようやくわかったよ。

 

 

「最期の最期に取り返しのつかない呪いを残しちゃったね……。はぁ……初めて人を殴って、なんだか疲れちゃった」

 

『君がくれるなら……どんなものも祝福さ。もう……時間なのか……?』

 

彼女が眠たそうに目を擦る……。

どうやら本当に、もう時間のようだ。

 

 

――まだ……ッ、泣いては駄目だ。

 

 

泣いたらバレるだろうが……なぁ、頼むよ私。

もう少し保ってくれ。

 

彼女を安心させて逝かせてあげたいんだ。

 

 

「うん……意識を、保ってなきゃ……すぐ寝ちゃいそうだよ。……これで本当にお別れなんだね……いやだなぁ……。天国に行けても……アインと会えないのはきっと寂しいよ。折角……私達、結婚まで出来たのにね……」

 

 

――マキナ……ッ。

 

 

私だって……同じだ。

 

これから新婚生活だと……朝一番から私は浮かれていたんだぞ。

君とやりたいことだって……連れて行ってあげたい場所は沢山あったんだ。

 

 

だから……終わりになんてさせない。

君が遠くにいくのなら……私が迎えに行くよ。

 

たとえ許されなくても。

手の届かない何処かに行ってしまっても……。

 

私は再び君の掌を掴んでもみせる。

 

 

『――ッ。……ぁあ゛、そうだね……。大丈夫……ッ、迎えに、行くさ……。君が待ってくれているなら、私は天国だろうとどこだろうと……惨めに這いつくばっても……縋りついてでも……。どんな手を使ってでも君の所に向かう。だから安心してくれ、もし叶ったなら今度こそ……君を絶対一人にはさせない。約束だ』

 

「嬉しいなぁ……。でも、無理だけはしないでね……。ずっと見守っているから……浮気も、しないでね……」

 

 

君が見守っててくれるなら、どんな無茶だってしてしまいそうだ。

だが……最後の冗談はなんだ?

 

私みたいな薄気味悪い奴を、誰が好きになってくれるって言うんだ。

 

 

『酷い……冗談だ。最後にフルーフに、何か伝えることはあるか?』

 

 

外から微かに物騒な音が聞こえてくる……。

私達がこうして最後の別れを済ませられるのは奴のおかげだ。

 

 

騒がしい爆破は使わず、自分の身一つで山の中に残った外敵と戦い、足止めしてくれている。

 

感謝しかなかった。

彼女は今この瞬間、一切のお巫山戯無く『親』としての責務を全うしていた。

 

別れの機会を……。

自分ではなく私の為に譲ってくれていた。

 

 

「私から……ありがとう、って伝えておいて……。お義母さんもきっと……最後に話したいことがあったと思うの。だけど最期の時間をアインとだけ過ごさせてくれた……だから……。お義母さんの娘として……ありがとう、って……娘として愛してくれてありがとう……って、伝えておいて……。お願いね……アイン……」

 

 

フルーフ、お前は常々彼女に申し訳無さそうにしていたが、きちんと伝わっていたぞ。

 

お前が彼女を愛していたように……。

彼女もお前を義母として愛していた。

 

これはお前が直接聞くべきものだろうに……すまない。

 

 

『あぁ、約束するよ。君は何も気にしなくていい、母さんに作ってしまった借りは私が必ず返す。君の分も含めて必ずだ……ッ』

 

「お義母さんを……守ってあげ、てね……」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

あぁ、守るよ。

私達の母親だ。

 

たとえ……君と決めたこの在り方を曲げることになろうとも。

命を落とす結果になろうとも……。

 

守り切ってみせるさ。

 

 

「あぁ!だから……もう休め……ッ。……辛いのだろう?私はもう大丈夫だから……やるべきことはもう見えている。絶対に……君の旦那に恥じない生き方をしてみせる。だから……もう……こんな苦しい現実に縛られるな。女神様がきっと君を待ってくれているよ……」

 

 

彼女は瞼を必死に開き意識を保ち続けている。

その姿は無理をしているのが丸わかりで、とても辛そうだ。

 

 

――もう十分だ。

 

 

私は……。

眠たそうな彼女の目元に掌を翳し瞼をソッと閉じさせる。

 

 

苦しそうな顔は穏やかになり、心地の良い息遣いだけが聞こえてくる。

 

 

 

 

 

「ずっと忘れないよ……見守っているからね……。これまで……本当にありがとう……。貴方が迎えに来てくれるなら……ずっと……ずっ……と、待ってる……からね………。愛しているわ……

 

 

 

――アナタ

 

 

 

 

『おやすみ、マキナ……私も……

 

 

――私も……ッ、君を愛しているよ……ッ。どうか安らかに……私が愛した最愛の人

 

 

 

穏やかな寝息は少しずつ消えていき……そして何も聞こえなくなった。

項垂れた手はもう二度と動くことは無い。

 

 

最後に……彼女の口元に、いつの日か出来なかったキスを交わし終わりを迎えた。

 

 

全てが終わり、私は泣いた。

恥ずかしいくらいに大声で……。

 

我慢していた分、彼女の亡骸を抱き身を震わせた。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

アインは物言わぬ屍となったマキナの血を拭き取りベッドに乗せる。

シーツも全て新品に取替え、彼女が大切にしていた熊のぬいぐるみと紙束を傍らに置く。

 

 

陽の光に照らされる彼女の顔を見つめながら髪を撫でる。

 

 

アインは何かを決断したようにマキナの躯から身を翻す。

 

 

その手にはかつて女神の使徒が振るっていたフランベルジュと聖典、ロザリオが握られていた。

アインは女神像の前に跪き剣を捧げる。

 

 

アインは女神の存在を信じている……否定などさせない。

マキナが無事天国に辿り着けない結果など認めない。

 

マキナは天国に旅立ち、何不自由無くアインを待ってくれている。

ならば……女神は絶対に存在する。

 

 

聖典を行使するには加護がいる。

目的を果たす為には女神の慈悲を乞う必要がある。

 

 

どれだけ己の存在が定まろうとも、この身は汚れし魔物の身体。

ただ呆然と祈った所で、女神から信仰を認められるはずがない。

 

 

ならば出来ることは一つ……命を賭して信仰を証明することのみ。

 

 

波打つ剣を抜き放ち、剣先を腹部へとつがえる。

女神像を見上げながら……アインは迷いなく己の腹部を貫いた。

 

 

 

誰の気配もしない女神像の前で、生々しい音が響き渡る。

マキナの元気な笑い声は……もう、ありはしなかった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。