アインザーム・オリジン【完結】   作:ごすろじ

40 / 43
▼第四十話▶幼子が夢見た正義の味方。

 

 

 

雨が降りしきる曇天の空で、一筋の燃え盛る閃光が突き抜けていく。

逸れることを知らない炎閃が目指すのは、アークライアという貴族が治める街。

 

 

街の入口が見えると、角度をつけて急降下した。

隕石が墜落するかのような爆炎を撒き散らし、周囲一帯を燃やし尽くしながら着地する。

 

大地を燃やし立ち上る炎の中から出てくるのは一つの人形。

 

 

灰色の皮膚を持った長身の魔物。

全身の肌をドロドロと溶かし、鬼のような形相を浮かべた幻影鬼が、蒸気を上げながら少しずつ街へと近づいていく。

 

街の中からは衛兵、商人、役人、傭兵、戦士と様々な人間達が群れをなし迫りくる。

 

意思を宿さない瞳をしていながら、動きに繊細さを欠いた様子はない。

山中を徘徊していた操り人形とは別格だ。

 

 

アインは、溶け落ちる顔を回し群体を見渡していく。

そして高熱に晒されながらも、燃えること無く輝きを増す鋼鉄の聖典を開いた。

 

 

見定めるは操られる無辜之民ではなく――その奥。

表に出ず隠れ潜む外道。道理も通さない悪逆の徒。

 

全身を焼き焦がす蒸気と湧き出る霧からは、荘厳でありながら地獄のように低い声が辺り一面に響く。

 

 

 

『私は神罰の代行者となりて……悪を滅さん。

己の内に宿る悪逆を顧みよ、その悪行を女神は決して許しはしない。

啓示の時。汝人を殺すべからず……。汝魔族に罰を下すべし……。

罪人共よ裁定は今下った。その魂は重く汚れている。生涯を煉獄の炎で清めるがいい』

 

 

アインは深く目を瞑る。

暗く、底のない虚無の孔。

 

空っぽで虚無、光すら映さない幻影鬼の眼。

魂など感じさせない化け物、ただ真っ暗な霧だけが渦巻くだけの空虚。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

正義の味方を気取るなど烏滸がましい、化け物じみた容姿だ。

だが彼の心には、決して衰えることなく燃え盛る光が宿っている。

 

 

彼はただの幻想鬼ではない。

己の死を持って、女神への信仰を証明したちっぽけで矮小なヒーロー。

 

 

夢見がちな少女が地獄の中で求めた理想の体現者であり、その理想を追い続ける者。

助けてと叫ぶ魂、言葉にできぬ苦しみから救いを求め伸ばされた手を取る存在。

 

 

悪を裁く裁定者。

虐げられる者達を悪逆の手から守るため、女神が遣わした神の獣。

 

 

マキナという一人の人間を深く愛した男だ。

 

 

『頑張ってね。私の旦那様(正義の味方)

 

――あぁ、当然だ。

 

 

彼は力強く目を見開き全てを視る。

空虚な闇へと光が灯る。

 

それは暖かく全てを包み込む美しい夕焼け。

 

 

熱く燃え盛る炎が、裁くべき罪人共を映し出していた。

 

 

 

 

 

 

『今こそ――積み重し全ての罪業を払う時』

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

迫りくる軍団に対し、アインは躊躇することなく前進し続ける。

そして一定距離に近づいた瞬間、大勢の意思無き人間達が一斉にアインへと襲いかかった。

 

 

『汝らに咎は無し』

 

 

だが眼の前に迫る圧倒的な物量に対し、アインは霧を軽く充満させるだけで、反撃の意思すら見せなかった。

 

吹けば飛ぶような浅い霧の膜。

そのまま群衆の群れに呑まれ押しつぶされる、かと思いきや。

 

 

操り人形となっていた人間達が、先頭から次々と地面に倒れ伏していく。

 

この現象はアインの幻影により引き起こされた一時作用に他ならない。

脳に巣食う寄生虫を根本的から駆逐し、消滅させることは出来なくとも、意識を昏倒させるなど造作もなかった。

 

 

脳の反応すら届かない場所。

とても深く、自力では戻れない心地の良い幻影へと精神を引き摺り落とす。

 

一人、また一人とその人間が望む理想郷へと沈んでいく。

 

 

白く濁った薄ら寒い霧の中から、夕焼けを宿した鬼が迫る。

皆すべからく倒れ伏し、その上を流れるように進み続けていく。

 

 

不意に空から光が轟いて見えた。

 

 

『魔法には魔法を、魔力には魔力を……故、迦楼羅炎が如く』

 

 

上空から雷が弾け、アインに向かって迫りくる。

アインはそれを片手から放出した炎で相殺した。

 

 

雨が降り荒ぶ上空を見上げれば、同じく意思のない瞳を宿した魔族が魔力を滾らせ、魔法を放とうとしていた。

 

同族すら手にかける非道さにアインは哀れみを覚える。

だが視線で魔族たちを一周見渡した後、何の憂いもなく魔法を行使した。

 

 

『裁定は等しく、不平等に行われてはならない。そして汝らにも審判を下そう――有罪だ。この判決による是非は女神に委ねるとする。私の判断が誤りであったのならば、死して詫びよう』

 

 

――ザク、ザク…ッ!

 

 

アインが炎の宿った瞳で上空を見上げていると、魔族が魔法により放たれた金属片が襲いかかる。

それを避けることなくアインは全身で受け止めた。

 

 

直後、手にした聖典が淡い光を放ち、突き刺さった金属片が池面へと落ちていく。

そして、聖典が煌めいた一瞬の内に、胴体へと刻まれた裂傷は完全に塞がっていた。

 

 

『最終判決が下った。異議を唱える権利は汝らからは失われている。故……刑を執行する』

 

 

眼の前の生命に対し、殺意を抱きながらも加護は失われていない。

これは即ち、女神はアインの判決を是とした証明。

 

最早見定める意味は失われた。

後は己の下した判決を実行に移すのみ。

 

 

地獄の業火を出す魔法:氾濫(ヴォルザンベル:オバーフロー)

 

 

魔法を発動した瞬間、アインの内側から全身の外に向けて獄炎が吹き出し、周囲を燃やし尽くす。

 

本来は指向性を定めて相手に放つ魔法を、自身の内側で発動させ暴走させているのだ。

近寄るだけで溶けてしまいそうな炎を身に纏いながら、アインは魔族達を睨む。

 

 

まさしく火生三昧。

全身火炎となって衆生の一切の煩悩障難を焼きつくす、不動明王が如き姿。

 

 

だがこれでは、ものの数秒で自身を焼き尽くす自殺と何ら変わりない。

 

アインだけであったならこれ以上の先はない。

しかし足りない部分はマキナの記憶が補ってくれた。

 

 

『生命創生の章【輪廻の光輪】』

 

 

聖典が光を放ち、アインの背に黄金に輝く光輪が現れる。

回転しながら神聖な光と共に形作られるそれは、女神の魔法だった。

 

焼け落ち、溶け落ち、原型を失っていくアインの身体。

それらが光輪から放たれる光に照らされ、元の姿へと戻っていく。

 

この魔法の神髄は常時再生。

未だ発見されていない、僧侶が扱う回復魔法でもあった。

 

マキナが解き明かした女神の魔法の一つ。

 

アインは女神の魔法を十全に扱う天性の才もセンスも持ち合わせていない。

通常であれば発動すらできない魔法だ。

 

 

しかしアインにはマキナから受け継いだ知識があった。

独学で聖典の暗号を解読した天才少女。

 

彼女は自らの知識を、アインにだけ理解できる完全なロジックとして整理していた。

全ては譲渡する前提。

 

結果、アインは聖典に記された高位魔法を平然と行使するまでに至っていた。

 

 

燃え盛るアインから強烈な爆炎と共に光が放たれ、周囲一帯が極光で照らし出される。

 

その刹那、点火音が同時に複数回聞こえた。

光に眼を焼かれ、視界が戻った魔族が目にしたもの。

 

それは中距離を一瞬で詰め、一人の魔族の顔を鷲掴みにするアインの姿だった。

掴まれた魔族の顔からはジュージューと肉の焼ける音が聞こえ、皮膚がゲル状に焼け落ちていく。

 

 

『地獄の底で……汝が贖罪を成せることを願っている』

 

 

その一言を最後に、魔族の一人は身体の内から爆炎を撒き散らし消し炭となる。

 

数秒判断が遅れ、魔族に寄生した虫が攻撃を命令する。

だが、それよりも早くアインは聖典を開き魔法を放っていた。

 

 

 

『天地の楽園の章【女神の三槍】』

 

 

手元に三本の光の矢が形成され射出される。

二本は魔族の心臓と脳を完全に破壊し撃墜。

 

残り一本は、魔法障壁に弾かれ明後日の方角へと飛んでいく。

 

だが、再びの点火音。

 

ボッ…ッ、ボッ…ッ、ボッ…ッと鳴り響く炎が弾ける音。

 

 

その正体は、炎の塊と化したアインの下半身から放出される高密度の炎だった。

 

瞬き一つの間に直線的な超加速を連続で繰り返すという、アイン独自の接近技法。

出力を少しでも誤れば一瞬で全身が崩壊する、頭のネジが外れた技だ。

 

 

アインは加速しながら弾かれた光の矢を強引に鷲掴む。

手の中で光が暴れ、魔物の身を拒絶するような激痛を走らせてくる。

 

 

だがアインにとっては何でもない。

 

 

全身が内側から燃やし尽くされる苦痛。

皮膚が溶け落ち、肉が融解する程の激痛。

 

相容れない力に存在ごと否定されるような不快感。

 

 

再生と燃焼を繰り返す。

半融解した肌の表面には気泡が泡立ち弾る。

五臓六腑が溶け合いながら、全身の肉がくまなく引き裂かれていく。

 

その最中……アインは、ただ愛する人を想う。

 

 

――痛いな。こんな激痛は味わったことはない。だがな……マキナの味わった心の痛みに比べればどうということはない。怯みも、躊躇もするものかよ。

 

 

どれもマキナが味わった苦しみに比べれば些事でしかないのだ。

マキナが耐えれて、己が耐えれないなど決してあってはならない。

 

それだけを理由に……。

アインは人間であれば軽く数百回死ぬような激痛を味わいながらも、その痛みの一切を許容する。

 

 

罪人である自身を清めるように、寧ろ火力を上げ全身を燃え上がらせる。

愛する人への誓いを果たす。

 

それだけを原動力にしアインの精神は決して折れることはない。

 

 

 

『天地楽園の章並びに神祀る神殿の章【極刑の光剣】【断罪の光柱】【破魔の盾】』

 

 

 

手にした矢は剣へと姿を変え障壁魔族を両断する。

そして再び、高密度のバーナーが火を吹くかのような点火音が鳴り響く。

 

アインは速度を乗せたまま剣を投擲。

 

 

魔族の腹部へと突き刺さった光剣は、瞬く間にその命を奪い尽くす。

 

それだけに留まらず、剣は強い光を放ちながら周囲一帯を巻き込み大爆発を引き起こした。

 

溢れる光は巨大な柱を形成しながら魔族達を飲み込み荒れ狂う。

巻き込まれた魔族は存在そのものを分解されるように、一片も残さず消滅していった。

 

 

飛び回るアインを撃ち落とそうと、無数の魔法が飛来する。

だがそれら一切が直撃する手前で逸れていく。

 

堅実に一人ずつ、確実に、そして迅速に魔族を消滅させていく。

 

 

そうしてたった数分。

空にはアイン以外誰も残っておらず、魔族は一人残らず燃やし尽くされていた。

 

 

アインは振り返ることなく進む。

妻が囚われていた地獄へと向かい、無言で突き進む。

 

マキナの記憶をなぞり、決して道に迷うことはない。

固く閉ざされた正門は、近づくだけで飴のように溶けてしまった。

 

 

そうして我が家に帰るような気楽さで門を跨ぐ。

少し進むと、この惨劇を作り出した首謀者がいた。

 

 

『どういう心積もりだ』

 

 

寄生虫の生みの親である女魔族がアインを見据えていた。

その足元には、一応はアインの義理の弟に当たるギーアが、簀巻きにされて拘束されていた。

 

 

「魔物ではあるようですが、意思があると判断しました……降参です。観察した結果、貴方の魔力量は大魔族と遜色無しとの結果が出ました。なので抵抗は諦めます」

 

『側にあるその珍妙な者は何ゆえだ』

 

「命乞いと判断して下さい。目的はこの人間でしょう?引き渡します。どうぞ煮るなり焼くなりしてください」

 

 

芋虫のように身を捩り逃れようとするギーアは、その言葉に目を見開き女魔族を見上げる。

が、返ってくるのは無慈悲で無感情な瞳と浮遊感。

 

 

「――うぐッ!?ぼ、僕を売るだと!一体誰のお陰でこれまで実験出来たと思ってるんだ……ッ!?いくら注ぎ込んだと思ってる、手を切るならせめて僕の金を返せよ!」

 

 

アインの方に雑に投げ捨てられたギーアは地面を転がり、裏切り者の下手人を睨みつける。

 

だが既にギーアの存在など見えていないのか、女魔族はアインだけを見つめ、どうぞと片手でジェスチャーを送っていた。

 

 

アインはその仕草に誘導されるがまま、投げ寄越された男を見つめる。

身を屈め、首を傾け、ギーアの視界へと割り込み、ただ思ったことを告げた。

 

 

『汝……マキナとは似ても似つかぬな。己が自惚れで愚かさが此処まで極まろうとは』

 

 

身を焼く魔法は既に解かれており、ギーアが燃えることはない。

 

アインの顔面は回復が追いつかず、ドロドロに崩壊していた。

皮膚がプスプスと音を立てる中、目元に浮かぶ炎だけは変わらず美しく煌めき続けている。

 

 

ギーアの視界に映るのは、焼けただれた醜く恐ろしい怪物。

醜悪に爛れた皮膚と焦げた肉の臭いが、ギーアに過去を連想させる。

 

思わず吐き気を催し、後ずさった。

 

「ひッ――おぇ……なんて臭いだ。ッあ、当たり前だろう……僕はお前らみたいな醜いバケモノ共とは違う高貴で選ばれし人間なんだ!人の足を引っ張るだけの、あんな病原菌の生ゴミ女と僕を一緒にするんじゃない!?」

 

 

状況が理解できていないのか、事ここに至って眼の前の怪物の逆鱗に触れる発言を連発するギーア。

アインは額に血管を浮き立たせ、目元を険しく吊り上げた。

 

 

『――貴様……貴様だけは……決して、決ッして……許されると思うな。

だが……案ずるな……案ずるなよ腐れ外道。

私は女神の剣であり代理人……必要以上の罰は問わん。

貴様の罪過に見合う罰をくれてやる……。

溶け落ちる私が醜いか、焼ける肉の臭いが悍ましいか……汝はそれ以上に醜悪だがな』

 

 

『――くッ!?な、なんだよ……!あんな女一人なんだって言うんだ!この僕に汚れを移そうとしたんだぞ……。あんな悍ましいものが伝染すれば大変じゃないか!ぼ、僕は世の中の為に病原体を先んじて駆除しただけだ!?僕は良いことをした……悪いのはあの毒持ち女だ!あ、あぁ……そうか、女が欲しいんのか!?僕のお下がりでよければ君に上げるよ!だから僕ともっと友好的関係を築かな―――ん、が゛ぁぁぁ……ぅッ!?』

 

 

他責の極み。

衝動的暴力を振るうつもりは無かった。

 

粛々と罰を下しそれで終わらせてやるつもりだった。

だが、これ以上は自制心が持たない。

 

アインはギーアの首を片腕で締め上げ、宙吊りにしてしまう。

 

 

『……知能の低下、幼児退行、認知の歪み、被害妄想……重度の薬物依存状態か。随分と品質の悪いものを掴まされたようだ。少し………黙っておけ。危うく殺しそうになった』

 

 

ギチギチと首筋に灰色の長い指が食い込み、蒸気を上げる。

 

アインの内側に溜まった余熱は、人間の皮膚など簡単に焦がす温度だ。

触れられるだけで加熱された鉄を押し当てられているに等しい。

 

首を鷲掴みにされているギーアは、肌を通して喉を焼かれていく。

 

 

ギーアはジタバタと暴れ、アインの身体に蹴りを叩きつける。

 

だが不快な音と共にズルリと皮膚が捲れ、筋繊維のようなグロテスクなものが露わになった。

それを見たギーアは怯えた表情で大人しくなる。

 

アインは無言だった。

焼けた喉でなんとか息をしようとするギーアの苦悶だけが、屋敷の広場に響き渡っていた。

 

 

『私は怨嗟に囚われた殺人鬼ではない。故に……どれほど殺意を抱こうとも。汝を殺しはせん……しかしこれは減刑でも慈悲でもない。汝には相応しい罰は汝の内にこそある』

 

「――あが……ぁ゛……ッ」

 

 

『これより汝の逝くべき煉獄において大陽の祝福は決して訪れることはなく、天上に坐すことはない。汝の影が縮むことはなく、その罪過と向き合い己が過ちを真に認めるまで伸び続けるであろう。己が闇を覗け、全てを認め真に償いを誓いし時……汝は日に照らされる機会を得るだろう……。この言葉、努々忘れぬことだ』

 

 

太陽、影、ギーアには全く理解出来ない言葉の羅列。

これらはアインが施す魔法を自力で解くことが出来る最大級のヒントだった。

 

だがそれは甘さから生じた慈悲の言葉ではない。

 

 

魔法の原則として、「リスクは魔法を強大なものにする」というものがある。

これを利用し、アインは敢えて魔法に抜け道を作った。

 

より強力に、より強固に、より複雑に。

決して外部から解除できないように。

 

幻影からの脱出手段。

それを口にするというリスクにより、魔法の力はより底上げされる。

 

 

『……最後だ。私は、ある意味でお前を忘れることはないだろう、()()。精々罪と向き合い、己の欲に嬲り殺されるが良い』

 

 

最後だと口にし、少しだけ口調が崩れたアインの顔に虚しさが映る。

厳格で威厳を感じさせる炎を眼窩に宿し、ギーアを引き寄せた。

 

 

眼と鼻の先まで近づけられる、アインの恐ろしい顔。

目を背けることも出来ず、衰えを知らず延々と燃え続ける炎と目があってしまう。

 

 

「――や、やめ……ッ!?」

 

 

ギーアは本能的に危険を察知するが、抵抗出来る術は何も残されていない。

そして既に詰んでいた。

 

魔法はアインと目が合った時点で発動される。

 

 

煉獄へと誘う魔法(ローツァッティン・フェーゲンファム)

 

 

ギーアの視界が夕焼けに染まり、深い煉獄へと落ちていく。

ガクリと全身の力が抜け落ち、アインは首を掴んだ手を離す。

 

 

落下したギーアは瞳の焦点が定まらず、意味の無い呻きと涎を垂らしていた。

その姿は、ただ息をするだけの廃人となんら変わらない。

 

 

「ぁ゛……ぁ……――――」

 

 

殺してはいない。

だが死んだほうがマシだと出来る魔法に、ギーアは囚われていた。

 

 

魔法の効果は現実と遜色ない人生の強制リプレイ。

人生のやり直しを強要し、決して自分の望み通りにはいかない。

 

自身が少しでも不都合だと考えたことが、全て起こる無限地獄だ。

記憶はそのままに、時間感覚すら曖昧な精神の中で、何十、何百とひたすら凄惨な人生を送らせる。

 

 

今頃は嫌悪し侮蔑していたマキナと同じ境遇で、人生を送っていることだろう。

 

精神が壊れようが関係はない。

自殺しようと殺されようと、最悪の状況は更新され続け、幼少期へと輪廻する。

 

精神崩壊を望もうとも決して訪れない。

崩壊に瀕した精神は幻影により癒され、希望を抱いた瞬間に再び煉獄へと突き落とされる。

 

 

どれだけ追い求めようと大陽(希望)は決して微笑まない。

近づこうとすればする程に遠く離れていき(絶望)がさす。

 

己の()を見よ。

過ちを認め真に改心した時……(赦し)の光に照らされる時はくるだろう。

 

 

解除方法はこの一つのみ。

表面的なものではなく心から罪を悔やみ、現実での償いを誓った者にのみ贖罪の機会は訪れる。

 

 

――どれ程の悪人であっても改心する余地があるのであれば……一度は慈悲を賜る機会が与えられるべきだ。

 

 

アイン本人の感情は別として。

女神から贖罪の機会を与えられたと考える怪物は、そう自分を納得させる。

 

不平等はあってはならない。

道理の通らない行動はあってはならない。

 

ならばこれでいい……と。

 

 

記憶を辿る中でマキナは誰一人恨んでいなかった。

ならばこれで終わりだ。

 

自身が憎しみに囚われ、私的な制裁に走るなど彼女は決して望んでいない。

得られる爽快感よりも、彼女と定めた己が在り方を汚さないことこそが重要だ。

 

 

後は……。

数百、数千の地獄の果に、精々改心してくれることを願うばかりだ。

 

 

 

怪物の視線は煉獄に囚われた罪人から外れ、女魔族へと向けられる。

 

 

 

『次は――汝だ』

 

 

「許していただけたと考えましたが。やはり無理ですか?」

 

 

確かに投げ渡された者を受け取りはした。

が……見逃すと言った覚えはなかった。

 

 

『汝が己の心に鏡の一つでも据え置いているのであれば、違った結果もあっただろう。だが……過ちを認める心も無く。人々を囮に逃れようと考える罪人を、減刑する必要性がどこにある』

 

 

その一言に女魔族は無表情ながら嫌悪を示す。

 

 

「考えが見透かされるというのは厄介ですね。ですが貴方は、此処に訪れてから人間を一人も殺していませんね。殺せないのではないですか?ならば……私にもまだ逃亡の可能性は残されています」

 

 

その言葉と共にアインが通ってきた道、屋敷の中からゾロゾロと蠢く音が聞こえてくる。

幻影魔法が破られた痕跡は無い。

 

どうやら女魔族が強制的に虫を通して操っているようだ。

手動操作に切り替えた影響か……動きに機敏さは無く、足を引き摺りながらゆっくりと迫ってきていた。

 

 

『これは殺し合いではない。傀儡でしかない者達に審判は必要ない』

 

「非合理的な会話は苦手です。どのような理由があろうと結果として同じこと、足止めとしては十分でしょう」

 

『……』

 

 

気づけばアインの周辺を囲うように、円形に肉壁が構築されていた。

今にも一斉に走り出し飛びかかってきそうな構えを取りながら待機する。

 

 

「後は簡単です。では……行きなさい」

 

 

その声を合図に操られている人間達は、一斉に走り出しアインへと迫る。

女魔族は背を向け肉壁の奥へと消えていく……。

 

どうやらこの隙に逃げる気のようだ。

 

 

 

 

『――静粛に』

 

 

 

だがその瞬間……アインから膨大な魔力が立ち上る。

六百年近く魔力鍛錬を積んだ、大魔族に匹敵する魔力を開放した。

 

 

全ての動きが制止する。

虫とはいえ一個の生物。

 

寄生虫は本能的に危機を察知し、身を竦めるように動きを止める。

逃げようとしていた女魔族も、その魔力量に目を剥き足を止めてしまう。

 

 

『――直ぐに終わる。では……む?』

 

 

溢れ出る魔力に威圧され、全てが完全に静止する中。

アインは聖典に魔力を流し女神の魔法を行使しようとした。

 

だがそれは不発に終わった。

再度試すも上手くいかない。

 

だが問題はない。

アインに理解できずとも、愛しい存在の知識が解決へと導いてくれる。

 

 

『アイン、その魔法は必要条件を満たさないと発動しないよ、星空が見える夜にしかね』

 

――今は曇天の雨空、そしてまだ日は昇っている……。

 

『そうだね。つまりは――』

 

『世界を『夜』に変えてしまえば済む話か……では、そうしよう』

 

 

 

 

 

――DEUS・ EX・ MACHINA(世界を欺く魔法)

 

 

 

 

 

 

瞬間――アインを中心に煙幕が如き霧が広がり、一瞬で街全体を包み込む。

 

 

一つの魔法の発動と共にアインの魔力が一気に半分以下に縮小する。

それは人間が使えば一瞬で魔力が枯渇しかねない、恐ろしい魔力消費を伴う広域魔法だった。

 

 

アインの魔力が急速に縮んだことにより、再度寄生虫と女魔族は動き出す。

だが霧に包まれた世界は眩い光に包まれ、全ての生物の方向感覚を平等に奪い尽くしていく。

 

 

光が止んだ先。

 

雨が降る曇天の正午は――月光と星々が瞬く深夜へと逆転する。

あったはずの陽光はどこにも無く、神秘的なまでに輝く満天の星が、天蓋を彩り展開されていた。

 

 

それはまやかしでありながらも本物。

実体を伴い存在する幻影だった。

 

 

これにて条件は満たされる。

アインは残り魔力を全て聖典に注ぎ込み魔法を発動。

 

輝く聖典を開き……ただ知識に刻まれた言葉を口にした。

 

 

我は女神を信仰せし敬虔たる剣の一振り。

故、天地創造の創造主へと願いたまう。

 

 

どうか……濁世に浸りて汚れし身に纏う巷塵を取り払いたもう。

堕落し、膿腐れ落ちた心に宿りし俗塵から解放したもう。

此岸に留まりし魂を…彼岸へと洗い流してくれたもう。

 

 

啓示の日……星星の光の前、全ては女神の定めし摂理へと還るだろう。

悪しき者、善なる者よ……この一撃を持って皆あまねく天命を知るがいい――

 

 

世界に鳴り響く厳粛な声。

 

一句進むごとに夜空に広がる星々の煌めきが一点へと集約され、太陽と見紛う星が形成されていく。

 

記憶に刻まれた節を全て唱え終わると同時に、街一つを軽く覆う恒星が夜空を照らしながら、アインの遥か上空に完成した。

 

 

 

 

 

  

――聖邪必滅の一星剣(アインス・アステリズム)

 

 

 

 

 

それはまさしく星が宿す熱量。

人智を超越した、女神の魔法により放たれる広域粛清魔法。

 

形成された星からアインを目掛けて光が墜落していく。

女魔族は近づく光の余波だけで跡形も無く消し飛び、人々も次々と倒れ伏していく。

 

 

 

『全ては女神が定めし天命のままに……――』

 

 

 

神聖な光が轟音と立てて迫りくる中、アインは目元を閉じて両手を広げる。

抵抗することなく、ただ光が身を焼くことを受け入れる姿勢を示した。

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。