アインザーム・オリジン【完結】   作:ごすろじ

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▼第五話▶「貴方は誰よりも憂う方」

 

 

 

ポタ……ポタ……。

 

 

 

濡れた髪から水滴が垂れ、波紋が広がっていく。

透き通る水面に、恐ろしい化け物が映し出される。

 

……私はその顔を、両手で掻き消した。

 

 

「大丈夫……大丈夫……大丈夫……大丈夫……大丈夫……私は……もう、大丈夫」

 

 

過去の傷は消えない……。

それがどれだけ忘れたい凄惨な過去だとしても。

 

痛みと苦しみと共に刻まれた記憶が決して忘れさせてくれることはない。

 

 

嘘をついてしまった。

私は彼の言葉を信じている……。

 

拙くても私のことだけを考えて、正面から向き合ってくれた彼を信じないはずがない。

もう平気。彼は私を絶対に嫌わない。唯一受け止めてくれる方。

 

 

――嘘だ。

 

 

信じたい……だけど心の奥底で私は彼をまだ疑っている。

それを彼もわかっている。

 

わかったうえで合わせてくれているんだ。

 

 

ごめんなさい……私はまだ。

仮面を被らないと安心出来ないの。

 

でも、彼がくれた言葉を無駄にする気なんてない。

 

 

「貴女は本当に醜いね……だけど大丈夫。アイン様――アインは綺麗だっていってくれたよ。だから貴女も頑張らないと……。今は子供扱いされてるけど、大きくなったら、もっと綺麗だと言ってくれる。病気なんかに負けないで。彼がずっと側にいてくれるような女性になってね」

 

 

自分を直視する勇気もない私は、水面に映る化け物へと優しく語りかける。

少しずつ……私が私として自信を持って生きられるように。

 

出来ることは何でもやらないと。

 

 

彼が綺麗だと言ってくれた人間に……いつか私はなりたい。

優しい彼は、この先も良い娘だと、綺麗だと言ってくれるかもしれない。

 

でも、そんな貰ってばかりの自分は許せなかった。

何もせず甘え続けていたら、私は前よりもずっと自分のことを嫌いになる。

 

 

それに彼は勘違いしているようだけど、私はもう十三歳……。

世では大人として扱われる年齢なのだ。

 

来年には十四歳。

いままでは生きることと、耐えることで精一杯だったけど……。

 

これからはアインの役に立てるようにならなきゃ。

 

 

温かい湯船に肩までつかり息を吐く。

肩をさするとふやけた皮膚がボロボロと溶け落ち、赤い煙が湯船の中に広がっていく。

 

 

それを桶で掬い排水口へと流す。

 

 

「前より……酷くなってる」

 

 

全身に広がる赤紫の肌、気持ち悪く膿んだたくさんの膨らみ。

見慣れた自分ですら顔を背けてしまう、醜い集合体の塊。

 

 

彼はコレを、痛くはないのかと言ってくれた。

 

 

見た目に反して痛くは無い……正確には痛くはなくなった。

弟から頭を椅子で殴られた日から少しずつ……。

 

誰かが私の頭上に花瓶を落とした日に、私は痛みに強くなった。

感じないわけじゃない。

 

だけど意識を集中させないと、何も感じられない程には鈍くなった。

 

 

そして最終的には……――味も感じなくなった。

何を食べても食感だけしか得られない。

 

あぁ……――美味しいものが、食べたいな。

 

 

でも、お陰で助かったこともある。

苦い雑草は平気で食べれたし、抵抗のあったドブ臭いネズミも平気で食べられるようになった。

 

 

彼は私の身体がどの程度酷いかなんて知らない。

優しい彼は、絶対に心配してくれる……だから隠してしまった。

 

 

お風呂なんて贅沢なものを私に入らせてくれた彼。

心配して身体を確認しようとした彼。

 

そんな彼に私は……淑女なんて言葉を使って拒んで、隠した。

 

 

降って湧いた幸福。ずっと望んでいた幸福が訪れた。

怖くなかったものが急に怖くなった。

 

 

だけど、これ以上彼を心配させたくない。

これ以上迷惑はかけられない。

 

例え彼が望んでいたとしても、私は言いたくなかった。

 

 

私の命は……。

私が思うより早く終わりをつげるのかもしれない。

 

だけど。

誰も恨んではいない。

 

 

苦しいことがあったけど、最期には救いがあった。

信仰の先には慰めが確かにあった。

 

 

「ありがとうございます……女神様。私、最期まで一生懸命生きますね。もし、叶うなら。少しでも長く、アインと一緒にいたい」

 

 

湯船の中で女神様に感謝と祈りを捧げる。

この信仰がずっと私の心に寄り添い、私を支えてくれた。

 

生きる糧となり、幸福へと導いてくれた。

 

 

新しい恐怖が心を蝕みはじめている……だけどへっちゃらだ。

今のほうが絶対に幸せだと言えるから。

 

 

“苦しい時だけに祈り、幸福の最中で信仰を捨てる真似はせぬように……。いつ如何なる日も、信仰を忘れず最期まで善良に生きぬくのだ”

 

「はい、お爺様。私は……生涯女神様への信仰を欠かすことはありません。生き汚くとも、私に与えられた生を全うしてみせます」

 

 

時間帯はもう月が沈みかけた深夜。

普段なら、引き抜いて集めた雑草の上で眠っている時間。

 

 

「なのに、私はホカホカの湯船に浸かって月を観物にしている……うぅッッ~~~ん」

 

 

そう考えると……心がザワついて落ち着かなくなる。

私はこの状況にワクワクしていた。

 

何故こんなにもワクワクするのかわからない。

 

 

ただ自然と笑みが漏れ、楽しくなってくる。

理由なんてない。

 

ただ、はじめて絵本を読んだ時にみたいに心が踊っていた。

 

 

本当に子供みたい……なんだか恥ずかしい。

 

 

でも、悪いことばかり考えるよりよっぽどいい……のかな?

これからの不安なんて考えたくない。

 

嬉しいこと、面白いことが今日沢山あった。

それだけ考えて今を楽しもう。

 

 

“『行くぞ、これが己の磨いたランドリー魔法の仕上げ。瞬間乾燥魔法だ、まるで天日干しにしたかのような極フワ感触でマキナを就寝へと誘ってくれるぞ』”

 

“凄いです……。でも、私のせいで、こんな凄い魔法を使わせてしまうだなんて……”

 

“『その謝罪癖をもう矯正したりはせんが。それよりも………ほら、もっと別に言うことがあるだろう』”

 

“え……――あ……わ、わぁ凄い!おひさまの力を借りずに、こんなにふかふかになるだなんて。……アインはまるで一流ランドリーのようだわ!”

 

“『……――そんな大したものではない』”

 

 

ふふ……可愛い。

初めて出会った時から思ってたけど、彼って凄く……――顔に出やすいのよね。

 

 

あんなに渋くて格好いいバリトン声なのに、私なんかに褒められて目尻が下がってるんですもの……本当に愛らしい方。

それにフワフワ浮いて移動する時だって、気分よくスキップするみたいに上下に揺れていて……。

 

でっかいぬいぐるみみたいで可愛かったなぁ。

 

 

真面目で話し方もお硬いのに……中身はとても愉快。

 

とことん甘くて実直。

きっと私が皮肉なんて言っても通じないんだろうな。

 

 

貴族が社交界で学ぶお上品な皮肉を試しに言ってあげたら、どう反応するんだろう?

 

 

随分控えめな格好ですこと。

意味としてはみすぼらしいなんて蔑みの表現だけど……。

 

 

アインなら……『上裸だからな』とかかな?。

ふふ……。こんな風に平然と返すに違いないわ。

 

 

あれ?今さらだけど、アインって裸なんだよね。

魔物だから気にならなかったけど……。

 

ど……どうしよう。

なんだか意識すると顔が赤くなってきた。

 

 

肩幅も凄いし、胸板も意外と厚かった……。

顔と下半身以外はほとんど人間の男の人と変わらないし。

 

――って、何考えてるの私……お、お風呂から出たらアインに注意しておこう。

アインならきっと素直に何か着てくれるはず……。

 

そうでないと私の心臓が持たないわ。

 

 

どうしよう……私、アインと出会ってまだ数時間しか経ってないのに。

 

彼のこと好きすぎじゃない?

 

もしかしなくても、私って色々重い、よね……。

 

でもどうしようもない……。

ずっと隔離されて育ってきたから、他の娘の恋愛観なんてわからないし。

 

 

私は本と見本さえあれば、マナーも礼儀も大抵のことは簡単にこなせる。

正直言って容姿以外は優秀だと自負している。

 

だけど……流暢に言葉を使って、善性の塊みたいな魔物との接し方なんてわかるわけがない。

 

 

「ブクブクブク……。アインにズレてるって言っちゃったけど、私の方がズレてるのかな……」

 

 

そもそも……優しくされたからった魔物に父性や、異性愛みたいの感じる私って相当の変態?

 

や、やめやめ!どの道近い将来、私の命は限界を迎えることになるんだから。

考えても無駄……。

 

別のこと、別のことを考えなきゃ!

 

 

パシャリと両手でお湯を掬い顔を洗う。

周りを見渡せば天井と壁。

地面に至るまで木の板が敷き詰められ、塗料の類が一切使用されていない。

 

湯船の縁を撫でると、木の柔らかい感触と落ち着いた香りが香ってくる。

 

 

木で作られたお風呂だなんて……すっごく素敵。

 

 

「屋敷に置いてあったのと全然違う。木を重ねただけないのにどうして水が漏れないんだろう?フルーフって人が作ったってアインはいってたけど……どんな人なんだろ?」

 

 

アイン曰く狂人。

狂人と言われてイメージ出来るのは殺人鬼や妖しいカルト集団だけれど……。

 

話ぶりでそこまで悪い人には感じない。

この家を建てる時にはアインと共同で作ったって言ってたし。

 

 

その人が記憶として忘れちゃったプリ●ティブ ビルディング?やディス●バリー チャンネル?をアインが引っ張り出して作ったとか。

言ってる意味はわからないけど仲は悪くなさそうに思えた。

 

 

嫌っている……のとは違って、どこか苦手そうな感じかな。

後で話してくれるって言ってたから、じっくり聞かせて貰おう。

 

 

考え事をしていると、浴室の出口からコンコンとノックの音が聞こえてくる。

 

 

「は、はい!ど、そうかしましたかアイン様!?……あ、いえ、アイン……」

 

 

驚き過ぎて大きな声出しちゃった……変に思われてないかな?

扉の隙間から霧がもくもくと立ち込め、頭に低い男声の声が響いてくる。

 

 

『驚かせたか?すまない……どこか負傷したのなら己が中に入り介助するが』

 

「だ、駄目ッ!……い、言ったではありませんか、淑女の肌は殿方がそうやすやすと見てはいいものではないと……。いかに私でも……礼儀は大事。だから駄目です。怪我もしてませんし……独りで出られます」

 

 

何が、淑女の肌だ……。

気持ち悪い。

 

素直に入ってこないでと言えばいいのに……こんな気取った返事しか咄嗟に返せないなんて……。

自己防衛としてつい演じてしまう。

 

……私にトラウマを植え付けた家族。

貴族のような高慢な態度と喋り方を。

 

こう言えばアインは何も言えないことは知っているから、そこににつけこまずにはいられなかった。

……本当に……本当にごめんなさい、アイン。

 

 

『そうか。何も無いならそれでいい。己は礼儀には疎くてな……注意してくれるのは寧ろ助かる』

 

「今のは私が悪かったです。驚いてつい、余計なことまで言ってしまいました。……叱ってもいいんですよ」

 

『いや、己が悪い。最初に注意されたことを繰り返した。明確な失態だ。己はもう行くが、扉の前に着替えとタオルを置いておく』

 

 

そう言い残すと霧は扉の奥へと引いていき、いくつか物を置く音だけを残して見えなくなった。

ホッ…してしまう。

 

 

叱ってもいいだなんて言ったが、本音を言えば叱られたくなどない。

甘ったれていると思われてもいい、私はもう……誰からも叱られたくなんてなかった。

 

 

お母様やお父様のような冷たい瞳で、アインに見られる――それを想像しただけで全身が震える。

 

 

嬲られ蔑まれることが日常で普通だった。

なのに今私は普通の子供のように扱って貰っている。

 

アインの優しさに触れている内に、普通が異常になり、異常が普通に変わっていく気がした。

 

 

あの場所へ戻りたくない。

何も感じず、平気だったあの環境と境遇へ……恐怖心を抱いてしまう。

 

ほんの少しの優しさと慈しみに触れただけで、私はこんなにも脆くなってしまった。

 

 

だから。

例え私に落ち度があっても甘やかして欲しかった。

 

 

「……」

 

 

アインが扉を離れた後、私は湯船から出て扉を少し開け様子を伺う。

そこには言った通り、人影一つ見えなかった。

 

 

「確か着替えとタオ――ふふ、アイン……いくらなんでも心配し過ぎだよ。もぉ……なにこれ」

 

 

アインが置いていったものを見て笑みが漏れる。

苦しかった心がパァッと明るくなり愉快な気分になった。

 

 

そこには綺麗に折りたたまれた寝巻き。

サイズはかなりデカいけど捲って巻き付ければ着れるそうだ。

 

そして隣には清潔なタオルの山。

その隣にも包帯が籠の中に山を成して積まれていた。

 

 

服の上には箇条書きで書かれたメモ用紙が乗せられている、内容は……。

 

“消毒液が欲しければ言え、酒を薄めたものなら用意出来る。

サイズが大きかったら呼べ、裁断する。

お湯は抜かずに放置で構わん、己が捨てておく。

使ったタオルは空の籠に入れろ、まとめて洗濯する。

何かあったら声を上げろ、直ぐ行く”

 

 

「そっか。こんなに心配してくれてたんだ……。嬉しい。嬉しいよ……ありがとう。ありがとうね、アイン」

 

 

最後の一行には謝罪が書かれていた。

 

 

“今しがたの件はすまない。だが……お前は病人故に心配だ。これからもこういうことがあるかもしれないが、どうか許して欲しい”

 

 

「……馬鹿。悪いのは私だよ」

 

 

ごめんね。ありがとう……。

感謝と謝罪が何度も頭の中で浮かび続ける。

 

アイン、色々考え込んで面倒くさい私だけ私だけど。

……貴方の気持ちに触れる度に、凄く幸せになれるの。

 

 

だからいつか……きっと。

長生き出来ないだろうけど、貴方がくれたものと同じ温かいなにかを返せるように……私、頑張るね。

 

 

「ぁ……で、でもアイン。下着まで持ってきてくれるのは少し複雑かな……。こういうのが趣味なのかな?」

 

 

なるべく汚さないようにタオルで身体を拭う。

下着を手に取りそんなことを言っていると……またメモ用紙が地面に落ちる。

 

 

”それはフルーフの私物だ。

来る度に色々と新しいものを置いていく奴でな。いい加減置き場に困っていた所だ、気にせず使え”

 

 

「あはは、アイン……やっぱり少しズレてる。でも、私は貴方のそういううところが、物凄く好き」

 

 

申し訳なく思ってたのは事実だけど、心配事はそこじゃないんだよ。

だけど一生懸命考えて書いてくれたってわかってる。

 

 

文字を指でなぞると心がポカポカと暖かくなる……彼からしたらなんでもないメモの一枚なんだろうけど。

私にとっては宝物そのもの。

 

 

身体を拭き、手脚や身体にぐるぐると包帯を巻いていく。

着替え終わった私は、その宝物をポケット大切に仕舞う。

 

 

私だけのもの。

私にだけ向けられた言葉。

私にだけ向けられた想い。

 

……全部全部、掛け替えのない宝物。

 

誰にも奪わせない。

汚させなんてしない。

 

……誰であろうと死んでも守り抜かないと。

 

 

その為に、出来ることから始めないといけない。

 

 

「よ、よし……頑張らないと」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

余った裾を両手で持ち上げながら、彼の元へと向かう。

心臓がバクバクと破裂しそうになり、背筋に嫌な汗が流れるのを感じる。

 

 

全身が震えて足取りも遅い。

それでも一歩一歩歩いていく。

 

大丈夫……大丈夫……。

そう心の中で唱えながらトラウマを抑え込む。

 

 

私は強い。

私は優秀。

だからへっちゃらだ。

 

うわ言みたいに自分なら出来ると、根拠のない鼓舞で前に進む。

 

 

こんなことで根本的な解決にはならない。

すぐに改善なんてするはずがない。

 

怖気尽きそうなる正論を無視して、アインの前に姿を現す。

 

 

『早かったな。もう少しゆっくりしていても――』

 

 

保存食のようなものを取り出していたアインは振り返り……何も無い空洞の目を大きく見開いた。

 

 

『――マキナ、言っただろう。無理はするな』

 

 

うん、驚くよね。

なにせ私は……今、自分から仮面を外して彼の前に立っているんだから。

 

 

息が乱れる……。

理由もなく恐怖心が湧き出てくる。

 

 

――怖い…怖いッ。

 

 

二度も彼の前で顔を晒したのに。

胸の内から溢れる恐怖心は前よりも酷い。

 

 

最初の時は酷く疲れていたし、凄くうわついてて感情が追いついてなかった。

二度目はヤケになり、何も考えることが出来ていなかった。

 

 

だから……。

彼の前で正気のまま顔を晒すのはこれが初めて。

 

 

下を向きそうになる顔を、何度も無理に上げる。

彼と目を合わせられず、視線が定まらなくて、今自分がどこを見ているのかも分からなくなる。

 

 

「はぁ……はぁ……ッ!だ、大丈夫、大丈夫だ、から……ッ」

 

『そうは見えんがな。いいか、そのままでいい……下を向いてゆっくり目を瞑れ』

 

「はぁ……はぁ……ひゅぅ……か、ひゅ……。は、はい」

 

 

限界だった。

私は彼の言葉に素直に従う。

 

頑張ると思い立ったのに、こんな不甲斐ない姿を晒してしまうだなんて……。

 

 

彼は私の頭を一周するように、何かを括り付ける。

顔を覆うように何かが垂れ落ちてくる。

 

 

『目を開けてみろ』

 

「はぁ……はぁ……あ、これ、は……布?」

 

 

恐る恐る目を開けば視界は暗く、うっすらと視線の先が透けて見えていた。

 

 

『見ろ。魔族の魔法で作成した特別製の顔隠しだ。此方からは絶対に見えない。……大丈夫だ。誰もお前の顔を見れはしない』

 

 

堪らず蹲る私の前に、彼は水の入ったタライを持ってきて覗き込ませる。

そこには、顔だけ黒一色に塗りつぶされたような私の姿があった。

 

 

誰も見ていない。

誰にも傷つけられない。

誰からも蔑まれることはない。

 

汚物に向けるような、軽蔑した視線を向けられることはない……。

それを理解し、私の呼吸は少しずつ落ち着きを取戻す。

 

 

「……もう、大丈夫。落ち着いた、から」

 

『そうか。マキナ、頑張るのは褒められたことだが……。何事も加減が大事だ。気持ちが先行しすぎて先走る、なんてことは誰しもよくあること。怒りはしないが注意することだ』

 

「はい……ごめんなさい」

 

『それと今日からソレをつけろ。あの仮面は肌に悪そうだ……気に入らないなら仮面をつけてくれて構わない』

 

「……そんなことない……快適」

 

『そうか。先に言っておくが、謝らなくていい。もし……どうしても、というなら、代わりに一つ。感謝の言葉でも聞かせてくれ』

 

 

また宝物を貰ってしまった。

つい謝罪しそうになるけど、彼は先回りしてそれを塞ぐ。

 

代わりに感謝の言葉を求めてきた。

彼は私に褒められると嬉しそうにする、だから……私も素直に感謝を伝える。

 

 

「アイン、ありがとう。すごく嬉しい、大事にするね」

 

『お前には、まだまだ時間が必要だ。ゆっくり治せばいい……少しずつでいいんだ』

 

 

アイン……本当にありがと。

でも私にはきっとそんな時間は残されていないから。

 

今……頑張れる時に頑張りたいの。

 

 

「ううん……いいの。確かに全然治る気なんてしないけど、アインが色々頑張ってくれてるんだもの。私も新しく頑張ってみようと思うの。トラウマも……本当にただ時間を置くだけじゃ治らないと思うから」

 

『そうか。それは………その喋り方も含めてか?』

 

「うん、アインの前で取り繕うのは止めたいの。もう自分を強くみせる必要なんてないって思うし……アインに嘘の自分は見せたくない。嘘、嫌いなんでしょ。だけど、その……やっぱり子供っぽいかな?似合ってないなら直すけど」

 

『いいや。どんなお前も素敵だ。……それに己は凄く可愛いと思うぞ』

 

 

あ、アインに可愛いだなんて感性あったんだ。

綺麗って言われた時よりよっぽど恥ずかしいんだけど……。

 

 

「もぉ、平気でそういうこと言うの止めて。恥ずかしいから」

 

『何故恥ずかしがる、己は褒めている。褒められると嬉しいものだろう』

 

 

こういう所私よりよっぽど子供っぽいよね。

私はアインみたいに、素直に受け取れるような真っ当な性格してないの。

 

 

「アイン、そんなことより服着て」

 

『何?己が……服?』

 

「だってほとんど全裸だよね、それ……。違う意味で私が恥ずかしい」

 

『己が……全裸?』

 

「うん、全裸」

 

 

アインは数分硬直すると、全身が霧に包みこまれいそいそと動き始める。

暫くしたら、凄い顔をしながら農民の人が着ているような簡素な服を着て出てきた。

 

 

『………今まで、すまなかった』

 

「い、いいよ。魔物が服を着るだなんて、寧ろそっちのほうが変だと思うし」

 

『………食事にしよう』

 

「あ、うん」

 

 

言っちゃまずかったかな……。

アイン、凄い落ち込んでる。

 

 

励ましてあげたいけど、これ以上触れないほうがいいよね。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

テーブルの椅子を引き、座りながらアインを待つ。

アインは保存食を取り出し、調理場でパンのようなものをお皿に乗せた。

 

それをじっと見つめて……睨めっこ?かと思ったら、お皿を持って引き返してきた。

 

 

――どうしたんだろ?

 

 

調理台の釜に薪を入れ素早く火を焚べると、パンに串を刺し炙りはじめた。

そして焦げ目がつく程度まで数分間火で炙り、再びお皿に乗せて、私のほうに近づいてくる。

 

 

『待たせたな』

 

「わざわざ焼いてくれたの?」

 

 

コト、と私の前にこんがり焼かれたパンが置かれる。

味なんてわからないから食べれればなんでもいいと思ってたけど……どうしよう、凄くおいしそう。

 

鼻に香ってくる麦の香り。

食欲が湧いてくる香ばしい匂い。

 

 

ゴクリと無意識に喉を鳴らす音が聞こえてきた。

 

 

――そういえば……私。まともなパンを食べるのってこれが始めてなんだ。

 

 

本邸で暮らしていた時は、カビの生えた湿ったものしか口に出来なかった。

離れの倉庫に追いやられてからは、色々と混ざった廃棄物で飢えを凌いできた。

 

倉庫も壊されてからは……。

思い出したくもないけど、糞尿の混ざったものを無理やり口に詰めた。

 

 

――お爺様に色々食べさせてもらったのに……ほとんど憶えてないや。

 

 

『あぁ。己に味覚は無いが、冷めたままでは不味そうだったのでな』

 

「ありがとう、アイン。大事に食べるね」

 

 

私は眼の前のパンを手に取る。

記憶にあるどれとも違う始めての感触。

 

湿っていない、臭くない、冷たくない。

カリカリしていて、いい匂いで、凄く温かい。

 

 

顔の布を捲り、恐る恐る口に運び噛みちぎる。

すると柔らかいパン生地が口いっぱいに広がって、溢れ出した香りが鼻の内側を通って抜けていく。

 

やっぱり味は感じない。

だけど……どうして、かな、目が熱くなって、眼の前が滲んでいく。

 

 

「うぅ、く゛ぅ……ア、イン゛……」

 

『――ッ!?ど、どうした?泣くほど不味ければ今直ぐ吐き出せ。別のものを用意しよう』

 

「ち、ちがうの……美味しい……おいしいから」

 

『……そうか。なら良かった。いくらでもある……好きなだけ食べろ』

 

「うん……うん……ッ」

 

 

目から熱いものがボロボロと落ちて止まらない。

私は獣のように夢中でパンを貪り喰う。

 

マナー違反とは知りながらも、パンクズを飛ばして食べるのを止められなかった。

 

 

こんなに泣いてしまう理由はきっと味じゃない。

彼が私の為に考えて、焼いてくてれたパンだから。

 

……それが凄く嬉しんだと思う。

 

夢にまでみた……信頼出来る誰かとの食卓。

家族と囲んで食べる食事。

胸が、温かくて。涙が止まらない。

 

 

「ア、イン゛……あ、り゛がとう……。すごく……すッごくおいしい……。アインはきっと……料理のてんさいだね……」

 

『落ち着け、喉を詰まらせるぞ。水を飲んで落ち着くんだ』

 

 

アインは食べながらしゃべる私を優しくたしなめてくれる。

怒らず甘やかしてくれる。

 

それが心地良い。

 

カップに注がれた水が私の前に置かれ、私はそれを飲み干し。

……またパンを食べる。

 

 

何度かそれを繰り返していき。

私はパンをあっという間に完食してしまった。

 

満腹感で全身が満たされる。

食後の余韻に浸りながら、アインが注ぎ直してくれた水で喉を潤していく。

 

 

感じたことのない充足感に浸りながら……私の頭は急速に冷えていく。

 

自制する余裕すら無かったとはいえ、泣きながらの暴飲暴食。

それを自覚した途端、身体の奥がカッと熱くなり、耳まで真っ赤になっていくのを感じた。

 

 

――恥ずかしい……。

 

 

「は、はしたない姿を見せてごめんなさい……。そ、その、ごちそうさまでした」

 

『子供は食べて成長するのが仕事だ。寧ろその調子でもっと喰らうんだ。本当にもういいのか?まだまだあるぞ』

 

 

アインは私の様子に特に気にした様子もなく、大きな木箱を指差し食べろ食べろと言ってくる。

確かにまだ食べられるけど……。

 

今は恥ずかしすぎて、それどころではなかった。

 

 

――それに保存食って、魔法も使ってて凄く値が張るものだったはず。あんまり食べるのもね……。

 

 

「ほんとにもう大丈夫。いきなり沢山食べても胃がびっくりして体調を崩しちゃうよ」

 

『ぬ……それは確かに駄目だな。己の言ったことは忘れてくれ。ただ、食料の残量を懸念しての発言であったのなら気にする必要はない。見えているだろうが腐る程ある』

 

 

そう言い彼はパンを取り出した箱。

それと部屋の隅に積み上がる山ような木箱を指差す。

 

 

え……もしかして、アレ全部保存食?

何年分になるんだろう……?

 

あれだけあれば、貴族の屋敷だって買えちゃうよ?

 

 

――高価な紙なんかも普通に使ってるし、どこで手に入れてるんだろう?

 

 

『鮮度の面は安心するといい。フルーフが貴族の溜め込んでいる兵糧庫からくすねてきたものだ。毎回来る度に持ってくるが、食べ切れずに放置して帰るのでアノ有り様だ』

 

 

まさかの窃盗だった。

ううん……アインが悪い訳じゃなくて、そのフルーフって人が押し付けてる感じかな。

 

アインには悪いこと、出来なさそうだし。

 

 

それにしても、大丈夫なのかな?

貴族の私物に手を出したりしたら、タダで済まないと思うけど。

 

 

「その、大丈夫なの?今戦時中だし、貴族のものに手を出すだなんて……。見つかったらただじゃ済まないと思うけど」

 

『無駄な心配だ。奴は不死故に拘束されて処刑台送りにされることなど恐れていない、これまで幾度となく首を落とされている』

 

 

不死なんだ……え、何?不死って?

死なないの……?

 

 

――アイン。凄く当たり前みたいに言ってるけど、私からすれば意味不明だよ。何度も首落とされてる人を人間って言っていいのかな……。

 

 

「えぇ……その人本当に人間なの?」

 

『………わからん。落ちた首のまま転がり領主や貴族に呪ってやる、などと叫ぶ奴だからな』

 

「なにそれ怖い。処刑した人達は呪われたの?」

 

 

領主と貴族……え?観衆の前での処刑?

重罪を犯した罪人の刑罰だよ、それ。

 

ほ、ほんとに何やってるのその人。

それに首を落とされても叫ぶの?

 

え、ごめんアイン……怖すぎる。

 

 

『いや、奴の悪趣味な嫌がらせだ。とにかく権力者や富豪といった者が嫌いな奴でな……。苦しむ様を楽しんでいるんだ、当然だが呪いなんぞ使えん』

 

「あ……悪趣味、だね」

 

 

再三言うね。怖すぎる。

嫌な人の苦しむ様を見る為に死んであげてるって……へ、変態だよ。

 

 

『同感だ。暫くすれば会うこともあるだろうが、心配するな。奴は善人には手を出せない……良心が咎めるからな。子供を理由もなく傷つけもしない。子供は守るべきものだからだ。奴は狂ってはいるが……お前にとっては無害そのものだ』

 

 

変な所で常識的。

 

 

「そうなんだ、そういう所……。ちょっとアインに似てるかも……」

 

 

アインの場合全部おかしいけど。

 

 

『――ッッッッ!?己は違う……己は常に常識的だ。奴のように頭のネジが外れてはいない』

 

 

あ、これ言ったら駄目だった奴だ。

彼の顔がまた凄いことになってる。

 

 

「あ。うん、そうだね……。アインは常識的で普通?のま…魔物?だよ?」

 

 

常識的な魔物って今思うとなんだろう……。

魔物が語る常識……それってつまり常識的じゃないってことなんじゃ……。

 

 

『………食べたのなら歯を磨かないとな。磨き方はわかるか?』

 

「わからない……かな」

 

『……では己が教えてやろう』

 

 

その後、アインが口の中を磨いてくれた。

ブラシのようなもので、丁寧に。

 

雑草や野草ばかり食べていたおかげか、奇跡的に虫歯はなかった。

それを知って安心したのは、私よりもアインの方だった。

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