アインザーム・オリジン【完結】   作:ごすろじ

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▼第七話▶『■■の中でも…貴方は変わらないんだね』

 

 

 

微睡む意識の中、目を覚ます。

霞む視界に映るのは、緑に生い茂った草木だった。

 

 

朧げだった意識が急速に冷めていく……。

 

 

飛び上がり全身を見る。

そこには薄汚い薄布の服と、爛れきった赤紫の肌。

 

 

視界が狭い………。

私は顔に手を当てようとするも、冷たい鉄の板に阻まれた。

 

触り慣れた鉄仮面の感触。

 

 

「夢……だったの………」

 

 

とても幸せな夢をみていた気がする。

それがなんだったのか、思い出すことは出来ない………。

 

 

「なにか………忘れているような……。私は一体なにを………」

 

 

だけど、仮面に触れ、服に触れていると………。

何か大事なものを失ったかのように、喪失感と悲しみが胸を満たしていく。

 

 

手入れの行き届いていない見慣れた庭の端。

緑に濁ったドブ臭い溜池。

いつも賑やかで暖かそうな本邸。

 

何も変わらない、いつもの光景………。

 

空腹でお腹が鳴る。

 

余計なことは考えず、生きるために動かなきゃ………。

 

 

いつもどおり、日が登りきる前に調理場の裏で物乞いをしなくちゃいけない。

そうしないと、日暮れまで何も食べられないのだから。

 

 

なのに………どうして脚が………――

 

 

「ど、どうして………。なんで、なんでこんなに怖いの、かしら………?いつも通り、いつも通り頭を下げて、食べ物を恵んで貰うだけよ。わ、私………どう、したの?」

 

 

脚が震えて、全く前に進むことが出来ない。

それでも………生きる為に前に進まないといけない。

 

 

心臓が破裂しそうになり。

動悸で目眩がしてくる。

 

だけど関係ない………。

震える足を引き摺り、いつもどおり調理場の裏手に行く。

 

 

汚れた地面に膝を付き、罪人のように頭を垂れる。

 

 

本邸に入ることは許されない。

調理場に直接行っても叩き出されるだけ。

 

だからこうして、調理場の人間が休憩に入るタイミングで食べ物を乞う。

 

 

足音が聞こえる。

顔を上げて相手を不快にしては駄目。

 

肌も晒さないように、できるだけ全身を丸めないといけない。

 

 

「ふぅ~………やっと休憩かよ。料理長、いちいち細かい指示が多すぎなんだよなぁ」

 

「そういうなよ。その分此処の給金は高けぇんだから」

 

 

来た………ひぃッ………だ、駄目………怖い………ッ。

で、でも頑張って生きなきゃ………扉が開いたら口を開く。

いつも通りするだけ。

 

女神様がきっとみてくれている………。

いっぱい頑張って…………て、天国にいけるようにならなきゃ………ッ。

 

 

「あ、ああぁ………あの、食べ物を。その、少し…め、恵んでは貰えないでしょ、うか……」

 

「おい、なんか聞こえたか?」

 

「いいや、俺にはゴキブリの這う音しかきこえなかった――ッ!」

 

 

「きゃっ――ッ、ひ、ひぃ………ごめんなさ゛い………ッ、ごめんなさ゛い………ッ。おねがいします゛ッ、ゆ、許してください………ッッ」

 

 

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――ッッ!!!!!

 

 

顔に衝撃が走って怖い。

男の人の足が私の頭を押さえつけていて怖い。

人とも見られていな冷たい声が怖い。

 

何を言ったらいいかわからない。

怖い……こわい、こわい、こわいッ。

 

恐怖で頭が麻痺して……謝ることしか出来ない。

 

 

「うん?あぁ……。最近残飯を漁る小汚いねぇネズミが湧いてるからな。ソイツの鳴き声かもしれねぇ――なッ」

 

「ごめんなさいッゴメ――ッうぐふッ!?ぉえ……ゲホゲホッ」

 

 

体が折れ曲がって、気持ち悪い浮遊感が全身を襲う。

後には地面に叩きつけられる衝撃と猛烈な吐き気が襲ってくる。

 

 

「ぉえ゛……げぇ……ほぉ゛ぇ……ッ」

 

 

吐き気のままえずいてしまう。

だけど胃は空っぽで何も出てこない……。

 

 

「うげぇ!?汚ねぇな……おい、向こう行くぞ」

 

 

「おう。最近のネズミは病気を持ってることも多いからな。駆除するか、近づかないことに限るぜ」

 

 

耳鳴りがキンキンと鳴る中……。

ゲラゲラと笑う大きな人影は遠くに歩いて消えていく。

 

いつもなら残念に思うだけなのに……。

何故だか今日は……安心感しか感じなかった。

 

 

「よかった………ぅぅ…ぐっす」

 

 

何をされても痛くは無い。

なのにどうして……。

 

目から涙が止まらないんだろう。

 

 

私はこんなことで泣く程弱くはなかったはずなのに……。

なんで、こんなに悲しくて。

怖くて、傷ついているんだろう。

 

いつも通りのはずなのに……こんなにも耐え難い。

 

 

それでも……。

それでも、生きることを諦めちゃ駄目。

 

一度決めたことを諦めるだなんて、絶対に出来ない。

 

 

泣きわめく私を、自分自身で鼓舞して立ち上がる。

動きづらい体を動かし、歩いていく。

 

 

 

 

服を洗濯しなければならない。

私の持っている服は今着ているボロ布一枚だけ……。

 

毎日洗わないと膿で酷い悪臭を放ってしまう。

それでは物乞いも出来ない。

 

 

今日は、運が悪かっただけ。

前日の生ゴミを恵んでくれる人もいる。

 

そんなものでも……。

焼けばまだまだ食べられるのだから、こんな屈辱的な行為にもきちんと意味はある。

 

化け物である私が。

……この場所で生きる為には、それこそなんでもやらないといけない。

 

 

行き交うメイドの目を避けながら、洗濯場に向かう。

 

服に染み付いた汚れは、ここにある高価な石鹸でしか落ちない。

見つからないよう服を脱いで急いで洗い落とす。

 

 

もこもことした泡の感触を楽しみながら、服を揉む。

水面に赤黒いものが広がっていく。

 

前をみれば……キラキラ輝くシャボン玉が浮いては消え、浮いては消えていく。

 

 

「……綺麗……」

 

 

夢の中でも……――こんな綺麗な何かをみた気がする。

確かとっても大きな水溜りで……。

 

側に大きくて愉快な魔物さんが……

 

 

「――――っあぎッ!?」

 

 

何かを思い出しそうだった時、後頭部に衝撃が走る。

振り返ると怖い顔をしたメイドが立っていて、その手にはモップを逆手に持ち振り上げていた。

 

 

「アンタ!これで何度目よッ!奥様に何度言っても無視されるわ!ホント調子乗ってんじゃないわよ!警告したわよね……。病気持ちがこんな所入ってくるなってッ!私に病気を伝染してでもみなさいよ!?ぶっ殺すわよッ!」

 

「ッ――ご、ゴメなさいッ……すぐに出ていきます……」

 

 

彼女は顔を真っ赤にして私に唾を飛ばしてくる。

頭や体を何度も叩き、追い出そうとしてきた。

 

 

「■■■■!!■■■……■■ッ!■■!!」

 

 

何を言っているのか聞き取れない。

殴られる衝撃で音が入ってこない………聞こえない…聞こえないッッ!!!

 

 

聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!聞こえない!

 

 

聞きたくない……聞こえないッ!

 

 

「何故!どうしてそんな酷いことを言うの!?どうして言えるの……アインは私を大事にしてくれたのに!!綺麗だと言ってくれたのに!」

 

 

意味の分からな言葉を吐きながら、私は服を掴み叫ぶ。

私は服を着る間もなく洗濯場から飛び出し、逃げ出した。

 

 

通路を全力を駆け抜ける。

大勢の使用人達の目が、恐怖と嫌悪に歪み私を責め立てる。

 

 

私は、何かをしようなんて思っていない。

なのに悲鳴と絶叫が鳴り止まない……。

 

まるで化け物と遭遇したように。

か弱い人間みたいに叫び散らす。

 

 

「ひぃッ!?」

 

 

「キャァァァァァ!?伝染るッお医者さまを呼んで!!」

 

 

どうして……。

そんなに被害者ぶるの?

 

私は貴方達なんてどうでもいい。

こんな仕打ちをされても、誰一人恨んでなんかいないのに……。

 

なんで……どうして?

私を罪深い加害者のように扱うの?

 

 

そんな目で見ないでよ……お願いだからッ!

 

 

――見るな!

私をそんな目で見るなぁッ!!!違うこんなの……違うッ!!

 

 

誰からも愛されない化け物みたいに扱うな!!

もう違うッ!私は……。私はぁ……見つけたはずなのに……。

 

 

私を好きでいてくれる人はいるのッ!私を大事だと……大切にしてくれる存在はいるの!!

そんな、目でぇ……否定するなぁぁッッ!

 

 

「う、うぅぁ……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ゛ぁ゛ッ!!!!!」

 

 

 

「ついに発狂したぞ!逃げろ、空気感染するかもしれん」

 

 

 

「や、やっぱり魔族の呪いよ!早く殺しておくべきだったんだわ!!」

 

 

 

 

 

「うるさいッ!うるさい煩いッ!!!だまれぇぇぇぇえぇッ!!!」

 

 

 

 

……現実。

いつもと変わらない現実。

 

だけどこれは違う……。

私は、もう開放されたはずなんだ。

 

 

なのにどうしてこんな場所に囚われ続けているんだろう……。

夢に見た記憶こそが私の現実だんだ。

 

 

思い出さなきゃ……――思い出さなきゃッ!

 

帰りたい。

こんな地獄じゃない……。

温かいあの方の元へ……ッ。

 

 

 

「――あ、うぅ゛‥…」

 

 

 

後少し。

もう少しで思い出せそうな瞬間……私の額に衝撃が走る。

 

鉄仮面が凹み、鈍い金属音と共に転んでしまった。

 

 

眼の前には拳大の石が転がっている。

コレを顔に向かって投げつけられたみたいだ。

 

誰かが近づいてくる……。

両腕を伸ばし立ち上がろうとするも、手元を足で払われ再び地面に全身を沈める。

 

 

「うぅ……ぐぅぁ、だ……だれ?」

 

 

背中を思いっきり踏みにじられ立てない。

私は、恐る恐る顔を上げる。

 

 

「お姉様。どこに行こうといううのですか?貴女の家は『ここ』ですよ」

 

 

仕立てのいい貴族のようなシャツとベスト。

何不自由なく暮らしてきたのが嫌でも理解出来る姿。

 

弟だ。

 

私が欲しかったものを全て持って行ってしまった……。

血の繋がった弟が立っていた。

 

 

「ギーア……違うわ。私の家はここじゃない。もうこんな場所に縛られ続けることは辞めにしたの」

 

「ははは……。病原体のへどろ女が何を言ってるんですか?僕が頭に花瓶をぶつけたせで、可怪しくなってしまわれたのですか?そんな腐った体……誰も受け入れて、面倒を見てくれるはずがないでしょう?」

 

 

弟の言葉と共に四肢が熱くなる……。

耳元にはブクブクと沸き立つ音。

腐りきった生肉の刺激臭が鼻をついてくる。

 

 

手脚を見れば……。

肉どころか骨すら液状に溶けだし腐り落ちていた。

 

蠅が集り、蛆虫がピチャピチャと私の全身を喰らっていく。

 

 

余りに非現実な光景。

 

 

「――ッ。こ、これは悪夢だと確信しました。います。私を大事にしてくれると約束してくれた御方……。私の瞳が綺麗だと褒めてくれた方は確かにいるのです……ッ。彼はどんな私でも、受け入れてくれると言ってくれた方は……確かにいるんです……ッ」

 

「はぁ……夢?まぁいいでしょう……それで?その人はどこにいるのですか?敬愛なる姉上……とうとう頭が狂ってしまわれたか。妄想に妄言とは随分落ちぶれたものですね。腐った肉なんて低俗な獣でも欲しがりませんよ……現実を見てください。貴女がここ以外に居場所を作ることなど、永劫出来ない」

 

「違います……。彼ならきっと……私を……」

 

「そんな奴がいるなら、どうしてそんなザマになっているんですか?こんなにも、姉上が苦しんでいるんです。助けにくるのが道理ですよね?なのに来ない……それが答えです。思い出せもしない相手を待ち焦がれるとは……哀れな奴だ。きっと臭すぎて捨てられたんですね……。大丈夫、僕たちは家族です。見捨てはしませんよ」

 

「違う……違う……ッ。思い出せないだけです……彼が私を捨てるはずがない……」

 

 

バクン……バクン……と、心臓が大きく脈打つ。

 

弟の発言一つ一つが私を嬲る悪意に満ちていて……。

私に一切の反論を許さない。

 

 

断言するような言葉が私の心を蝕み、再びこの地獄に縛り付けようとしてくる。

夢なのだから、覚めさえすれば……。

 

そんな考えすら怖くなる。

 

 

本当に……こんな醜い存在を受け入れてくれた者が、いるのだろうか?

弟の言う通り、全て頭を打った衝撃で見た妄想だったら?

 

 

目覚めた瞬間……。

また茂みの中で目を覚ますかもしれない。

 

やっと見えた希望すら絶望に変わっていく。

 

 

ここから抜け出そうと求めていた出口が……。

また新しい地獄に繋がる入口かのように思えてくる。

 

 

追い打ちをかけるように、見慣れた二つの人影が眼の前に現れる。

 

 

「マキナよ……ギーアの言う通りだ。例え居場所が出来ようとも、貴様が家を出ることを許しはせん。無能で醜い忌み子など、我が家の面汚しにしかならん。少しでも我々の役に立ちたいのであれば、ここで生涯を終えろ」

 

 

「全く……アークライアの名を汚す言動など言語道断。ギーアが折角貴女に慈悲の心を示しているのですよ。妄想に縋り醜態を晒すとは何様ですか。愚か者は愚か者なりに、もう少し自身の立場というものを理解しなさい」

 

 

「お母様……お父様……――」

 

 

心に罅が入る音がした……。

 

実の親でもこうなのだ……。

赤の他人が手を差し伸べてくれるなど、ありはしない。

 

 

また一人……人影が増える。

 

 

「ほらよッ……。お望みの廃棄品だぜ。あぁ……それといつも通り、犬が悪さしちまってよ、許してくれるよなぁ……お嬢様。ほらどうした、優しい俺に感謝の一言でもくださいよ」

 

 

調理場にいる人間の中でも、一際性格の悪い男だ。

紙袋に入った廃棄品を地面に放り投げると中身が出てくる。

 

 

色々なものが混ぜ込まて、原型を保てていない。

犬の糞尿に虫の死骸……腐ったミルク。

 

 

「あ、ありが……とう、ございます」

 

 

そうだ、これが普通だった。

 

 

何を期待していたんだろう……。

変に期待なんかしたせいで私は弱くなった。

 

心を殺して……。

また生きていけばいい。

 

 

恐怖も絶望も悲しみも。

ここで暮していけば……すぐに麻痺して平気になる。

 

お腹が空いた……。

生きる為に……。

 

飢えを満たさなきゃ。

 

 

私は紙袋に手に取ろうと腕を伸ばす。

 

だけど、掴めない。

 

何かが、どこかおかしい……。

白く。ボヤケている。

 

 

 

――これ……霧?

 

 

 

そう思った一瞬。

私の前から紙袋が掠め取られ、男の方から何か叩きつけられる音が聞こえた。

 

視線で音を追えば調理場の男は、黒いモヤとなって消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

――――お前が喰え……この✕✕のクソ野郎が』

 

 

 

 

 

低くて深い……。

安心する声が聞こえてきた。

 

誰だかわからない……。

 

だけど。

私の目からは自然と涙が溢れてしまう。

 

 

理由はわからない。

記憶にもない。

 

 

だけど私は待ってた……。

ずっとこの御方を待っていたんだ。

 

夢の中で出会ったのはきっと……。

この方なのだと確信出来た。

 

 

「ど、どうしてこんな所に魔物がいる!急いで警備の兵を呼べ!」

 

 

「ぎ、ギーア!こっちへ、早く逃げますよ!」

 

 

「ひぃ!な、なんで僕の家にこんな魔物が入り込んでいるんだよ!」

 

 

 

『だまれ。そのクソ臭い口に糞を詰め込んでやろうか。チッ……おいクソ餓鬼、その薄汚ない足をどかして――ささっと失せろ』

 

 

――え?い、今舌打ち、しました……?な、なんだかとてもお口が悪い……。この方は、こんな荒い言葉を使わなかった気がしますが……。

 

 

弟と両親は私など目もくれず逃げ出し、黒いモヤとなり消えていく……。

後に残ったのは地面に這いつくばる私と、巨大な影。

 

 

「あ、あの、どなたかは存じませんが……。ありがとうございます」

 

『…………――遅れてすまない。立てるか?』

 

「あ、はい……」

 

 

黒いモヤに全身を覆われた方は、私の手を引き立たせてくれた。

落としてしまった服を広げ私に着せてくれる。

 

 

「手……汚れますよ?伝染ったら大変ですわ……」

 

『そうか……。己は気にしない』

 

「私が気にしま――っっ!?」

 

 

まるで知ったことではないとでも言いたげに、彼は私を抱き上げた。

彼の全身に不快な汁が滲み汚していく。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 

 

 

 

「痛くはないか?」

 

 

彼の言葉を私は知っている。

 

 

 

 

――“すまない、痛くはないか”――

 

 

 

綺麗な文字で木に彫られた文字を……

 

 

 

 

――忘れるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん……

 

 

 

うん…――ッ

 

 

 

全然平気。

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう―――アイン……ッ」

 

 

 

黒いモヤが晴れ、彼の姿が見えてくる。

大きくて灰色の魔物さん……。

 

 

私のことを大事だと。

綺麗だと言っ。

大切にすると約束してくれた大事な存在。

 

全部……思い出した。

 

 

『あぁ。……なら、帰ろうか』

 

「本当に………帰れるの?またここで目覚めたりしない?」

 

 

彼は私を抱えたまま、何も無い濃い霧の中を進んでいく。

振り返れば本邸が小さくなっていく。

 

あれだけ逃げ出そうと必死だった地獄は、霧に飲み込まれ……その内陰すら消えてしまった。

 

 

 

『しないさ……これも約束しよう。これからは毎晩……己がついててやる。どんな夢の中でも一緒だ』

 

 

彼は私を安心させるように抱き直し、キッパリと大丈夫だと言ってくれた。

 

どんな夢でもアインがいてくれるの?

 

そっか……。

ならどんな悪夢も怖くなんてないね。

 

 

「でも……。私はどうせ起きたら忘れちゃうよ?それでもホントに……甘えてもいいの?」

 

『勿論。こんなもの……積極的に忘れてしまえ。己は己の行動を無駄とは思わんさ」

 

「これは……ただの夢。きっとその内煩わしくなるよ?安易に約束なんてして……後悔してもしらないよ?」

 

『後悔?それなら今している。躊躇せず、もっと早く来るべきだった。夢だから……忘れるから、だと?そんな前提……お前が苦しんでいい理由にはならん。己が約束せん理由にもならん。悪夢を見る度に何度でも……。今度はもっと早く迎えにいってやる』

 

 

な、なにそれ。

 

……ごめんアイン。

……今、絶対こっち見ないでね。

 

 

「~~~ッ………」

 

『……?どうした』

 

「こ、こっちみないで……」

 

 

 

私……今……

 

 

 

たぶん――首筋まで、顔が真っ赤だから……。

 

 

 

『あ、あぁ……わかった』

 

 

もぉ……。

いきなりそんな格好いいこと言わないでよ。

 

さっきとは別の意味で心臓破裂しそう……。

 

 

『……マキナ、唐突ですまない。今回の件で……一つ許して欲しいことがある』

 

 

お、落ち着くのよ私……。

アインから、凄く神妙な気配が伝わってくる。

 

今は顔を赤くしてる場合じゃない。

 

 

彼が何を許して欲しいのか、真剣に聞かなきゃ。

 

 

「な、なに?」

 

『今回無断でお前の夢の中に入ってしまった。……覗かんと言ったが、少し……見てしまった』

 

 

あ、あぁ……そっか。

見られちゃったか。

 

でも、口ぶりからして全部見た訳じゃなくて、彼が乱入してきたあの場面だけ……かな?

 

 

なら別に対した問題じゃない。

見られて嬉しいものじゃないけど……。

 

私がアインに抱いている感情を見られるより何百倍もマシだ。

全部見られた日には羞恥で憤死してしまう。

 

 

「ふふ……そんなこと?いいよ、別に。あんなのほんの一部だから」

 

 

思いの外、大したことじゃなくて二つ返事で許してしまった……。

 

けど……。

アインにとっては、そんな簡単に片付けていいことじゃないみたい。

 

眉間に皺が寄りすぎて、怖い顔になってる。

 

 

『…………』

 

「アイン。その……心配してくれているの?だ、大丈夫だよ。私慣れてるから」

 

『心配、だと……?当たり前だ。マキナ、ここは普通ではない。“あんなのほんの一部”などと軽い言葉で済ませてくれるな。どれだけ経験しようが……あんな仕打ちに慣れはしない。お前は弱くなどなってはいない。……ようやく、少し普通に近づいただけだ。だから……心を殺す必要などない』

 

 

アイン……。

貴方は、例えこんな悪夢の中でも変わらないんだね。

 

底抜けのお人好しで……。

私が傷つかないように、必死に考えてくれてる。

 

 

「うん……。アインが私を受け入れてくれる限り。心を殺したりはしないよ、約束する」

 

『ならばマキナ。お前は一生自由だ。何者にも束縛されず、自由に何も考えず楽に生きろ。己がお前を拒むことはない。ずっと側で……なんでもしてやる』

 

 

―――。

 

そ、それって告白………

 

 

 

 

――じゃないよね。

 

 

 

 

そんな真剣な顔と声で言わないでよ……本気で勘違いする。

 

 

こういうことを平気で言うってことは……。

このアインは私の夢が作ったものじゃない。

 

ちゃんとした本物だ。

 

 

「夢かと思ってたけど……。やっぱりアインは本物のアインなんだね。夢にまで入ってこられるだなんて思わなかった」

 

『己の魔法は、その辺の魔法使いのものとは違う。精神にまで干渉すれば造作もない』

 

「ねぇ、外の私は……どんな様子?息が止まってたり、動悸で可怪しくなってりしてたの?」

 

『酷くうなされていた』

 

「それだけ?え?えぇ……。た、たったそれだけの為に来てくれたの?ほっとこうとは思わなかったの?」

 

『大事にすると……約束したからな』

 

 

 

~~~~~~ッッ!?。

 

 

もぉ……だから。

いきなり止めてよッ。

 

ただでさえ良い声なのに……。

だめ、頭の中が溶けそう。

 

 

「そ、そう……。騎士様みたいで……素敵だね」

 

『茶化しているのか?』

 

「違うよ。ホントにそう思ってるだけ。困っていたら助けてくれる……童話の騎士みたいだなって」

 

『そんな柄ではない』

 

 

似合ってると思うけどな。

悪を許さない正義の味方、弱い人達を見捨てない崇高で心優しい騎士様。

 

 

 

「あ、そうだアイン。さっきは凄く口が悪かったけど、あんなこと言えたんだね。それに中指立てて威嚇してたけど……あれになにか意味あるの?」

 

 

私がそう聞くと、彼は気まずそうに顔を逸らした。

 

 

『……忘れろ。全部フルーフのせいだ』

 

「そうなの?案外本性はあれだったり……」

 

『違う。己は他者を威嚇するのになど慣れていない。それで咄嗟に、フルーフの喧嘩口を真似てしまっただけだ』

 

「ふふ、そっか。そっかぁ……私はああいうのもいいと思うよ」

 

『違うと言ってるだろう……全く』

 

「へへ……ちょっとからかっちゃった。ごめんね」

 

 

先の見えない、霧の中。

だけど彼と一緒なら怖くはない。

 

 

少し調子に乗った私を、彼は乱暴に頭を撫でて窘めてくれる。

それが心地よくて楽しい。

 

 

地獄は……もう終り。

私はこれから、いままでとは違う道を歩むことになる。

 

だけど……。

先の見えない道に不安はない。

 

彼が一緒にいてくれるならどんな道程も幸せだ。

 

 

もうさっきまで感じていた恐怖も不安もない。

どんな悪夢に捕らわれても、彼が助けてくれる。

 

だから……本当にもう大丈夫。

重い足枷はついたままだけど、頑張って歩き続けよう。

 

 

彼の献身に応えるために。

いつか重い足枷が擦り切れて無くなる程に……。

 

頑張って生き抜いて見せる。

 

 

彼に身を預けてもたれかかると、落ちないように強く抱きしめてくれる。

そんな些細な気遣いで、私がどれだけ救われているか、彼は気づいていないだろう……。

 

 

 

アイン……。

いつまでも私を子供扱いしてね。

 

 

 

『大人』扱いなんてしたら……

 

 

 

 

――その時はきちんと『責任』取って貰うんだから。

 

 

 

謝らないし。

反省なんてしないんだから。

 

 

こんな化け物相手に……。

こんなに優しくして……馬鹿な魔物さん。

 

全部……全部……。

――貴方の責任なんだから。

 

 

「ねぇ……アイン。私が大事?」

 

 

『あぁ』

 

 

「そっか、何度も聞いてごめんね。言葉にしてもらえると、安心出来るの……」

 

 

『いくらでも言ってやる。さぁ、一度目を覚ませ。水でも飲んで寝直すんだ』

 

 

「うん……ずっと……側にいてね」

 

 

『あぁ。約束だ』

 

 

夢の中のはずなのに……。

なんだか凄く眠たい。

 

 

霧を進む最中。

私の意識と体は徐々にモヤとなって溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

深夜。

冬の夜空の下、建てられた家の中。

 

 

暖炉に焚べられた薪が、パチパチと音を立て炎が揺らめく。

備え付けられた寝床の傍らには、小さな明かりが一つ。

 

 

顔布越しに、蝋燭に照らされる少女の顔があった。

その傍らには大きく、黒い陰が佇んでいる。

 

 

少女は、快適な寝床でスヤスヤと心地の良い寝息を立てていた。

すこしすると目を擦り、寝起き眼で辺りを見渡し始める。

 

そして、大きく黒い陰を見つめた。

 

 

「うぅ~~ん……あ、れ……アイン……」

 

 

『起きたか』

 

 

アインはフワフワと宙に浮きながら、寝ぼけた様子のマキナを撫でる。

長い指を櫛のように使い、乱れた髪を整えていく。

 

 

「なんだか……すごく怖い夢をみた気がするの。なんだったんだろう?」

 

『さぁ?なんだろうな……。夢なんて、忘れる程度の出来事でしかない。きっとつまらん夢だ』

 

「でも……それだけじゃないよ。最後は凄くたのしかった気がするの……。アインが手を握っててくれたおかげかな……」

 

 

マキナは自身の手に繋がれた、アインの大きな手を握り、微笑みを浮かべる。

何度もギュ……ギュ……と握りしめ、その感触を確かめていく。

 

何が面白いのか、マキナは警戒心の無い安心した笑みを浮かべて笑う。

 

 

『関係ないさ。頑張り屋なお前の未来は明るいと。……誰かが言ってくれているのかもしれん』

 

「そうなの?なら……女神様が言ってくれてるのかな?わたし……いっぱい……がんばった、もんね」

 

『あぁ、きっとそうさ。だから次はもっと良い夢が見られるはずだ。まだ日は昇っていない、もう一眠りするといい』

 

 

アインの眼窩に光は無く、ただただ黒い空洞だけがあった。

普通の子供が見れば泣き出しそうな顔を見て、マキナはまた微笑む。

 

例え他の誰かに理解出来なくても、マキナにだけは理解出来た。

アインの顔には、マキナに対する思い遣りと優しさしかない。

 

 

「うん……そう、する。アインは……?」

 

『己も寝る……。あぁそうだ、すまんが一人では落ち着かなくてな……。ここで眠ってもいいか?』

 

「えへへ……。なにそれぇ……アイン、こどもみたい……。うん、いいよ。一緒にねよ……」

 

『お前が優しい子で一安心だ。では……おやすみ、マキナ』

 

「うん……おやす、み……あい、ん」

 

 

温かい一室にまた……。

スヤスヤと静かな寝息が木霊する。

 

 

マキナの瞳は閉じられ、再び夢の世界へと沈んでいった。

 

アインも空洞の瞳を閉じる。

マキナが悪夢に陥らないよう、そっと見守り続けるために……。

 

願わくば。

この少女が幸福な夢の中で傷を癒やせるように。

 

 

 

 

 

 

 

――アークライア……だったか?………お前達をマキナは恨んではいない……。だから……これ以上は何もしてくれるなよ。

 

 

 

 

 

 

冷たい風が窓ガラスをガタガタと揺らし、夜は空けていく。

 

日が昇り、太陽の光が差し込む。

少女の眠りが浅くなったのを見計らい、アインは少女の側を離れ、静かに動き出した。

 

 

 

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