北側諸国の西部、とある屋敷から怒号が飛び交う。
そこは、綿栽培と織物で財を成し、爵位を金で買った貴族の領地だった。
「……ギーア、貴様。何をしたかもう一度言ってみろ?」
アークライア家の当主は威厳と威圧感に満ちた男だった。
眉間に血管を浮かせ、ピクピクと震わせている。
貴族の気品はない。
厳つい顔は、やり手の実業家といった雰囲気だ。
「お父様……いえ、父上。僕はこの家の為、最善を尽くしただけです。何故そのような怒りを向けるのですか?」
怒気を放つ当主とは正反対に、問いただされている少年は飄々としていた。
悪びれた様子は見受けられない。
自分が正しい。
絶対的正義なのだという傲慢さが態度にも現れている。
「マキナを暗殺したことがか?」
「はい。使用人も父上達も……。ここにいる皆が、早く死んで欲しいと願っていたでしょう?これ以上生かしておいても、悪い噂が立つだけです」
少年――ギーアの一言に、男は拳を机に叩きつける。
「馬鹿者が!自然死なら兎も角。実の弟が姉を暗殺しただと?こんな醜噂が広がればどうなると思うッ!大損だ」
「ギーア。私達はマキナに亡くなって欲しい、などとは思っていませんでした。餓死する前に調理場の人間に食事を与えるように命じていたのも、死んで貰っては困るからです。病気で死んでくれるならいざ知らず……。それ以外の死因など、私達の沽券に関わりますからね」
そんな両親の屁理屈とも取れる綺麗事に、ギーアは内心舌打ちをする。
甘やかされて育った彼は、自分こそが世界の中心だと考えるほど傲慢だった。
姉には到底及ばずとも。
歳に見合わない狡猾な知性と、弱みにつけ込む洞察力を備えている
だからこそ見えてしまう。
この二人の本音の部分は、自分の手を汚したくないだけだ。
貴族という肩書に酔いしれていた。
平民として泥に塗れて生きてきたからこそ、爵位を買ってからは常に身綺麗でいたいと願っているのだ。
醜聞が広まれば両親の事業に影響が出ることはギーアも理解している。
だが、それがどうした?バレなければいいだけだ。
さっさと死んだことにしてしまえばいい。
それでお終いだ。
口の軽い周りの人間など殺すか、金で買収すればいい。
なのにこの両親は、噂が漏れることを異常な程恐れている。
姉など内心いなくなってしまえばいい、そう思っている癖に自分で手を下そうともしない。
だからギーアは自身の手で姉の暗殺を計画し実行した。
両親や家のためではなく。
自分の欲の為に。
実のところギーアは、姉の優秀さを誰よりも理解していた。
当初は、碌な教育も受けられず独学で学ぶ姉を内心で嘲笑っていた。
しかし徐々に、姉の動きには優美さや気品が宿り始めた。
やがて社交界に顔を出す母親と同等、いやそれ以上のものを身につけていった。
そしてある日、ゴミ捨て場を漁る姉を目撃した。
拾っていたのは、ギーアが受けたテストの答案用紙。
同じ問題を解いているその姿に、明確な脅威を感じた。
たった数ヶ月……。
それだけでギーアが数年間で身に付けた学力へと平然と追いついてきた。
罵り、暴力に訴え虐げてきたが。
それは姉への恐怖という意味も含まれていた。
ギーアの父は姉に干渉することはない。
それは醜いからとか、愛していないから、などという理由ではなく。
単純に利用価値がないからだ。
見目麗しい娘であったなら、貴族の元へ嫁がせ縁を作るために大切に育てただろう。
だがマキナはそうではなかった。
当主に加虐趣味などない。
ただ利用価値が見出せず、放置したに過ぎない。
アークライアの当主は血も涙もない実業家だ。
だが利用価値さえ示せば重宝するリアリストでもある。
ギーアは恐れた。
何の教育も受けていないはずの姉が、自分より遥かに優れた成績を残せば――当主が放っておくはずがない。
虐げられてきた姉と、全てを享受してきた自分。
その立場が入れ替わるのではないかと危惧した。
その懸念は正しかった。
能力を示すテストの場でマキナはギーアよりも、遥かに知能で勝っていた。
お抱えの教師を買収し、答案用紙をすり替えていなければ、ギーアの立場は危うくなっていた。
筆記テストで当主に見切りをつけさせたのは、奇跡に等しかった。
社交性、ダンス、マナー……これらを知識と見よう見まねだけで習得したマキナに、ギーアが勝るところなど一つもなかったのだから。
母親の援護。
屋敷全体のマキナへの悪感情。
それらが味方した結果とはいえ、もし当主に失望させられなかったら――そう考えると、今でも背筋に冷や汗が伝う。
これ以上ここにいさせてはならない。
いつまた立場が脅かされるかわからないのだ。
この家で享受すべき権利と資産を、誰にも奪わせる気はなかった。
両親亡き後の遺産、その半分が姉に流れるかもしれない。
考えるだけで腸が煮えくり返る。
故にギーアはマキナの暗殺を計画した。
密かに、少しずつ屋敷の財を金に替え。
執事を買収し、暗殺者を雇った。
そしてマキナが十三歳になる冬――計画は実行された。
だが、事はギーアが描いた理想通りには運ばなかった。
――父上、どうしてさっさと死んだことにしないのですか……ッ!貴族名簿にあの女の名前が残ったままだと、僕の取り分が減る可能性がある。その上、手続きがさらに面倒になるだろうが……ッ!?
実際に姉が死んだ事実を突きつければ、後戻り出来ないと踏んでいたのに。
ギーアの目論みに反し、両親はマキナの死を隠し続ける気であった。
当主は事業への影響を避けるため。
母親は娘一人守れない情けない母親、というレッテルを貼られないがため。
「アナタ……。ですが私達の取引相手は主に貴族。多少の醜噂は無視出来るのでは?それか、マキナの死を利用するというのは……」
「寧ろ駄目だ。どんなに話を曲げようが醜聞は醜聞。同情される話に仕立てて……もし真実が漏れてみろ。全てが終わるぞ。貴族は見下している者に欺かれるのを何よりも嫌う、如何に爵位を手にし、信頼を積み重ねても……そこを見誤れば相手にもされなくなる」
「で、ですが。ここで作られる織物は、我が家独自の機織り機でしか作り出せません。取引相手が全て切れるなどということは……」
「プライドの問題だ。奴らに商品の品質は関係ない。この話が漏れれば信頼を失う。嘘でカバーし、真実が漏れれば事業全てが潰れてしまう。私達も同じ貴族とはいえ成り上がりの身だ、生粋の貴族達には見下す対象でしかない」
「そんな……。ようやく南部の貴族達にも販路が拡大し始めたというのに」
「私達に出来ることは、沈黙を貫くことだけだ。いいかギーア!このことは誰にも漏らすな。暫くは頭を冷やせ。数日間部屋からの外出は禁止する」
「……畏まりました父上。浅はかな考えだったと、今は深く反省しています」
――腰抜けめ。
ギーアは恭しく頭を下げながら、内心で吐き捨てた。
沈黙を貫く?
僕を生んだ両親とはいえ、やはり農民上がりは駄目だ。
考え方が上に立つ者に相応しくない。
暗殺さえ成功すれば、両親が金と権力で動き出す。
そう目論んでいた。
だが両親にその気概はなく、自分は部屋に閉じ込められた。
如何に疎まれているとはいえ、マキナが全く姿を現さなくなれば屋敷の人間は不審がる。
やがてありもしない噂が広まるだろう。
疑念が火種になる前に、完全に消さなければならなかった。
メイドや使用人の口封じ。
マキナを目撃したかもしれない街の住人への手回し。
全て計画していた。
それが、こんな形で頓挫するとは。
――馬鹿なのか?後々のしわ寄せは商会を継ぐ僕にくるんだぞ。せっかくあの女を排除できたのに、これじゃ台無しだ。
処罰を破れば、更に重い罰が下される。
不甲斐ない両親に代わって動くことすら叶わない。
ギーアは椅子を蹴りつけた。
枕を投げ、机を叩く。
当主に気取られぬよう押し殺した癇癪が、暫く続いた。