ジークフリート襲撃から数日が経過した。
特区日本の中心地となった街並みは、かつての緊張が嘘のように、穏やかな熱狂に包まれている。
「見て見て、シャーリー! あのビルに掲げられている旗、ブリタニアと日本のマークが並んでるわよ!」
「本当だ……。少し前までは考えられなかった光景だよね」
アッシュフォード学園の制服を着て、特区の目抜き通りを歩くミレイとシャーリー。その後ろには山積みの資料を抱えたリヴァルが、ため息をつきながら付いてきていた。
「もう、二人とも。今日は生徒会の買い出しだって忘れてない? この後、ライの『お見舞い』も選ばなきゃいけないんだから」
リヴァルの言葉に、二人の足がふと止まる。
街の大型モニターには、パレードで民衆を守り抜いた「白き騎士」の雄姿が繰り返し流されていた。だが、その機体に乗っていた少年が今もなお深い眠りの中にいることは、一般には伏せられている。
「ライ君……。あの日、空を見上げた時、私、本当に死ぬかと思った。でも、あの白いナイトメアが助けてくれた。その内の一人がライ君だったなんて、今でも信じられないよ」
シャーリーが、祈るように胸元で手を組む。
周囲を見渡せば、ブリタニア人と日本人の子供たちが笑い合いながらアイスクリームを食べている。かつての「壁」は、あの日の献身という光によって急速に溶け去ろうとしていた。
「……ライが守りたかったのは、こういう景色なんでしょうね」
ミレイが優しく呟く。
彼女たちの目には、特区は「希望の象徴」として映っている。
ライがシンクロナイザーで脳を焼き、ルルーシュが「嘘」で塗り固めた平和。その真実を知らぬまま、彼女たちはライの無事を信じ、明日への準備を進めている。
「よし、決めた! ライが起きたら学園で最高の『快気祝いパーティー』を開きましょう! 特区の成功と、ライの復活。ダブルでお祝いしなきゃ!」
ミレイの明るい声が、街の喧騒に溶け込んでいく。
それは、血と欺瞞の上に築かれたこの世界で濁りのない「純粋な祈り」だった。
特派の医務室。
窓の外から微かに聞こえる租界の喧騒は、ここでは厚い壁に遮られ規則的な電子音だけがライの意識を現実へと繋ぎ止めていた。
「……ん、……っ」
喉の奥で乾いた空気が震える。
重いまぶたをゆっくりと持ち上げると、最初に目に飛び込んできたのは見慣れたはずの白い天井と、傍らで端末を操作するセシルの後ろ姿だった。
「……セシル、さん……?」
「ライ君、気がついたの!?」
セシルが弾かれたように振り返る。彼女の瞳には疲労の色があったが、それ以上に深い安堵の光が宿っていた。
彼女はすぐにライの枕元に駆け寄りバイタルモニターを確認しながら、その震える手を優しく包み込んだ。
「動いちゃダメよ。まだ脳波のスパイクが完全に収まっていないわ。……分かる? 自分がどこにいるか」
「……特派の、医務室ですね。……パレードは、みんなは……?」
ライの声は掠れ、記憶のパズルを一つずつ手繰り寄せるようにゆっくりとしていた。
「パレードは無事よ。スザク君も、ユーフェミア総督も……みんな、あなたが守り抜いたの。……ありがとう、ライ君」
セシルの言葉にライは微かに安堵の息を漏らす。だが、その直後、脳裏に「ノイズ」が走った。
ジークフリートと共鳴した際に刻まれた禍々しい情報の断片だ。
「……セシルさん。あの……機体。あれは何だったんですか? ……まるで、空間そのものを……」
「……ロイドさんも同じことを言っていたわ」
セシルは悲しげに瞳を伏せた。
「今は、はっきりとは分かっていないの。でも、ライ君。あなたがそれを止めるために、自分の脳を……シンクロナイザーをあそこまでオーバーブーストさせたこと、私たちは重く受け止めているわ」
セシルは、ライの額にかかった髪を母親のような手つきで整えた。その手の温もりが、ライの脳内を侵食していた「冷たい泥のような記憶」を一時的に遠ざけてくれる。
「あなたの周りには、みんながいるのよ……これ以上、自分を削らないで。悲しむ人もいるのだから」
セシルの瞳に、微かな涙が滲む。
ライは彼女の優しさを痛いほど感じながらも、同時に言いようのない不安に襲われていた。
守り抜いた平和。みんなの笑顔。
だが、目覚めたライの五感は以前よりも鋭敏になりすぎていた。
「……ごめんなさい。……でも、僕は……」
ライはそれ以上、言葉を紡ぐことができなかった。
自分が目覚めた世界が、これまでと同じ「美しい特区」であることを願いながら再びゆっくりと目を閉じた。
特派の長い廊下。
医務室から出てきたスザクを待っていたのは、暗がりに佇むルルーシュだった。
「……ライには、会ったのか」
「……ああ。でも、セシルさんにすぐに追い出されたよ。意識は戻ったけど、脳の負荷が尋常じゃないって。
しばらくは面会謝絶、厳重な管理下に置かれることになる」
スザクの声は沈んでいた。救い出したはずの友人が、今度は「安全」という名の檻に閉じ込められようとしている。
「それでいい。今のライを不用意に表に出すのは危険だ」
ルルーシュの冷徹な言葉に、スザクが鋭い視線を向ける。
「危険って……ライが何かしたっていうのか? 彼は僕たちを、特区を守ってくれたんだぞ!」
「分かっている。だが、データを見せてもらったが、ライの脳波はジークフリートとの接触以降、通常の人間とは異なるフェーズに移行しつつある。もし、あいつが自覚のないまま能力を暴走させれば、この特区という均衡は一瞬で崩れる」
ルルーシュは窓の外、夜の闇に浮かぶ総督府を見つめた。
彼は、C.C.から聞いた「共鳴」という言葉を反芻していた。ライがコード関係者に反応を示し始めているのなら、それはライが「人間」という種から逸脱し始めている兆候に他ならない。
「スザク。お前は騎士として、表の平和を守れ。ライのことは……俺が、あらゆる手を使ってなんとかする」
「……。ルルーシュ、君は本当にライを『友人』として見ているのか? それとも……」
スザクの問いにルルーシュは答えなかった。ただ、マントを翻して歩き出す。その背中は、友の隔離という重荷を背負った者の孤独に満ちていた。
ライという存在を欠いたまま、特区日本は明日という日を迎えようとしている。