『完結』コードギアスIF ロストカラーズ   作:ベイベ後藤

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18話 目覚めと空白

 

 

特区日本の夜明けは、どこまでも白く、無機質だった。

政庁舎の特別病室。差し込む朝日は、ベッドに横たわる少年の頬を薄く照らし出していた。

 

「…………ん……」

 

 微かな吐息と共に、ライの指先が動く。

意識の底、底なしの銀色の海から、ゆっくりと「自己」を、あるいは「個」という定義を、彼は拾い集めていた。

 

「ライ……?」

 

 すぐ傍らで、椅子に座ったまま微睡んでいたユーフェミアが、その気配に弾かれたように顔を上げた。

 

「…………ユフィ……? ここ、は……」

 

「病院です。……良かった、本当に……。」

 

 ユーフェミアがライの手を両手で包み込む。

ライはその温もりに触れ、ようやく自分が「人間」としての実体を取り戻したことを実感した。

神根島で味わった、数百万人の思考が脳内に濁流となって流れ込むような、あの悍ましい一体感。個が消失し、ただの「演算器」へと成り下がる恐怖。それらが、温かさによって霧散していく。

 

「……ごめん。……みんなに、心配かけたね」

 

 ライが掠れた声で微笑む。

その時、自動ドアが静かに開き、二つの影が室内へ滑り込んできた。

一人は、特区の騎士の制服を纏いながらも、その表情に拭いきれない自責の念を滲ませた枢木スザク。

そしてもう一人は、完璧なまでに整えられた、いつものルルーシュ・ランペルージだ。

 

「目覚めたか、ライ。……呆れた生命力だな」

 

 ルルーシュは皮肉めいた言葉を口にしながらも、その視線はライのバイタルモニターを鋭く走査していた。正常値。

神根島で「物理的に破壊」したはずの精神(システム)は、特区の肉体へと確実に戻っている。

 

「……ルルーシュ。スザクも。……助けてくれたんだね、ありがとう」

 

「礼などいらん。……お前が壊れれば、特区の運営に支障が出る。……それだけだ」

 

 ルルーシュは努めて冷淡に突き放すが、スザクは、そんな彼を複雑な眼差しで見つめていた。

昨日、この部屋でなりふり構わず除細動器を握り、「戻ってこい!」と叫んでいた少年の姿は、今や「完璧な管理者」の仮面の下に隠されている。

 

「……ライ。気分はどうだい? どこか、思い出せないことや、違和感はないかな」

 

 スザクの問いかけは、単なる体調への配慮ではなかった。

ルルーシュが仕掛けた劇薬。それが、ライの記憶や人格にどのような副作用をもたらしたのか。共犯者である彼らにとって、それは最大の懸念事項だった。

 

 ライは少しの間、自分の内側を覗き込むように沈黙した。

そして、困惑したように眉を寄せ、ポツリと呟く。

 

「……変なんだ。……僕を繋いでいたあの『システム』。……あの中に、誰かいた気がするんだ。……僕を、ずっと見ていた……」

 

その言葉に、ルルーシュの背筋に冷たいものが走った。

 

 

 神根島の遺跡が崩壊し、立ち上る土煙が海風に洗われる頃。政庁舎の奥深き一室では、重苦しい沈黙が支配していた。

円卓を囲むのは、コーネリア、ノネット、そして事後処理に奔走したギルフォードの三人だけだ。

 

「……公式記録は、嚮団の残党による『大規模な自爆テロ』とする。我々が突入した際、既に施設は崩壊の兆しを見せていた。異論はないな、エニアグラム卿」

 

 コーネリアの言葉は、事実をなぞるというよりは、一つの物語を「決定」する響きを持っていた。

彼女の視線は、手元の端末に表示された神根島の地質データに注がれている。そこには、物理的な爆発だけでは説明のつかない、局所的な「空間の歪み」の痕跡が刻まれていた。

 

「異論なんてないよ、殿下。……ただ、本国が納得するかは別問題だね。

皇帝陛下直轄の庭を勝手に更地にしちゃったんだ。黙っちゃいないだろう?」

 

 ノネットは、高級なソファに深く腰掛け、天井を見つめながら独りごちた。

彼女の「野生の勘」は、今回の一件でブリタニアという国家が、自分たちの預かり知らぬ「巨大な意志」の逆鱗に触れたことを察知している。

 

「……ところで。ゼロのことだが……あいつ、今回は随分と必死だったじゃないか」

 

「……何が言いたい」

 

「いやね、黒の騎士団の首領ゼロ。……彼のこれまでの行動を考えれば、もっと効率的な手を選んだはずさ。

例えば、ライをそのままシステムごと鹵獲するとか。……でも、あいつは『ライを壊してでも引きずり出す』ことを選んだ。あれは合理性じゃない。……もっと泥臭い、個人的な『執念』だよ。……ねえ、心当たりはないかい?」

 

 ノネットの射抜くような瞳が、コーネリアを捉える。

コーネリアは一瞬、眉を微かに動かしたが、すぐに鉄の仮面を取り戻した。

 

「……残念ながら私に分かるのは、ゼロはライを特別視しているということだけだ。」

 

「ふん。……まあ、そういうことにしておいてあげるよ」

 

 一方、海域を離脱中の黒の騎士団・潜水艦内。

紅月カレンは、紅蓮の整備記録を書き終え、自室へ戻る通路で呼び止められた。

 

「失礼。……少しいいかな?」

 

 ディートハルト・リート。その瞳はスクープを追う猟犬のような、ぎらついた光を放っている。

 

「……何よ、ディートハルト。疲れてるんだけど」

 

「今回のゼロの指示だ。……無人島に君の零番隊を派遣して、なぜかブリタニアの皇女やナイトオブラウンズと軍事行動をする。……これは、戦略的な判断というよりは……」

 

「……何が言いたいの?」

 

 カレンが足を止め、ディートハルトを睨みつける。

 

「……『公』ではなく『私』の感情が混じっているのではないか、と言っているんだ。

今のゼロは、特区という甘い夢に毒されているのではないか……とね。

君は、その現場にいたんだ。……どう感じた?」

 

 カレンの脳裏に、通信越しに響いたゼロの、あの震えるような「撃て」という声が蘇る。

彼女は拳を握りしめ、吐き捨てるように答えた。

 

「……ゼロが間違ったことを言ったことがある? あの人は、いつだって一番過酷で、一番正しい道を選んできた。……それ以外の答えなんて、必要ないわ」

 

 足早に立ち去るカレンの背中を見送りながら、ディートハルトは薄く笑った。

 

「……盲信か。美しいが、……カメラの焦点は、もう別の場所を向いているよ。」

 

 

 数日後。ライは特区の病院を退院し、再び日常へと戻った。

表向きの病名は「過労による一時的な意識喪失」。神根島での死闘も、システムの暴走も、すべては厚い情報の壁の向こう側に隠蔽されていた。

 

 午後の陽光は、あまりにも穏やかで、数日前に見た地獄が嘘のようだった。だが、ライの感覚は、以前とは決定的に異なっていた。

(……聞こえる。いや、視えるのか……?)

 

 公園のベンチに座り、風に揺れる木々を眺める。だが、彼の目には、単なる風景以上のものが映り込んでいた。

人々の微かな感情の揺らぎ、街を流れる電子信号の残滓。神根島のシステムに直結された副産物なのか、彼の「知覚」は極限まで鋭敏化し、世界の裏側のノイズを拾い上げてしまう。

 

「……やっぱり、君には、その『身体』は窮屈そうだね、ライ」

 

 不意に、すぐ隣から聞き覚えのある声がした。

気配を殺してそこに座っていたのは、銀髪を長く伸ばした少年――V.V.だった。

 

「……また、君か。今度は何をしに来たんだ」

 

 ライは警戒し、僅かに身を引く。

以前出会った時と同じ、子供のような外見に似つかわしくない、枯れ果てた老人のような眼差し。

 

「挨拶だよ。神根島では、せっかくの『同調』を邪魔されちゃったからね。……ねえ、ライ。あの時、君は世界の全てと繋がっていたはずだ。なのに、どうしてあんな狭苦しい、嘘だらけの場所に戻ってきたの?」

 

 V.V.は楽しそうに足を揺らし、平和を享受する特区民たちを指差した。

 

「君を助けるために、ルルーシュたちがどれだけの嘘を積み上げたか知っているかい? 君を撃ち、記録を改ざんし、仲間さえも欺いている。……今の君の命は、たくさんの『汚れ』の上に成り立っているんだ」

 

「…………」

 

「君を撃った、あの紅いKMFの女の子……紅月カレンだっけ。彼女、君を『殺せ』と言われて、どんな顔をしたと思う?

……君がここにいれば、いつかその嘘は壊れる。君という存在自体が、彼らの築いた平和の綻びなんだから」

 

V.V.の手が、ライの頬に伸びる。その指先が触れようとした瞬間――。

 

「――そこまでだ、V.V.!」

 

 冷徹な声と共に、二人の間に鋭い影が割り込んだ。

ルルーシュだった。その後ろには、険しい表情のスザクも控えている。

 

「……おっと、お出迎えかな。……相変わらず、独占欲が強いね、ルルーシュ」

 

V.V.は悪びれる様子もなく手を引っ込めると、軽やかにベンチから飛び降りた。

 

「今日は、これくらいにしておくよ。……でも忘れないで、ライ。

君の本当の役割は、こんなおままごとの『象徴』なんかじゃない。……また、すぐに会うことになるさ」

 

少年は陽炎のように、人混みの中に溶けるように消えていった。

 

 

 V.V.が去った後の公園には、不自然なほどの静寂が残された。

ルルーシュは、少年の影が消えた人混みを凝視したまま、低く、押し殺した声で告げる。

 

「……ライ。あいつの言ったことは全てデタラメだ。忘れるんだ」

 

 その言葉に、ライはルルーシュを見た。

ルルーシュの瞳は、親友としての心配以上に、何かを必死に押し隠そうとする強迫観念に満ちている。隣に立つスザクもまた、肯定も否定もせず、ただ固く唇を噛みしめていた。

 

「……ああ。分かってるよ」

 

 ライは短く答え、鋭敏化した感覚を無理やり閉じ込めた。

ルルーシュが「嘘」を吐いている。スザクが「罪悪感」に苛まれている。それらが、言葉以前の熱量として伝わってくる。

今のライにとって、この優しすぎる沈黙こそが、何よりも重い「汚れ」に感じられた。

 

 

アッシュフォード学園の生徒会室。

夕刻の穏やかな光が差し込むこの場所は、特区の喧騒からも、神根島の地獄からも切り離された聖域のはずだった。

 

「お茶をお入れしますね」

 

 ナナリーに付いている篠崎咲世子が、慣れた手つきでティーポットを傾ける。

ミレイ、シャーリー、リヴァル、ニーナに、そしてカレン。

生徒会のいつもの面々がライの快気祝いを賑やかに盛り上げているが、ルルーシュとスザクだけは、どこかその喧騒から一歩引いた場所にいた。

 

「もう、ルルーシュもスザクくんも、さっきから黙り込んでどうしたのよ?

せっかくライが退院して来たっていうのに、お通夜みたい。」

 

 ミレイが茶化すが、ルルーシュは適当な相槌で受け流す。その視線は、ずっと窓の外の「見えない敵」を追っているようだった。

 

「……ライさん」

 

 不意に、ナナリーがライの隣で、そっとその手に触れた。

ライの知覚が、ナナリーの指先から伝わる微細な感情を読み取ってしまう。不安、慈しみ、そして――深い戸惑い。

 

「……ライさんの掌、なんだか凄く冷たいです。それに、脈拍が……さっきから、とても速くて、落ち着きがなくて。……本当に、大丈夫なんですか?」

 

 その言葉に、室内の空気が凍りついた。

視力を失っているナナリーにとって、ライの「変化」は、目に見える姿以上に鮮明だった。

 

「……ナナリー。僕は大丈夫だよ。少し、病み上がりで感覚が過敏になっているだけさ」

 

 ライは努めて穏やかに答えたが、ナナリーの指先は離れなかった。彼女はライの掌を包み込むように握りしめ、顔を伏せる。

 

「……嘘です。……今のライさんは、まるで見えない嵐の中に一人で立っているみたい。

……お兄様も、スザクさんも。何かを隠していますね? 私には見えなくても、わかってしまうんです」

 

「ナナリー、それは考えすぎだ。ライは、ただ休養が必要なだけなんだよ」

 

 ルルーシュが割って入る。その声は完璧にコントロールされていたが、ナナリーの肩が微かに震えた。

カレンは、その光景を不思議そうに見つめている。

 

「……ナナリー? ライ、本当にどこか悪いの? 私が付き添って、もう一度検査を……」

 

「いいんだ、カレン。……ありがとう」

 

 ライは、カレンの混じり気のない瞳を見ることができなかった。

カレンの真っ直ぐな気持ち。

ナナリーの鋭すぎる直感。

そして、それらを「嘘」で塗り潰そうとするルルーシュとスザク。

 

 ライは、自分の感覚が拾い上げる無数の「不協和音」に耳を塞ぎたくなった。

この学園の、温かくて甘い紅茶の香りがする日常こそが今の自分にとっては、どんな戦場よりも過酷な場所に思えたのだ。

 

 

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