学園に戻って数日が過ぎた。
表面上のライは、以前と変わらず生徒会の一員として平穏な日々を消化していた。しかし、彼の内側では「異変」が加速し、もはや無視できない段階に達している。
(まただ……)
数学の講義中、ライは不意に、こめかみを押さえた。
黒板を叩くチョークの音、隣の席でノートを走らせるリヴァルの気配。それらに混じって、壁の向こう側を流れる光ファイバーの電気信号、校門を通過する車両のIDチップの照合ログ、さらには遠く離れた特区中心部で交わされる「焦燥」に満ちた誰かの独白――。
情報として整理されない生データのままライの脳内に直接流れ込んでくる。
神根島のシステムが彼に残した「遺物」は、彼の脳を巨大な無線傍受機へと作り変えていた。
「……ライ? 大丈夫? また顔色が悪いわよ」
放課後の生徒会室。書類を整理していたカレンが、顔を伏せたライに気づいて歩み寄る。その足音に混じって、カレンの「ライを案じる真っ直ぐな波形」が伝わってくる。それはあまりにも心地よく、同時に鋭利な痛みとなってライを刺した。
「……ああ、ごめん。少し、頭痛がしただけなんだ」
「無理しないで。……ルルーシュもスザクも、最近なんだかピリピリしてて頼りにならないんだから。私でよければ、何でも言って」
カレンの言葉は嘘のない真心だった。
だが、今のライには「視えて」しまう。
カレンが黒の騎士団の戦闘服を纏い、紅蓮弐式のコクピットで「ゼロ」の指示に従って自分の意識を撃ち抜いた、あの瞬間の幻影が。
V.V.が植え付けた毒は、日常の何気ない会話の中に、消えない影を落としていた。
「――おーい、ライ! 会長が呼び出してるぞ!」
リヴァルがドアを開けて飛び込んでくる。その瞬間、ライの脳内を強い「警告音」のようなノイズが走り抜けた。
それはリヴァルの発した声ではない。
特区の広域ネットワークを流れる、暗号化された「軍用通信」の断片だ。
(フジサンの「新型サクラダイト」が横流し?……)
ライの手が止まる。自分が眠っている間に特区で何かが起こっている。
「……ライ? どうかしたのか?」
いつの間にか室内にいたルルーシュが、探るような目でライを覗き込んでいた。その手には、ライの最新のバイタルデータが転送されているであろう小型端末が握られている。
「……何でもないよ、ルルーシュ。……ミレイさんの所へ行って来る。」
ライは逃げるように生徒会室を後にする。
リヴァルがミレイ会長から頼まれて部屋まで呼びに来てくれたのは好都合だった。
そして残されたルルーシュの瞳には綻びを止めきれないことへの焦燥が、夕闇の中で交錯していた。
生徒会室を後にしたライは、渡り廊下でミレイに捕まった。
彼女は、いつものように快活な笑顔を浮かべライの肩に腕を回して強引に資料室へと連れ込む。
「もう、ライ! 呼び出してから来るまでが遅いわよ。病み上がりだからって甘やかさないんだから!」
「すみません、ミレイさん。……それで、用件は?」
「次の『特区親睦文化祭』のメイン企画! アッシュフォード家がスポンサーになって、特区の子供たちを招待するの。ライ、貴方には実行委員長代理をお願いするわ」
ミレイが広げた企画書には、色とりどりの図案と、子供たちの笑顔のイラストが並んでいた。
ライの脳裏に、先ほど傍受した「新型サクラダイト」についての不穏な話がフラッシュバックする。
その対比に、眩暈がした。
「……僕に、できるかな。そんな、光の当たる場所の仕事が」
思わず漏れた独白に、ミレイの手が止まる。彼女は資料を置き、真剣な、それでいて包み込むような瞳でライを見つめた。
「ライ。貴方がどこから来たか、何を抱えているかなんて、私には関係ないわ。……でもね、貴方がここでお茶を飲んで、リヴァルと馬鹿やって、こうして私の無茶振りに困ってる。……その『今』こそが、貴方の真実なのよ。わかる?」
ミレイの言葉は、鋭敏化したライの知覚に、温かな凪をもたらした。
彼女は気づいているのだ。ライやルルーシュが、自分たちの手の届かない暗い場所へ行こうとしていることを。だからこそ、彼女は必死に「日常」という鎖で彼らを引き留めようとしている。
「……ありがとう、ミレイさん。……やってみるよ」
「よし! 返事はいいわね。じゃあ、まずこの予算案のチェックから!」
ミレイの明るい声に送られ、資料室を出たライ。だが、廊下に出た瞬間、彼の耳は再び「ノイズ」を拾った。
それは、学園の影に隠れて通信機を耳に当てる、カレンの押し殺した声だった。
「――了解、ゼロ。港湾第4区ね。……新型サクラダイトの奪還、および組織の抹殺。……ええ、『零番隊』を率いて完遂させるわ」
カレンの決意に満ちた声。
ライは悟った。ミレイが守ろうとしているこの穏やかな夕暮れの裏側で、すでに戦いは始まっているのだと。
そしてその戦いの中心には、V.V.という名の影が、巨大な蜘蛛のように糸を引いている。
月光の届かない港湾第4区。そこは今、硝煙と高周波振動の咆哮が支配する鉄の戦場と化していた。
「――っ、この……! 待ち伏せ!? 数が多すぎるわ!」
紅蓮弐式のコクピットで、カレンが歯噛みする。ゼロの命を受け、新型サクラダイト奪還に現れた零番隊だったが、敵は単なる密輸組織ではなかった。
V.V.の息がかかったその組織は、対ナイトメア戦に特化した旧式の改修機を数十機も伏せさせていたのだ。
コンテナの影から放たれる無数のスラッシュハーケン。紅蓮の機動力をもってしても、全方位からの波状攻撃にジリジリと後退を余儀なくされる。
(嘘よ……。ゼロの情報にミスがあったの!? それとも――)
その時、上空から一本の雷光が突き刺さった。
「そこまでだ、テロリスト! ――ナイトオブセブン枢木スザク。介入する!」
純白の機体、ランスロットがブレイズルミナスを翻しながら戦域へ降臨した。
学園でライの異変とルルーシュの不穏な動きを察知していたスザクは、独自に政庁の部隊を動かしていたのだ。
「スザク!? どうしてここに……」
「カレン、話は後だ。ここは僕たちが引き受ける。――各機、作戦開始! 犠牲を最小限に抑えつつ、目標を制圧する!」
スザクの号令と共に、ランスロットが加速する。
それはもはや、戦闘というよりは一方的な「蹂躙」だった。
MVSが瞬く間に敵機の腕を切り落とし、ヴァリスの精密射撃が動力源だけを正確に撃ち抜いていく。
「な、なんだあの機体は……。速すぎる! 視認できん!」
「バカな……! あの『白兜』か!」
敵の悲鳴が通信網に溢れる。
スザクは無双の勢いで戦場を駆け抜けながらも、その瞳は冷徹だった。
彼はルルーシュのように「抹殺」を第一とはしない。だが、ライを救うために積み上げた「平和」を汚そうとする者たちへの、剥き出しの怒りが、その操縦をより苛烈なものにしていた。
その猛攻の最中。
戦域から少し離れたクレーンの影に、リヴァルから借りたスクーターに乗ったライが現れた。
戦場の喧騒、敵兵の恐怖、そしてランスロットが放つ圧倒的なエネルギー。
それらの情報の奔流がライの脳内で渦を巻き、一つの「座標」を指し示した。
(違う。スザクが戦っている連中は、ただのデコイだ。本物は……あそこだ!)
ライの視線の先。沈黙を守る巨大な倉庫の中に、知覚を狂わせるほどの「巨大な情報の穴」が開いていた。