シャルル・ジ・ブリタニアによる「神殺し」の宣言は、物理的な国境を越え全人類の精神を直接揺さぶる震動となった。
中華連邦、朱禁城。
豪奢な椅子に座り、私腹を肥やすことのみに執着してきた大宦官たちは、モニター越しに突きつけられた「嘘のない世界」という言葉に、かつてない戦慄を覚えた。
「わ、我らの蓄財が……これまでの謀略が、すべて暴かれるというのか!?」
「そんな世界、あってはならん! 遮断しろ! ブリタニアとの通信をすべて切り離せ!」
彼らが恐れたのは軍隊の侵攻ではなく、自らの醜悪な真実が全人民に「共有」されることだった。
彼らは鎖国を命じたが、精神の境界を越えてくるシャルルの声までを止める術はなかった。
一方、E.U.の各都市では、より根源的なパニックが広がっていた。
パリの街角では、人々が足を止め、虚空を見つめたまま立ち尽くしている。
「……聞こえる。知らないはずの、隣人の憎しみが。死んだはずの、家族の悲しみが……」
シャルルがコードの力を解放した影響か、人々の間に「微かな共感の暴走」が起き始めていた。
他者の感情が濁流の如く個人の意識を侵蝕する。それは民主主義が前提とする「個の独立」を根底から腐らせる毒だった。
ブリタニア帝国本国、ペンドラゴン。
ここでは、かつてない「粛清」が始まっていた。
皇帝に従うことを誓ったギアス嚮団の残党や、心酔する若手将校たちが、自らを「神罰代行者」と称し、皇帝の意志に懐疑的な貴族たちを次々と拘束していた。
「皇帝陛下は仰せられた。隠し事のない世界こそが救いであると。……貴卿の心にある『迷い』もまた、新世界には不要な嘘だ」
その狂乱の只中で、第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアは冷静にチェス盤を畳んでいた。
彼は父が手にした力が、もはや「政治」の道具ではないことを悟っていた。
「カノン、準備を。陛下は『昨日』を完成させようとしている。……私が愛するのは、解き明かされる前の『明日』だ。その可能性を奪う神なら、私は不要だと思うよ」
シュナイゼルは、自身の精鋭艦隊と多くの技術者、そしてブリタニアの良心を象徴する一部の官僚を引き連れ、帝国を離反した。
そして、世界の「点」となった特区日本。
ここでは最も深刻な現象が起きていた。
ライの意識がシャルルと共鳴を始めたことで、特区の街中では集団幻覚が多発。
空には、科学的には説明のつかないオーロラのような紅い紋様がたなびいている。
「……世界が、混ざり合おうとしている……」
政庁の窓から空を見上げるユーフェミアは、その美しくも禍々しい光景に、得も言われぬ予感を抱いた。
人々の心から壁が失われ、一つの巨大な「意識の海」へと還る瞬間。それがシャルルの目指す平和の正体だとするなら。
「……それは、ライの心を……。
世界中の人たちの『自分』を殺すことと同じです」
世界がパニックの極致にある中、シュナイゼルの「アヴァロン」を先頭とする亡命艦隊が、特区日本の領海へと迫っていた。
国家、人種、階級。それらすべての「虚構」が崩れ去ろうとする中、皮肉にも人類の最後の希望は、嘘で塗り固められた「特区」という箱庭に託されることになった。
世界がシャルルの「意識の氾濫」に震える中、特区日本の空に巨大な影が降り立った。
ブリタニア宰相シュナイゼルが率いる浮遊航空艦「アヴァロン」と、本国を離反した精鋭艦隊である。
迎賓館のテラスで、ユーフェミアとコーネリアは、タラップを降りてくる兄を複雑な表情で迎えた。
シュナイゼルは軍装ではなく、あえて穏やかな平服を纏い、妹たちを慈しむような微笑を浮かべている。
「――お待たせしたね、ユーフェミア。そして、久しぶりだね、コーネリア」
「お兄様……。あの混乱の中、よくぞ」
ユフィの言葉に、シュナイゼルは優雅に首を振る。
「あの声明だ。もはや本国という枠組みに意味はない。……今、この世界で最も価値があるのは、君たちが保護している――ライ君だ。
私は彼を、そして君たちを父上の暴挙から守るために来た」
「『守る』ですか……。ご自分に都合の良い言葉を選ばれる」
コーネリアの冷徹な指摘にも、シュナイゼルは動じない。
彼は、特区の独立承認と軍事リソースの提供を即座に約束したが、その瞳の奥にはライという「鍵」を自らの盤面に収めようとする、底知れぬ計算が宿っていた。
数刻後、迎賓館の最奥。
監視も盗聴も遮断された完全な密室で、シュナイゼルと、仮面の男ゼロ――ルルーシュが対峙していた。
「……単刀直入に聞こう。ライの脳を使って、何をするつもりだ」
ゼロが低く、威圧的な声を放つ。
シュナイゼルはチェス駒を弄ぶかのように言葉を紡いだ。
「父上……皇帝陛下が手にした『コード』は、全人類の意識を一つの海に溶かすための鍵だ。だが、鍵があれば『錠』がある。
陛下が全人類の精神を覗き込もうとしている今、ライ君という『ハブ』を通じて、逆に人類の『生きたいという執念』を流し込めばどうなると思う?」
シュナイゼルの瞳に、凍てつくような好奇心が宿る。
「陛下の神経系は、全人類の『エゴの奔流』に耐えきれず崩壊する。……名付けて、『カウンター・ラグナレク』。
ライ君を、神を殺すための『精神的爆弾』にするのさ」
「……貴様ッ! それをやれば、ライの精神もタダでは済まない! 魂そのものが霧散するぞ!」
ゼロが激昂し、テーブルを叩きつけた。だが、シュナイゼルは微笑を崩さない。
「世界を救うために、一人の少年を捧げる。……君がこれまでやってきたことと、何が違うのかい?」
シュナイゼルの放つ「虚無の正論」が、ルルーシュの喉元を焼き切るように突き刺さった。
その時。隣室の病室から、不気味なほどの高周波の音が響き渡った。
駆けつけた二人が目にしたのは、ベッドの上で目を見開き、紅く、禍々しく瞳を輝かせるライの姿だった。
「……だめ……だ……」
ライの口から漏れたのは、他人の声が重なり合ったような、重層的な響き。
ライの言葉とともに、特区日本全域の電子機器がショートし、空に巨大な「ギアスの紋章」が浮かび上がった。