海の遥か水平線、朝焼けの残光を切り裂いて、巨大な鉄の墓標が海へと沈んでいく。
空中要塞「グレート・ブリタニア」
かつてブリタニア皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの絶対的な権力の象徴であり、人類の意志を一つに塗り潰そうとしたその巨神は、内部からの自壊という必然に抗えず、無数の火花を散らしながら漆黒の深海へとその身を横たえた。
重力障壁が消滅した海域には、爆炎の熱を孕んだ蒸気が立ち込め、やがてそれは何事もなかったかのように穏やかな波間に消えていった。
その炎の空を背負い、満身創痍の二機が特区日本の中心部へと滑り込んでいく。
「……こちらライ。特区政庁ハンガー、帰投許可を頼む」
通信機から聞こえるライの声は、極度の疲労に掠れていたが、その響きには役割を終えた安堵が滲んでいた。
「こちら管制。……お帰りなさい、皆さんの帰還を総督がお待ちです」
特区政庁のメインハンガー。そこには、攻略組の帰還を待つ多くの人々が集まっていた。
最初に姿を現したのは、銀色の装甲が至る所で焼け焦げ、エナジーウイングを火花のように散らすランスロット・クラブIIだった。続いて、右腕を欠損し、ボロボロになりながらも誇り高く着艦するスザクのランスロット・コンクエスター。二機の機体が並んで着地する様は、この世界の「明日」を繋ぎ止めた双璧の証であった。
ハッチが開き、タラップが降りる。
真っ先に駆け寄ったのは、特区日本総督ユーフェミア・リ・ブリタニアだった。
彼女は、出迎えた将兵たちの目も憚らず、機体から降りたばかりのスザクの元へ走り寄る。
「……ユフィ。ただいま。約束、守れたよ」
ふらつくスザクの体を、ユーフェミアがしっかりと抱きとめる。
スザクは、その温もりに顔を埋め、ようやく自分たちが「生きて」帰ってきたことを実感していた。
二人の間に流れるのは、言葉を超えた慈しみと、苦難を乗り越えた者だけが分かち合える深い信頼の情熱であった。
その傍ら、ライもまた静かにタラップを降り、地面を噛みしめるように一歩を踏み出した。
「ライー! 無事だった?」
カレンが紅蓮可翔式から飛び出し、ライの肩を叩く。その背後からは、仮面を被り直したルルーシュが仮面の男ゼロとして歩み寄ってきた。
「……よくやった、ライ。助かったぞ」
「ゼロ……。いや、君が諦めなかったから僕は、ここにいるんだよ。」
二人は短く、けれど力強く視線を交わした。そこには、単なる共犯者ではない魂を預け合った戦友としての絆があった。
「ああ、もう! 素晴らしいよ、クラブIIのデータ! 精神世界での実体化なんて、物理学の冒涜だけど最高にエキサイティングだよねー」
「ロイドさん、まずはライ君の体調が先でしょう。……本当にお疲れ様。病み上がりの中よく頑張ったわね」
駆け寄ってきたロイドが興奮気味にデバイスを叩く傍らで、セシルがライの頬の汚れを優しく拭う。
「ハッ、とんだ大捕り物だったね。……でも、悪くない気分だよ」
ノネット・エニアグラムが、首を鳴らしながら降りてくる。
彼女は、スザクとユーフェミアの抱擁とライを囲む賑やかな輪を認めると、笑みを浮かべて頷いた。
この特区が独立国家として安定するまで、その剛腕で、この光景を守り抜くことを改めて決意する。
ハンガー内には、過去の敵味方を越えた交流の光景が広がっていた。特区を防衛していたブリタニア系の将兵と、黒の騎士団の戦士たち。彼らは、傷の手当てを代わりに行い、水を分け合う。そこに、差別も序列も存在しない。
「……これが、お前たちの選んだ『明日』か」
物陰でその光景を静かに見守っていたC.C.が、小さく呟き、満足げに目を細める。
戦い終わった後のハンガーに、束の間の静寂が訪れる。
大型クレーンの稼働音や、整備士たちの怒鳴り声さえも、今はどこか遠い祝福の調べのように響いていた。
ライは、窓の外に広がる特区の街並みを見つめている。
もう、自分を繋ぎ止めるのは、失われた過去の記憶ではない。
今、共に笑い、語り合い、未来を憂うことができる、この「生」の実感なのだ。
特区政庁の医務室は、戦場とは無縁の静寂に包まれていた。
窓から差し込む朝の柔らかな光が、清潔な白いシーツを照らしている。そこに横たわるアーニャ・アールストレイムは、かつてないほど深い眠りから、ゆっくりと意識の水面へと浮上しつつあった。
「……ん」
瞼を持ち上げた瞬間、彼女を襲ったのは驚くべき「軽さ」だった。
幼い頃からずっと、頭の奥底に淀んでいた冷たい違和感が、嘘のように消えていた。まるで、長年自分を支配していた重苦しい冬が終わり、一気に春が訪れたかのような……透明で、澄み渡った感覚。
「お、目が覚めたか? アーニャ」
傍らから響いた明るい声に視線を向けると、そこにはジノ・ヴァインベルグが、いつもの屈託のない笑みを浮かべて座っていた。その隣には、制服に着替え、少しばかり疲れを残しながらも穏やかな表情をしたライが立っている。
「ジノ。……それに、ライも」
「気分はどうだい? 医者が言うには、君の脳波から『不純物』が完全に消えたらしい。……マリアンヌ様のこと、ライから聞いたよ」
ジノの声には、同僚としての心配と、事態を飲み込んだ後の安堵が混じっていた。
アーニャは、ゆっくりと身体を起こし、自分の掌を見つめた。
記憶は、まだ穴が開いたままだ。マリアンヌが去る際、彼女は支配していた時間を返却したが、失われた過去が魔法のように戻るわけではない。けれど――。
「……ううん。うれしい、かも」
アーニャは、小さな声で呟いた。
「何かが、ずっと私の中にいた。でも、もういない。……今、私は、私だけ」
その言葉を聞いたライは、優しく微笑んで彼女の手元に置かれていた私物を指差した。それは、彼女が肌身離さず持っていた携帯電話とカメラだった。
「アーニャ。記憶は、また新しく作ればいい。……誰かに記録されるんじゃなく、君が自分で選んだ景色をね」
アーニャは、そのカメラを手に取った。冷たい機械の感触が、今は不思議と温かく感じられる。
数時間後、一行は特区内にあるアッシュフォード学園へと向かった。
かつてのトウキョウ租界から続くこの学び舎は、戦火を免れ、今では特区の平和を象徴する場所の一つとなっている。
学園の庭園が見えるテラス。そこには、春の風に髪をなびかせながら、誰かの到着を待ちわびる少女の姿があった。
「……あ、この音は」
車椅子の車輪が止まり、ナナリーが顔を上げる。
「ナナリー!」
駆け寄ったのは、ゼロの衣装を脱ぎ捨て、学園の制服に身を包んだルルーシュだった。
「お兄様! ……それに、ライさんも!」
ナナリーの元へ駆け寄ったルルーシュは、跪いて彼女の手を握り締めた。
神の座を巡る戦いも、血塗られた復讐劇も、すべては、この少女の笑顔を守るために始まったことだった。
「ああ、帰ってきたよ、ナナリー。……すべて、終わったんだ」
「はい……。風が教えてくれました。もう、怖いものはなくなったって」
そこへ、騒がしくも温かい日常の足音が近づいてきた。
「ちょっとルルーシュ! 帰ってくるなりナナリーを独り占めなんて、生徒会長として許さないわよ!」
ミレイ・アッシュフォードを筆頭に、シャーリー、リヴァルといった生徒会メンバーが、お祭り騒ぎのような賑やかさで合流した。
「本当よ! 連絡もなしにどこに行ってたのよ、全く!」
「悪かったよシャーリー。……少し、遠出をしていたんだ」
「ははっ、ルルーシュが謝るなんて珍しいな! よし、今日は祝杯だ! 酒は飲めないけど!」
リヴァルの冗談に、周囲がどっと沸く。ライもその輪の中に引き入れられ、ミレイの強引な「学園復帰計画」の演説を苦笑いしながら聞いていた。
かつての敵も味方も、身分も国籍も関係ない。ただ、同じ学び舎で笑い合い、明日何をして遊ぶかを真剣に考える。それは、シャルル・ジ・ブリタニアが否定した「嘘」や「欺瞞」がある日常かもしれない。けれど、その嘘の根底にあるのは、互いを思いやる、あまりにも不器用で愛おしい真心だった。
少し離れた場所で、アーニャは、その光景を静かに見つめている。
カメラのファインダー越しに、笑い転げるリヴァルと、困り果てるルルーシュ。それを見て楽しそうに笑うナナリーと、彼女の頭を優しく撫でるライの姿を捉える。
「……きれい」
アーニャは呟き、シャッターを切った。
カシャリ、という小さな電子音が、新しい時代の最初の足音のように響いた。
液晶画面に映し出されたのは、マリアンヌが望んだ「静寂の絵」ではない。
手ブレがあり、光が溢れ、明日には消えてしまうかもしれない――けれど、今この瞬間にしか存在しない、命の輝きそのものだった。
アーニャは、ふと自分を見つめていたライと目が合うと、小さく、けれど確かに微笑んで見せた。
記憶の空白を埋めるのは、記録データではない。
今、この瞬間の温かさを、自分自身の心で感じることなのだと。