『完結』コードギアスIF ロストカラーズ   作:ベイベ後藤

4 / 32
4話 晩餐会

 

迎賓館へ向かう直前、僕は自室の全身鏡の前に立っていた。

いつも着慣れた特派の軍服ではない。

ミレイさんが選んでくれた深い濃紺のタキシード。

襟元を飾るシルクのタイが、今の僕の立ち位置――軍人でも、ただの学生でもない、何者でもない自分――を象徴している気がした。

 

「(……似合わないな)」

 

自嘲気味に呟いた時、僕の脳裏を奇妙なノイズが走った。

もっと重厚な、古風な装束。

黄金の刺繍が施された白いマント。

ひざまずく人々。

そして、僕の手の中で冷たく光る、剣の感触。

 

「……っ」

 

こめかみを押さえ、僕は浅い呼吸を繰り返した。記憶の断片が、まるで牙を剥くように僕を襲う。だが、扉を叩く音が僕を「今」へと引き戻した。

 

「ライ。準備はいいかしら?」

 

扉を開けると、そこには息を呑むほど美しいミレイさんが立っていた。

光沢のある白いドレスを身に纏い、扇を手にするその姿は、かつて名門として知られたアッシュフォード家の令嬢そのものだった。

 

「ミレイさん……。とても綺麗です」

 

「ふふ、ありがとう。あなたも、軍服の時よりずっと素敵よ。……さあ、行きましょうか。

今夜はアッシュフォード学園の生徒会長と、その弟子の『夜遊び』よ。負けちゃダメだからね、ライ」

 

ミレイさんは僕の腕に自分の手を絡め、力強く微笑んだ。彼女の細い指先がわずかに震えているのを僕は自分の腕を通して感じ取っていた。

 

特区迎賓館「トウキョウ・ガーデン」

その広大な庭園には、本国から派遣された査察団を歓迎するために、贅を尽くしたデコレーションが施されていた。

会場の入り口には、白いマントの近衛兵たちが立ち並び、招待客の身分を厳しくチェックしている。

 

「特派所属ライ・アッシュフォード。並びに、アッシュフォード家当主代理、ミレイ・アッシュフォード様ですね。お通りください」

 

重厚な扉が開かれた瞬間、光と音楽の洪水が僕たちを包み込んだ。

天井には巨大なクリスタルのシャンデリア。

会場を満たす高級なインテリアと、洗練された弦楽四重奏の旋律。

そこには、昨夜境界線で響いていた絶叫も、硝煙の匂いも、微塵も存在しなかった。

 

「……まるで、別世界だね」

 

「ええ。でも忘れないで、ライ。ここは、戦場よりも残酷な場所なのよ」

 

ミレイが扇で口元を隠しながら囁く。

会場を見渡せば、ブリタニアの貴族たちが獲物を探すような目で新参者たちを品定めしている。特区という「理想」に賛同する者、それを利用しようとする者、そして、それを内側から食い破ろうとする者。

 

迎賓館の奥、重厚な装飾が施された控室。

鏡に向かうユーフェミア・リ・ブリタニアの背後で、枢木スザクは彫像のように直立していた。

 

「今日という日を、私はずっと待ち望んでいました。でも、いざとなると足が少し震えてしまうのです」

 

ユーフェミアが、鏡越しにスザクを見つめた。彼女の纏うドレスは、特区の平和を象徴するような清廉な白。だが、その肩にかかる重圧は並の人間なら押し潰されてしまうほどに重い。

 

「ユフィ。……いえ、ユーフェミア総督。

今のあなたは、誰よりも気高く、美しい。あなたが掲げた理想は、もうあなた一人だけのものではありません。僕やみんなが、あなたの隣にいます」

 

スザクは一歩前へ出ると、その場に跪き、彼女の手を取った。ナイトオブセブンとしての、そして一人の少年としての、偽りのない献身。

 

「本国から来たラウンズたちは、僕のことをいろいろと言います。……でも、そんな言葉に意味はありません。僕が守るべきは、僕を信じてくれたあなたの笑顔。それだけです」

 

「スザク……。ありがとう」

 

ユーフェミアはスザクの手を優しく握り返した。

その時、控室の扉が強くノックされた。

 

「――お熱いこった。お姫様と騎士様のごっこ遊びは、そろそろお終いにしてくれませんかね?」

 

返事も待たずに扉が開く。

そこに立っていたのは、ナイトオブテン、ルキアーノ・ブラッドリーだった。背後には、彼に冷ややかな視線を送るノネットの姿もある。

 

「ブラッドリー卿! 礼儀を失していますよ」

 

スザクが弾かれたように立ち上がり、ユーフェミアを庇うように一歩前へ出る。その瞳には、かつて戦場で向けたような鋭い殺気が宿っていた。

 

「ヒッヒッヒ、怖え怖え。さすがはイレヴンの出世頭だ。……ユーフェミア様、あんたも大変だ。こんな狂犬を飼い慣らすのは、生半可な努力じゃあねえだろう?」

 

ルキアーノは不敵な笑みを浮かべ、腰の剣をガチャつかせながら部屋の中を歩き回る。

 

「……ブラッドリー卿。私は、あなたを『特区の平和』を共に祝う客人としてお招きしました。それ以外の振る舞いをするのであれば、私は総督として厳正に対処いたします」

 

ユーフェミアは声を震わせることなく、凛とした態度で言い放った。ルキアーノは鼻で笑い、興味なさげに部屋を後にしようとする。

 

「分かっておりますとも。精々、今夜のワインを楽しませてもらいます。……血の味がしないと、喉を通らねえ質なんだがね」

 

ルキアーノの背中が消えた後、部屋には不気味な沈黙が残された。

ノネットがため息をつき、スザクの肩に手を置く。

 

「スザク。アイツの挑発に乗るな。

お前が『騎士』の仮面を剥がして野獣に戻る瞬間を、何よりも楽しみにしているんだ」

 

「……わかっています、エニアグラム卿。ですが……」

 

「ライも会場に来ているはずだ。お前はユーフェミア様の側にいろ。あいつのことは、アタシが見ておく」

 

ノネットはそう言い残すと、颯爽と会場へ向かった。

スザクは深く息を吐き、再びユーフェミアの手を取った。その掌には、決して消えることのない、戦いの記憶による微かな震えが残っていた。

 

「(……ライ。君は、今どこで、何を見ている……?)」

 

スザクの祈りにも似た問いかけに応えるように、会場の幕が静かに上がろうとしていた。

 

煌びやかなシャンデリアの下、ミレイさんと共に会場を回っていた僕は不意に足が止まった。

視線の先、バルコニーに近い壁際に、一人で端末を見つめる少女――ナイトオブシックス、アーニャ・アールストレイムがいた。彼女の無機質な視線が僕の姿を捉える。

 

「……記録、更新」

 

彼女は僕にカメラのレンズを向けた。だが、シャッターを切る音と共に、彼女の瞳の奥に宿る「色」が、急激に変質した。

 

「……見つけたわ。懐かしい、この魂の波長」

 

アーニャの口から漏れたのは、彼女の年齢には似合わない、成熟した慈愛と狂気が混ざり合った女性の声。

 

「アールストレイム卿……?」

 

「いいえ、今はそう呼ぶ必要はないわ。……ねえ、思い出して。あなたがかつて交わした契約を。そして、彼自身の手で深い眠りにつかされた、あの日のことを」

 

「(……っ! 何だ、この感覚は……!)」

 

彼女の言葉がトリガーとなり僕の脳裏を激しい落雷のような衝撃が襲った。

視界が歪む。迎賓館の豪華な壁が砂のように崩れ、セピア色の情景が重なる。

見たこともない紋章が刻まれた神殿。

そこに座っていたのは幼い子供のようでありながら、その瞳に数千年の孤独を宿した不思議な少年だった。

彼は血を流す僕の頬を小さな手で優しく撫で、残酷なほど美しい微笑を浮かべた。

 

『……ごめんね、ライ。君にこの力を託したまま、僕は先に消えるよ。……せめて、君を愛してくれる世界が来るまで、静かに眠っていて……。おやすみ、僕の半身。』

 

少年は自分の「コード」を削り取るようにして、僕を封印の眠りへと沈めた。彼が消えゆく直前に見せた、あの寂しげな背中が——。

 

「……あ、ああ……っ!」

 

僕はこめかみを押さえ、その場に膝をつきそうになった。ミレイさんが慌てて僕の肩を支える。

 

「ライ!? 顔色が真っ青よ、どうしたの!?」

 

「……大丈夫よ。あの子は今、自分の『真実』と対話しているだけだから」

 

アーニャの体を借りたマリアンヌは、僕に歩み寄ってきた。

 

「C.C.やV.V.は意地悪ね。あなたが目覚めたことを知りながら、あえて放置していた。……かつて、あの彼が自分の命を削ってまであなたを隠した理由を知っているのに」

 

「……誰、なんだ。君の中にいるのは……。それに、あの男の子は、一体……!」

 

「私はマリアンヌ。……世界をあるべき形に戻そうとする者。

ライ、あなたの中に眠る力は、ずっと古く、純粋な『思考の根源』に直結している。……その力を、ただの学生生活や、おままごとの特区で腐らせておくのは、彼への裏切りだとは思わない?」

 

マリアンヌの声が、脳の奥深くに直接響く。

僕が契約し、僕を眠りにつかせた「彼」。あの少年の悲しみが、僕の心を満たしていく。

 

「……やめてくれ。……思い出したくない……!」

 

「ふふ、拒絶もまた一興ね。でも、扉は開かれた。……あなたはきっと自分からその力を求めるわ。……さあ、アーニャ、戻りなさい。記録は十分よ」

 

その瞬間、マリアンヌの気配が霧散した。アーニャは数回瞬きをすると、無感情な瞳に戻った。

 

「……ライ。顔色、悪い。……体調不良?」

 

「……。……いや、なんでもないんだ。少し、立ちくらみがしただけだよ」

 

僕は震える手を隠すように、ミレイさんのエスコートに戻った。

だが、僕の心にはマリアンヌが植え付けた「毒」と、あの少年の「寂しげな笑顔」が、消えない棘となって刺さっていた。

 

晩餐会の裏側。迎賓館の屋根の上で、ピザの箱を抱えたC.C.が、バルコニーから出てきたマリアンヌの気配を感じ取っていた。

 

「……やはりあいつに手を出したか」

 

「あら、見ていたの? C.C.」

 

虚空に向かって話しかけるC.C.の隣に、不意に子供のような影が躍り出た。V.V.である。

 

「止める必要はないだろう、C.C.

ライは元々、僕たちの不干渉の対象だった。あの時、彼が自分の消滅と引き換えにライを封印した際、僕たちはただそれを見送った。

……目覚めた以上、彼がどうなろうと、それは彼の運命だ」

 

V.V.は無邪気な笑みを浮かべながら、月を見上げた。

 

「……そうだな。……だが、ライを眠りにつかせた彼の願いは、ライを運命から解放することだった。

……あの時、遺跡で彼をそのままにしておいてやれば、こんな思いをさせずに済んだのだがな」

 

C.C.の言葉には、長い時を生きる彼女にしかわからない、深い後悔の念が滲んでいた。

彼女は、晩餐会の会場でミレイを支えながら、必死に自分を保とうとしているライの方を悲しげな目で見つめた。

 

アーニャとの会話の後、僕は逃げるように会場の中央へと戻った。隣を歩くミレイさんの温かさだけが、辛うじて僕を「現在」に繋ぎ止めていた。

しかし、広間の中央では刺すような殺気が渦巻いていた。

 

「ヒッヒッヒ! お熱いこった。だがよ、枢木。お前のその白い制服、いつまで返り血一滴つけずにいられるかな?」

 

声を上げたのは、ルキアーノ・ブラッドリーだ。彼はユーフェミアの側に控えるスザクを、毒を吐くような目で見つめていた。

 

「ブラッドリー卿。今は祝宴の最中です。不穏な言動は控えてください」

 

スザクの声は静かだが、その拳は白くなるほど固く握られている。

 

「不穏? 違いねえ。だがよ、お前が『平和』なんて抜かして特区に引きこもっている間にも、外じゃ私の部隊がナンバーズを狩り続けてる。……お前が守っているのは平和じゃねえ、自分の『良心』という名の檻だ。違うか?」

 

「……っ。僕は、ユーフェミア様の理想を信じている。力による支配ではなく、理解による統治を!」

 

「ハッ! 理解だと? 笑わせるな! 弱者は強者に喰われる、それがこの世の真理だ。死ななきゃ分からねえ馬鹿共に、理解なんて言葉が通じるかよ」

 

ルキアーノは一歩、スザクのパーソナルスペースに踏み込み、その鼻先で不敵に笑った。

 

「お前がその牙を隠している限り、お前は騎士じゃねえ。ただの、去勢された飼い犬だ。……明日だ。明日の共同演習、楽しみにしてるぜ。お前がその『おままごと』の制服を脱ぎ捨てて、野獣に戻る瞬間をな」

 

スザクの瞳に、激しい怒りと、それ以上に深い自己嫌悪の色が走る。

スザクにとって、ルキアーノは「自分の中にある暴力性」を最も醜悪な形で体現した鏡のような存在なのだ。

 

ルキアーノの矛先はスザクから、その側にいた僕へと向けられた。

 

「……そして、特派の小僧。お前だ」

 

ルキアーノが、ワイングラスを弄びながら僕に歩み寄ってくる。

 

「お前、さっきから変な顔をしてるぜ。幽霊でも見たか? それとも、自分の『空っぽ』な中身に気づいちまったか?」

 

「……ブラッドリー卿。何か用ですか」

 

「用? ねえよ。ただよ、私は嘘が嫌いなんだ。……スザクはまだいい。コイツは自分の血の匂いを必死に消そうとしているドブネズミだ。だが、お前はどうだ?」

 

ルキアーノの瞳が、狂気を孕んで爛々と輝く。

 

「名前も、過去も、記憶もない。そんな男が、なぜブリタニアの軍服を着て、名門のお嬢様をエスコートしてる? お前は自分が何者だと思ってるんだ? ……それとも、何者かに『仕立てられた』精巧な人形か?」

 

「僕は……!」

 

「答えられねぇだろ。……お前の中に流れているのは、情熱でも信念でもねえ。ただの冷たい『虚無』だ。お前みたいな奴が、この平和だの融和だのという奇跡の場にいること自体が、滑稽なんだよ」

 

ルキアーノの言葉が、アーニャに揺さぶられたばかりの僕の心に、楔となって打ち込まれる。

僕は、僕自身の存在の根拠を、何一つ持っていない。

 

ライという名前。ミレイさんがくれた居場所。スザクがくれた信頼。

それらがすべて、借り物のドレスのように剥がれ落ちていく感覚。

 

「ライ……!」

 

ミレイさんが僕の手を強く握った。その温かさが、かろうじて僕をこの場に繋ぎ止める。

 

「ブラッドリー卿。ライは私の大切な家族です。それ以上の侮辱は、アッシュフォード家が許しません」

 

「……フン、没落貴族が。

精々、明日の演習でその『空っぽ』な中身をぶち撒けてくれるのを楽しみにしてるぜ」

 

ルキアーノはそう言い残すと、嘲笑を会場に残して去っていった。

 

晩餐会が閉会し、迎賓館を後にする車の中。

ミレイさんはずっと、僕の手を離さなかった。

 

「……ごめんね、ライ。あんな男の言うこと、気にしちゃダメよ」

 

「……分かっています、ミレイさん。でも、僕……」

 

僕の視線の先には、窓の外に広がる特区の夜景があった。

黄金色に輝くこの街。その境界線の外には、血の匂いが漂っている。

そして僕の中には、あの謎の少年の笑顔と、暗い「虚無」が渦巻いている。

平和の宴は終わった。

僕は、僕自身の真実を見つけることができるのだろうか。

 

晩餐会のメインホールは、ルキアーノが撒き散らした毒によって奇妙な緊張感に包まれていた。しかし、それをどこ吹く風と受け流す者たちもいる。

 

「……美味いね、ここのオードブルは。エリア11の食材も捨てたもんじゃない」

 

ジノ・ヴァインベルグは、給仕が運ぶトレイから無造作にカナッペを摘み上げると、隣で無表情に端末のシャッターを切るアーニャを振り返った。

 

「アーニャも食べればいいのに。……さっきから何を撮ってるんだい? あの特派の少年か?」

 

「……。記録。……懐かしい、データの、欠落……」

 

アーニャは、何かに操られるように遠くでミレイに支えられているライを見つめていた。その瞳には、一瞬だけ慈愛と残酷さが混じり合った「マリアンヌの影」が宿っていたが、ジノがそれに気づくことはない。

また、会場の隅では本国からの査察団を率いる高官たちが、ノネット・エニアグラムを囲んでいた。

 

「エニアグラム卿、貴殿も甘い。あのような得体の知れない少年の後押しをするなど、本国の保守派が黙っていませんぞ」

 

「ははっ、お堅いねえ。アタシは面白いものが好きなんだ。ライの力は本物だよ。

この中の誰か投資をしてみたらどうだい?

彼が、どう化けるかシュナイゼル殿下も楽しみにしていらっしゃる」

 

ノネットはワインを煽りながら、鋭い眼光で会場全体を「査察」していた。

彼女だけは気づいていた。ルキアーノの狂気も、スザクの苦悩も、そしてライの中に芽生えた正体不明の「亀裂」も、すべてが明日の演習で弾けるであろうことを。

 

一方、迎賓館から離れたアッシュフォード学園。

暗い生徒会室でルルーシュは一人、チェス盤の前に座っていた。

手元の端末には、会場に潜入したディートハルトや潜伏しているメンバーから送られてくる音声と画像が、絶え間なく流れている。

 

「……マリアンヌ……だと?」

 

ディートハルトが拾った、アーニャがライに向けて放った微かな囁き。ノイズ混じりのその言葉を、ルルーシュの耳は逃さなかった。

 

「(……いや、ありえない。母さんはあの時、死んだはずだ。……だが、アーニャ・アールストレイム。

あの少女がライに執着する理由は、単なる記憶への興味だけではないというのか?)」

 

ルルーシュは指先で、盤上の「白のナイト」を弄んだ。

 

「ライ。お前はただの記憶喪失者ではない……。」

 

ルルーシュは思考を切り替えるように、黒のキングを盤の中心へと進めた。

今の彼にとって、母の生存疑惑という不確定要素は、戦略的なノイズでしかない。まずは特区という実験場を維持し、ブリタニア内部を瓦解させるための「楔」を打ち込むことが先決だ。

 

「ルキアーノという狂犬を動かし、スザクとライにプレッシャーをかける。……そこでスザクの白兜、あるいはライが『ギアス』以外の力を見せるというのなら、それも面白い。駒は多ければ多いほど、詰みのパターンは増えるからな」

 

ルルーシュは倒れたチェスの駒を一つ拾い上げ、闇の中に放り投げた。

 

「踊れ、ナイトオブラウンズ。

お前たちの高慢さが、特区という舞台を完成させる。……そして耐えろよ、ライ。

お前が真の『王の資質』を持っているというのならな」

 

ルルーシュの独白は、静寂の中に消えた。

 

 

晩餐会が閉会した後の政庁私室。

コーネリア・リ・ブリタニアは、正装のまま窓の外を見つめていた。その手には、ルキアーノが今日一日で引き起こした小競り合いと、明日の演習計画書が握られている。

 

「……ユフィ。やはりルキアーノを呼んだのは、兄上の失策だったのではないか」

 

「お姉様……。ブラッドリー卿の振る舞いは、確かに度が過ぎています。でも、彼のような強硬派をも納得させなければ、この特区に本当の未来はありません」

 

ユーフェミアはドレスを脱ぐ間もなく、姉の背中に寄り添った。彼女の瞳には、晩餐会でルキアーノの侮辱に晒されながらも毅然としていたスザクの姿が焼き付いている。

 

「スザクは、自分たちの居場所を守るために必死で耐えてくれました。

私は、献身に甘えているだけなのでしょうか」

 

「……甘えではない。それは信頼だ。だがユフィ、戦場を知らぬお前には分からぬかもしれんが、ルキアーノのような男は『信頼』という言葉を最も嫌う。

奴は明日、その信頼を根底から破壊しに来るだろう。……いいか、何が起きてもスザクやライを信じ抜く覚悟を持て」

 

コーネリアは妹の震える肩を抱き寄せた。その厳格な横顔には、妹の理想を守るために自らの手を再び血に染める準備ができている、一人の武人の覚悟が宿っていた。

 

一方、本国ブリタニアの宰相府。

シュナイゼル・エル・ブリタニアは、深夜にもかかわらず特区日本から送られてくる膨大なデータに目を通していた。

 

「……なるほど。ノネットは静観、ジノは遊興、アーニャは記録。そしてルキアーノは……予定通りの狂気か」

 

シュナイゼルは優雅に紅茶を口に運ぶと、手元の端末に映し出されたライのプロフィールを指でなぞった。

 

「ライ。君という不確定要素が目覚めたことで、このゲームは、より複雑で、より美しいものになった。

……特区日本。ここは単なる融和の実験場ではない。『未知の力』を焙り出すための巨大な坩堝だ」

 

シュナイゼルにとって、ユーフェミアの純粋な願いも、ルキアーノの残虐な本性も、すべては世界をあるべき形――彼が定義する「秩序」へと導くための変数に過ぎない。

 

「ルキアーノが明日、境界線を踏み越える。そこで枢木スザクがどう動き、ライが何を解き放つか。……ユーフェミア。君の優しさが、世界にとって毒となるか薬となるか。明日の演習の結果で、私の次の一手を決めさせてもらおう」

 

シュナイゼルは微笑を浮かべたまま、ライの写真を画面から消し去った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。