硝煙と叫び声に満ちた第23スラムから帰還した僕を待っていたのは穏やかな、いつもの生徒会室の空気だった。
「はい、お疲れ様! 特派の英雄さんたちに特製のお茶を淹れてあげたわよ!」
ミレイさんが、まるでお祭りの準備でもするような明るい声でティーカップを並べる。その隣では、シャーリーが身を乗り出して僕たちの顔を覗き込んできた。
「もう、ライ君もスザク君も! 演習だなんて。怪我はない? 」
「あはは、大丈夫だよシャーリー。ライとのコンビネーションが完璧だったからね。かすり傷一つないよ」
スザクが、昨日の殺気を微塵も感じさせない柔らかな笑顔で答える。その横で、リヴァルが悔しそうにポップコーンを口に放り込んだ。
「ちぇっ、いいよなー。俺もKMFに乗れたら二人みたいに心配してもらえるのになー」
「リヴァルが乗ったら、歩く前に転んで終わりよ。それより、ルルーシュ! あなたも手伝いなさいよ」
「……。俺は今、次の学園祭の予算案を練っているところだ。そんなに暇じゃない」
ルルーシュは、いつも通り不機嫌そうなフリをしながら書類に目を落としていた。だが、僕は気づいている。
彼が時折、書類の端から僕を確認するように鋭い視線を送っていることに。
(……ルルーシュ。君は僕が何もしなかったことに安心しているのかい? それとも……)
「ライくん? どうしたの、ぼーっとして」
ニーナが心配そうにおどおどしながら、僕の袖を引いた。
「……ううん、なんでもないんだ。ただ、この部屋に帰ってくると、なんだか夢を見ていたみたいで」
「夢なんかじゃないわよ。ここが、あなたの『現実』なんだから」
ミレイさんが僕の肩を叩き優しく微笑む。
テーブルに並んだお菓子、他愛のない冗談、窓から差し込む夕陽。
それは、昨日ルキアーノが「空っぽだ」と切り捨てた僕の心を温かく満たしていく救いだった。
しかし、その平穏を切り裂くように生徒会室の扉が音もなく開いた。
「――お邪魔する。記録、開始」
そこに立っていたのは、アッシュフォード学園の制服を着こなした少女。ナイトオブシックス、アーニャ・アールストレイムだった。
「アールストレイム卿!? なぜここに……」
驚きに思わず立ち上がってしまう。
アーニャは無表情に携帯端末を僕に向けると冷たく、そしてどこか懐かしい響きを含んだ声で告げた。
「体験入学。……シュナイゼル殿下の、命令。」
ひだまりの中に冷たい冬の風が吹き込んだ。
僕の「日常」という名の砂の城が、音を立てて崩れ始める予感がした。
アーニャ・アールストレイム。
帝国最強の騎士の一人が、アッシュフォード学園の制服を着て座っている。その事実は、生徒会室に緊張感をもたらしている……はずだったが。
「……これ。甘い。記録」
アーニャはミレイが出したパウンドケーキを一口食べると、無表情にスマホで撮影し、そのまま指でライの二の腕を突ついた。
「ライ、いつも、これ食べてる? ……不公平。私も、毎日食べる」
「あ、ああ。……ミレイさんのケーキは美味しいからね」
タジタジになる僕を見て、リヴァルが「おいおい、ラウンズ様のお気に入りかよ!」と茶化し、シャーリーは「ライ君の腕を突っつくなんて、アーニャちゃん、意外と積極的?」と、賑やかにしている。
そんな空気の隅で、一人だけ熱に浮かされたような瞳でスザクを見つめている少女がいた。
「ねえ、枢木君……!」
ニーナ・アインシュタインが、震える手で資料を抱えながらスザクにじりじりと詰め寄る。
「はい、ニーナ。どうしたの?」
「昨日の……昨日の特区での演習のこと、教えて。ユーフェミア様は……慈悲深いあの方は、無事だったのよね!? 怪我なんて、してないわよね!?」
ニーナの声は次第に大きくなり、その瞳には崇拝と強迫観念が混じり合った異様な光が宿っていた。彼女にとってユーフェミアは、かつて自分を恐怖から救い出してくれた唯一絶対の聖母なのだ。
「大丈夫だよ、ニーナ。ユフィ――ユーフェミア様は政庁で指揮を執られていたし、僕とライが敵を近づけさせなかったから」
「……よかった。ああ、本当によかった……!」
ニーナは胸を撫で下ろし、そのまま祈るように両手を組んだ。
「枢木君……あなたは、あの方の騎士。
あの方の純粋な理想を汚す者は、どんな手を使ってでも排除して。……たとえ、それがどれほど残酷な力であっても……あの方の正しさは守られなきゃいけないのよ」
「……。そうだね、ニーナ。僕も同じ気持ちだよ」
スザクは一瞬、複雑な表情を浮かべた。
自分の中にある暴力性をルキアーノに指摘されたばかりの彼にとって、ニーナの「どんな手を使ってでも」という肯定は毒のように甘く、そして重かった。
そんな二人を少し離れた席からルルーシュが冷ややかに観察していた。
(……この学園は、もはや平穏な避難所ではないな)
ルルーシュはチェス盤を片付けるふりをしてアーニャの視線を追った。
彼女は生徒会メンバーと交流しているようでいて、記録を撮りながら周囲を探っている。
「……ライ。さっきから、通信。誰?」
アーニャが不意に、僕のポケットの中でバイブレーションが鳴っているのを指摘した。
取り出すと、発信元はロイドさんからだった。
「……ごめん、ちょっと席を外すよ」
僕は逃げるように部屋を出た。
廊下の窓から見える夕陽は、昨日スラムで見た血のような赤さを思い出させる。
「(ニーナの言葉……『どれほど残酷な力であっても』……)」
もし彼女が、僕の中に眠る力の正体を知ったら、それでも同じことを言うだろうか。
僕は自分の衝動を抑えながら、ロイドからの呼び出しに応じるべく、特派のハンガーへと向かった。
扉が開くと、そこにはいつものように狂気的な集中力でモニターを叩くロイドさんと、調整用スーツに身を包んだセシルさんの姿があった。
「ライ君! 学園生活は楽しんでいるかい? ラウンズの女の子と学園生活だなんて、心拍数が上がっちゃうよねえ」
「ロイドさん、茶化さないでください。……それで呼び出しの理由は?」
ロイドさんはニヤリと笑い、セシルさんに目配せをした。
セシルさんは少し複雑そうな表情で大型のコンテナを指し示す。
「ライくん、昨日の演習データを見て確信したわ。
あなたの反応速度は既存のKMFでは既に限界。……だから、これを実装することにしたの」
コンテナのロックが解除され、プシュッという排気音と共に現れたのは、ランスロット・クラブの背部に追加装甲としてマウントされる美しい翼「試作型フロートユニット」だった。
「ただの飛行ユニットじゃないよ。君の脳波と完全に同調し、空間そのものを把握する……いわば『感覚の拡張』だ。セシル君が心血注いで開発した最新鋭さ!」
「これに触れてみて、ライくん。フィッティングが必要なの」
僕は促されるまま、その冷たい金属の翼に手を触れた。
触れた瞬間。
指先から電流のような衝撃が走り、脳裏に「あの日」の情景が強制的に上書きされた。
——燃える空。
——崩落する巨大な空中要塞。
僕は、今触れているものとよく似た「力」を背負い、誰かのために叫んでいた。
『……ライ、逃げて……! 後のことは、僕が……!』
以前、アーニャとの接触で見た「謎の少年」が、泣きそうな顔で僕を見つめている。
彼の手には僕が契約した証である、あの紅い輝き。
そして、僕がその時、守ろうとしていたのは——。
「(……誰だ。僕は、誰を失ったんだ……!?)」
「ライくん!? しっかりして!」
セシルさんの叫び声で僕は我に返った。
気づけば、僕はランスロット・クラブの装甲に縋り付くようにして激しく呼吸を乱していた。頭が熱っぽい。
「……あ。……すみません、少し、立ちくらみが」
「……立ちくらみ、ねえ」
ロイドさんは眼鏡を指で押し上げ、僕を観察するように見つめた。その瞳には、技術者としての好奇心以上の、何かを見透かしたような光があった。
「その追加パーツ……それと君の相性は、とても良さそうなんだ。まるで、君が最初からそれを持っていたかのようにね。
……ライ君。君の『空白』には僕たちが思っている以上に重いものが詰まっているんじゃないかな?」
「……。わかりません。僕には、何も……」
新しく与えられた「翼」
それは僕を自由にするものではなく、忘却の底に沈んだはずの「過去」へと引きずり戻すための呪縛のように感じられた。