Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】 作:ごすろじ
▶デンケン視点
グリュック様に己の決断を伝えてから、正規の試験を実力で突破した俺は無事軍属となり、気がつけば数年が経っていた。
軍の兵舎での生活は質素で厳格だったが、不思議と性に合っていた。
毎日が夜明けと共に始まる過酷な訓練と、地道な任務の繰り返し。
全ては一日でも早くレクテューレの隣に、胸を張って立つため。
そう思えば、どんな厳しさも苦ではなかった。
「おい、デンケン!」
兵舎の談話室でペンを走らせていると、すっかり気心の知れた先輩魔法使いのマキアスが、呆れたように声をかけてくる。
「また恋人への恋文か? 本当にマメだな、お前は」
「……これは、グリュック様への近況報告だ」
「嘘つけ。その緩みきった顔で言っても説得力ゼロだぞ」
俺は返事をせず、インクが乾くのを待って便箋を丁寧に折りたたんだ。
毎日一度、必ずレクテューレに手紙を書く。
度重なる任務に従事し続け、もう一年以上屋敷に帰れていない。
彼女から返ってくる手紙の返事が、この無骨で孤独な日々の中で、俺の世界に彩りを与えてくれる唯一の光だった。
『デンケンへ
お手紙ありがとう。元気にしているようで、私も安心しました。
こちらは相変わらず、穏やかな毎日です。時々、マハトがあなたの訓練の時の話をしてくれます。「デンケン様は、私が教えた中で最も早く才能を開花させた一人です」ですって。まるで自分のことのように自慢げに話すのよ。誇らしいわ。
でも、どうか無理だけはしないでくださいね。
この間、庭に新しい花を植えました。あなたが次に帰ってくる頃には、きっと綺麗な青い花を咲かせていると思います。
その日を、心から待っています。
愛を込めて レクテューレ』
何度も、何度も読み返す。
彼女の優美な文字を見るだけで、心が温かくなり、力が湧いてくる。
「惚気てないで、任務の準備をするぞ!」
「分かっている」
マキアスに軽口で返しながら、俺は立ち上がった。
今日の任務は近隣の村に現れた森の魔物の討伐。
まだ下級の任務だが、一つ一つ、確実にこなしていく。
功績を積み重ね、ヴァイゼの軍人として揺るぎない地位を築くことが、彼女との未来への一番の近道なのだから。
任務を終えて帰還すると、隊長に呼び出された。
「デンケン、今回の任務も見事だった」
「ありがとうございます」
「お前の働きは、グリュック様も高く評価しておられる。来月から、もう少し難易度の高い任務も任せようと思う。いいな?」
「はい、お受けいたします」
より危険な任務。
それは同時に、より大きな功績を上げる好機でもある。
これでまた一歩、彼女に近づける。
その夜、俺はまたレクテューレへの手紙を書いた。
『レクテューレへ
今日、隊長から働きを認められた。少しずつだが、着実に前に進んでいる。
もっと功績を上げて、早く君に相応しい男になってみせる。
ところで、体調はどうだ? 前の手紙で、少し疲れやすいと書いていたのが気にかかっている。文字も震えていたし、インクが少しだけ滲んでいた、毎回俺の手紙に付き合う必要はない。
疲れている日は休んでくれ。
俺のために無理は絶対しないでほしい。君が元気でいてくれることが、俺の一番の願いだ。
君の植えた青い花を見るのを、楽しみにしている。
愛している。
デンケン』
▶レクテューレ視点
デンケンからの手紙を、そっと胸に抱きしめる。
彼がこのヴァイゼのために頑張っている様子が、力強い文字の連なりから伝わってくる。
誇らしくて、胸がいっぱいになる。
でも、それと同じくらい、彼のいない時間が私の心を静かに蝕んでいく。
『体調はどうだ?』
彼の優しい問いかけに、胸が痛んだ。
手紙には書けない。絶対に。
『こちらは変わりありません。毎日、穏やかに過ごしておりますので、ご心配なく』
ペンを握る指先に力が入らない。
本当は朝、ベッドから起き上がるのが辛いこと。
屋敷の長い階段を上るだけで息が切れ、世界が歪んで見えること。
――そんなこと、書けるはずがない。
彼は今、ヴァイゼを守るという大きな使命を背負っているのだ。
私のことで、彼の任務に一点の曇りも生じさせてはならない。
「お嬢様、薬草茶をお持ちしました」
侍女のマリアが、心配そうな顔で部屋に入ってくる。
「ありがとう、マリア」
「近頃、本当に顔色が良くありませんよ。一度、グリュック様にご相談しては……」
「大丈夫よ。ただの疲れだから」
それが嘘であることは、マリアも気づいているはずだ。
それでも、彼女はそれ以上何も言わず、ただ悲しそうに微笑むだけだった。
お父様にも心配をかけたくなくて、食事の席では努めて元気に振る舞っている。
でも時々、お父様の鋭い視線が私に注がれているのを感じる。
マハトもきっと何か気づいている。
「お嬢様、少し魔法の練習をなさいませんか」
中庭で花の手入れをしていると、マハトが静かに声をかけてきた。
「でも、デンケンがいないと、私は……」
「基礎的な魔力運用の練習です。体内の魔力の流れを整えることは、体調を安定させる効果も期待できます」
断る理由もなく、私は彼の指導を受けることにした。
確かに、言われた通りにゆっくりと魔力を循環させると、少しだけ体が楽になる気がした。
「ありがとう、マハト」
「いえ。デンケン様も、お嬢様の健康を一番に願っておられるはずですから」
その言葉に、胸がちくりと痛んだ。
デンケンは私のために、危険を冒している。
なのに私は、自分の体調一つ、きちんと管理できないなんて。
「……しっかり、しならなくちゃね」
「お嬢様?」
「デンケンが安心して帰ってこられるように。心配をかけないように」
そう呟くと、マハトが少しだけ驚いたような顔をした。
感情の読めない彼の、珍しい表情だった。
「……お手伝いいたしましょう」
「ありがとう」
でも、どれだけ体調に気をつかおうとも、身体は日増しに重く、ひどい疲労感は増していくばかりだった。
夜、ベッドに倒れ込むように横になると、すぐに意識が遠のいていく。
意識が完全に落ちる寸前、夢の中でデンケンが心配そうな顔で、私の名前を呼んでいる……そんな夢をみた。