Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】 作:ごすろじ
▶デンケン視点
ついに、その時が来た。
「これより、魔族の討伐任務を通達する」
作戦司令室に集められた精鋭部隊に、隊長が重々しく告げた。
兵舎が緊張で張り詰める。
「北の森に、魔族の一団が潜伏しているとの情報が入った。斥候によれば、少なくとも三体。デンケン、お前も参加だ」
「はっ!」
初めての、魔族討伐。
足の先から、冷たい恐怖が這い上がってくる。
だが、それを上回る熱い何かが、腹の底から湧き上がってきた。
俺の全てを灰にした、あの日の憎しみが、今、確かな力となって全身を駆け巡っていた。
出発の前夜、俺はいつもより慎重に言葉を選びながら、レクテューレに手紙を書いた。
『レクテューレへ
明日から、少し長期の任務に出ることになった。
詳しくは書けないが、これが成功すれば、俺の評価は大きく上がり、君との未来へまた一歩近づけるはずだ。
君が返してくれる手紙が、いつも俺の胸で温もりをくれている。
君も、安心して待っていてくれ。
必ず、この手で勝利を掴んで帰る。約束だ。
愛している。
デンケン』
魔族を標的とした任務だとは書けなかった。
彼女に、一瞬たりとも不安な思いをさせたくなかったからだ。
引き取られたばかりの頃は魔族への憎しみから、周囲を拒絶し続け、そのせいで大変な心配をかけた。
俺が魔族討伐の任務に出たとなればレクチューレも気が気ではないだろう。
近頃体調を崩しがちだという彼女に心労をかけられない。
翌朝、夜明け前の薄闇の中、部隊は静かに出発した。
野営と休息を取りながら、万全の状態を維持しながら目的地へと到着する。
北の森は不気味なほど静まり返っていた。
湿った土と腐葉土の匂いに混じって、魔力の残滓が濃く立ち込めている。
「全員、警戒を怠るな。相手はただの獣ではない。言葉を操り、人を欺く知能がある」
隊長の低い声が響く。
俺たちは息を殺し、慎重に森の奥深くへと進んだ。
そして、ついに遭遇した。
開けた場所に、三体の魔族がいた。
人の形をしているが、その瞳には温かみというものが一切存在しない。
ただ、獲物を見るような冷たい光だけが宿っている。
あの日の光景が、鮮明に蘇る。
「ほう、人間か。ちょうどいい、暇つぶしになる」
魔族の一体が、唇の端を吊り上げて笑う。
ぞっとするような、無機質な笑みだった。
戦闘の火蓋は、唐突に切られた。
激しい魔法の応酬が森を揺るがす。
閃光が走り、轟音が響き、木々がなぎ倒されていく。
仲間が次々と傷つき、悲鳴が上がる。
俺も必死で戦った。
マハトに教え込まれた技術の全てを、脳が焼き切れるほどの集中力で繰り出す。
「なかなかやるな、小僧」
俺と対峙した魔族が、値踏みするように目を細めた。
「だが、経験が足りていないようだな!」
一瞬の隙。
防御魔法を展開する、ほんのコンマ数秒の遅れを突かれた。
魔族の放った黒い光の槍が、俺の胸に迫る。
――死ぬ。
そう思った瞬間。
闘争で燃え上がっていた頭が、急速に冷えていく。
死の恐怖が目前に迫り、脳裏に浮かんだのは両親の無念の顔ではなかった。
レクテューレの、花が咲くような笑顔だった。
『行ってらっしゃい。デンケン。必ず生きて戻ってきて……』
彼女の声が、聞こえた気がした。
――こんな所で、死ねるか……。俺が死んだら、誰が彼女を守る。
憎しみでも闘争心でもない。
もっと温かく、もっと強い力が、体の奥底から溢れ出す。
魔法術式を、コンマ数秒にも満たない時間で無理やり練り上げる。
不格好で、不完全な防御魔法。
だが、それは黒い槍が俺の心臓を貫く、その寸前で、確かに展開された。
凄まじい衝撃に体が吹き飛ばされる。
だが、痛みよりも先に、生きているという実感が全身を駆け巡った。
「――ッ!!」
体勢を崩した魔族の胸元に、俺は渾身の『
魔族が、信じられないという顔でこちらを見つめ、やがて塵となって崩れ落ちた。
「やったぞ! デンケンが一体を仕留めた!」
仲間の歓声が聞こえる。
初めて、この手で、魔族を倒した。
だが、こみ上げてきたのは勝利の喜びや、達成感よりも……ただ一つの強烈な想いだった。
レクテューレに会いたい。
無性に、今すぐ、彼女の顔が見たい。
――死ねない。
俺は彼女に会うまで決して死ねない。
絶対に生き残るという気概を胸に立ち上がり、残りの魔族に向かい魔法を放った。
▶レクテューレ視点
その日の昼下がり、庭の花の手入れをしていると、急に強い胸騒ぎがした。
心臓が氷水に浸されたように、ひやりと冷たくなる。
胸元で、デンケンから貰った護符のペンダントが、一瞬だけ、じわりと熱を帯びたのだ。
それは気のせいなどではなく、まるで彼の命の危機を知らせるかのように、確かな熱を発していた。
「デンケン……」
何かあったのだ。
彼の身に、何か取り返しのつかない危険が迫っている。
いてもたってもいられなくなり、心配で部屋の中を何度も歩き回る。
だが、すぐに息が切れ、その場にへたり込んでしまった。
最近、本当に体力が落ちている。
医者を呼ぶべきだとは分かっている。
でも、そうしたらきっと、デンケンに知られてしまう。
彼がこの大事な任務から帰ってくるまでは、元気でいなければ。
彼を、笑顔で迎えなければ。
「お嬢様」
マハトが、いつの間にか部屋の前に立っていた。
「どうかなさいましたか?」
「デンケン様から、緊急の魔法通信です」
心臓が、今度は恐怖で大きく跳ねた。
緊急。
その一言が、最悪の事態を想像させる。
私は震える足で立ち上がり、父の書斎へと向かった。
――どうか、どうか無事でいて。
書斎では、通信魔法用の水晶が淡く光っていた。
その前に立つ父様が、私の姿を認めると、安堵と喜びが入り混じったような、複雑な表情で振り返った。
「レクテューレ、良い知らせだ」
「デンケンは……デンケンは無事なのですか!?」
「ああ、無事だ。それどころか、大手柄を立てたそうだ。デンケンの部隊は、魔族の一団の討伐に成功した。中でもデンケンの働きは目覚ましかったと、隊長から直々に報告があった。これで、彼の昇進は間違いないだろう」
嬉しさと安堵で、全身の力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになった。
涙が、次から次へと溢れてくる。
デンケンが無事で、しかも、大きな功績を上げた。
「良かった……。本当に、良かった……」
「たった数年で随分と功績を積み重ねたものだ。領主としては……よくやった、そう言うほかないな」
お父様も、心から嬉しそうだ。
だが、私の顔を覗き込んだ父様の表情が、すぐに厳しいものに変わった。
「ところで、レクテューレ。その顔色はどうした。もう隠しても無駄だ。お前のその様子では、デンケンが帰ってきても、心から喜ばせてはやれんだろう」
お父様は、ずっと気づいていたのだ。
私が無理をしていることに。
そして、私の選択を尊重するが故に、見て見ぬふりをしてくれていたのだ。
「明日、すぐに医者を呼ぶ。これは、領主としてではなく、父親としての命令だ」
お父様の言葉は、有無を言わせぬほどに力強かった。
診断が怖かった。
もし、ただの疲れではなかったら。
もし、治らないような重い病気だったら。
デンケンが、命懸けで未来を掴もうとしている時に、私が、彼の足を引っ張ることになってしまったら……。
その夜、デンケンから短いながらも、勝利を知らせる手紙が届いた。
『レクテューレへ
無事に任務を終えた。君のおかげで命を救われた。本当にありがとう。君という存在が俺を守ってくれたんだ。
これで、君にまた一歩近づけたはずだ。
次の休暇には、必ず帰る。話したいことが山ほどある。
愛している。
デンケン』
その手紙を何度も、何度も読み返し、胸に強く抱きしめてベッドに入った。
彼が、私のために生きて帰ってきてくれた。
それだけで、力が湧いてくる気がした。
だが、その夜は激しい咳が止まらず、私はほとんど眠ることができなかった。