Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】 作:ごすろじ
▶デンケン視点
軍に戻ってからの半年間、俺はがむしゃらに任務に打ち込んだ。
小規模な魔物の討伐、国境付近の警備任務、そして新兵たちへの魔法戦闘訓練の指導。
一つ一つの任務は地味かもしれないが、着実に、そして確実に評価を積み重ねていった。
全ては、一日でも早くレクテューレの隣に胸を張って立つためだ。
俺が強くなるほど、俺たちの未来は確かなものになる。
そう信じていた。
「デンケン、いい知らせがある」
ある晴れた日の午後、隊長室に呼ばれた俺は、上官からそう告げられた。
「来月執り行う、昇進試験。貴官を推薦することに決まった」
「……! 本当でありますか!」
「ああ。お前の実力とこれまでの功績を考えれば、当然の結果だ。問題なく合格するだろう」
ついに、チャンスが来た。
胸の奥から、熱いものがこみ上げてくる。
すぐにレクテューレに宛てて、ペンを走らせた。
喜びで、少し文字が震えてしまったかもしれない。
『レクテューレへ
いい知らせがある。来月、昇進試験を受けられることになった。
これに合格すれば、俺は晴れて魔導大尉だ。そうなれば、まとまった休暇も取れるし、給金も今の比ではない。何より、君を迎えに行くための大きな一歩になる。
もう少しだけ、待っていてくれ。必ず、良い知らせを持って帰る。
愛している。
デンケン』
返事は、いつもより早く届いた。
『デンケンへ
とても素晴らしい知らせね。手紙を読んで、思わず声を上げて喜んでしまいました。あなたなら、きっと合格すると信じています。
私も毎日、あなたの成功と、そして何よりあなたの無事を祈っています。どうか体にだけは気をつけて。決して、無理はしないでくださいね。
愛を込めて
レクテューレ
追伸:あなたが合格になったら、お祝いに、あなたが一番好きな料理を作って待っています』
手紙を読むたびに、力が湧いてくる。
不思議なほどに、心が奮い立つ。
レクテューレのために必ず合格する。
そして、胸を張って彼女の横に並んで見せる。
▶レクテューレ視点
デンケンからの吉報が書かれた手紙を、そっと胸に抱きしめた。
彼が順調に出世の階段を上っている。
嬉しい。
誇らしい。
けれど、その喜びの裏側で、私の心には暗い影が落ちていた。
出世すれば、より危険な任務も増えるだろう。
彼が遠くへ行ってしまう時間も、きっと長くなる。
彼が英雄になればなるほど、私は彼の隣から遠ざかっていく。
そして何より、今の私の体は――。
『お祝いに、あなたが一番好きな料理を作って待っています』
そう書いた文字が、涙で滲みそうになるのを必死で堪えた。
果たせるか分からない約束。
それでも、彼に希望を渡し続けたかった。
それが、今の私にできる唯一のことだから。
「お嬢様、お茶をお持ちしました」
マリアが、いつものように優しい笑顔で部屋に入ってくる。
「ありがとう、マリア」
「デンケン様からのお手紙ですか? 何か、良いことが?」
「ええ。来月、昇進試験を受けるんですって」
「まあ、それはおめでたい。 さすがはデンケン様ですね」
マリアも、自分のことのように喜んでくれる。
この屋敷の使用人たちは皆、デンケンのことを本当の家族のように思ってくれている。
「お祝いの準備を考えないといけませんね」
「ふふ、気が早いわよ、マリア」
「でも、きっと合格なさいますわ。お嬢様が、あんなに熱心に祈っておられるのですから」
そう信じている。信じたい。
お父様の書斎を訪ねた。
「お父様」
「どうした、レクテューレ。何かあったのか」
「デンケンが、昇進試験を受けると……」
「ああ、聞いている。隊長から私の方にも直接連絡があった」
「お父様は、どう思われますか?」
「順当だろう。デンケンの実力と勤勉さを考えればな」
父様はペンを置くと、優しい目で私をじっと見た。
「心配か」
「……はい」
「それが、愛というものだ。だがな、レクテューレ」
お父様は、私の肩にそっと手を置いた。
「信じてやれ。デンケンは、お前が思うよりもずっと強い男だ」
「はい……」
そうだ。信じよう。
デンケンは必ず無事に帰ってくる。そして、いつか――
「お父様」
「なんだ?」
「もし、デンケンが大尉になったら……その時は、私たちの結婚を、お許しいただけますか?」
突然の、そしてあまりにも真っ直ぐな私の問いに、父様は少しだけ驚いたように目を見開いた。
「レクテューレ……」
「私は……デンケンと結婚したいんです。彼以外の人と、残りの……いえ、これからの人生を歩むなんて考えられません」
はっきりと、迷いなく言った。
残された時間が、どれだけ短くても関係ない。
お父様は、しばらく黙って何かを考えていた。
その瞳には、娘の幸せを願う父親の優しさと、残酷な真実を知る領主の苦悩が、深く入り混じっていた。
やがて、お父様はふっと息を吐いて、まるで最後の賭けに出るかのように、柔らかく微笑んだ。
「……デンケンが正式に、その口から私に申し込んできたなら、その時は考えてやろう」
「本当ですか?」
「ああ。父親として、娘の幸せを願わないはずがないだろう」
嬉しくて、思わずお父様に抱きついていた。
「ありがとうございます、お父様!」
「まったく、もう子供ではないというのに」
そう言いながらも、父様の声は優しさに満ちていた。
だが、その喜びも束の間、父様の腕から離れた瞬間、激しい咳が込み上げてきた。
ごほっ、ごほっと、一度出始めると止まらない。
「レクテューレ…ッ」
お父様が血相を変えて私の背中をさする。
大丈夫、ただの咳よ、と言おうとするのに、息が苦しくて声にならない。
ようやく咳が収まった時、私はお父様の、見たこともないほどに険しく、そして悲しみに満ちた顔を見た。
もう、誤魔化しはきかない。
私の体が、もう限界に近いことを、この日、私ははっきりと悟ってしまった。