Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】 作:ごすろじ
▶デンケン視点
昇進試験の日。
俺の心は、不思議なほどに静まり返っていた。
筆記試験では、これまでに叩き込んだ理論と軍律を淀みなく書き連ねた。
実技試験では、訓練で培った魔法を精密に、そして力強く行使した。
そして最後の模擬戦闘では、格上の教官を相手に、持てる力の全てを出し切った。
「……見事だ、デンケン。非の打ち所がない」
試験官の評価も上々だった。
手応えは、ある。
そうして運命の一週間後、結果が通達された。
「デンケン、合格だ。本日付で、貴官を魔導大尉に任命する。おめでとう」
新しい意匠の肩章を受け取った時、ようやく安堵と、そして熱い喜びが込み上げてきた。
「ありがとうございます」
「これからも、より一層励め」
兵舎に戻ると、仲間たちが俺を担ぎ上げて祝福してくれた。
「おめでとう、デンケン大尉!」
「さすがだな! 俺たちの誇りだ!」
「今夜は祝杯だ! 奢りだぞ、大尉殿!」
皆の温かい言葉が、素直に嬉しかった。
だが、俺の頭にあったのは、ただ一つのことだけだった。
一刻も早く、レクテューレに伝えたい。
「休暇をいただけますでしょうか」
「もちろんだ。一週間、ゆっくりしてこい。婚約者のもとでな」
一週間。
レクテューレと、未来を語り合える。
俺は急いで荷物をまとめ、一番早い馬車を手配した。
もう、ただの居候じゃない。
グリュック家に庇護されるだけの、無力な少年じゃない。
胸を張って、正式に彼女を迎えに行けるのだ。
▶レクテューレ視点
窓の外を眺めて過ごす時間が増えた。
彼が帰ってくる道を、ただ、じっと見つめてしまう。
その日、見慣れた姿が、屋敷へと続く道の向こうに見えた。
「デンケン……!」
名前を呼ぶ声は、自分でも驚くほどか細かった。
だが、心が弾むのを止められない。
侍女のマリアが止めるのも聞かず、私はふらつく足で階段を駆け下りた。
「お嬢様、お走りになっては!」
「大丈夫よ」
玄関の扉を勢いよく開け、彼の胸に飛び込む。
ああ、この温もりだ。
私がずっと待ち焦がれていた、彼の匂いと温かさ。
「おめでとう、デンケン。合格したのね」
「ああ、合格した。ただいま、レクテューレ」
デンケンが、壊れ物を抱きかえるように、優しく私を抱きとめてくれる。
ふと見上げると、彼の制服の肩章が変わっていた。
デンケンの長年の努力が実った、誇らしい証。
「……立派に、なったのね」
「これで、やっとだ……」
デンケンが、真剣な顔になった。
「レクテューレ。グリュック様に、大事な話がある」
「ここで?」
「いや。グリュック様も、そして君もいる前で、伝えなければならないことだ」
胸が、ドキドキと高鳴る。
もしかして、ついに――
お父様の書斎で、デンケンは私の隣に立ち、そして、父様の前に深く頭を下げた。
「グリュック様、本日、ただいま帰還いたしました」
「うむ、ご苦労だった。そして、昇進おめでとう。デンケン」
お父様も、どこか誇らしげだ。
デンケンが顔を上げ、一度大きく息を吸い込むと、はっきりとした声で言った。
「本日はご報告と、そして、一つ、生涯をかけたお願いがあって参りました」
父様は、黙って次の言葉を待っている。
デンケンは、私の手を強く握ると、再び父様に向き直り、そして、迷いのない瞳で告げた。
「お嬢様、レクテューレさんとの結婚を、お許しください」
私の心臓が、大きく、高く跳ねた。
お父様はゆっくりと私を見て、それからデンケンを見た。
その瞳は領主としてではなく、一人の父親の目をしていた。
「レクテューレ。デンケンはこう言っている、後は、お前の気持ちを、この場で私に教えてくれ」
「はい、お父様。私も、デンケンと結婚したいです。彼と共に、生きていきたいです」
即答した。
もう、私にも迷いはない。
この命が、たとえ長くはないとしても。彼の妻になりたい。
父様は満足そうに頷くと、席を立ってデンケンのそばへ歩み寄った。
そして、その肩に、力強く手を置いた。
「……いいだろう。許す」
「! 本当に、よろしいのですか」
「ああ。お前たちの気持ちは、痛いほど分かっている。それに、私も、お前のような男を息子に持てるなら、これ以上の喜びはない」
デンケンの顔が、ぱあっと、見たこともないほどに輝いた。
「ありがとうございます……ありがとうございます!」
「レクテューレを、頼んだぞ。必ず、幸せにしてやってくれ」
「はい! この命に代えても、必ず!」
その瞬間、私はこの世の誰よりも幸せだった。
この幸せな時間が、一日でも、一時間でも、一秒でも長く続きますように。
そう、心から神に祈った。
「病める時も、健やかなる時も」――司祭の言葉が、遠くで聞こえる気がした。
私にとって「健やかなる時」はもう、ほんの僅かしか残されていないのかもしれない。
それでも、この「病める時」に、彼の隣にいられるのなら。
――それ以上の幸せはない。