Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】 作:ごすろじ
▶レクテューレ視点
結婚して、一ヶ月が経った。
夢のような日々だった。
目的を果たしたデンケンはヴァイゼの軍人として、以前のように功績を焦ったりせず、余裕をもって屋敷から軍部へと通うようになった。
「行ってきます」
毎朝、玄関で彼を見送る。
軍服を纏った彼の背中は、とても頼もしかった。
「行ってらっしゃい。どうか、お気をつけて」
背伸びをして、彼の頬にキスをする。
それが、新妻としての私の大切な日課。
この瞬間のために、私は毎朝目を覚ますのだとさえ思った。
日中は、家事を手伝ったり、デンケンの好きな料理の腕を磨いたりして過ごした。
「奥様、そのようなことは我々が……」
マリアが心配そうに言うけれど、私は笑って首を振る。
「いいのよ。これも、私の楽しみなのだから」
――「奥様」
その響きは、私が彼の妻であるという、甘美な事実を思い出させてくれる。
だから、彼のいない時間も、私は「完璧な奥様」を演じ続ける。
愛する人のために何かをすることが、こんなにも心を満たしてくれるなんて、知らなかった。
夕方、デンケンが帰ってくる時間になると、もうそわそわして落ち着かない。
「ただいま」
その声が聞こえた瞬間、私は玄関へと駆け寄り、彼の胸に飛び込む。
「レクテューレ。もう少し、落ち着け」
そう言いながらも、彼が照れくさそうに、でも優しく私を抱きしめ返してくれるのが分かる。
「お疲れ様でした。お風呂にしますか? それとも、お食事にしますか?」
「……君で」
たまに、彼は子供のようにそう言って甘えるようになった。
顔が真っ赤になるけれど、それ以上に、彼に必要とされていることが嬉しくてたまらなかった。
夕食は、いつも二人で。
「今日はどうだった?」
「新兵の魔法訓練があった。皆、真剣でな。教えることの難しさを痛感している」
「あなたは、きっと良い先生になるわ」
「そうか?」
「ええ。だって、あなたの教え方は、とても丁寧で優しいもの」
私が、彼に初めて魔法を教えてもらった時のことを思い出す。
「レクテューレも、また魔法の練習をするか?」
「うーん、今は他のことで忙しいから」
「他のこと?」
「ええ。あなたの、可愛い奥さん業でね」
また照れるデンデン。
その反応が面白くて、ついからかってしまう。
夜、一つのベッドで寄り添いながら、他愛もない話をする。
「……幸せだな」
デンケンが、私の髪を撫ぜながら呟く。
「私も、幸せよ」
「こんな生活が、ずっと続けばいい」
「続くわよ。私たちが、そう望む限り」
「そうだな」
でも、彼の腕の中で幸せを感じれば感じるほど、一人になった瞬間に、体の奥底から這い上がってくる冷たい影に怯えてしまう。
結婚式の前後は、喜びと興奮で忘れていた体の不調が、この穏やかな日常の中で再び、しかし以前よりも確かに顔を出し始めていた。
微かな咳、消えない倦怠感、そして時折襲ってくる、立っていられないほどの眩暈。
でも……この幸せを一秒でも長く守りたい。
彼に、心配をかけたくない。
私は、見て見ぬふりを続けた。
「レクテューレ?」
「……なんでもないわ。おやすみなさい、あなた」
「おやすみ」
デンケンの腕の中で目を閉じる。
これ以上の幸せはない。
だからこそ、この幸せが失われることが、怖い。
▶マハト視点
新婚の二人を見ていると、人間という種族の不可解さが、より一層深まるのを感じる。
「生き急ぎすぎていたデンケンも、すっかり落ち着いたな」
執務室で、グリュックが満足そう口にする。
「ええ。レクテューレ様という存在が、彼の強さに、確かな『意味』を与えたのでしょう」
「そうか……。意味、か」
グリュックは、どこか遠い目をして呟いた。
「これで、レクテューレも……」
彼は、言いかけて言葉を飲み込んだ。
この男は普段から感情というものを表に出さない、だが娘のこととなると例外だ、微細な変化だが声色に重苦しいものを感じる。
グリュックはレクチューレのために、一度だけ医者を呼び寄せて以降一度も呼んでいない。
なるほど。
どうやら……やはり、レクチューレはもう駄目のようだな。
「グリュック様?」
「いや、なんでもない。ただの、父親の繰り言だ」
「……」
白々しく適切な返事を返すことも出来るが、俺は無言を貫く。
魔族としてではなく、グリュック家に仕える者としてはこれが正解だ。
あの二人の平穏が、いつまで続くのか。
私にも、それは分からない。
俺はデンケンにヒントを与え、レクチューレの不調を誤魔化す手助けこそしたが、二人を助けるために奔走する気などない、この男が見守るというのであれば、その意に沿うだけだ。