Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】   作:ごすろじ

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▼第十九話▶転身

 

 

 

▶デンケン視点

 

 

 

翌朝、夜明けと共に、俺が手配した街一番と評判の医者が屋敷に駆けつけた。

 

 

診察室の前で待つ時間は、まるで拷問のようだった。

 

廊下の時計の針が刻む一秒一秒が、やけに大きく、重く響く。

扉が開く音、医者が出てくる足音、その全てが、まるでスローモーションのように感じられた。

 

 

「……どうでしたか、先生」

 

 

すがるような思いで問いかける俺に、医者は重々しく、そして同情的な目で首を横に振った。

 

 

「……奥様は、非常に稀な病に侵されております」

 

「病……? 治せるのですよね?」

 

「それが……この病は、体内の魔力が徐々に、しかし不可逆的に滞っていくもので……。今の医学では、原因すら解明できておりません。故に、根本的な治療法も……」

 

 

頭が、真っ白になった。

治療法が、ない?

 

 

「馬鹿な……。金ならいくらでも出す! 帝都から最高の医者を呼ぶ! どんな高価な薬でも手に入れる! 必要なものがあればどんな手段を取ろうとも必ず手に入れる! 何をしてでも――」

 

「デンケン様、お気持ちは分かります。ですが、落ち着いてください。もちろん、我々も手をこまねいているわけではありません。進行をわずかでも遅らせる薬はいくつかあります。それを試しながら、経過を見るしか……」

 

「経過を見るしか、だと!? それで、レクテューレは、治るのかと聞いているんだ!」

 

 

俺の激昂した声に、医者はただ、悲痛な面持ちで沈黙した。

その沈黙が、何よりも雄弁に、残酷な答えを物語っていた。

 

 

診察室に戻ると、レクテューレがベッドの上で、窓の外を静かに眺めていた。

 

 

「部屋の中まで聞こえていたわ。声を荒げるだなんて、あなたらしくない」

 

 

その顔は青ざめていたが、不思議なほどに穏やかだった。

 

 

「ごめんなさい、デンケン。あなたの足を、引っ張るようなことになってしまって」

 

「謝るな!」

 

 

俺は彼女のベッドの前に膝から崩れ落ち、その氷のように冷たい手を握りしめた。

 

 

「俺が、俺が必ず治す。どんな手を使っても、必ず。だから、諦めないでくれ、レクテューレ」

 

 

レクテューレはただ静かに涙を流していた。

その涙が、俺の無力さを責めているようだった。

 

 

その日から、俺の本当の戦いが始まった。

それは、魔法も、武力も、何の意味もなさない、孤独で絶望的な戦場だった。

 

 

軍務の合間を縫って、あらゆる医学書や古文書を読み漁った。

 

高名な医者や治癒魔法の使い手がいると聞けば、休暇を強引にもぎ取り馬を飛ばした。

希少な薬草が必要だと知れば、危険な魔物の巣窟にさえ、単身で足を踏み入れた。

 

 

給金も、これまでの任務で得た恩賞も、その全てがレクテューレの治療の代価へと消えていく。

 

それでも全く構わなかった。

彼女が助かるのなら……俺の地位も名誉も、この命さえも、惜しくはなかった。

 

 

焦燥感に囚われ、時間の感覚も曖昧になる中で季節が幾つも過ぎ去っていく。

だが、現実はどこまでも非情だった。

 

 

レクテューレの病状は、ゆっくりと、だが確実に、悪化の一途を辿っていった。

 

 

最初は疲れやすくなる程度だったらしい。

 

それが、止まらない咳となり、微熱が続くようになった。

今では、一人で歩くことも困難になり、一日のほとんどをベッドの上で過ごすようになってしまったのだ。

 

 

俺は自分の無力さと愚かさに、日に日に打ちのめされていった。

 

 

魔族を何体討伐しようと、どんな輝かしい勲章を授与されようと、腕の中で日に日に痩せていく、愛する一人の女性さえ救うことができない。

俺の力は、この小さな寝室の中では、何の役にも立たないガラクタだった。

 

 

「もういいのよ、デンケン」

 

 

ある日、レクテューレがか細い声で言った。

薬を飲ませようとする俺の手を、弱々しい力で押し返しながら。

 

 

「もう、そんなに頑張らなくて、いいの」

 

「何を言っているんだ。これを飲めば、少しは楽になるはずだ……っ」

 

「あなたの、そんな辛そうな顔を見るのが、私には一番辛いのよ」

 

 

彼女の透き通るような瞳から、一筋の涙がこぼれた。

 

 

「私ね、本当に幸せだった。あなたと出会えて、あなたに愛されて、あなたの妻になれて。もう、十分すぎるくらい、幸せをもらったわ。だから……」

 

「やめろ!」

 

 

俺は、彼女の言葉を遮った。

 

 

「そんなことを、言うな。俺はまだ、君に何もしてやれていないじゃないか」

 

 

幸せにすると、守り抜くと、あれほど誓ったというのに。

 

俺は、彼女の痩せてしまった体をきつく抱きしめて、ただ、子供のように泣くことしかできなかった。

 

 

 

 

 

▶レクテューレ視点

 

 

 

デンケンの苦しむ姿を見るのが、何よりも辛かった。

 

 

私のために、彼はその身を、その心をすり減らしている。

睡眠時間を削り、危険な任務に赴き、手に入れた財産の全てを、治る見込みのない私の治療につぎ込んでいる。

 

 

彼の目は深く窪み、精悍だった頬はこけて、以前の輝きを失っていた。

 

 

私が、彼を苦しめている。

私が、彼の未来を奪っている。

 

 

「お父様」

 

 

私は、父を一人、部屋に呼んだ。

 

 

「お願いがあります」

 

「なんだ、レクテューレ。何でも言いなさい」

 

「デンケンを、帝都へ行かせてください」

 

 

父様が、驚いた顔をした。

 

 

「帝都へ? なぜだ」

 

「デンケンにはもっと大きな舞台で力を発揮できるだけの力があります、もう長くない私が……彼をこの場所に縛り付け、これ以上無為に時間を使わせたくはありません」

 

「………焦らず、デンケンが集めた薬を試すのも手だ」

 

「いいえ、もう薬は効きません。自分の身体だからこそよく理解出来るのです。限界、なのでしょうね……数年前お父様が手配してくださったお医者様から頂いた、病状を遅らせるお薬で、ようやく今があるのです。私の身体は、すでに……どうしようもなく、壊れ果てています」

 

「そう、か………だが、今のお前のそばを、デンケンが離れたがるとは思えん」

 

「お願いします、お父様。これが、私の……最後の我儘です」

 

 

私は、父様に全てを話した。

 

 

デンケンには、彼の道を歩んでほしい。

私のことで、彼の輝かしい未来を曇らせたくない。

 

彼には、彼の努力が最も報われるべき場所がある。

病気の私がそばにいてはいけない。

 

重荷になってはいけない。

 

そして何より、彼がいない間に、静かに、この命を終わらせたい。

彼の腕の中で息絶えることは、きっと彼に、一生消えない傷を残してしまうから。

 

 

それだけは、嫌だった。

 

 

お父様は私の話を聞きながら、ただ黙って堪えていた。

その顔には、領主としての厳しい表情と、娘の最後の願いを前にした父親の深い悲しみが刻まれていた。

 

 

「……分かった。お前の気持ちは確かに受け取った。何とかしよう」

 

 

 

 

▶デンケン視点

 

 

 

「……もう、ヴァイゼでは限界なのか」

 

 

ある夜、書斎で医学書を前に頭を抱えていた俺に、グリュック様が静かに声をかけた。

 

 

「帝都アイスベルクへ行け、デンケン」

 

「しかし、レクテューレを一人には……」

 

「お前の気持ちは分かる。だが、このままでは何も変わらん。帝都ならば……。帝国の中心ならば、まだ我々の知りえない治療法や、伝説級の治癒魔法の情報があるやもしれん。冷静になれ、より可能性の高いほうへと労力を裂け」

 

 

その言葉は、暗闇の中に差し込んだ一筋の光のように思えた。

 

そうだ、帝都。

大陸中の知識と富が集まる場所。

 

そこならば、まだ希望があるかもしれない。

 

 

「そんな折、都合の良い話がある」

 

 

グリュック様は一通の羊皮紙を俺の前に差し出した。

それは、帝国軍総司令部からの書状だった。

 

 

「お前のこれまでの功績が、帝国の中心にまで届いたようだ。帝国軍本部への転属、及び宮廷魔導師団への出向を命ずる、とある。異例の大抜擢だ」

 

 

宮廷魔導師団。

 

帝国最高峰の魔法使いたちが集う場所。

そこならば、レクテューレを救うための知恵が必ずあるはずだ。

 

 

「ですが……」

 

「レクテューレのことは心配するな。私が、マハトが、屋敷の者たちが、総出で支える。お前は、お前にしかできんことをやれ。それが、レクテューレを救う唯一の道だ」

 

 

グリュック様の力強い言葉に、俺は迷いを振り払った。

 

 

レクテューレの寝室へ向かい、全てを話した。

 

 

「……帝都へ?」

 

 

か細い声で、彼女が問い返す。

 

 

「ああ。君を救うための最後の希望だ。必ず、治療法を見つけて帰ってくる。だから、それまで……」

 

「行ってらっしゃい、あなた」

 

 

俺の言葉を遮り、レクテューレは力なく、しかしはっきりと微笑んだ。

 

 

「あなたの道を歩んで。私は、ここで待っているから」

 

 

彼女もまた、これが最後の希望だと理解しているのだ。

俺が自分のために未来を掴もうとしていることを、分かってくれている。

 

 

「必ず、迎えに来る」

 

「ええ。……待ってるわ」

 

 

 

 

 

▶レクテューレ視点

 

 

 

デンケンが、帝都へ旅立った。

 

 

彼を乗せた馬車が見えなくなるまで、私は窓からずっと見送っていた。

 

 

寂しい。

胸が張り裂けそうなくらい。

 

 

でも、これで良かったのだ。

 

 

彼が、私のために、自分の未来を諦めることだけは絶対にあってはならない。

 

 

彼には彼の才能に見合った、輝かしい道を歩んでほしい。

 

 

私は、彼の重荷になってはいけない。

 

 

「奥様、お薬の時間です」

 

 

マリアが、心配そうに部屋に入ってくる。

 

 

「ありがとう」

 

 

差し出された薬を、ゆっくりと飲み干す。

苦い味が、口の中に広がった。

 

 

「デンケンは、きっと……もっと立派な魔法使いになるわ」

 

「ええ、そうでございますとも」

 

「だから……これで、よかったのよね……」

 

 

窓の外では青い花が、風に揺れていた。

 

 

あの花が枯れる前に、彼は一度だけでも帰ってきてくれるだろうか。

 

 

お父様に無理を言って送り出して貰っておきながら、なんて身勝手な考え。

私は無意識に湧き上がる身勝手な自身の考えを振り払い、再び、長い眠りについた。

 

 

 

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