Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】   作:ごすろじ

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▼第二十一話▶約束

 

 

 

▶デンケン視点

 

 

 

帝都とヴァイゼの往復を始めてから、三年目の冬。

 

 

俺はついに一つの大きな成果を上げた。

 

古代の治癒魔法に関する極秘の文献を手に入れたのだ。

それは帝国の書庫の最深部で、何百年も誰にも解読されずに眠っていたものだった。

 

 

 

そこには、レクテューレの病に酷似した症例と、その治療法らしきものが、かすれた文字で記されていた。

 

 

――これだ……。

 

 

胸が希望で張り裂けそうだった。

 

解読には時間と人手がいる。

それに金もかかる。だが、道筋は見えた。

 

 

あと少し。あと少しで、必ず彼女を救える。

 

 

――待っていてくれ、レクテューレ。必ず、お前を……。

 

 

希望の光が暗闇の向こうで確かに瞬いた、まさにその矢先だった。

グリュック様から、緊急の魔法通信が入ったのは。

 

 

『レクテューレの容態が急変した。すぐに戻れ』

 

 

頭が、真っ白になった。

俺は全ての任務を放棄し、駆けつけたレルネンに後のことを託すと、馬を飛ばしてヴァイゼへと向かった。

 

 

数ヶ月ぶりに、昼間のヴァイゼに帰ってきた。

 

屋敷の扉を開けると、そこには俺の知る活気はなかった。

静まり返ったホール。使用人たちの、沈痛な面持ち。

 

 

レクテューレの寝室へ駆け込む。

 

 

「レクテューレ!」

 

 

ベッドに横たわる彼女は、驚くほどに痩せ細り、その顔色は死人のように生気が抜けきっていた。

か細い呼吸を繰り返す彼女の姿に、俺は言葉を失った。

 

 

「……デ、ン……ケン?まだ……帰って、きてくれる……のね」

 

 

俺に気づいた彼女が、弱々しく、しかし嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「ああ、帰ってきた。もう、どこへも行かない。ずっと、そばにいる」

 

 

彼女の冷たい手を握りしめる。

 

その日から、俺は立場を捨てる覚悟で休暇を申請し、彼女のそばに付きっきりで看病した。

薬を飲ませ、体を拭き、彼女が好きだった冒険譚を読んで聞かせた。

 

 

だが、彼女の命の灯火は、日に日に弱くなっていくのが分かった。

 

 

そんなある日、帝国から一人の使者が屋敷を訪れた。

それは、あまりにも残酷な、運命の皮肉だった。

 

 

「デンケン殿に、皇帝陛下からの勅命である」

 

 

使者が恭しく差し出した書状には、これまでの俺の功績を称える、特別な叙勲式への招集が記されていた。

 

帝都で開かれる帝国最大の栄誉の式典。

俺が、レクテューレのために、彼女を助けるために、血反吐を吐く思いで掴み取った栄光の証。

 

 

「……お断りする、と伝えてくれ」

 

 

俺は、即座にそう言った。

 

 

「今の私には、レクテューレのそばにいること以上に大切なことなどない。勲章も、地位も、彼女がいなければ何の意味もない」

 

「しかし、これは勅命……」

 

 

困惑する使者を、俺は追い返そうとした。

その時だった。

 

 

「……行って、あなた」

 

 

ベッドから、か細い声が聞こえた。

レクテューレだった。

 

 

「何を言っているんだ。行けるわけがないだろう。以前とは……何もかも状況が違う」

 

「いいえ、行って。これは、私の……最後の、お願い」

 

 

彼女は、必死に体を起こそうとしながら言った。

その瞳は、弱々しいながらも、強い意志の光を宿していた。

 

 

「あなたが、命を削って手に入れた、栄誉じゃないの。あなたの努力の結晶を、私のせいで、無駄にしないで」

 

「君のいない栄誉など、何の意味もない!」

 

「意味なら、あるわ。あなたが、私の誇りであることの、証になるもの」

 

 

彼女は、もう分かっているのだ。

 

自分の時間が、本当の本当に……もう極わずかしかないことを。

そして、俺の未来を、俺の栄光を、自らの手で縛りつけたくないのだ。

 

 

「お願い、デンケン。私のために、行って。そして、胸を張って、帰ってきて。あなたの晴れ姿を、土産話に聞かせてくれると、約束して……」

 

 

約束。

 

それは、希望を繋ぐための言葉のはずだった。

だが、今の俺たちにとって、それは決して果たされないことを互いに知りながら交わす、あまりにも悲しい誓いだった。

 

 

彼女は、俺の栄誉を自分のことのように喜ぼうとしてくれている。

俺は、彼女に希望を持たせるために、その晴れ舞台に立たなければならない。

 

 

「……分かった。約束だ」

 

 

涙をこらえ、そう答えるのが、俺にできる精一杯だった。

 

出発は三日後と決まった。

それまでの時間を、俺は一秒たりとも無駄にすまいと、彼女のそばで過ごした。

 

叙勲式への出発を翌日に控えた夜。

 

俺はレクテューレの部屋で、いつものように彼女のベッドの傍らに座っていた。

窓の外には、満月が静かに輝いている。

 

 

「デンケン」

 

「どうした? 何か欲しいものがあるか?」

 

「踊って」

 

「……え?」

 

一瞬、聞き間違いかと思った。

 

「踊りましょう。あの時みたいに」

 

「何を言っている。そんな体で……」

 

「お願い」

 

 

レクテューレが、細くなった腕を俺に向かって伸ばした。

その腕は月明かりの下で、痛々しいほどに白く、細かった。

 

 

「最後に、一度だけ」

 

 

最後。

その言葉が、胸に深く突き刺さった。

 

 

「……分かった」

 

 

俺は静かに立ち上がり、彼女がベッドから降りるのを支えた。

驚くほど軽い。あの日、広場で踊った時とは比べものにならないほど、彼女の体は痩せ細っていた。

 

 

「立てるか?」

 

「あなたが支えてくれるなら」

 

 

彼女の手を腰に導き、俺は彼女の背中にそっと腕を回した。

壊れ物を抱くように、優しく、慎重に。

 

音楽はない。

ただ、窓から差し込む月光と、遠くで鳴く虫の声だけが、この部屋を満たしている。

 

 

「覚えてる? あの日のこと」

 

「忘れるわけがない」

 

 

ゆっくりと、本当にゆっくりと、俺たちは揺れ始めた。

ステップを踏む力など、もう彼女にはない。

 

ただ、俺に寄りかかるようにして、かすかに体を揺らすだけ。

 

 

「あの時のあなた、とても下手だったわね」

 

「……うるさい」

 

「でも、真剣な顔で足元ばかり見ていて、可愛かった」

 

「可愛いとは何だ」

 

「可愛かったのよ。今でも、覚えているわ」

 

 

彼女が、俺の胸に顔をうずめた。

 

 

「あなたの心臓の音、あの時と同じね。少し速い」

 

「……」

 

「私がいなくなっても、ずっとこうして動き続けるのね。あなたの心臓は」

 

「やめろ。そんな話は……」

 

「ごめんなさい」

 

 

レクテューレが、小さく笑った。

 

 

「でも、嬉しいの。最後に関われるから、あなたの人生に」

 

 

月明かりの中で、俺たちは踊り続けた。

踊っている、というより、ただ抱き合って揺れているだけだったかもしれない。

 

 

「デンケン」

 

「なんだ」

 

「約束、覚えてる?」

 

「約束?」

 

「また踊ってくれるって。あの日、約束してくれたでしょう?」

 

 

ああ、そうだ。

あの日、広場で彼女にせがまれて、俺は確かに約束した。

 

 

「覚えている」

 

「よかった。……これで――約束は果たされたわね」

 

 

その言葉の重さに、胸が締め付けられた。

 

 

「レクテューレ」

 

「なあに?」

 

「……」

 

 

言葉が出なかった。

行くな、と言いたかった。 俺を置いていくな、と。

 

だが、そんなことを言っても、彼女を困らせるだけだと分かっていた。

 

 

「ありがとう、デンケン」

 

彼女が顔を上げた。 月明かりに照らされた彼女の顔は、涙で濡れていた。

 

「あなたと踊れて、幸せだった」

 

「俺も……俺もだ」

 

「上手になったわね、ダンス」

 

「お前のおかげだ」

 

「ふふ、そうね。私のおかげよ」

 

 

どれくらいそうしていただろう。

 

やがて、レクテューレの体から力が抜けていくのを感じた。

 

 

「疲れたか?」

 

「少しだけ……」

 

俺は彼女を抱き上げ、そっとベッドに横たえた。 羽のように軽い体が、シーツの上に沈む。

 

「おやすみ、デンケン」

 

「ああ、おやすみ」

 

「明日、ちゃんと見送るから……起こしてね」

 

「分かった」

 

彼女の額に、そっと口づけをする。

 

「愛している、レクテューレ」

 

「私も……愛してるわ」

 

 

彼女は静かに目を閉じた。

俺はその寝顔をしばらく見つめてから、窓辺に移動して月を見上げた。

 

あの日交わした約束は果たされた

窓の外では、彼女が植えた青い花が、月光を浴びて静かに揺れていた。

 

まるで、音のない音楽に合わせて踊っているかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

▶レクテューレ視点

 

 

 

「行ってくる。式が終われば……すぐに帰るから」

 

 

部屋まで来てくれたデンケンの頬に、最後の力を振り絞って、そっと触れる。

 

 

「ええ……。ずっと……待っているわ、デンケン」

 

 

これが、彼と交わす、最後の言葉になるだろう。

そう思いながらも、私は、精一杯の笑顔を作った。

 

 

行かないで、とは言えない。

 

私のために彼が掴んだ栄誉を、私が手放させてはいけない。

彼の未来を、私が祝福しなければ。

 

 

それが、彼を愛した私の……最後の役目なのだから。

 

 

彼が部屋を出て行った後、静まり返った部屋で、私は父様にペンを握らせてもらった。

 

 

ほとんど力が入らない。感覚もない。

 

 

それでも、彼への想いを、伝えなければ。

 

 

一文字、また一文字。

溢れるほどの愛と、感謝を込めて。

 

 

『愛するデンケンへ……』

 

 

 

 

 

▶グリュック視点

 

 

 

執務室の窓から、帝都へと向かう馬車が小さくなっていくのを見ていた。

 

 

デンケンは、娘のそばにいたいという「個人の願い」と、娘の願いである「努力が報われた公人」との間で、どれほど苦しんだことだろう。

 

 

そして、レクテューレ。

あの子は、デンケンの未来を縛るまいと、自らの死期を悟った上で、気丈にも彼を送り出した。

 

 

「……」

 

 

私は領主として、デンケンの栄誉を誇りに思うべきだ。

だが、父親としては、この運命の巡り合わせを、ただ呪うことしかできない。

 

 

娘の最後の願いを、私はただ見守ることしかできなかったのだから。

 

 

部屋の奥で、私が握らせたペンでレクテューレが侍女に手伝われながら、何かを懸命に書いている気配がした。

 

 

私にはもう、祈ることしかできない。

 

 

せめて、あの子たちの想いが、互いに届くことを。

そして、義息子の未来が、絶望だけで閉ざされることのないようにと。

 

 

 

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