Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】 作:ごすろじ
外伝的作品なので、いるかはわかりませんが。
もし、ご愛読頂いている方がいらっしゃればありがとうございました。
アインザーム編のようなネバネバ描写とは違い、とにかくサクサク進行することを意識して書きました。
なので、軍周りとか帝国周りとか、その他もろもろ削れる所はとことん削っています。
▶デンケン視点
レクテューレの葬儀は、彼女が望んだ通り、家族と本当に親しい者たちだけで静かに行われた。
俺は、涙を流さなかった。
いや、流れなかった。
全て枯れ果ててしまったようだった。
ただ、ぼんやりと、彼女の棺が土に還っていくのを眺めていた。
土塊が棺に打ち付けられる、乾いた音がやけに耳につく。
グリュック様が、俺の隣で静かに泣いていた。
マリアたち使用人も、声を殺して泣いていた。
レルネンも、遠い帝都から駆けつけ、静かに祈りを捧げてくれていた。
皆が悲しんでいるのに、俺だけが、何も感じなかった。
心が、死んでしまったようだった。
いや、死ぬことさえ許されず、ただ虚ろな器だけが、そこに立っていた。
葬儀が終わった後も、俺はヴァイゼの屋敷に留まった。
帝都の方には長期の休暇を申請した。
正確には、レルネンが気を利かせて手配してくれたのだ。
俺自身には、もはや何かを申請するという、主体的な意思さえ残っていなかった。
戻る? 何のために?
軍人として国を、ヴァイセを守る? 笑わせる。
愛する女一人守れなかった男が、何を守れるというのだ。
俺は、レクテューレの部屋に引きこもった。
彼女の匂いが、まだ残っている。
陽だまりのような、甘くて優しい花の香り。
その香りを深く吸い込むたびに、彼女がまだすぐそばにいるかのような錯覚に陥り、そしてすぐに、それがただの残酷な幻であることを思い知らされる。
この狂おしい繰り返しが、俺の精神を少しずつ、確実に削り取っていった。
部屋の隅には、彼女が読んでいた魔法の本が、開かれたまま置かれている。
俺が教えると約束した、魔法のページ。
栞代わりに挟まれたリボンが、虚しく揺れている。
『はい、先生』
不意に、楽しそうな幻聴が聞こえた。
『だから、その先生というのはやめてくれ』
あの日の、俺の困った声。
そうだ、俺は彼女に魔法を教える約束をした。
彼女は才能がないと謙遜しながらも、俺と同じ世界を見たい一心で、必死に魔力を操ろうとしていた。
彼女の白い手のひらに、初めて蛍のような小さな光が灯った時の、あの弾けるような笑顔。
「できた! デンケン、見て、できたわ!」
幻の彼女が、すぐ隣で無邪気に笑っている。
その笑顔が、今はガラスの破片となって俺の胸に突き刺さる。
「うるさい」
俺は、誰に言うでもなく吐き捨てた。
幻を振り払うように、強く頭を振る。
化粧台の上には、彼女が使っていた櫛や、小さな香水の瓶が整然と並んでいる。
その一つ一つに、彼女の指先の温もりが残っているようで、触れることさえできなかった。
銀の台座に嵌められた青い石のペンダント。
俺が贈った、役立たずの護符。
『大切にするわ。絶対に、肌身離さず持っている』
あの旅立ちの前の夜、涙ぐみながらそう言った彼女の声が、耳の奥で木霊する。
こんなもので、何が守れるというのだ。
俺はそれを強く握りしめた。冷たい金属の感触が、俺の愚かさと無力さを嘲笑っているかのようだった。
クローゼットを開ければ、彼女のドレスが並んでいる。
初めて街へ行った時の、サイズの小さい空色のワンピース。
そして、結婚式で輝いていた、純白のドレス。
そのどれもが、幸せだった日々の記憶を鮮明に呼び覚ます。
楽しかった思い出が、今は鋭利な刃となって、俺の心を何度も何度も切り刻む。
『デンケン、手を繋ぐ? はぐれないように』
『私、待ってる。あなた以外の誰とも、結婚なんて考えられない』
『おかえりなさい、あなた!』
記憶の中の彼女が、次々と俺に語りかけてくる。
その声は温かく、優しく、そして、残酷なほどに俺を打ちのめす。
「デンケン様、お食事を……」
マリアが、遠慮がちに扉の外から声をかける。
「いらん」
「ですが、何も召し上がらないと、お体に……」
「いらないと言っているだろうッ……――すまない」
声を荒らげてしまった。
だが、マリアの気遣いが、今はただ鬱陶しい。
俺には、食事をとる資格も、生きる資格もない。
扉の向こうで、マリアが小さく息を呑む気配がして、やがて静かに遠ざかっていく足音が聞こえた。
俺は、ベッドに倒れ込んだ。
シーツに残る、彼女の微かな温もりと香り。
それに顔をうずめ、目を閉じる。
『デンケン、愛してるわ』
『ずっと、ずっと一緒にいてね』
『あなたは、私の誇りです』
彼女の言葉が、声が、笑顔が、頭の中で無限に再生される。
それは、かつて俺を生かしていた光だった。
だが今は、俺を苛む呪いの言葉にしか聞こえない。
なぜだ。
なぜ、俺は気づけなかった。
身体が弱いことなど、昔から知っていただろう。
手紙の文字が震えていたこと。
休暇で会った時に、彼女が以前より痩せていたこと。
花の香りに混じっていた、あの微かな薬草の匂い。
笑顔の裏に隠されていた、僅かな翳り。
兆候は、いくらでもあったはずだ。
だが俺は、自分の功績に、未来への希望に、浮かれていた。
もてはやされ、いい気になっていた。
彼女が、俺のいない場所で、一人で静かに死に向かっていることにも気づかずに。
「……馬鹿な男だ」
自嘲の笑みが漏れる。
俺は、彼女にふさわしい男になりたかった。
彼女を守れる力が欲しかった。
だから、軍に入り、功績を上げた。
だが、その結果はどうだ。
俺が手にした地位や名誉は、彼女を救う何の役にも立たなかった。
それどころか、俺を彼女から引き離し、最期の瞬間に立ち会うことさえ許さなかった。
俺が彼女のためにしてきたことは、全て、無意味だったのだ。
いや、むしろ、彼女を追い詰める結果になったのかもしれない。
俺が活躍すればするほど、彼女は自分の病のことを言い出せなくなったのではないか。
俺の未来の邪魔になりたくないと、一人で苦しみを抱え込んだのではないか。
そう考えると、吐き気がした。
「デンケン殿」
扉が、静かにノックされた。
レルネンだ。
「……何の用だ」
「少し、よろしいですかな」
返事をする前に、扉が開かれた。
レルネンが、心配そうな顔で立っている。
「……いつまで、そうしているつもりです」
「……」
「お気持ちは分かります。ですが、貴方はこのまま終わるような男ではないはずだ。ヴァイゼの民も、そして宮廷も、貴方を必要としている」
レルネンの言葉は、正論だった。
そして、だからこそ、今の俺には何の慰めにもならなかった。
「……終わったんだよ、レルネン。俺の人生は、あの日、彼女と共に終わったんだ」
初めて、友に弱音を吐いた。
情けない。だが、もうどうでもよかった。
「彼女も、きっと貴方が再び立ち上がることを望んでおられるはずだ」
レルネンは、必死に言葉を探しているようだった。
だが、そのありきたりな慰めが、俺の逆鱗に触れた。
「お前に何が分かる!」
思わず、声を荒らげていた。
「お前は、彼女がどんな想いで俺を送り出したのか、知りもしないだろう! 俺が、どんな想いで帝都へ向かったのかも! 俺が歩むべき道だと? その道は、彼女の死体の上に続いていたんだぞ!」
俺は、レルネンから顔を背けた。
「彼女がいない世界で俺が歩くべき道など……どこにもありはしない。俺は、彼女のために強くなりたかった。彼女を守るために戦ってきた。その目的を失った今、俺が魔法を使う意味も、生きる意味もない」
「デンケン殿……」
「帰ってくれ。一人にしてくれ」
「……」
レルネンはそれ以上何も言えず、静かに部屋を出ていった。
彼の優しさが、今はただ痛かった。
何も知らない人間の善意が、何よりも残酷に感じられた。
同情されることが、何よりも苦痛だった。
部屋に、再び静寂が戻る。
俺は、レクテューレが最後に書いていた手紙を、もう一度取り出した。
震える文字で綴られた、彼女の最後の想い。
『あなたと出会えて、私は本当に…心の底から幸せでした』
嘘だ。
俺は、お前を幸せにできなかった。
『だから、どうか、自分を責めないでください』
無理だ。責めずにはいられない。
『あなたは、私の誇りです』
やめろ。
その言葉が、一番俺を苦しめる。
俺は手紙をくしゃりと握りつぶそうとして、寸前で思いとどまった。
これは、彼女が生きた、最後の証だ。
俺が、これを無下に扱うなど許されない。
窓の外は、もう夜だった。
月明かりが、部屋を青白く照らしている。
俺は、ふらりと立ち上がり、庭に出た。
月光を浴びて、レクテューレが植えた青い花が、まるで宝石のように、静かに咲き誇っていた。
彼女の、形見だ。
その花の前に、俺は膝をついた。
「レクテューレ……」
名前を呼んでも、返事はない。
「俺は、どうすればよかったんだ……」
答えなど、あるはずもなかった。
もし、あの時、軍に入らず、ずっと彼女のそばにいたら?
もしかしたら、病の進行にもっと早く気づけたかもしれない。
もっと、一緒にいられる時間があったかもしれない。
いや、違う。
もし軍に入らなければ、俺は無力なまま、彼女が衰弱していくのを、ただ指をくわえて見ていることしかできなかっただろう。
どちらにせよ、結末は同じだったのだ。
どうしようもなかった。
俺の力では、運命には抗えなかった。
それが、何よりも腹立たしかった。
「会いたい……」
声が、漏れた。
「もう一度だけでいい。君の声が聞きたい。君の…笑顔が見たい……」
頬に、冷たいものが伝った。
枯れたはずの涙が、また溢れ出していた。
俺は、彼女のために強くなりたかった。
だが、彼女を失った今、この力に何の意味がある?
この先、何年、何十年と続くかもしれない、この真っ暗闇の世界で俺は一体……何のために生きていけばいい?
答えは、どこにもなかった。
ただ、彼女のいない世界という耐え難いほどの静寂と、胸を抉るような後悔だけが、そこにあった。