Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】   作:ごすろじ

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▼第二十五話▶あいんざ~む

 

 

 

 

人気のない深夜の街を抜け、女が閉鎖された城門を無視して路地裏へと入っていく。

 

月明かりすら届かない細い路地。

壁と壁の隙間を縫うように進む女の足取りは迷いがなく、この道を何度も歩いたことがあるかのようだった。

 

城壁沿いに進んでいくと、領地を守る厚い壁に、人一人がようやく通れる程度の穴が口を開けているのが見えた。

 

「掘ったのか?」

 

「はい、私の魔法は少々特殊でしてね。ちょいとでも使うと領内中の魔法使いが飛んでくる程度には派手なんです。だからここでは使えません。領を出て、十分に離れる必要があります。ひっそりと出るだけでも、こんな事前準備までしたんですから感謝してください」

 

「あぁ、感謝する」

 

「素直ですね。それじゃ、進みましょうか」

 

 

レクテューレの亡骸を抱えた女は、身を横にしながら穴の中へと滑り込んでいく。

 

 

俺も後に続いた。

土壁が両肩を擦り、湿った土の匂いが鼻腔を満たす。

 

頭上からは細かな砂粒がぱらぱらと落ちてきて、髪や肩に降り積もった。

這うようにして進む狭い空間に、息が詰まりそうになる。

 

やがて夜気が頬を撫で、城壁の外側へと這い出る。

 

 

女は周囲を素早く見渡すと、迷いなく暗闇が支配する森へと足を踏み入れた。

 

魔物の気配がない。

 

それが最初に感じた違和感だった。

ヴァイゼ周辺の森には、夜ともなれば魔物が徘徊しているはずだ。

 

だが、今夜は不自然なほど静まり返っている。

 

闇に慣れてきた目で周囲を見渡せば、その理由はすぐに知れた。

 

木々の隙間に、消えかかった魔物の首が引っかかっている。

草木に紛れて、潰れた顔面が転がっていた。

 

思わず足が止まった。

 

森を少し進むたびに、粒子化しかけた魔物の死体がそこかしこに散らばっている。

 

見たところ、全て素手で始末されていた。

魔法の痕跡は一切ない。

 

純粋な膂力だけで、これだけの魔物を屠ったというのか。

 

背筋に冷たいものが走った。

この女が纏う穏やかな雰囲気の下に、どれほどの力が潜んでいるのか。

 

少なくとも、俺が知る常識の範疇には収まらない存在であることだけは確かだった。

 

女は何も喋らず、黙々と足を進めていく。

俺もただ無言でその背を追った。

 

枯れ枝を踏む乾いた音。

夜気に混じる土と腐葉の匂い。

時折、頬を撫でる冷たい風。

 

気づけば、ヴァイゼの領地は振り返っても影すら見えなくなっていた。

 

どれほど歩いただろうか。

数刻は経っていたはずだが、時間の感覚は既に曖昧だった。

 

足は重く、全身に疲労が蓄積しているはずなのに、不思議と痛みは感じない。

心が死んでいるせいかもしれなかった。

 

 

ふと、視界の端で白いものが揺れた。

 

霧だ。

 

足元から這い上がるように、白い靄が立ち込め始めている。

最初は薄く、やがて濃く。

 

数歩進むごとに視界が狭まっていく。

 

不自然な霧だった。

この季節、この時刻に、これほど急激に霧が発生するものだろうか。

 

 

警戒心が首をもたげる。

だが、女は歩調を緩めることなく、霧の中を真っ直ぐに進んでいく。

 

俺は杖を握り直しながら、その背中を見失わないよう足を速めた。

 

やがて、霧を掻き分けるようにして視界が開けた。

 

 

森林が伐採された整地が広がっている。

小さな小屋の傍らに一台の馬車が停まっており、長身の男が馬を撫でて世話をしていた。

 

男の姿は霧に紛れて輪郭が曖昧だ。

だが、その周囲だけ霧が特に濃いことに気づく。

 

まるで男自身が霧を纏っているかのようだった。

 

 

『汝、随分と時間がかかったな。その付き人が件の人物で相違ないな』

 

 

声が響いた。

口を動かしている様子はない。

 

霧の中から、あるいは霧そのものから声が発せられているようだった。

 

 

「そうですよ。無事交渉成立したので連れてきました。貴方も打ち合わせ通り仕事をしてくださいよ」

 

 

女の声には、先ほどまでの芝居がかった調子が消えていた。

代わりに、長年連れ添った者同士だけが持つ、遠慮のない響きがある。

 

 

『死者の蘇生など女神の摂理に反する行いはすべきではない。今からでも行いを正すべきだ……』

 

霧の奥から響く声は、厳かでありながらどこか諦めを含んでいた。

 

「はあ……その話はもう散々したでしょう」

 

フルーフは大仰に溜息をついてみせた。

肩を竦め、首を左右に振りながら続ける。

 

「私を止めるのは勝手ですが、止める気なんてありませんから。女神様のありがたぁ~い魔法でも私を殺せないんです。私を止める時間があるなら、その時間を困ってる誰かのために使うべきって結論出ましたよね?宗教キチは鳥頭で困ります、御大層な使命感でも優先し――

 

『だが、今回は別だ』

 

遮るように放たれた言葉に、フルーフの口が止まった。

 

「……そう、ですか」

 

 

声色が変わっていた。

先ほどまでの軽薄さが嘘のように消え、静かな驚きと、それ以上の何かが滲んでいる。

 

 

『あぁ。私も妻も、教えや信条よりも……何を一番大切にしなければならないかは、ずっと前より心得ている』

 

「……なら、まぁ……ありがとうございます。手伝ってくださいアインザーム」

 

『……よかろう。私も事ここに至って小言を口にせん。この瞬間が、汝にとって単純な感傷以上の意味を持つことも理解しているつもりだ』

 

「わかってるなら、霧から出る鬱陶しい小言を止めてくれます?後、貴方にも結構意味のあることですよね?素直に、無言で、迅速に……協力してくださいね?それと、その姿は慣れないんで早く戻ってください」

 

『仕方がないな』

 

 

俺は目の前で繰り広げられる会話に耳を傾けていた。

話の内容は要領を得ない部分が多い。

 

だが、二人の間に流れる空気から読み取れるものはあった。

この霧に覆われた男は、協力者として見るのが自然だろう。

 

 

「横から失礼する」

 

俺は一歩前に出て、霧の中の男に向き直った。

 

「私はこちらの悪魔と契約したデンケンと申します。貴方は我が妻、レクテューレの蘇生に協力してくれる者、という認識で間違いはないか」

 

『……悪魔?』

 

 

霧の奥で、男が僅かに身じろぎした気配があった。

 

 

『汝……とうとう自称人間の名乗りを捨て、女神の敵を名乗り始めたか』

 

「違います。その場の流れで……」

 

フルーフが額に手を当て、深い溜息を吐いた。

 

「わかっててやってますよね?クソ腹立たしいんで、今すぐ止めてくださいませ、この腐れ厨二病」

 

 

何だ。

悪魔……ではないのか?

 

困惑する俺を余所に、フルーフは苛立たしげに手を振った。

 

 

「デンケンさんが困惑してるじゃないですか。取り敢えず聞かれたことだけ答えてください」

 

『汝、困惑させたことは謝罪しよう』

 

 

男の声が、俺に向けられた。

 

 

『その言葉通り、今回限りとなるが……私はこの蘇生の儀において、邪魔立てすることもなく協力すると約束しよう。私が行うのは簡単な治療と診断だけだ。フルーフから何を聞かされたかは私の関与する所ではない。だが、この蘇生はフルーフにとって大きな意味を持つ……それは私にとってもだ』

 

 

そう口にしながら、男は懐から何かを取り出した。

重金属の塊のような本。いや、表紙部分に刻まれた模様には見覚えがある。

 

あれは聖典だ。

 

この男……僧侶か。

 

女がレクテューレを地面にそっと下ろし、巻き付けていた黒い布を丁寧に解き広げていく。

 

物言わぬ遺体が、月明かりの下に晒された。

 

 

「……よし」

 

 

フルーフの声が、俺の意識を現実に引き戻した。

 

 

「いいですかアインザーム。私が蘇生した後、目を覚ます前に、すぐに意識を落として、痛覚を完全に麻痺させてください。私の見立てでは魂から生まれる魔力の異常が原因による衰弱死です。貴方はその宗教魔法で全身に他の異常がないかを診断してください。その後、私が魂に特殊な施術を施し治療します」

 

『以前、全身を一から作り直していなかったか?』

 

「あれは最終手段ですよ。それらしい遺体は作れますが、まだ全然研究資料も足りていません。……魔族の身体は例外ですが、人間だと何度か失敗しています。今回は丁寧に、失敗しない堅実な方法で蘇生を行います」

 

フルーフは一度言葉を切った。

その視線が、横たわるレクテューレの顔に注がれる。

 

 

「それに、そんなやり方じゃ……私の悔いは消えてくれないんですよ」

 

『そうか』

 

男の声が、僅かに柔らかくなった気がした。

 

『お前がそんなザマでは、天国から見守る彼女が悲しむだけだ。と、言うべきだろうが……今回は止めておこう。お前が、天国にいる彼女に贈る集大成のお披露目だからな』

 

「はいはい、口調崩れてんぞロリコン愚息。では最終準備、しましょうか」

 

『はぁ……よかろう。成すべきことは心得た。やるからには失敗は許されんぞ』

 

「誰にもの言ってるんですか?」

 

フルーフの声に、初めて熱が籠もった。

 

「あの時とは……経験も技術も違うんですよ。私は助けられる。あの娘と似たこの娘を助けられるんです。それだけの経験を積んできました」

 

彼女は両の拳を握りしめ、低く、しかし力強く宣言した。

 

「完全な死だろうと不治の病だろうと、二度と邪魔はさせない。愛し合う夫婦は生涯一緒にいなきゃならない。それが正しい世界のあり方ってものですよ」

 

 

 

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