Memento Vivereー生きる意味を忘れるなー【完結】 作:ごすろじ
▶デンケン視点
レクテューレと想いを通わせてから、季節は二度巡った。
毎日が、満ち足りていた。
朝、笑顔の彼女と挨拶を交わし。
夜、彼女の「おやすみ」という声を聞いた後、眠りにつく。
そんな穏やかな日々が、俺の心を温かく満たしていく。
マハトとの訓練も順調そのもので、最近では「私の知る魔法使いと比較しても、遜色ないレベルに達しつつあります」と評価されるまでになっていた。
だが、幸せであればあるほど、胸の奥に小さな棘が刺さるのを感じていた。
このままでは、いけないのだと。
現状の俺は、グリュック様に庇護されている居候に過ぎない。
一方、レクテューレはこのヴァイゼを治める領主の、たった一人の愛娘だ。
身分が違いすぎる。
彼女を本当に俺のものにするには。
彼女の隣に立つにふさわしい男になるには……このままでは駄目だ。
「……本日は何時にも増して、集中力が乱れていますね、デンケン様」
「……すまない」
「何か、お悩み事でも? レクテューレ様のことですか」
図星を突かれ言葉に詰まる。
この魔族はいつも俺の心の内を見透かしてくる。
「……マハト、聞きたいことがある」
「何でございましょう」
「……その、結婚というものについて、だ」
マハトの表情は変わらない。
だが、その瞳の奥に、好奇心の光がわずかに宿ったのが分かった。
「ほう。やはり、レクテューレ様のことでしたか」
「……ああ。貴族の結婚には様々な条件が絡むと聞く。特に、家柄や身分の差は、重要な障壁になるのだろう?」
「その通りです。特に貴族階級においては、血筋や財産、社会的地位が個人の感情よりも優先されることが多々あります」
やはりか。
「俺には……何もない。血筋も、財産も。レクテューレにふさわしい男になるには、どうすればいい」
マハトは少し考えるような素振りを見せた後、淡々と、しかし的確に答えた。
「グリュック様と周囲が認めざるを得ないほどの、客観的な実績を作ることでしょね。例えば、ヴァイゼの魔法使いとして確固たる地位を築き、功績を上げる、などでしょうか」
軍属か。
確かに……それならば実力次第で身分も、安定した給金も得られる。
「俺に、できるだろうか……」
「デンケン様の実力と才覚があれば、十分可能でしょう。ただし」
マハトの言葉が、そこで一度途切れた。
「ただし?」
「軍務は常に危険を伴います。最悪の場合、レクテューレ様を深く悲しませる結果になる可能性も、考慮せねばなりません」
その言葉が、重い鉛のように胸に沈んだ。
だが、このまま彼女の優しさに甘え続けるわけにはいかない。
前に進むためには、リスクを冒すしかないのだ。
その夜、俺は一人書斎で夜が更けるまで考え抜き、固く決意を固めた。
▶レクテューレ視点
最近、デンケンの様子が少しおかしい。
訓練への集中力は以前にも増して凄まじく、夜遅くまで書斎に籠って魔法に関する本を読み耽っている。
それはいつものことだけれど、時々、ふとした瞬間に、何か遠くを見つめるような、思いつめた顔をするようになった。
「デンケン、大丈夫?」
夕食後の読書の時間、心配になって声をかける。
「ああ、大丈夫だ」
そう言って微笑むけれど、その笑顔の裏に、何か隠しているのが分かってしまう。
「何か悩み事があるなら、私に話してくれないかしら?」
「……レクテューレ」
デンケンが読んでいた本を閉じ、真剣な顔で私を見つめた。
「俺のこと、本当に好きか?」
あまりにも唐突な質問に、心臓がどきりとする。
「もちろんよ。愛してるわ」
「どんな俺でも?」
「どんな、って……?」
デンケンが、一度大きく深呼吸をした。
「もし俺が……しばらくの間、この屋敷から遠くへ行くことになっても、気持ちは変わらないか?」
心臓が、冷たい手でぎゅっと鷲掴みにされたような気がした。
「遠くって、どこへ行くの?」
「……軍に入ろうと思う」
一瞬、息が止まった。
軍――それは、魔物や、時には魔族とも戦う、命の危険がすぐそばにある場所。
「どうして、急に……」
「レクテューレに、ふさわしい男になりたいんだ。今の俺はグリュック様に養ってもらっているだけの、ただの居候だ。このままでは、堂々と君との結婚の許しを請うことすらできない」
――結婚。
その言葉に胸が震えた。
デンケンは私との将来を、こんなにも真剣に考えてくれていた。
でも――
「私は、今のままのデンケンで十分よ」
「レクテューレ……」
「身分なんて関係ないわ。私はデンケンが好きなの。他の誰でもない、デンケンという人が」
「だが、世間はそうは見ない。グリュック様も決して認めてくださらないだろう」
デンケンの言葉は、悲しいけれど正しい。
お父様は優しいけれど、領主としての立場がある。
この城塞都市で領主として君臨し続けるには、弱みの一つで致命打になりかねない。
マハトのおかげで平定に近づいているとは言え、根深く腐敗した政治闘争は常にお父様の命を脅かし続けていた。
「それに」
デンケンが私の手を取った。
その手は彼の覚悟を物語るように、少しだけ冷たかった。
「レクテューレを守れる力が……立場が欲しい。胸を張って君の側にいられるだけの何かを、俺は自分自身の力で手に入れたい」
その真剣な眼差しに、私はもう何も言えなかった。
デンケンは私のために強くなろうとしている。
私の未来のために、危険な道を選ぼうとしている。
嬉しい。
誇らしい。
でも……それと同じくらい、悲しくて怖い。
「……いつ、行くの?」
「来月、入隊試験がある。それを受けようと思う」
来月。
あと、たった数週間しかない。
「……寂しくなるわね」
「手紙は必ず書く。休暇が取れたら必ず会いに来る」
「約束よ?」
「ああ、約束だ」
デンケンが私を強く、でも壊れ物を扱うように優しく抱きしめた。
この温もりを、しばらく感じられなくなる。
その事実が鋭い痛みとなって胸を締め付けた。
でも、彼の決意を止めることはできない。
止めたくない。
これが彼が私に示す、愛の形なのだから。
私はそれを信じて待つしかないのだ。