ヴァルキューレの狼 作:アホの子ヴァルコ
報告書 「生徒誘拐事件」
ガタン、ゴトトン……ガタン、ゴトトン……。
振動と風切り音。耳は痛いし腕も痺れてきた。無謀だったかもしれない。
でもこの線路の先なら、もっと生きやすいかもしれない。私は賭けに出た。
走り続ける電車が向かう先。そこが、砂漠じゃないことを願う。
ガタン、ゴトトン……ガタン、ゴトトン……。
自室の硬いベッドで目を覚ます。懐かしい夢を見た。
机の置時計を確認すると総員起こしの五分前。いつも通りの起床。
お隣さんに配慮して、静かにベッドを整えたら柔軟体操で体を解す。
≪ おはようございます。ヴァルキューレ警察学校が、朝の七時をお知らせいたします ≫
学校の敷地内に設置された屋外スピーカーから聞きなれた自動音声が流れる。
格子付きの防犯窓から空模様を確認。いい天気。自転車で警らするにはちょうどいい。
さてと、そろそろ巡回の時間だ。体操を切り上げて扉の前で待機しておく。
「起床時刻だぞ! 全員、速やかに起きろ!」
荒々しい呼びかけ。慣れてない子は面食らうだろう。
まあ、そんな繊細な子が来ることはない。だってここは―――
「501番! 起きているな? 本人確認を行う。顔を見せろ」
「ん」
「よろしい。次! ……201番と202番! さっさと起きて返事をしろ!」
ここはヴァルキューレ警察学校の留置施設。逮捕された被疑者が収容される牢屋だ。
D.U.地区で事件や騒動を起こした素行不良の問題児が嫌になるほどやって来る。
大人は別の牢に送られるからここにはいない。キヴォトスの大人はろくでもない奴が多い。
収容された子供たちに余計な影響や悪知恵を与えないための措置、って前に聞いた。
見回りと点呼に異常がなければ朝食の時間。食事当番の生徒が数名現れて準備を始めた。
本日のメニューはコッペパンと牛乳とバナナ。個包装のイチゴジャム付き。いただきます。
「501番。今日はどうする」
「出るよ。脱獄する」
「……そうか」
話しかけてきた看守に躊躇いなく答える。
脱獄を宣言する囚人と、咎めようとしない看守。普通ならありえない。
だけど例外がここにいる。私は囚人番号501番。砂狼シロコ。牢屋で暮らす未所属の犯罪者。
ん、今日は快晴の脱獄日和。
朝食を食べ終えたらさっそく脱獄しよう。
鍵は部屋のすぐ外。格子の隙間から手を伸ばして届く場所に置きっぱなし。
格子扉の見えない鍵穴を探るのもすっかり慣れた。
警備がおざなりなのは私の牢だけ。昔はちゃんと看守が管理してた。
でも今は脱獄し放題。正確には黙認。見て見ぬ振りだ。
一時釈放の手続きするのは面倒だし、ヴァルキューレがなにも言わないから私もなにも聞かない。
部屋を出たら施錠して鍵を返しておく。廊下を歩いているとお隣さんが声をかけてきたけど無視。
自分たちも出せ? 駄目に決まってるでしょ。脱獄しようなんて不届きな。
騒ぐ被疑者を駆け付けた看守が怒鳴りつけるのを他所に、私は足早に留置施設を後にした。
「あ、シロコちゃんだ。おはよう」
「ん、おはよう」
ヴァルキューレ本館の廊下は朝ということもあって慌ただしい様子の生徒が多い。
中には気さくに話しかけてくれる生徒もいて、挨拶や軽い世間話をすることもある。
「え……えっ? な、なんでここに囚人がいるのよ! 脱走!?」
でもこの子みたいに、私のことを知らない生徒には驚かれる。
囚人服だもんね。目立つから仕方ない。胸元のバッジを見るに警備局の一年生。今年の新入生だ
「ああ、そいつはいいのよ。見かけても放置するように」
「で、でも先輩? そういうわけには……」
別の生徒、三年生が割って入って大声を上げる一年生を窘める。
この人も警備局だ。ならここは黙って任せた方がいいかな。
「この囚人はこれから奉仕作業を行うの。
「奉仕? ……あ! そっ、そういうことでしたか。失礼しました」
その説明に納得したのか、一年生は口を閉じたけどこちらを見る目は冷たい。
隣の三年生も鋭い眼差しだ。こんな風に当たりの強い生徒もいる。しょうがない。
「501番、本日の予定を答えなさい」
「はい。社会貢献作業に出ます」
「ならいいわ。これ以上騒ぎを起こす前に準備を急ぐように」
「はい。失礼します」
事を荒立てる必要はない。大人しく従って移動しよう。目指すは更衣室だ。
「先輩、あれが前に言ってた……野良犬ですか」
「そうよ。ごみがごみ掃除に行くの。滑稽よね」
更衣室に到着。生徒が数人いるけど私を気にする人はいない。
というか、この時間だともう遅刻のはずだ。寝坊でもしたのかな?
さて、私ものんびりはしてられない。まずは制服を選ぶ。
動きやすさを重視して半袖ミニの軽装をチョイス。防弾ベストと手袋、ニーパッドも装備。
自転車に乗りたいからブーツはパス。ハイソックスと鉄板入りの安全スニーカーにしよう。
小物入れのウエストポーチを腰に巻いて、最後に獣耳用の制帽を被る。
続いて武器の選択。ヴァルキューレでは複数の銃器を採用していて拳銃、短機関銃、突撃銃、狙撃銃、散弾銃などがある。
今日の相棒は第3号ヴァルキューレ制式拳銃。威力は低いけど軽量で取り回しに優れる。
後は何かと便利なライオットシールド。最後にショルダーホルスターを身に付け、弾をポケットに詰め込んだら準備完了。
姿見の前で全体を確認。うん、どこからどう見てもありふれた警察官だ。
ヴァルキューレ警察学校の砂狼シロコ。よろしく。
……なんてね。本物の制服に本物の装備。でもこれだけでは駄目。まだ足りない。
胸元にぽっかり空いた空白地帯。バッジだ。所属する局と何年生かを示す身分証。
生徒手帳とセットになったヴァルキューレ生徒の証。
偽物の私にそれがあるはずない。だから代わりに略章を装着してごまかす。
今から私はヴァルキューレの誰かになる。D.U.の治安維持に努めるのが役目だ。
「お邪魔します」
更衣室の次に向かったのは生活安全局。
一言で表すと町のお巡りさん。市民の小さな困りごとや軽犯罪なんかを対応している。
はっきり言えば、ヴァルキューレの一番下っ端。
ほとんどの生徒はすでに警らに出かけていて残ってるのは留守番くらいだ。
でもたぶん、あの子は……うん、いたね。思った通り、デスクで欠伸しながらスマホを弄ってる。
「フブキ、おはよう」
「んお? あー……おはよ~、シロコちゃん」
合歓垣フブキ。安全局の一年生。めんどくさがりの怠け者。
私のたった一人の友達兼対応係みたいなものだよね。
手柄を立てて昇進。……なんてことは、フブキは全く考えてない。
『偉くなっても仕事と面倒が増えるだけじゃん。卒業まで一般局員のままが気楽でいいよ~』
本人がこう言うんだもん。
そのくせに、とある真面目な生徒とペアを組むことが多いのが不思議だ。
今日はその子の姿が見えない。支所当番かな?
「キリノなら応援に出たよ。武装集団が信号機を壊しちゃって交通整理だってさー」
「……そっか。ところで」
「賞金首でしょ? ちょうど新しい手配書がきてるよ。はいこれ」
「ん」
口に出してない疑問の返答が帰ってきたけど、これはいつものこと。フブキは顔を見れば考えてることがなんとなくわかるらしい。
先読みするように言い当てられるのも慣れてきたから特に驚かない。
それよりも賞金首の情報が気になる。久しぶりの獲物だ。ぜひとも捕まえたい。
手配書に目を通す。ターゲットは機械人……オートマタか。罪状は強盗傷害。
過去にも暴力行為で逮捕歴がある。仲間が一人いる可能性有り。
人相風体を三度確認して頭に叩き込む。ん、覚えた。
「ありがとう。それじゃ行ってくるね」
「いってらー。あ、お土産忘れないでよー?」
手配書をフブキに返して立ち去ろうとすると、あからさまな要求が飛んできた。
足を止め、拳銃に手を添えながらフブキを睨みつける。
「賄賂を要求するなんてとんだ不良警官だ。逮捕するね」
「いやいや違うよ。これは情報の対価ってやつさ」
「対価か。……それなら仕方ない。マスタードーナツのボックスセットでいい?」
「最高だねぇ。んじゃ、暗くなる前には帰ってきてよ」
これはフブキとのじゃれ合いみたいなもの。お互いに冗談だってわかっててふざけてる。
ヴァルキューレは指名手配犯を逮捕して名声をゲット。
私は賞金首を捕縛して賞金をゲット。
フブキは仕事が減っておやつをゲット。
上にヨシ、私にヨシ、フブキにヨシ。治安の向上にも繋がるし良いことづくめ。さあ出発だ。
K.S.P.Dのロゴが入ったスカイブルーのクロスバイクでD.U.を警らすること三時間。
市民に聞き込みを行いながら小物を三人捕まえた。警ら中の生徒を見つけるたびに小物を預け、彼女たちにも賞金首について情報収集。
その反応は様々で、普通に対応してくれる子もいれば素っ気ない子もいる。
小物を引き渡すと途端によく喋るようになる子は……わかりやすいね。特に気にしない。
さて、ターゲットの情報はかなり集まった。出没しそうなエリアも絞り込めている。
現在時刻はお昼時。お腹空いた。まずはなにか食べよう。ここからならフブキの馴染みの店が近い。甘い物も食べたいし自転車をマスタードーナツへ走らせる。
お店のイートインスペースでマフィンに齧りつく。美味しい。
メープルシロップとバターの組み合わせにハズレは無い。しっとりとした食感で食べ応えもある。
囚人の私がこうしてお買い物できるのもフブキのおかげだ。
あの子が用意してくれた電子マネーカード。キヴォトスでは電子決済が普及してる。
どこに行ってもこれ一枚あれば困らない。
入金されているお金はちゃんと私が稼いだやつ。賞金の使い道としてはかわいいものでしょ。
マフィンを食べ終わりセットメニューのアイスティを満喫していると、店員がテイクアウト用の紙箱を持ってきた。
中身は当然ドーナッツの詰め合わせ。これで妖怪ドーナッツ娘も満足してくれるだろう。
ビニール袋を一枚もらって紙箱を包んだ後、自転車のキャリアに紐で固定。
腹ごしらえとお土産の購入は終わった。
消費した弾を自販機で補給したらターゲットの捜索を開始しよう。
目的のエリアで警らを開始してすぐ、銃声と女性の悲鳴が後方から聞こえた。近い。
リアタイヤにブレーキをかけてロック。減速しながらギアを落として車体を傾ける。
遠心力でリアを強引に滑らせてスピンターン―――成功。全力で加速して現場に急行する!
助けを求める声を頼りに道を進むと、脇道から少女が一人飛び出してきた。
その子はトリニティの生徒で友人と買い物の途中、二人組の機械人に襲われ友人が連れ去られたと言うのだ。
犯人たちは現場を徒歩で逃走。急げば追い付けるかもしれない。
ヴァルキューレに通報するように伝え、その子と自転車を置いて逃走先の路地に飛び込んだ。
しばらく進むと二股の別れ道。地面を確認すると砂埃が片方だけ散っている。
それとコンクリート製の塀に何かが擦れたような跡を発見した。
(犯人は機械人って言ってた。もしかして装甲をぶつけた? よし、こっちに行こう)
痕跡を頼りに細い路地を進み続けた先で……見つけた。
朽ち果てそうな廃墟。そこから男たちの声と女の子の泣き声が聞こえる。
少し盗み聞きをしたところ、トリニティの生徒を見て身代金目当てで衝動的に暴挙に出たようだ。
ところが誘拐した生徒があまり裕福ではない家の子らしく、高額の身代金が望めないと知って、機械人たちは責任を押し付け合いだした。お粗末すぎる。
キヴォトスで身代金を目当てに生徒を誘拐するのは割に合わないと思う。
なぜなら、大抵の学校には治安維持の実働部隊や組織が存在するからだ。
彼女たちは弱者じゃない。生徒を狙えば、同校生から高確率で報復を受けるだろう。
ましてやキヴォトス三大校の一つ、トリニティ総合学園には正義実現委員会という巨大な組織があるからね。だからこそ、今になって揉めているんだろうなぁ。だめじゃん。
ところで、二人組の『機械人』と聞いてもしやと思ったけど……犯人の片方、ターゲットだ。
こういう時、なんて言うんだっけ。なんという僥倖、だったかな?
見たところ、武装はそれぞれ短機関銃と拳銃のみ。重火器や手榴弾とかは持ってなさそう。
(どう攻めよう。脅威度は低そうだけど……)
廃墟はそんなに広くない。壁も一部壊れて穴が開いてる。忍び寄るのは難しい。
誘拐された生徒は非武装で未拘束。銃は奪われたか落としたか。隅で身を小さくして泣いてる。
男たちとの距離は少しあるね。……時間をかけると人質にされそう。やるなら速攻勝負。
強襲を選択。まずはターゲットの機械人。私に背中を向けているから不意が突けるはずだ。
左手に盾を構えてギリギリまで足音を消して接近。
飛び出してターゲットの後頭部を掴み、壁に思いっきり突き飛ばす。
「なんだ!? くそっ、ヴァルキューレじゃねえか!」
もう一人が悪態をつきながら短機関銃を発砲。中々反応がいい。でも残念、盾がある。
ヴァルキューレのシールドは丈夫で拳銃弾くらいなら防げる。身を屈め、円形の盾で頭部と上半身をカバーしつつ、制式拳銃で反撃。装甲持ちの機械人だから狙うは頭部だ。
万一に備えて、相手のカメラアイを避けて眉間をヘッドショット。ワンダウン。
ターゲットの方は……顔を左手で押さえて呻いている。でも銃を手にしたままだ。
私は油断しない。演技の可能性があるからね。
短機関銃を握っている右手に三連射。銃を落としたことを確認してから距離を詰めて追撃。
顎を狙って三日月蹴り。鉄板入りのスニーカーだから機械人を蹴っても足を負傷したりしない。
ターゲットは半回転しながら再び壁に叩きつけられ、意識を失った。ツーダウン。ん、楽勝。
ウエストポーチからワイヤー入りの結束バンドを取り出し機械人の手足を縛る。
武器も取り上げた。念のため装填されてる弾とマガジンは抜いておく。
さて、誘拐された子は大丈夫だろうか。
声を掛けながら近寄ると……わっと。正面から抱き着かれて泣き出した。
困った。こういう時、どう慰めればいいんだろう。
適当に頭を撫でてあげてると複数の足音。誰か来る。視線を向ければ―――正実?
「こちらは正義実現委員会です! 全員、動かないでくださ……あれ?」
黒を基調としたセーラーに赤いラインが目立つ制服。同色のベレー帽。
間違いない。正義実現委員会の子が二人。それと私に助けを求めた子も一緒だ。
あまりに早い到着に驚いたけど、正直に言って助かった。泣く子を任せられる。
正実が現れたのはトリニティの子がヴァルキューレではなく、正実に通報したからだった。
本部に通報が入り、現場近くにいる部員を探したらD.U.に遊びに来てた子が二人いて、その子たちが急行。通報した子と合流して駆け付けた。……ということらしい。
うーん、これは困った。私は脱獄中の囚人が化けてる偽警官。
理由があってやってるけど、監督役が不在の状況で他所の治安組織と揉め事は起こしたくない。
(でもここって、ヴァルキューレが治安活動に当たってる土地なんだよね……)
ていうか、この機械人たちを連れてかれると賞金がもらえない。それは嫌だ。
(駄目元で交渉……。いや無理か。今回は諦めるしかない)
そんなことを考えてたら正実は犯人を置いて引き上げるらしい。え、いいの?
正実のリーダーに状況を報告したらそう命令されたんだって。
『ヴァルキューレが逮捕まで終えているなら手を出すな。横取りになる』
『トリニティの生徒が世話になったと感謝を伝えて、速やかに撤収しろ』
助かった。面倒な事態にならなくて本当に良かった。それじゃあ私も失礼します。
気絶した機械人たちを自転車まで運ぶのは大変だけど賞金のためだ。頑張ろう。
賞金首たちを牽引ロープで縛りあげ、自転車で引きずりながら帰宅。
その途中、公衆電話でヴァルキューレに一報を入れておいた。正実からなにか連絡が届くかもしれないからね。
報連相を怠ると後で叱られる。こういう時、自分のスマホがあればなと強く思う。
欲しいけど私は囚人。お金だけでは解決できない問題もあるんだ。
トラブルもなくヴァルキューレに到着。正面玄関の立ち当番に賞金首をパス。後は任せよう。
自転車を駐輪場に返却。お土産を持って安全局へ―――
「シロコ、待て」
「ん」
背後から呼び止められた。振り返るとしかめ面のカンナが仁王立ち。もしかして待ち構えてた?
危険を察知! 逃亡に……失敗。アイアンクローで捕獲されて取調室へ連行。
残念、私の脱獄はこれで終わってしまった。
取調室で奥の椅子に座らされた後、カンナはすぐに戻るとだけ言って部屋を立ち去った。
ヤバい。心当たりがありまくる。どう考えても正実の一件だよね。
でも怒ってる様子ではなかった。脱獄は
「……もしかして他になにかやらかしてる?」
本日の行動を振り返り、記憶を整理しているとカンナが戻ってきた。
片手におぼん。そこには丼が一つ。ほんのりお醤油と油の匂い。カツ丼だ!
「食べながらでいい。私の質問に答えろ」
「わかった。はやくちょうだい」
「…………はぁ」
カンナが視線を少し上に逸らして、数秒黙り込んでからため息をこぼした。
たぶん、私の獣耳がソワソワしてるからだ。
勝手に動くんだから仕方ないでしょ。カンナだって同じくせに。
ねえ、カツ丼まだ?
醤油とお出汁のツユが衣に染みてる。私の好きなカンナのカツ丼だ。美味い。
話の内容はやっぱり正実のことだった。トリニティ生徒との遭遇から事件解決まで、時系列順に聞かれたことに答えておしまい。叱られなくて一安心。
「ティーパーティーと正義実現委員会、双方から感謝が届いた。上の連中は鼻高々だろうな」
「そうなんだ。ならよかった」
私もこれで堂々と賞金がもらえる。楽しみだ。
「聞き取りはもういいよね? だったら少し話そうよ。ふたりきりで話すの久しぶり―――」
「無理だ。供述調書を作成して正実に送る必要がある。今度にしてくれ」
「―――そっか。なら仕方ないね。カツ丼美味しかったよ。ご馳走様でした」
もっとカンナとお話ししたかったけど忙しいなら諦める。でも、ちょっとだけわがままを許して。
私は制帽を脱いで、なにも言わずに少しだけ頭を前に差し出した。
「……シロコ。今日はよくやった」
カンナは苦笑しながら私の頭に手を乗せてくれた。ん、もっと撫でろ。
カンナとお別れして安全局へ向かうと朝より生徒の数が増えてる。
もうすぐおやつ時。警らから戻ってきた子たちが、報告書を作成してるみたいだね。
邪魔をしないように静かに歩いてフブキの元へ。
書類とにらめっこしてた彼女のデスクに紙箱をそっと置いた。
「ただいまフブキ。これ、約束のお土産」
「あ、お帰りシロコちゃん。いやあ、ちょうど休憩しようと思ってたところなんだよ~。あー疲れた疲れた。糖分補給しなきゃねぇ」
フブキはそう言いながらボールペンを放り出し、紙箱を開封してるけど……書類の記入欄はどれも真っ白だ。本当に仕事してたの?
私の疑問をフブキはスルー。紙箱に入ってた紙ナプキンで手を拭いてドーナッツをぱくついてる。
「はむ……ん~、うまい! やっぱりこの味だね。シロコちゃんも食べなよ」
「ううん、いい。私はカツ丼を食べたばかり。それよりあの賞金首、捕まえたから」
「おお、やるねぇ。んじゃパパっと手続きしよっか」
フブキと一緒に生活局の空いているパソコンに向かう。
席に着いたフブキに操作を任せ、私はマネーカードをカードリーダーにセットした。
このカードは口座からの自動引き落としではなくて、カードそのものに電子マネーを入金する仕組みだ。つまりカード=私の全財産。
セキュリティを考えると不安な面もあるけど他に選択肢はない。
だって未所属で囚人の私が銀行口座を開設するのは無理だもん。
スマホが持てないのも同じ理由。通信契約を結ぶための支払い用口座と身分証が用意できない。
思うところがないわけではないが、これは全て自業自得。私が悪いことをしたからだ。
罪を犯したことの結果が返ってきているだけ。だから……ため息を飲み込んだ。
「オッケー。終わったよシロコちゃん。はいこれ……シロコちゃん?」
「あ、うん。ありがとう。それじゃあ私は着替えとかあるから、またね」
マネーカードを受け取って返事もそこそこに安全局を退室。シャワーで気分転換しようかな。
「あー……これはちょっと危うい感じかな。局長に報告しとくか」
装備品の返却を済ませてシャワールームへ。まだ早い時間だからブースはガラガラだ。
頭から湯を浴びて汗を流す。気持ちいい。満足するまで温まったら髪を洗おう。
ブースに置いてあるボトルの中身は安い業務用。誰も使わないから大量に余ってる。
皆は私物をロッカーに預けてそれを使うんだって。でも私は安物で十分。
どうせカラスの行水だし、汚れが落ちればなんでもいいよ。
髪を泡立てたまま体も洗う。これで湯を浴びれば一度で全部洗い流せる。
前にフブキとシャワーのタイミングが被った時、微妙な顔をされたけど別にいいでしょ。
十分ほどでシャワーはおしまい。
タオルで全身を拭いて下着を着用。これは生徒のために用意された物を借りてる。
地味な色合いのスポーツタイプで完全にはフィットしないけど文句はないよ。
お洒落とかファッションとかよくわかんないし興味もそんなにない。
しいて言えば……髪。カンナみたいになりたい。昔に比べれば伸びたけどまだセミロング。
腰まで届くスーパーロングにちょっと憧れる。それと胸。おっきいよね。いいなぁ。
洗濯された囚人服に着替えたら元通り。囚人の砂狼シロコだ。
後は備え付けの洗濯カゴに洗い物を全部投入。これで洗濯当番がランドリールームに運んでくれるからお任せでいい。
さあ、本日の脱獄はおしまい。部屋に戻って用事を片付けよう。
留置施設に戻ってきたら馴染みの看守係長に報告。早めに戻ったからお小言はなかった。
看守の詰所と取調室を通り過ぎると二重扉が見えてくる。その先が居室エリア。
長い廊下の片側だけが牢になっていて、まずは単身用の独居房がずらっと並んでる。
奥に進むと複数人で収容する雑居房。ここの一番手前が私の部屋だ。
元は六畳の広さの四人部屋。一人で暮らすには贅沢すぎる。
でもこれはヴァルキューレが決めたこと。遠慮なく使わせてもらってる。
鍵を使って格子扉を解錠。牢に入ったら扉を閉めて、格子の隙間から鍵を回して施錠する。
鍵を返したら脱獄終了。朝の脱獄の逆の手順だ。
お隣さんがまた騒いでるけど無視。看守からも相手にするなと言われてるしね。
部屋には一人分のパイプベッドと机と椅子。それと備え付けの小さな手洗器とトイレがある。
当然だけどトイレはむき出し。一応、衝立はあるよ。でも便器に座ったときに廊下から大事なところが見えない程度の高さしかない。
私は平気。だって
脱獄から帰ってきたら必須な作業がある。それは報告書の提出だ。
これを出さないとカンナに叱られる。面倒だけど、次の脱獄のためにも頑張ろう。
机に向かってタブレットを起動。報告書のテンプレートを呼び出し、必要事項を入力する。
コピペできるところは手抜きして……ん、できた。送信ボタンを押して提出完了。
このタブレットはヴァルキューレからの支給品。
イントラネットに接続されていて書類とかの提出は可能。でもインターネットは未接続。
必要最低限のアプリしか入ってないし、Wi-Fi接続は機能そのものがない。
電源供給を兼ねたUSBの有線接続のみだ。もうちょっと遊べたらいいのに……残念。
タブレットの電源を落として机の置時計を確認。もうすぐ夕食の時間。
やることもないしベッドでゴロゴロしてると看守がやってきて点呼を開始。朝ほど荒々しくはないけど、指示に従わない子は怒鳴られる。一人、抵抗して騒ぎ出した。
私はそんな無駄なことやらない。牢の中で虚勢を張っても見苦しいだけだ。
法を無視して好き勝手やって、挙句の果てに逮捕されたなら負けなんだよ。
負けたなら―――従うべきだ。
抵抗し続けたお馬鹿は罰として夕食抜きになった。後悔してるみたいで泣き言が聞こえる。
私はそれを聞き流して夕食を味わう。いつもと変わらない冷えたお弁当だけど美味かった。
夕食の後は消灯まで自由時間。……なんだけど、暇を潰せるものがないんだよね。
タブレットに学習用アプリが入ってるけど最近は起動してない。自習はもう飽きちゃった。
柔軟体操もやりすぎると逆効果で関節を痛める。うーん……早いけど寝ようかな。
天気がよければ明日もまた脱獄するし、賞金首が出たら捜索で走り回るだろう。
よし、寝よう。ベッドに横になって毛布を頭までしっかり被った。
牢屋の硬いベッドだけど清潔な枕とシーツと毛布がある。
砂嵐に叩き起こされる心配もない。素晴らしい。
ん、おやすみ。
ん、ヴァルキューレの(留置施設で暮らす)者です。言葉が足りてなかった。