あくまのこ   作:江夏ケイ

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泣いてもいい

 車の窓をノックする音で目が覚めた。昨日の女性がそこにいる。

 寝袋から出て車のドアを開けた。

「様子を見に行きたい。あんたらもそうでしょ?」

 よくわかっていらっしゃる。

 若そうには見えるが、研究者なだけあってしっかりした人だ。サスケの正体を明かしても驚きもしなかったところも考えると、本当にこの人はアイヌなんだなと思う。

 濡れティッシュで顔を拭いてから、車を降りてサスケと一緒に獣道のような狭い道を進んでいくと、三軒の古い家が見えてきた。村……と表現するにはあまりにも小さいが、サスケにとってはこの三軒の民家周辺は村だったのだろう。少しだけ開かれた場所があって、草が生い茂っていたがその中心の地面は黒く、燃え尽きた炭のかけらのようなものがあった。

 この村に人がいたときには、あの場所で煮炊きをしていたのかもしれない。

 サスケは俺の斜め後ろを黙ってついてきていた。

 女性が真ん中の家の戸を叩き声をかける。何と言っているのかはさっぱりわからない。多分アイヌの言葉なんだろう。

「入って良いって」

 俺たちに声をかけて女性は家の中に入っていく。俺たちもその後に続いた。高齢の方がふたりいる、という話だったけど、一緒に住んでいるのだろうか。ということは、夫婦?

 玄関とは反対側にある軒先にその人は正座をして何かを呟きながら頭を下げていた。その肩に女性が手を添える。何かを話しかけているがやはり何を言っているのかはさっぱりだ。ただ、その正座をしている人が泣いている事はわかった。

 女性はその人の隣に座り、何やら会話をしている。会話に混じりたい気持ちはあれど、何を言っているのかわからないからどうにも出来ない……と思ったら、サスケがその人に近寄り、女性と同じように話しかけ始めた。

 そうか、サスケはここで育って、ここで人々と接してきたから言葉がわかるのか。

 当たり前のことなのに、東京でのサスケばかりを見てきたから何だか不思議な感じがする。

 その老人はとうとう泣き崩れて、床にうずくまってしまった。その老人を見つめるサスケの顔が穏やかなのを見て、うまくいったんだな、とわかった。

 その家を出てもう一軒の家に同じように入ると、もうひとりの老人は玄関で迎え入れてくれた。女性の手を両手で握って、涙ながらに何かを語っている。同じような言葉を繰り返している事に気がついて、こそっとスマホで検索してみた。

 『イヤイライケレ』……ありがとう、感謝を伝える言葉……。きっとあの女性はここに住むふたりをずっと気遣い続けてきたのだろう。

 何の話だかはよくわからないが、しばらく会話をしてからその家を後にする。

「ふたりとも、移住を決めてくれた。君のおかげだよ、サスケくん。……いや、トゥスニンケ。」

「本当に……村にはもう、あのふたりのオンネ・クルしか居ないんだな。……。」

「前はどれくらいの人がいたの?」

「昨日言ってた、五人の子とそのお母さん、そのお母さんの両親があそこの家、他のふたつの家にも、大人の人、家族で居た。儀式をしてたのはあっち。岩場がある。その岩場の上に、俺たちが一族で住んでた。」

「その一族、って何人居たの? 教えてくれる?」

 女性がサスケの目線にしゃがんで尋ねる。

「みんなで十人、儀式は雨の日以外毎日のようにしてた。だから俺たちも村の人に色んな夢を見せてた。」

 十人……の内、サスケとお兄さん以外の八人が今も米軍にいる、ということか、

「何を食べていたの? というか、お腹はすくの? トイレは?」

 研究モードにスイッチが入ったのか、女性は次から次へと質問を投げかける。神と信仰する存在が目の前にいるのだからその気持ちもわからなくはないが。

「暮らしぶりはアイヌとそんなに変わらないんだね……家がないくらいかな。狩猟もして、収穫もして、それを食べて、雨でも消えない火を扱えて……でも血液や精液を必要とする……なるほど……。」

「やっぱりパウチカムイの一種、なんですかね。」

「いや……パウチカムイはもっと違う。この村にしかいない、この村特有のカムイとしか……。ええと、本土の人に伝わりやすい言葉で表現すると、パウチカムイみたいなカムイは精霊の一種なんだ。こんなに世俗的な生活はしていなくて、もっと……表現が難しいのだけど、人智を超越しているというか、畏れの対象、というか……自然、と同じなんだ。アイヌにとっては。伝わるかなぁ~これぇ~。」

 頭を掻きむしりながらぶつぶつと呟き始めた。初対面の印象とはまるで違う、学者らしいというか研究者らしいというか。

 サスケはその様子をキョトンとした顔で見ている。

 女性はその場に残して、儀式をしたという岩場に案内してもらう事にした。行ってみたら、本当にささやかな岩場だ。人がひとり横になれるくらいの大きさの一枚岩と、それを見守るように縦に長い岩が崖を食い止めている、という印象。

「この上に住んでたの?」

「ああ、のぼったら多分俺たちの住んでた跡があるんじゃないかと思う。」

「……それ言ったら、見たがりそうだな、あの人。」

「うん、だから言わなかったけど、あの人ならその内登りそうな気がする。」

 あの様子だと、神が住んでいた跡なんて調べないわけがない。多分次にここにくる時は登る装備を整えて来るだろう。

「……まあ、村から人がいなくなるんだから、……みんな解放されたとしても、もうここには戻ってこないと思う。」

 じゃあ、どこにいくんだろうか。

 パウチカムイは一族で群れて行動すると言っていた。聞いてる限り、サスケの一族も一族で集まって暮らすんだろう。でも供物として肉体を提供する信仰者がいなくなっては、人の体液に飢えるはずだ。そうなったら、もしかしたら他のパウチカムイと同じように人を惑わせるようになるかもしれない。

 子どものサスケしか俺は知らないから、とても人に危害を加えるとは思えないけど、あの女性が言うように本来のカムイとしての姿、生き方をするのであれば、それは人にとって脅威と映るだろう。

 普通の子どもにしか見えないサスケだって、はじめて会った日は俺にとって脅威としか思えなかった。

 

 まだぶつぶつと独り言を喋っている女性に声をかける。

「ついでと言っては何なんですが、赤い目を持つ、大きな獣を操るカムイ……っていたりしますか?」

 パッと顔を上げた女性が言う。

「いや……そんなのは聞いたことがない。どこでその話を?」

「いや、心当たりがないなら良いんです。」

「気になるじゃないか、詳しく教えてくれ。」

 ナルトの中の狐を操った「赤い眼の一族」も北海道の由来じゃないかと思ったが、違うようだ。しかし女性に肩を握られては吐くしかない。

「また別の異形……人ならざるものの話でして、山の中で穏やかに暮らしていた狐の化け物が、ある日現れた赤い眼の一族に操られてしまい、人の中に閉じ込められた、という……」

 女性はサッと手を引いた。

「それはアイヌとは関係ないな、カムイを操ろう、なんて発想はアイヌにはない。そういうカムイもまたいない。」

 興味がない事にはとことん興味がないようだ。

「あ、そうだ。これ。」

 女性から名刺を手渡される。名刺交換なんてするとは思っていなかったから俺は何も持っていない。

「連絡先、登録しておいてくれないかな。また聞きたいことが出て来るかもしれないし、あんたたちもあたしに聞きたいことが出て来るかもしれない。あたしはこれまで通り、ここらのコタンの見守りと研究を続ける。もしそこのサスケくんの兄さん、らしき人を見かけたら連絡しよう。」

 あ、なるほど。俺たちがここを訪れたように、サスケの兄さんも立ち寄ることがあるかもしれない。人の目に映る姿かどうかはわからないが。

「ぜひ、お願いします。ワンギリしますね……っと、電波がないか。俺の番号はこれです。名前ははたけカカシ。」

「ありがとう、この度は思わぬ収穫がある良い出会いだった。……今後は外国人には警戒する事にするよ。」

「こちらこそ、お世話になりました。サスケの故郷も……見つかった事ですし。」

「ありがとうございました。あのふたりのオンネ・クルのこと、お願いします。」

「……任せておきな、君のおかげであのふたりの目に活力が戻った。きっと幸せな最期を迎えさせるよ。」

 女性はその……村、に残るようだった。

 獣道のような道をふたりで歩いて、車道に出る。ズボンについた葉っぱやら何やらを落として、運転席と助手席に乗り込んだら、サスケはうつむいてぽろぽろと涙をこぼし始めた。

「……もう、……誰も……村に、いない……。俺の、帰る場所……なく、なって……。」

 一族だけでなく、共生していた村からも人がいなくなる……サスケが幼いから、だけではないだろう。実家、てのは心の拠り所のひとつなわけで。それがなくなった今、サスケはきっと、すごく心細いはずだ。

……父さんが亡くなったときのことを思い出す。天井からぶら下がり揺れる身体、その後ろ姿に俺はしゃがみこんで、何が起きているのか理解できなかった。残されていた遺書も、数カ月経ってやっとその中身を確かめた。四十九日が終わってお墓の中に小さな骨壺を入れたとき、はじめて俺は大声で泣いた。独りになってしまったこと、父さんが死を選ぶほど追い詰められている事に気づかなかったこと、いろんな気持ちが洪水のように押し寄せて疲れ果てるまで泣き続けた。

 俺に抱き着くサスケを抱きしめながら、声をかける。

「俺はずっとサスケと一緒にいるよ、サスケが失った分を補えるかはわからないけどさ。悲しいときは思いっきり泣きな、つらいときも、さみしいときも。泣いていい、サスケ。我慢するな。大人になろうとするな。俺が一緒にいるから。」

 サスケは、ぼろぼろと涙をこぼしながら、声を出して泣き始めた。誰かの名前だろうか、よく聞き取れない言葉を口にしながら。

 サスケにかけたその言葉は、あの日俺が誰かに言ってもらいたかった言葉だったのかもしれない。サスケを抱きしめて、そしてサスケに抱きしめられて、はじめて俺は自分自身にも「泣いてもいい」と声をかけることが出来たような気がした。

 そう、かなしいときは泣いてもいいんだ。さみしいときも、つらいときも。

 サスケがそんな気持ちになったときに、いつでもそばにいてやりたい。泣いても良いんだよと声をかけてやりたい。

 どれだけそうして過ごしただろうか。

 サスケが落ち着くまで待って、おにぎりを食べて、それから、車を発進させた。

 予定よりも少し早いけど、空港に向けて。

 

 丸一日かけて東京まで帰ってきた。持参した寝袋や毛布が入ったキャリーケースが重く感じる。ずっと運転、というのは思っていたより疲れていたらしい。ようやく我が家に帰ってきて、ふたりでベッドに倒れ込んだ。

「カカシィー……夕ごはんマック食べたい……」

「いいねぇ……デリバリーで頼むか……」

 運転していなかったサスケもずっと座りっぱなしは疲れたようだ。予定より一日早く帰ってきた分、一日はゆっくりと身体を休めるとしよう。

「えーと……出前アプリ……、あ」

 スマホの画面、SMSに通知マーク。開いてみると、あの女性……名刺ではじめて名前を知ったが、香燐さんからだった。

『ふたりは無事に移住を終えました。改めて感謝します。』

 よかった……死を待つだけだった人が、新しい生活を始めた。

「サスケ、オンネクル……だっけ、新しい村に移ったって。サスケのおかげだよ。サスケは最後にあの村の人を助けたんだ。立派だと思う。胸を張っていいよ、ちゃんと役目を果たしたんだから。」

「やめろよ……また泣けてくるだろ。」

「泣いてもいいんだって。えーと、期間限定はピリ辛タレチキンバーガーか……。」

「俺はダブルチーズバーガー、あとポテトとコーラ。」

「切り替え早いな。俺は期間限定試そうっと。……三十分後に着くってさ。」

「来たら……起こしてくれ……。」

 ベッドに倒れ込んだそのままの姿勢で、サスケはすうすうと眠り始めた。

 半年前まで保育園の年だったわけで、学童でも昼寝の時間があるくらいだし、北海道の旅はきっとよほど疲れたんだろう。

 そんな俺も眠くなってきた。が、マックが来るまで寝るわけにはいかない。仕方なしにベッドから起き上がって、キャリーケースを開ける事にした。

 そういえば、旅の中では身体を拭いたりしただけで一回も風呂に入れなかったなぁ。拭くシャンプーもスッキリはしたけど疲れまでは癒えない。今日は湯船に湯を張るか。

 キャリーの中身を整理して洗濯機を回し、お風呂場の掃除をして熱めのお湯を出し始めたところで、玄関のチャイムが鳴った。

 扉を開けると「…………っす」と何を言ってんのかわからない配達員がマックの紙袋を差し出す。

「ありがとね」

 紙袋を受け取って扉を閉めて鍵をかけた。

 机に包み紙に入ったハンバーガーを出して、ベットに伏しているサスケの肩を揺する。

「サスケ? マック、食べよ。」

「……マック? マック食べる!」

 普通の子どもにしか見えないサスケがテーブルに向かっていって嬉しそうにハンバーガーを手に取りポテトを頬張る。

 普通の子どもにしか見えない。けど、サスケは家族を失って、故郷も失って、神としての役割を果たして……そう思うと、俺に見せている元気でわんぱくな姿は、どこか無理をしていないか心配になる。

 しかしダブルチーズバーガーを頬張る幸せそうな顔を見て、マックは偉大だと思い直した。今度から、サスケが落ち込んでるときはマックを食べる事にしようと思ったくらい、幸せそうに食べるものだから。

「ピリ辛ってどんなもんかなぁ。」

 俺も椅子に座ってポテトに手を伸ばしつつ、ハンバーガーの包み紙を開いて齧り付いた。

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