仕事から帰ったら、明るい笑顔のサスケが出迎えてくれた。クマのぬいぐるみを抱き上げながら、よたよたと歩く様子に微笑ましく思う。
「今日ナルト呼んだんだ! ナルトも貰ったって! はじめてだって言ってた! 俺もはじめてだって言ったら同じだなって!」
ふたりに……また共通項ができたらしい。
「はじめてなのも俺たちの秘密なって! ……あ、言っちゃった。」
思わず俺も笑顔になる。昨日の夜のことはサスケには内緒だ。少し大きめの宿題は抱えてしまったけど……やって良かったと思う。
「ナルトのプレゼント何だったと思う? 狐のぬいぐるみ! しかもしっぽいっぱい! くらまみたいだって!」
「サンタさんもきっと、ナルトとくらまが仲良しだってわかってたんだろうね。」
「ああ! 凄いんだな、サンタさんって!」
買い物袋を台所に置いて、コートとジャケットを脱ぐ。サスケは部屋に戻って、多分くまに何か話しかけているんだろう。嬉しそうに弾んだ声が聞こえる。
上司に感謝しつつ、夕食を作るために台所に立った。
数日後、手紙が届いた。
差出人はあの施設だ。多分これはサスケの前では見ない方がいいやつだなとカバンに忍ばせる。
施設に寄付をするときはどうも書類に寄付をしますと書かなければいけないらしく、そして書いたら寄付をしたという証明書みたいなものを受け取った。単に渡すだけではいけないらしい。
そのときに住所を書いたから、恐らくその関係の手紙だろう。それにしては、封筒が分厚い気がするが。
寄付の証明書はサスケにばれるとやばいだろ、と上司が持って行った。
サスケが寝ついてから封を開けてみたら……子どもの字、サンタクロースへの感謝の手紙……字が書けない幼い子はどうやらサンタクロースの絵……。ひとつひとつ、目を通していくうちに泣けそうになってくる。
親がいない、子どもたち。施設の職員がどんなに親身になっても、所詮「みんなの」先生であって「わたしの」ではない。施設にどれだけ絵本や漫画、おもちゃがあっても「みんなの」もの。そんな環境にいる子たちが「自分だけの」ぬいぐるみを手にしたことは、とても大きな事だったんだ。
こんな手紙を読んでしまったら、来年も何かを、と思ってしまう。けれど上司から言われた通り、一生続ける事はできない。俺ひとりだけでは背負いきれない。
……なら、他の人も巻き込めば、いいのか?
ナルトの施設だけじゃなく、全国の施設にクリスマスプレゼントを贈るクラウドファンディングを立ち上げるのはどうだろう。
……いや、でも事務的な事はあくまで俺がやらなければいけない。全国の施設を調べて、子どもの性別や年齢を調べて……サスケを見ながらバレないようにそれをするのは難しい。
……やっぱり俺には過ぎたことなのかなぁ、でもこの手紙……俺の胸だけにしまっておくのも違う気がする。
明日とりあえず、上司にも見せよう。俺のわがままに協力してくれた上司にも、この手紙は見せないと。
そう思って会社に持って行ったら、上司は「じっくり見たいから少し預かるよ」と封筒丸ごと持って行ってしまった。
そんなにじっくりと読みたいのか、いや、あの夜一緒に付き合ってくれたわけだし、読みたい気持ちもわかる。帰るときには返して貰えるだろう。
と思っていたら、帰り際に手紙と一緒にパワポのスライド資料を渡された。何だろう。
「うちの会社の社会福祉事業、聞いた事くらいはあるだろ? 毎年どこかしらに福祉車両を寄付してるあれだ。マンネリ化していて何かないか、と言われていたんだが、子どもの未来応援事業の提案をする事にした。今度のミーティングに出す資料がそれ。」
いつの間に撮ったのか、施設にプレゼントのラッピングを運ぶ俺の後ろ姿が資料の中に入っている。めくっていくと手紙のスキャンデータもすべて紹介されていた。
「……部長があのとき言っていたのは、この事だったんですか。」
〝難しい事は大人に任せておけお前はまだ若造だ〟
「二十人の子どもを背負うには、お前ひとりじゃ重すぎるからな。金がいる、人手もいる、しかし求められている、っていうのは事業化するのが一番簡単なんだ。まあ、今やろうとしているのは社内だが。今日はたけが持ってきた手紙も良い資料になった。ああ、そうそう、うちの嫁さんにも見せたいからコピーさせて貰ったよ。帰りが遅すぎるだとかお人好しが過ぎるだとかまあまあ言われてしまってね。でも手紙を読んだらきっと黙るだろうから。」
「……ありがとうございます……!」
「礼はいらんよ、若いもんの面倒見てやるのは年長者の務めだ。お前が今やるべき事は、引き取った子を育て上げる事。仕事はいいんだよ、誰かがやる。もちろんはたけにもやってもらうが仕事ばかりでも駄目だ。」
頼れる人がいるって、こんなにも心強いものなのか。父さんが生きていたら、きっと上司と同じように言ってくれた……気がする。
父さんが亡くなって、俺が上京することになって、実家は売ってしまった。帰る場所をなくすことで、退路を絶って強く生きていこうと考えて、思い出が詰まったあの家はもうなくなって今は駐車場になっている。
サスケとは違うけど、サスケと同じように俺にも帰る場所はない。だからこそ、俺がサスケにとっての「頼れる人」になりたい。実の親がいなくても寂しい思いはさせずに笑って暮らせるように。
家に帰れば笑顔を絶やさず、一緒に料理をして、一緒に食事をとって、一緒にお風呂に入って、そしてひとつだけ人間と違うのは毎晩誰かの血を飲んで夢を見せることだけ。
二年生に上がって、ふと気がつくとサスケがぬいぐるみよりも大きくなっていて、そっか、サスケはこうして成長していくんだなとぬいぐるみの頭を撫でた。
自分よりも小さくなろうが、サスケの中でそのぬいぐるみはかけがえのない友達のようだった。
どんな名前にしようか悩んでいたサスケに言ってみた「オビト」という名前を気に入って、サスケがぬいぐるみに「オビト」と呼びかけるたびに、オビトの想い、ちゃんと俺が引き継いでるよとこころの中で話しかける。
でもすくすくと育っていく反面、サスケの中では一族を攫った奴等に対する……憎しみのような気持ちが少しずつ大きくなっているのは気がかりだった。
五年生になったときにスマホを買い与えて、子どもらしくゲームでもやるんだろうなと思っていたら、少し気になってその画面を覗くとアメリカ軍のことを調べていた。
小さい学習机の一番上の引き出しをのぞいてみて見つけたノートには、日本中の米軍基地の場所、規模、装備が書かれていて、もしかしたら、大人になったら一族を取り戻しにひとりでアメリカ軍を相手にするつもりなのかと心配になる。
そのノートは見なかったことにして、家では笑って過ごすサスケのこころの中にある闇に対してどうすればいいのかわからなかった。
お兄さんの手がかりは一向に掴めないままだし、サスケがもしひとりで一族を背負って大き過ぎる敵に立ち向かおうとしているのなら、俺が頼れる大人として傍にいてやりたい。
だけど、サスケが抱えている運命の重さを支えてやれるかと思うと自信がない。
そんな引っ掛かりを感じながら迎えた小学校最後の年の、来週にも梅雨が明けるというタイミングで香燐さんからSMSが届いた。
『フチは村の人に見守られながら穏やかに旅立ちました。』
……サスケの見知った村の人はこれで、最後のひとりを残すだけになった、ということか。
伝えるべきか、少し悩んだ。サスケは悲しまないだろうかと。でもアイヌの中で育った子だから生きることも、死ぬことも、身近なものだったはず。……サスケならきっと受け入れられる。
「……サスケ、覚えてるか? 一年生のときに北海道、行ったろ。そこで村のお年寄りをふたりお前が導いて他の村に……」
「……死んだんだな。」
サスケは頭の回転は早い、賢くて察しがいい。とはいえ、これだけの情報ですっとその言葉が出てくるとは思わなかった。
「どんな最期だったか、わかるか。」
俺は香燐さんからのメッセージをそのまま見せた。
「サスケのおかげで、穏やかに旅立っていったみたいだ。」
「……そうか。」
スマホの画面をじっと見つめながら、サスケは口を結ぶ。
……もしかして、サスケは……俺といるとき、笑っているふりをしていないだろうか。
笑顔の絶えない家庭に、と思っていた俺の考えを読んで、俺が望む家庭になるように演技をしていなかっただろうか。
スマホの画面を見つめるその顔は、いつも見せている笑顔とはまるで違う、もっと大人びた顔で。
俺はもしかして、とんでもなく大事なことを見落としてはいないだろうか。
家族がいないことを感じさせないようにと思ってきたけど俺が思っていた以上にサスケにとって実の家族は大切で、忘れる事なんて出来ない重要な出来事で、だからスマホでも一族を攫った「敵」のことを調べていて、ノートにもまとめていて、ニュースでアメリカ軍がどこかを攻撃したと言っていれば食い入るようにその画面を見つめていて、平和で穏やかで笑顔の絶えない家、は、サスケが求めているものとは違うんじゃないだろうか。
俺はサスケにとっての頼れる大人になれていないんじゃないだろうか。
そもそも人間じゃないサスケを人間と同じように育ててきた事は間違っていたんじゃないだろうか。
笑顔で家を出ていくサスケを見送りながら、あの笑顔も俺に心配をかけまいとする演技ではないかと思えて、どうするべきなのかわからなくなった俺はナルトに会いに行っていた。
「あ、えーと、サスケの! 何の用事だってば。」
「学校でのサスケの様子を聞きたくてさ、最近どう?」
「どう……って、サスケの親代わりなんじゃないのか、俺に聞かなくてもわかるだろ。」
「友達にしか言わない事とかあるんじゃないかなって思ってさ。」
「……それなら俺から言える事は何もねえってばよ。自分で聞いたら良いんじゃねえの。逆に聞くけど、家ではサスケはどんな感じなんだ?」
「……よく笑ってる。俺の作る飯もうまいって。一緒に風呂に入りながら学校での話も聞かせてくれる。」
「……なら別に俺に聞く必要ねえだろ。」
「その笑顔のサスケがなんだか、無理してないかなって心配なんだよね。で、ナルトに聞いてみようかと。……駄目だったかな。」
ナルトは頭の後ろで手を組んで、俺に背を向けた。
「……今から俺ってば、ひとりごと言うけど、誰も聞いてねーと思うから言うだけだからな。……サスケは俺たちは十二歳で一人前になるっつって、中学に行くつもりねえんだよな。家族を取り戻すって聞かねえから、そんときは俺も一緒に行ってくらまを出して暴れさせてやる! って約束してんだ。サスケのことは大体何でも知ってるから、俺も白い服の奴らのこと許せねー、って言ったらありがとうとは言ってたけど、サスケの奴……多分ひとりで何とかしようとしてっから、俺も何とかしてえ、と思ってる。」
「……サスケ、やっぱり……」
「ひとりごと、終わり! 俺もう帰るからな。サスケのこと……頼んだぜ。」
遠ざかっていくその背中を見守りながら片手を上げかけて、その手を見た。
俺は……サスケに何をしてやれる、サスケの思いにどう答えたらいい。それとも、今までのように家では笑顔を絶やさないようにした方がいいのか。
十二歳……六年生のうちにサスケは十二歳を迎える。誕生日がいつなのかわからないけど、夏だと言っていた。あまり猶予はない。
家に帰ると、サスケは部屋から出てきていつものように出迎えてくれた。今日の晩飯は? と聞くその表情、弾んだ声、作り物とは思えない。
俺はサスケにとっての帰る場所になっているのだろうか、それともあくまでサスケの帰る場所は、あの森の中の村の上で暮らす家族なんだろうか。
「カカシ? どうかしたのか?」
「ああ、ごめん明日の会議のこと考えてた。今日はカレーだよ。」
「なら、俺イモとニンジンの皮剥く」
台所で手を洗って冷蔵庫から野菜を取り出すその姿は、幻なのか、それとも……。
「日本の首都……東京なら何か手掛かりがあるかと思ったが、当たりだったようだ。」
黒く長い髪を首より少し下で結った若者が、交番に貼られた色褪せた張り紙に指をそわせる。
「連絡先……この警察署か。直接行った方が早いな。しかし……身分証もない、住民登録もない、戸籍もない。そんな俺が保護者だと名乗り出たところで相手にして貰えるかどうか……。」
その隣に立つ大男が、見た目に反して礼儀正しい口調で声をかける。
「それは弟さんも同じはずです。むしろ、それこそが証明になると私は思いますがねぇ。」
黒髪の若者は、表情を変えずに「そうかもな」と呟いた。
梅雨が明けて熱帯夜が続き始めた、ある日の夜の事だった。