「ユプ……? ……イタ?」
イタチを見ながらサスケは戸惑っていた。俺の方には目もくれない。
「……サスケ、本土の言葉で話せるか。」
「話せるわけ……あれ、え? わかる……なんで。」
記憶がなくなったのか、強制シャットダウンの影響で混乱しているのかわからない。ただ今の様子からすると、何も覚えていない様子だった。
「俺声が……変だ。兄さんも、大人みたいな……俺はいつからどのくらい寝てたんだ? まさか、何年も……?」
「落ち着け、サスケ。お前は今十二歳だ。ここは本土にあるこの国の中心にある街で、ここにいるカカシさんの家であり、サスケの家だ。」
「待ってくれ、頭が追いつかない。十二歳? 六年も眠ってたのか? 俺の家、って、どういう……。」
サスケは隣にあるぬいぐるみを抱きしめた。
「〝オビト〟……俺は一体どうなって……。」
オビト、ぬいぐるみのことをサスケは、オビトと確かに言った。記憶は、完全には消えていない……!
「……そのぬいぐるみ、大切なんだな。」
「もちろんだ、俺の相棒……あれ、誰から貰ったんだっけ……。」
完全には消えていないとはいえ、サスケはこの六年間の事をほとんど何も覚えていないみたいだった。
俺のことも、学校のことも、ナルトのことも一緒に暮らしてきたこの家のことも。
「父さんたちはどこにいるんだ? ……そもそも、何で俺は本土に? カカシさん……は何で俺と家が同じなんだ。俺が寝ている間に何があったんだ。」
そんなサスケの様子を見て、イタチは俺の方を向いて首を振った。
こんな様子だととても学校には行けない。きっと、サスケはイタチと一緒に暮らすのが、一番……。
「サスケ、腹は減っていないか。まずは食事を取ろう。」
「……あ、うん、減ってる。今日はどんなお供物だった……あ、村じゃない、から、そういうのもない、のか。」
村にいたときまで記憶が逆行してしまっている? 白い服の集団のことも研究所のことも、記憶にはなさそうだった。システムが入れられた後の記憶ではなく、平和に村の人と生活していた頃までの記憶しか。
「カカシさん、夕食をお願いしてもいいですか。もう少しサスケと話をします。」
「……支度が終わったら呼びます。」
立ち上がって、サスケの部屋から出る。出た瞬間に、目頭を押さえて深く息を吐いた。
この六年間、色んなことがあった。ずっとサスケと一緒だった。俺の生活にサスケの存在はなくてはならなかった。
でもサスケは、その六年間を何も覚えていない。
夕食、か。
サスケの好きなものにしよう。サスケが落ち込んでいるときにいつも食べていたハンバーガー……。
スマホの出前アプリを立ち上げて、いつものようにダブルチーズバーガーを選ぶ。
……食べたら、何か思い出してはくれないだろうか。サスケがぬいぐるみにオビトと呼びかけたことが唯一の希望だった。
自分のベッドに座ってぼうっとしていたら、玄関のチャイムが鳴る。いつもの声の小さい配達員が紙袋を差し出し、俺はそれを受け取る。
サスケの部屋をノックして、「出ておいで」と声をかけた。
テーブルのサスケの席に包み紙にくるまったハンバーガーを置く。セットのポテトと、コーラも一緒に。
部屋から出てきたサスケはキョロキョロと部屋を見回しながら、イタチに促されてテーブルについた。いつものその席に。
「……どうしてそこに座ったの?」
「駄目でしたか? 場所を変え……」
「いや、合ってるよ。大丈夫。」
「……? ありがとうございます。頂きます。」
ハンバーガーを手に取って、普通に包み紙をめくって、普通にかぶりつく。
……ハンバーガーの食べ方を知っている……。
ポテトに手を伸ばして、口に入れた。
……これも、知っている。
はじめてハンバーガーを食べたときのような戸惑いを感じない。……やっぱり、記憶は完全には失われていない。
でもどうやったら、この六年間の事を思い出してくれるだろうか。
「……おいし、い。なにか……気持ちが、なんだろう……これ、は……嬉しい……?」
ハンバーガーを手に持ったまま、サスケが呟く。何て声をかけるのが正解なのかわからない俺は、口を開きかけて、また閉じた。
イタチがサスケの頭を撫でる。
「サスケが好きな食べ物だよ。カカシさんと一緒に何十回も食べたんだ。記憶がなくても身体が覚えてるんだよ、きっと。」
イタチはどうやら、サスケに記憶がなくなっている事を話したようだった。だからといって何かが変わるわけではないだろうけど……。
「俺は本当にこの人……カカシ、さん、と暮らしていた、のか。」
「そうだ。やっぱり思い出せないか?」
「……何も、」
「大丈夫だ、焦る必要はない。」
焦る必要はないとはいえ、その後サスケがそれ以上の事を思い出す気配はなかった。〝カカシさん〟と呼ばれるたびに、それを思い知らされる。
イタチは数日泊まり込んでサスケの様子が変わらない事を確認して、サスケを引き取る、と話した。
思い出せない以上、仕方がない。サスケにとっても、俺がいる生活よりも兄弟で過ごす方がきっといいだろう。
「また、連絡します。ありがとうございました。」
「ふたりとも、……元気で。」
「カカシ……さん。すみません、お世話になっていたのに何も思い出せずに。ありがとうございました。」
遠ざかる背中、閉まっていく扉がガチャ、と音を立てて、俺はベッドまでふらふらと歩み寄ると布団の上に倒れ込んだ。
……これでよかったんだ。
だって俺たちはずっとお兄さんが迎えに来るのを待ち続けていて、そして今そのお兄さんと暮らせる事になったんだから。
一人で暮らすには広すぎる家、ぬいぐるみと服以外すべて残されたサスケのものが溢れる部屋。
……捨てる気にならない。引越しもしたくない。
この六年間の思い出を俺は捨てたくない。
「サスケ……兄さんと幸せに暮らせよ……。」
名前を口にしてみて、返事をする声が返ってこなくて、サスケはもういないと改めて実感する。
サスケが帰ってくる場所になりたいと、笑いながらふたりで過ごした六年間が頭の中に、部屋の中に溢れている。
サスケの中からは失われたけど、俺の中にはきっと消えずに残り続けるだろう。
明日も仕事だし、……ここ数日なんだか疲れた。
今日はもう、このまま……。
「カカシ、おかえり!」
笑顔で出迎えるサスケに俺も笑顔になる。
「ただいま、今日の夕食は何だと思う?」
サスケは買い物袋を見つめた。
「んー……、えび、エビチリ?」
「正解」
買い物袋を台所に置いて、ハンガーラックにジャケットをかけると、サスケは袋の中身を取り出していた。
「エビの殻剥いてくれる?」
「おし、わかった。」
腕を捲って手を洗うサスケと並んで調味料を混ぜていく。
「辛さはどのくらいがいい?」
「うんと辛くしてもいいぜ!」
「それ、後悔しないでよ?」
「むしろ楽しみだ」
笑いながら、ふたりで作ったおかずをテーブルに並べてごはんをよそう。
「明日からテストだから、昼は家で食べるよ。」
「そっか、じゃあ朝にごはん炊いておくから、適当に食べてね。」
「ああ、ありがとう、カカシ。」
サスケは俺に笑顔を向けた。
この笑顔を守りたい。
笑顔が絶えない、そんな我が家でありたい。
「……俺を見つけてくれたのが、カカシでよかった。」
「ん? どしたの急に。」
「だって、俺家族はいないけど、カカシがいるからここに帰りたいって思えるんだ。」
「……それは、……嬉しいな。俺、サスケにとって帰りたい場所になれてたんだな。」
「もちろんだ、だから――――――」
アラームの音で意識が現実に引き戻された。
夢、だよな。こんなやりとり、記憶にない。辛いエビチリも作ったことがない。
……もしかして、サスケが俺に見せた夢?
ベッドから起き上がって鏡でどこかに牙の痕がないか確認する。でも、腕にも首にもどこにもない。
という事は、単なる俺の夢……妄想、なのか。
……そうだったらいいな、と思っていた夢。でもサスケはもういない。この家は、サスケが帰ってくる場所ではなくなった。サスケが帰る場所はお兄さんのところだ。
ふう、とため息をついて洗面所に行き、顔を洗った。
鏡に映る自分の顔に覇気がない。ぼんやりとした間抜けヅラだ。こんな顔で出勤したら心配されかねない。シャキッとしなければ。
学校へ出かけるサスケを見送ることがなくなった朝。黙々と着替えて朝食をとり、家を出ると、そこには走ってきた様子のナルトがいた。
「はぁ、カカシ、っは、」
「まず息を整えて、ほら。」
「っ、サスケ、今どうなってんだ。なんで一週間も休んでんだ。もうすぐテストだぞ。サスケが、こんな大事な時期にこんなに休むなんて、何かあったんだろ。」
「俺会社に行かなきゃなんないから、手短に話すけど、サスケは東京に来てからの記憶がなくなった。今はお兄さんと過ごしてる。学校は……今の様子だと多分、もう行かないと思う。」
ナルトは目を見開いて俺のコートの襟を掴む。
「記憶がないって、どうして⁉ どういうことだってばよ!」
「ごめん、今は時間ないからまた改めて話すよ。」
「嘘だろ……おい、本当に……⁉」
「……こんな嘘、つかないよ。じゃ、また今度。」
ナルトの肩にぽん、と手を置いて、駅に向かって歩き始めた。ナルトにとって唯一の友達だったサスケが、友達として過ごした時間の全てを忘れてしまったんだ。……きっと俺よりもつらいはずだ。慰めてやりたいのは山々だけど、俺自身まだこころの整理がついていないんだ。今はごめん、どんな言葉をかけてあげるのがいいのかわからない。
会社に着いて、タイムレックスを確認してから業務に入る。けどケアレスミスを連発して、上司に呼ばれてしまった。
「最近様子が変だとは思っていたが……はたけらしくないミスばかりじゃないか。原因は?」
本当のことは言えない。サスケの記憶がないだとか、そうなった原因だとか。でも何か言って上司を納得させなければ。
「――体調が、あまりよくないみたいで集中できていないようです。すみません。」
少しの沈黙が流れる。
「……わかった。今の状態で仕事をされても、周りに迷惑がかかるだけだ、早退しなさい。」
上司の顔を見る。有無を言わさない厳しい目で俺を見ていた。
「……すみません。しっかり休み、明日はご迷惑をおかけしないようにします。」
席に戻って、スラックにタスクを投げて鞄に持ち物をしまう。頭を下げて部屋を出ると、深いため息が出た。
仕事だぞ、しっかりしろよ俺。こんな調子で明日も出勤するつもりか。もう、……諦めろ。
……そうだ、こんなにもサスケのことばかり考えてしまうのは、諦めきれてないからだ。サスケとの生活が楽しくて。サスケと一緒に過ごすのは嬉しくて。たくさんふたりで思い出を積み上げてきたそれがサスケの中から消えてしまった事を、何かの拍子に思い出してくれないだろうかと諦めきれずにいる。
でももう、諦めろ。イタチだって、思い出させるのを諦めたからこそサスケを連れて出て行ったんだ。
あきらめ……。
頬を温かいものが伝っていく。顎の先からそれは落ちて、ぽた、と地面に染みを作った。
俺、泣いてる?
……だってこの六年間を忘れるなんて、出来ない。サスケとの生活を忘れるなんて、捨てるなんて出来ない。俺はいったいどうしたら良いんだ。……神様……。……本物の神様は目に見えない、んだったよな。それなら、いるかもしれないんだよな。いるんだったら俺をどうか救ってくれ。いっそのこと俺の記憶も持って行ってくれ。お願いだから、神様、この願いを、聞いて、くれ……。
「おかえり」と出迎えてくれる人がいない、無駄に広い家に帰る。
サスケの持ち物を……もう、処分しよう。
ランドセルも、教科書も、トランプも、ボールも……このボール、はじめてサスケに買ってやったおもちゃ……だったよな。すごく、喜んでたっけ。もうボールで遊ぶような歳じゃないのに、こんなところに大切に取ってあったんだな……。ナルトとはじめて出会ったときに、ずっとこのボールを投げ合って、楽しそうに……。
……捨てるなんて、やっぱり出来ない。サスケは確かに俺と一緒にいた。サスケの中にその記憶がなくても、この事実は、消せない……忘れる事なんて、出来ない。サスケが忘れてしまっていても、俺は忘れない。ずっと、ずっと、一生忘れない。
左手に掴んでいたゴミ袋を床に落とした。そのまま、サスケの部屋の真ん中でしゃがみ込んで、サスケの部屋を見回した。子どもの目線って、このくらいだろうか。サスケがこの部屋がいいって、言ったんだっけ。綺麗に整頓されてて、サスケらしいな。タンスの中の服は、持って行ったんだっけ。
一番下の引き出しを開けてみたら、そこに入っていたのは小さなトレーナーと半ズボンだった。……この大きさって、この恐竜のワッペンは、出会ったばかりのときに買った……。
サスケの部屋を見て、サスケもきっと、人間の子として過ごした時を忘れたくなかったはずだと考え直した。……だったら、サスケが思い出せるようにしなければいけない。
けど、俺はイタチとサスケがどこに行ったのか……知らない。
また連絡をくれるとは聞いたけど、どうやって連絡をくれるのかもわからない。なんと言っても、ふたりには身分証も収入証明もない。新しく部屋を借りるなんて無理だし、スマホの契約だって出来ないはずだ。
……詰み、なのか。あのとき、俺はなんで引き留めなかったんだ。どこに行くつもりなのか聞かなかったんだ。
サスケの部屋を出て静かに扉を閉めた。誰もいないリビングに目を向けたその時、玄関からカチャリと音がする。
「……え?」
ゆっくりと扉が開く。その奥に見えたのは、……サスケの姿だった。
「……あ、ええと、勝手にごめん、なさい。ポケットの中に……鍵があって、それで……。」
思い出した、わけではないようだった。でも関係ない。会いたかった、その顔を見たかった、おかえりと、言いたい気持ちをなんとかこらえた。
「鍵を、返しにきてくれた、っていう事でいいのかな。」
そうだとしたら、今のサスケはもう俺との関係を断ちたい、ということになる。そうだとしたら……会いに来てくれた、それは凄く嬉しい。嬉しいけど、別れのために来たのなら俺はどうしたらいいのかわからない。
サスケが玄関の外に立ったまま、遠慮がちに口を開く。
「兄さんと、兄さんの仲間が住んでたっていう家に住んで……でも何かが違うってずっと……こころの奥に引っかかってて。今、この玄関の前に立って、鍵穴に鍵を差し込んだときに、……何が違うのか、わかって……。」
サスケは、困惑の表情しか見せなかった目を覚ましたばかりの時とは違って、覚悟を決めた顔で俺の目をまっすぐに見つめる。
「俺は、俺の帰る場所は、家は、ここだったんだ。俺はずっと、カカシのところに帰りたかった。それが、この扉を開けた瞬間に……、わかっ、て……」
思い出した、様子じゃないのに。
サスケは、今、何て言った。
俺のところに、帰りたかったと、そう、言った?
涙が込み上げてくる。俺だってずっとサスケが帰ってくるのを待ってた。おかえりって出迎えてくれるのも、ただいまって帰ってくるのも、ずっとずっと。
「おかえり、サスケ。……おかえり。」
「た、だいま、カカシ……っ、俺またここに住みたい、……一緒に、カカシと、カカシのいる、この家に、帰り、たいっ……!」
玄関の中に、ふらっとサスケが入ってくる。
「俺のところに、帰ってきてくれて……ありがとう……また、一緒に暮らそう……」
こらえきれない涙がぼろぼろ落ちた。
帰ってきてくれた。
サスケにとって、帰る場所に俺はなっていた。
嬉しくて、嬉しくて、玄関に入ってきたサスケを抱きしめて、よく帰ってきてくれたねと声をかけながら、俺たちはしばらくそのまま涙をこぼしていた。
「うちはサスケ君は、憶えていないそうなんですが、何かの拍子に頭を強く打ったとかで、ここ数年の記憶がなくなったそうです。皆さん、うちは君が少しでも思い出せるように、学校で何があったのか教えてあげてください。」
教壇に立たされたサスケは、人間の数に驚きながらも、よろしくお願いしますと頭を下げて学校生活に少しずつ慣れていっているらしい。
というのも、ナルトから聞いた話だ。しかもサスケがいる隣で。
「少しずつって何だよ、もう俺は慣れた。」
「ど――だか。いっぱい話しかけられておどおどしてたのはどこのどいつだってばよ。」
「それは最初の日だけだ!」
憶えていないながら、相変わらずサスケとナルトは仲がいいらしい。
「憶えてねーのはあれだけどさ! アメリカ軍に天罰も下ってるし、システムも消えたんだろ? よかった、でいいじゃん!」
「そう言うのはナルトだけだ、他のクラスメイトはやっぱりどっかよそよそしいし。」
「それはさ、俺たちが同じワケアリ仲間だからだってば!」
「ワケアリ? ……まさかナルトも人間じゃない、のか?」
「そっからかよ! ……ま、いいけど!」
いつものように仕事を定時で終わらせて、スーパーに立ち寄り、おつとめ品を物色してから家に帰る。鍵穴に鍵を入れて回し扉を開けると、聞こえてくる駆け寄る足音。
「おかえり、カカシ!」
「サスケ、ただいま」