あくまのこ   作:江夏ケイ

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パウチカムイ

「カカシ、起きろ」

 サスケに激しく揺さぶられて、意識が引き戻された。辺りはまだ真っ暗だ。と、いう事は……。

「来た?」

「ああ、カカシは俺の獲物だって言ったら行っちゃった。」

 縄張り意識みたいなものがあるのだろうか。

「でもまだ近くにいる。あいつらと話に行っていいか?」

 複数、いるのか。確かに、ネットで調べたパウチカムイは集団で踊っていると書かれていた。

「あまり離れないように、行ってきな。」

 サスケは頷いて、車の天井をスルッと通り過ぎてどこかへ行ってしまった。

 戻ってくるのを待ちながら、ネットで検索したページを読んでいると、いつの間にか全裸の女性が目の前にいて身体が固まる。おいおい、まさかこいつパウチ……。

ぽろっと落ちたスマホの画面の光に照らされた女性は妖麗に笑いながら俺の股間をさすり寝袋のジッパーを下ろしていく。

 声を出そうにも、金縛りなのか身体が動かないし声も出せない。反応し始めたそこを解放するようにそいつはズボンのチャックを下ろして、上を向いたそれを口に含む。

 あぁ、もう、くそ、気持ちいい……。

 頭に霞がかかってきて何をしているのかよくわからなくなってきた。自分の荒い息だけが耳について残る。あがなえない何かに従って何かをしようとしたその時、サスケの声が耳を劈く。

「カカシに触んな‼」

 ハッとして意識が鮮明になっていく。

 俺は両手を寝袋の横について、まるで誰かにそれを挿れようとでもしているかのような体勢だった。

 嘘だろ……全然意識がなかった。

「サスケ、ありがとう。助かった。」

 そう言いつつ、落ち着いて座り直してそれをズボンの中に押し込める。

「油断も隙もないなったく! 話聞いてきたぜ、基本ひとつの一族でひとつの集まりみたいになってて、他の一族のことはよく知らないみたいだ。」

「ってことは……」

「俺の一族が攫われたことも知らなかった。多分、パウチカムイは他の一族に聞いても同じだと思う。」

「手掛かりなしか……。そうとわかればこんな場所さっさと移動しよう。また同じ目に会うのは勘弁だ。」

 寝袋をそのまま置いて運転席に移動する。とはいえ、こんな暗闇の中でどこを目指したらいいのやら。取り敢えずはオホーツク海の方に戻ろう、サスケがいたコタンは海に近いはずだし、こんな木々が生い茂る中よりも海沿いの方が人もいる可能性が高い。

 しばらく車を走らせて月明かりが見えてホッとする。そのまま海岸沿いを走って、全く何もない事を確認してから適当な路側帯に車を停めて寝直すことにした。後ろを気にしていたサスケが「ここなら大丈夫」と言ったのを聞いて安心して寝袋に入る。

 目が覚めたら博物館に向かうか、しかし想像していたよりも広いな北海道……。

 

 翌朝、軽く朝食をとってからまた漁港ないかなぁと車を走らせるが、ず――ッと同じ景色が広がるばかり。

 海鮮丼は諦めてナビに従って博物館に向かうことにした。とはいえ目的地まで五時間などと書いてある。運が良ければ博物館に食事をするところがあるだろう、運がなければ今日の昼飯もおにぎりだ。コンビニどころか集落も商店も見当たらないのだから仕方ない。

 二時間ほど走ると国道に出て、他の車を見かけた時は思わず小さくガッツポーズをした。人だ、人がいる! ということは多分店もある! ガソリンはまだ十分あったがこんな調子ではいつ次のガソリンスタンドに巡り会えるかわからないから見つけたらともかく給油する事にした。

 基幹道路なのかトラックも走っていたりして心強い。その国道沿いを走っていたらひどく懐かしい看板を見つけた。

「コンビニだ……! ……って、この先百三十五キロ⁉」

 ええと、時速六十キロで巡行して……二時間ちょい。

 まあいい、ちょうど昼時だ。弁当を買って温めてもらって食おう!

 おにぎりが嫌いなわけではないが、おにぎりばかりだとやっぱり物足りないものだ。サスケもコンビニの看板でテンションが上がって口数が増えた。

「ガソスタもあるといいんだけどなぁ、高速のSAみたいだと嬉しいんだけど。」

「俺カップ麺食べたい! あと、あと、ええとポテチ!」

「ジャンクだねぇ、俺は牛丼かなぁー。」

 しかしそんな会話だけで二時間持つわけもなく、次第に変わらない窓の外を眺めながら「遠いねー」と時々呟くらいには落ち着いた。サスケが景色について何も言わないという事は、故郷とは違うんだろう。まあ、開発されている国道沿いにアイヌの人々が暮らしているなんて思えない。

 走る分には快適だがただ目的地に向かうだけのドライブは退屈なものだ。

 二時間と少しして見えてきたその看板に再びテンションが上がり、広い駐車場の入り口側に車を停めて揚々と店内に入ると流れた懐かしいメロディに思わず「近代文明、最高……!」と口にしそうになる。サスケはカップ麺コーナーに駆けて行き、俺は弁当の物色を始めた。

 牛丼もいいが牛カルビ丼も捨てがたい……スタンダートにハンバーグ弁当もいいな。いや、パスタという選択肢も……。

 選べる、ということがいかに幸せなことなのかを噛み締めながら、結局は牛丼と煮卵を選び、そしてこの先の車中泊に備えて悪くならなさそうなおにぎりやパン、お茶をカゴに入れる。

 キラキラとした目でサスケが持ってきたカップヌードルも加えて、ポテチも三つ買って、買い物袋三個分の買い物をして車に乗り込むと、温めてもらった牛丼、そして熱いお湯を注いだカップヌードルを一緒に食べて「あ~……」と二人で感慨に浸った。

 何せ次にまともな飯にありつけるのがいつになるかわからない。ナビを見ると目的地の博物館まではあと四十分位だった。

 何か収穫があるといいんだが……。

 

 腹を膨らませて再び車を走らせた。

 途中から国道とさよならして、しかしちゃんと舗装された道を行く。白樺の樹が並ぶその道にサスケは何か感じるところがあるようだった。

「あれさ、あの木の皮で、村の人がカゴ作ってくれて、俺の遊び道具そこに入れてて、はじめてカゴ貰った時に母さんがこの木だよって教えてくれた。」

 カゴを作れるなんて、丈夫な皮なんだろうな。白樺なんて特別な場所に生えているわけじゃないから、この辺りにサスケのコタンがあるとは言えないけど。

 しかし、そういうカゴを作ってたという事は、もしかしたら近代化の波に乗らず昔ながらの生活を続けている村なのかもしれない。

 整備された駐車場が見えて、木でできた看板には資料館の文字が見えた。ようやく着いたか、と駐車場に入って車を停める。他に観覧者はいないようだった。

「OPEN」と書いてあるから開いているんだろう。人気を感じないその建物のガラス戸を開けると、すぐそこはアイヌ民族の文化を紹介する展示物がたくさん並んでいた。

 木や動物の皮、魚? 自然の物を使って作られた日用品や衣類、獲物を仕留めるための罠や武器、ひとつひとつ興味深く見ていると、サスケが「あれ!」と服の裾を引っ張って指をさす。そこには大きな……熊の皮? 絨毯、だろうか。頭がついたままのそれを指差しながら、サスケは「これあった!」と静かな博物館の中で少し興奮気味に言う。

 その声を聞きつけたのか、奥からひとりの男性が出てきた。

「すみません、滅多にお客さんが来ないもので気が付かず。」

 ワイシャツを着崩したその男性は、サスケの様子を見て笑う。

「皆さん、あの毛皮には驚かれるんですよ。そこに展示してある弓矢と同じもので仕留めたという話です。もちろん、弓矢だけでは仕留められませんから、毒を使っていたそうです。」

「熊を……仕留めるのはアイヌの人たちにとっては日常だったんですか?」

「いや、熊は特別です。何分、大きいし凶暴ですからね。腕の立つ男にしか仕留められなかった。それも、マタギとは違ってコタンの周辺に現れて、コタンを荒らす可能性のあった熊だけです。ここまで綺麗な状態で譲り受けることが出来たのは幸運でした。」

「アイヌの方から譲り受けた、のですね? その方々は今は?」

「これを譲ってくださった方のコタンはもうありません。正確には、そのコタンの皆様は同じ集落に暮らしてはいますが、その暮らしぶりは今はもう普通の日本人と変わらない。まあ、時代の流れですよ。」

 ……サスケも故郷の人の集落のことを「村」と読んでいた。コタンではなく。となると昔ながらのアイヌの生活ではなく、ある程度近代化された村だったのかもしれない。昔の名残で、カムイの信仰や道具を作ることがあっただけで。

「実は、探している村があるんです。そういう〝元コタン〟の村の中で、赤い眼のパウチカムイのような存在を信仰しているところをご存知ではないでしょうか。」

「パウチカムイ……ですか。」

「ええ、でも、一般的なパウチカムイとは違って……自ら人を惑わすようなものではなく、村の人と共存しているような、そんな感じの。」

 男性は考え込んだ。ぶつぶつと何かを口にしながら、別室に入って行って棚の書物の背表紙を指でなぞっていく。

 これは……期待してもいいのだろうか、何かの手掛かりの。

 四冊ほど本を持ってきて男性はそのページをめくった。

「パウチカムイ……かどうかはわかりませんが、赤い眼のカムイ……と言うとこれか、もしくは……。」

「夢を見せる力を持つカムイ、っています?」

 男性はまた考え込む。

「一番……近そうなのは……アペフチカムイ……でしょうか……しかしパウチカムイとはだいぶ異なる……。」

「アプフ……?」

「ええと、つまり火の神様です。人々に温もりを与え生活を守る……。夢の中では人の姿で現れるが、その眼は赤い、と語った人もいる。つまり、全てのアペフチカムイの眼が赤いという訳ではなく……。」

 火、火といえば、サスケは以前口から火を……もしかして。

「その、赤い眼のアペフチカムイの話はどこで聞かれたものですか?」

「私が直接……ではありませんが、場所としては……」

 男性が北海道の北側の地図を広げる。

 指で示されたそこは、網走と屈斜路湖の間くらいの場所だった。

 ……海から近い、とは言えないが……今もそこに村があるとしたら、他の村との繋がりもあるかもしれない。

 しかし地図上に示された指の範囲は広すぎる。

「もう少し詳しくわかりますか?」

 持参した道路地図の、その付近を広げる。

 男性はそれをじっと見つめて、コンパスと定規を使って距離をはかり、鉛筆で丸をつけた。

「今も存在するとしたら、ですが、その話を伺ったコタンの場所はここです。」

 だいぶ地域が絞れた、が、道からはだいぶ逸れている。車を置いて森の中を進む……のは素人には危険だ。遭難しかねない。近代化されているとしたら、もっと暮らしやすい場所に移動している可能性はある。となると、またどこに移動したのかわからず詰む。

 しかしともかくこの近くに行ってみるのは確定だ。サスケに上空から周辺の様子を見に行かせる手もある。

「しかし、アペフチカムイはパウチカムイとはだいぶ違います。アペフチカムイは暮らしに根付いていたが、パウチカムイはどちらかというと脅威として見られていましたから……ところで、何故そんなことを調べているのですか?」

 ……しまった、この質問の答えを用意してこなかった。

「ええと……アイヌ出身の同僚から聞いた話が興味深くて、アイヌの文化……とりわけ信仰に興味がありまして。」

 それを聞いた男性は、嬉しそうに笑った。

「アイヌは興味深く奥深いですよ、信仰深い人々です。あなたにカムイのご加護がありますように。」

 

 話し込んでいたらすっかりあたりが暗くなっていた。クンネチュプ、という地名は知らないと言われ、もしかしたらこの言葉は地名やコタンの名前ではないのかもしれないと考える。

 その男性……館長の許可をもらって駐車場で車中泊をさせてもらう事になり、車に寝袋を広げた。

「サスケはどう思う? 自分は火の神様だって感じ、する?」

「んー……いまいちピンとこない。火の神様は血や精液を飲んだりするのか? まだ昨日の奴らの方が俺たちに近い気がする。」

 パウチカムイがアペフチカムイのように振る舞う事なんてあるのだろうか、それとも俺や館長の知らないまた別のカムイが存在するのだろうか。……あの資料の数、知識でも捕捉できないような小さな集落なのか? でも、それじゃあ何故米軍はその情報を察知できたのだろうか。

「考えても仕方ないな、今日は寝て、明日は屈斜路湖を経由してあのコタンの場所に行ってみよう。」

 しかし。

 こんな大自然の中にいては、サスケの兄さんが交番の貼り紙を見つけてくれるのは絶望的だなと思う。

 せめて街の方に出て来てくれていれば見つけてくれる可能性もなくはないけど、あの地図の場所が故郷だとしたら一番近そうな北見まで行くにもかなりかかるだろう。

 現地に来たら何かしらの手がかりが見つかるかもしれない、と思ったが、それほど甘くもなかったようだ。

 俺は車内灯の灯りを消して、寝袋に潜り込んだ。

 

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