屈斜路湖、と言えば北海道の観光スポットのひとつ。そんなところにコタンがあるわけがないが、せっかく北海道まで来たんだ!と、半日ほど屈斜路湖観光をする事にした。水が澄んでいて水底まではっきりと見える事に感動して、更にはそこに魚がいる事にも感動して、観光地らしくソフトクリームと書かれたのぼりの傍で北海道産の生乳で作られたふわふわで濃厚なソフトクリームに感動して、土産物屋で木彫りのクマやら何やらを買って堪能した。
「北海道に来てよかった……」
「楽しそうだな、カカシ。」
「だってこんな壮大な景色……東京じゃ見られないもん。」
「ふうん……そうなのか。俺はよく来てたからわかんねえや。」
……え、今なんて言った?
「よく来てた、って言った?」
「ここじゃないけど、同じような湖。魚小さいけどうまいんだ、兄さんとよく釣りに……」
「え、ちょっと待って、サスケの村から湖まではどれくらいの時間で来れたの?」
「……時間とかはわかんねえけど、夏だと太陽があのあたりまで沈んだら帰る時間で、その時間に帰り始めたらちょうど山と山の間に陽が落ちるくらいに家に帰ってた。」
あのあたり、と指差したところは結構高い。でも山間部に住んでいたなら陽が落ちるのも早い。
地図を広げて他の湖を探し、西の方角に山と山に挟まれた場所がないか確認する。……が、ありすぎる。
「移動は歩き? それとも飛んで?」
「村の子と一緒だから歩きだ。」
村の子と混じって湖に? カムイであるはずのサスケが人間を装って一緒に釣りに行っていた?
一緒に遊んだとは聞いていたけれど、そこまで人の中に馴染んでいたとは信じ難い。
「一族の人全員、人と一緒に暮らしていたの?」
「そんなわけないだろ、一緒に釣りに行くのも帰すときはそういう夢を見ていた風にしてたから。あくまで俺たちと村のヒトは別々だ。」
なるほど、夢……。しかし湖、このヒントは大きいかもしれない。この近辺と似たような景色だとしたら、このあたりに点在する湖のどこかかもしれない。
太陽があのあたり……十五時、くらいか。子供の足で歩いて山と山の間に陽が沈むのが十七時半位と仮定すると、住んでいた場所は……地図にいくつかぐるりと丸をつける。
この線上のどこか、の近く。しかも、その線上の近くに昨日聞いたコタンの場所が重なる。
「……見つかるかもしれない。」
鉛筆を握る手に力がこもる。
「行こう、サスケ。お前の村は近いかもしれないぞ。」
そのコタンに一番近づける道を走り、村があるとすればこのあたりに曲がり道があるはず、と地図にない道がないか探しながらゆっくりと運転する。その道の先に、女性がぽつんと立っているのが見えた。
……こんな所に女性? またパウチカムイ……にしてはちゃんと現代的な服を着ている。
その女性の手前で車を止めた。
「香川さんが言っていたアイヌの信仰に興味がある親子ね?」
気の強そうなその女性は俺とサスケを交互に見た。
「香川さん……ってもしかして資料館の?」
「そ! 館長の香川さん。で、あたしはアイヌの文化の案内人ってとこ。こんななりだけど、正真正銘のアイヌ民族よ。車はそこでいいから、着いてきて。」
さっさと歩き出すその服装は白のブラウスにスカート、だけど足元はしっかりと登山靴だ。
獣道……というよりは少し広い、通り道なんだな、という道を歩くこと二十分ほど。建物が見えてきた。最初に会ったアイヌの女性の家とよく似た、古い平屋が四軒。
「どこから説明が必要かしら? 見ての通り、助成金で家は建てれたけれど、この辺りは公共の上下水道も電気も通っていなくて、結局寝る場所は立派、だけど元の暮らしに戻ったのが中高齢以上の人たち。若い子は近代文化を選んで街へ出て行った。結果として、狩りをする男が段々といなくなって困窮した。古い人たちだから、それが運命だって受け入れようとしたのね。それを救ったのがこのコタンが信仰しているアペフチカムイよ。」
「アペフチカムイはどのようにしてコタンの人を?」
「信心深い老人の夢に出てきてお告げをしたのが始まり。お告げは夢の形で現れて、例えばそうね、近くの川のある場所を掘ってみたら砂金が見つかるから、それで交易をして食べ物を手に入れなさい、とか。村に残った人たちに生きるための知恵や知識を夢を通して授けてくださったの。」
夢を見せるのが役割……サスケの話とかち合う。
でも、この村にはサスケと同じ年頃の子供は見当たらない。
「その夢を見せたのがアペフチカムイだと分かったのは何故ですか?」
「このコタンが特別に信仰していたのがアペフチカムイだったからよ。だからアペフチカムイのご加護に違いない……ってね。まあ、二十年くらい前に電気が通じるようになってからは、ずいぶん暮らしも変わったけど。でもこの村の人たちは今でもずっとアペフチカムイを信仰し続けているの。」
四件の家々を見回す。軒先には干した山菜……なのか、野菜なのか、植物の根のようなものがぶら下がっている。
「あなたはこのコタンの出身なんですか?」
女性は肩にかかる赤いロングヘアをかきあげた。
「あたしはこの辺りのコタンの見守り兼研究者。出身は別のコタンだけど、アイヌ民族であることを誇りに思っているから、あなたみたいな人は大歓迎。知ってる事は惜しまず話すわ。それがこの土地を見守る者の務めでもあるからね。」
俺はサスケの様子を伺った。キョロキョロとあたりを見回している。見覚えがあるのだろうか、それとも違うのだろうか。
「この子と同じくらいの歳の子がいる村はありますか?」
「……変わった質問ね。同じくらいの子どもがいたコタン、あったわ。子ども五人のお母さんがいて……。でも今はいないの。」
「今は、というと……?」
「彼女はシングルマザーで、街で子どもを作ったけれどひとりで育てられずコタンに戻ってきた子だった。その子どもたちと一緒に。ここと同じように、夢で加護をくださるカムイがいて、子どもたちも知らない友達と遊ぶ夢を毎日のように見ていて寂しくはなかったみたい。だけど、あるときからカムイはその村を見捨ててしまわれた。……加護がなくなって、生活もままならなくなって、彼女は子どもを連れてまた街へ戻って行った。生活保護を受けると言って。カムイに捨てられたその村は……もう、駄目ね。今残っているのは老人ふたりだけ。そのふたりをこっちのコタンに呼びたいのだけど、カムイに見捨てられた私たちが行っては迷惑をかけると……もう全てを諦めてしまってる。今は死後に自分が着る服を少しずつ作っているだけだ。あたしにも何故カムイが村を見捨てたのか、調べてるんだけど分からなくてね。きちんとお供えも捧げ続けて祈りも捧げてきたのに、忽然とその存在が消えてしまったから。」
話を聞くにつれ、俺の中で確信に変わっていく。そのカムイに見捨てられたコタンこそが、サスケの村だったに違いない。
サスケたちの一族が米軍に連れ去られたことをコタンの人たちは知らないから、見捨てられたと思って……。
「その村が信仰したカムイも、アペフチカムイだったんですか?」
彼女は首をすくめて手を挙げた。
「その村だけちょっと事情が違ってね、アペフチカムイではなかった。コタンの人々はトゥスニンケと呼んでいた。だけどその捧げ物の儀式の様子を聞くに、あくまでこれは私個人の考えだけど、その村が信仰していたのはパウチカムイに近いんじゃないかと思ってる。」
つまり、その儀式の内容は性的な……完全に、繋がった。繋がったけどその村にはもうサスケの友達の村の子も家族もいない。老人がふたりいるだけ。それでも、そのコタンを訪れるべきだろうか。サスケに故郷を見せてやるべきなんだろうか。
「カムイに……見捨てられたのはいつ、ですか。」
「もうすぐちょうど一年になるかな。秋が深まる実りの季節だった。」
そうなると、もうひとつ確認しておかなければいけないことがある。
「なるほど、ありがとうございます。……ところで、去年も俺みたいな人がアイヌのカムイについて知りたいと訪れませんでしたか? ……外国人で。」
女性は、少し驚いたように目を見開いた。
「あなた、彼の友人? 確かに来たわよ、すごく熱心に勉強してる様子だったから印象に残ってる。見た目は日本人に見えたけど、喋ってみた感じ彼はきっとチャイニーズ系アメリカ人ね。」
「その人にも、今の話を?」
「ええ、もっと細かく聞いてくるものだから、詳しく話したわ。実際のコタンの様子や儀式の場所も写真に撮ったりして。」
……それで、目を、つけられたのか。パウチカムイに近いと知って、その能力を探って、有用だと判断したのだろう。小さな村から、彼らの神を奪い取って、そして村の人は神に捨てられたと絶望し、村から去って……。
「……サスケ、大丈夫か。」
「……わから、ない……」
「行ってみたい……って思う?」
俯いたまま、サスケは静かに首を振った。その手はズボンを握り締めている。
その様子を見ていた女性が眉をひそめる。
「……あんたら、どうも何かワケアリっぽいね。今度はこっちが話聞かせてもらってもいいかな。」
平屋のうちのひとつにお邪魔して、手入れが行き届いていない畳敷きの部屋に通される。女性は胡座を組んで手にメモ帳とボールペンを用意していた。
「知ってること全部、言ってもらうよ。研究のためだから協力してね。」
知ってること全部、アイヌのこの人になら言ってもいいのかもしれない。サスケのことも、信じ難いだろうけど信じてくれるような気がする。ただ……
「……言うことによってあなたが自身を責める可能性があります。全て洗いざらい、というのは出来ないと最初に言っておきます。」
「……話が下手だね、それはつまり去年のチャイニーズアメリカンのことだね。……なるほど、おおむね筋書きはわかった。で、詳細を聞こうか。」
鋭い眼光、そうか、この人は単なる案内人ではなく研究者だった。下手な嘘は見抜かれてしまいそうだ。正直に、話してしまおう。
「今から話す事はあなたの胸に秘めておいてください。時系列で簡潔に言います。」
「約束する、それで?」
「まず、サスケ……この子は人間じゃない。俺は訳あって人間じゃないものも見える、…………で、サスケの兄さんの手がかり、元住んでいた場所を探しに今ここに来ています。……。」
女性はメモをとり終えて、メモ帳にボールペンをトン、トン、とつつく。
「あたしは確かにあのコタンのカムイが人の体液と引き換えに夢を見せていると伝えた。その後供物として捧げられた人が二日ほど伏すことも。それをあのアメリカンに話したことが、コタンからカムイが消えた理由、という事か。見捨てられた訳ではなく。」
彼女が大切にしているものが、彼女自身によって破壊されてしまった事をどう思うのだろうか。
サスケは変わり果てた故郷を見たくないと言った。ここまで来て、こんな事を聞かされて、落ち込むのも無理はない。
「……確かに、コタンの人たちは言えない内容だ。ただ見捨てられた訳ではない事はどうにか伝えたいな。そうすれば、こちらに移住してくれるかもしれない。」
「サスケがいます、サスケに夢を見させて移住するように誘導をするのは?」
「……それもひとつの手ではある。ただなぜコタンからトゥスニンケが居なくなったのかという点をどう説明するかが問題だ。」
確かに、信仰していた神から他のコタンに行けとただ言われるのはやはり見捨てられたのだと改めて思わせてしまうかもしれない。
考え込んでいたら、サスケが口を開いた。
「要は、うまく言えばいいんだろ。……俺、やるよ。」
「……大丈夫か?」
「俺しかできない、俺の役割だ。」
女性の方を見て、頷いた。彼女もサスケを信じる事にしたようだった。
そのコタンだった場所を地図で教えてもらい、近くに車を停めて夜を待った。せっかくだから食べてと干し肉を貰ったけどめちゃくちゃ硬い。サスケは慣れた様子で食べている。……やっぱりアイヌと一緒に育った子なんだなと感じる。
夜が更けて深夜の二時、サスケは「行ってくる」と車の天井を通り抜けて行った。明かりのない森の中にひとり、というのは何だか心細いが、サスケが役割をしっかり果たす事を祈りながら待つ。
一時間くらいでサスケは戻ってきた。少し疲れた様子で、俺の顔を見る。
「ちょっとだけ飲んでも良いか、血。」
そうか、高齢の人から血を貰うのを躊躇ったのか。
「いいよ、お疲れ様。」
首元の髪をよけて、シャツをずらして噛みやすいようにしてやると、サスケは俺の首筋に牙を立てる。
噛みつかれているのに痛くないって不思議だな、と思いながら飲み終えるのを待って、念のため鉄剤を飲んだ。
「うまく行った?」
「……多分。明日あの人と一緒に村に行きたい。ちゃんと伝わったのか確かめたい。」
サスケの頭を撫でてやる。
「きっと伝わってるよ、大丈夫だ。」