クランツ街で区域議員となってから、三日が過ぎた。
朝の空気は澄み切り、街には人々の笑い声が少しずつ戻り始めている。
レミリアは役所の一室で、机の上に積まれた書類をじっと見つめていた。
「……」
数秒。
さらに数秒。
そして、ぽつりと呟く。
「……難しいわ」
書類には『居住申請』『農地拡張』『井戸修繕』など、様々な内容が並んでいる。
戦うことには慣れていても、事務仕事はまったくの別物だった。
「お姉様?」
隣からフランが覗き込む。
「何か困ってるの?」
「……全部よ」
真顔で返ってきた答えに、フランは思わず吹き出した。
「あははっ!」
「笑い事じゃないわ……」
レミリアは机に突っ伏した。
「こんなに書類があるなんて聞いてないもの……」
「区域議員だからねぇ」
フランは楽しそうに笑う。
そこへ、扉が軽く叩かれた。
「入るぞ」
クサリだった。
「調子はどうだ?」
「……聞くまでもないでしょう」
机いっぱいの書類を見て、クサリは苦笑する。
「最初はみんなそうだ」
「私は戦う方が向いている気がするわ……」
「残念ながら、この街では剣よりペンの方が使う機会が多い」
「嫌な世界ね……」
レミリアは肩を落とした。
そんな姉を見て、フランはまた笑う。
「お姉様が書類に負けてる!」
「負けてないわ」
「負けてるよ?」
「……少しだけ苦戦してるだけよ」
その時だった。
廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「区域議員さん!」
一人の青年が駆け込んでくる。
「大変なんです!」
レミリアはすぐに立ち上がった。
「何があったの?」
「井戸で揉め事が……!」
数分後。
三人は井戸へ到着した。
「俺たちが先に並んでた!」
「いや、こっちだ!」
二組の住民が口論になっている。
「どうしたの?」
レミリアが間に入る。
一人の女性が事情を説明した。
「井戸が一つしかなくて、水を汲む順番で揉めてしまって……」
「なるほど」
レミリアは静かに頷く。
少し考え込む。
「……なら」
皆がレミリアを見る。
「井戸を増やせばいいんじゃないかしら?」
一瞬、辺りが静まり返った。
「……え?」
住民たちが顔を見合わせる。
「いや、それが簡単にできれば苦労しないんですが……」
青年が苦笑する。
「えっ?」
レミリアは首を傾げた。
「違うの?」
クサリが額に手を当てる。
「レミリア……井戸を掘るのは何日もかかる」
「そうなの?」
「そうなんだ」
「知らなかったわ……」
天然な返答に、その場の空気が少し和らぐ。
フランは笑いを堪えきれない。
「あはははっ!」
「お姉様らしい!」
「笑わないで……」
レミリアは少し頬を赤くした。
改めて考える。
「じゃあ……今日は偶数番号の家、明日は奇数番号の家にしたら?」
「交代制ですか」
「ええ。不公平にならないでしょう?」
住民たちは再び顔を見合わせた。
「……それなら」
「納得できます」
「それでお願いします」
口論は、あっさりと収まった。
クサリは感心したように頷く。
「意外だったな」
「何が?」
「もっと力ずくで解決すると思ってた」
レミリアは少し驚いた顔をする。
「そんなことしないわよ」
「必要なら戦う。でも、戦わなくて済むなら、その方がいいもの」
その言葉に、クサリは小さく笑った。
「やっぱり、お前に頼んで正解だった」
フランは胸を張る。
「当然!」
「お姉様はすごいんだから!」
「そんな大したことじゃないわ」
照れたレミリアは帽子を深く被る。
すると、小さな男の子が近づいてきた。
「議員さん!」
「ん?」
「ありがとう!」
男の子は花を一本差し出した。
「これ、お礼!」
「……私に?」
「うん!」
レミリアは少し戸惑いながら花を受け取る。
「ありがとう」
自然と笑顔になる。
その笑顔を見たフランも嬉しそうに笑った。
(やっぱり……)
(お姉様は笑ってる方がいい)
そう心の中で呟きながら、フランはそっとレミリアの隣に並ぶ。
壊れた世界でも。
守りたい笑顔がある限り。
二人は、前へ進み続ける。
次回 第15話「初任務」
区域議員となったレミリアに、初めての護衛任務が舞い込む。
交易隊を狙う謎の武装集団──。
レミリアとフランは、街を守るため再び武器を手に取る。